私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

8月6日です

2016-08-06 11:57:36 | 日記

 広島に投下された「原子爆弾」が炸裂してもう七十一年にもなるのです。その時、私は小学3年生でした。何かしら今までに見た事も聞いた事もないような恐ろしげ新爆弾で、「ピカドン」と云う名らしいと言うことを、何日かして知りましたた。それは、終戦の日よりももっと後日ではないかと思います、従姉妹で、その時は高梁の女学校に行っていたと思うのですが、その人から聞いたように覚えています。        
 総ての人の皮膚が全部めくれて、顔から血が流れ出してお化けの街になったのだと、恐ろしげに聞かせてくれたのを覚えております。しかし、 詳細は何も分からなかったし、先生からも何も教えてもらってもいません。とにかく、「ピカドン」と云う名で、「広島の街が一発で、めちゃめちゃになったんだ」とだけです。

 これは、原爆投下の当時の広島の模様について、岡山の片田舎に住む十才の私が知り得た小さい小さい情報だったのです。父からも母からも何も聞いてはおりませんでした。と、云うことは、当時の日本人のほとんどの人が、何一つ、この時の広島の惨状を知り得ていなかったのではないかと思います。当然新聞報道もなかったのではと思われます。

 その後、この年になるまで原爆についての情報は沢山学びました。資料館には幾度となく訪ねました。今朝のNHKの報道もしっかりと見ました。その中にも有った

         “過ちは繰返しません”

 と云う記念碑も何回となくみております。その言葉の持つ意義についても、私は、一年に一回だけですが考えて居ります。
 誰がいいか悪いかではなく、この悪魔的な弾丸の持つ意味への、ただ、単なるアメリカ人へとか日本人へとか言う範囲を限った人々に対してでなく、これからを生きて行く地球的全人類に対する天からの有情なる崇高なる警告ではないかと思われます。どうでしょうか????

 なお、昨年の今日の私のブログには、その時の広島での原爆の悲惨さを伝える写真を載せています。この写真、現在、なかなか好評です。  再度載せます