私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

秋の夜長???

2016-09-24 07:42:54 | 日記

 もう80歳になった私には、「秋の夜が長い」なんて、そんなこと少しも想った事もありません。何せ、寝たい時に寝て、好きな時に起きればいいだけです。そんな長い短いなんて、時間を気にするような、今は、人生の重みなんて感じるような事は、何処を探しても湧きあがってはきません。誠に、軽い軽い生活を楽しんでおります。悠々自適でもない、“時の流れに身を任せ”なんて、かってどこかで聞いたことがあるような文句を口にしながら生活しています。と云うより、存分に、「今の時間を、瞬間の時を」楽しんでおります。
 このブログに投稿するぐらいが、今のわたしの精一杯の生活のようだとも考えております。デカタンスではないのですが、「自然流<ジネンリュウ>」と勝手に私は名づけて、自分の生活を自分で楽しんでおりますです???????

    「こげえな かんげえで めえにち すごしょうるんじゃが どげえに あんさんは おもいんさるんかなあ どげえなもんじゃろうか」

      「こげえな岡山弁 しっとりんさる」    (「岡山弁を考える会」より)

 


蜑の苫屋について

2016-09-24 06:51:48 | 日記

「蜑の苫屋」と云う言葉を、どうして、ここに芭蕉が使ったのかと云う理由を菅菰庵梨一は、それは、古来から、この象潟を歌った歌の中に沢山あるからだと説明しており、その例として

            “世の中は かくてもへけり きさがたの あまの苫やを 我が宿にして   (後拾遺)”

            “きすらうや わが身にしあれは きさがたや あまの苫屋に あまたたひ寐ぬ    (能因 新古今)”

            “象潟や 蜑の苫屋に きぬる夜は 浦風寒み たつ鳴きわたる     (藤原顕仲朝臣 方角抄)”

 の三首を挙げております。更に、“膝をいるるは陶淵カ帰去来辞ニ

              “審容膝之易 安”ト云文ヲ取ル也”

 と。そこで、又、私の自慢の江戸期(安政年間)の書物を見てください。