「お前は、生来、戦いを好むような男ではない。どうしてお前を新羅征伐の長官にしたのか、その心は読めないが、多分、天皇は、我が妻でありお前の母親である「稚媛」を自分のものとして、既に子までも受けていると伝え聞いている。今の貴方が、天皇の命令に背いて、新羅を討たずして帰ったらならお前の命はどうなるか分からないぞ。このまま、百済の大嶋にいることは大変良い事だ。」
と、伝言します。
“今恐禍及於身 可蹻足待”
があります。
「今、恐らくは禍身に及ばん事を 足を蹻(たて)て待つべし」
と読みます。
この“可蹻足待”は、中国の古い書物「史記ー商君伝」の中に見えます。そこには“亡可翹足而待”「足のつまさきを上げて待つ」と言うことから機会が訪れるのを待つと言う意味に転じて用いられている言葉なのです。
「お前の身には 恐らくは禍が怒るであろう。それをじっと待つ事もないだろう」
「待っておればその内に、きっと、何かいいチャンスが訪れるからそこで待っていなさい。私も此の任那にいて日本には帰らないから」
昨日の「領項<クビ>」や「牢錮<カタキコト>等の言葉等からも考えられるのですが、この書紀が出来たのは8世紀の中ごろです。作者の大変な量の広い知識には幾度となく驚かれます。