それだけ説明した所で、蓑笠庵は、芭蕉の「奥の細道」(芭蕉の自筆の奥の細道)にある
“今 象潟に方寸を責”
ついて、説明しております。
“責ハ争フト云意ニテ はるばるの旅路もはや行先象潟ばかりに成たりと云心なり”
言わずもがなですが、
「色々な場所への思いを胸に今回の奥州への旅路であったが、ようやく最後の目的地<象潟>にたどり着こうとしている」
ぐらいの意味ではないかと思いますが。と云うことは、芭蕉はこの象潟を見学したら、此の奥の細道への旅を終わりにしようと、最初は、思っていたのかもしれませんね??
もし、ここで終わっていたとするなら、あの“荒海や・・・”の句などこの世に存在が無かったのかもしれまっせんね。どうでしょうか???