“蜑の苫屋に膝を入て”
この「蜑」についても、
「元々は外夷の国の名前で、常に船に居って海物を取って世ノ業とする人達をそう呼んでいたのですが、この字が日本に入って来た時、日本では海で暮らす人を海人<アマ>と呼んでいたので、「蜑」を日本流に<アマ>と読ましたのです。
その海で暮らす人、「猟師」の家「苫屋」ですから“いぶせき”きたない家が当り前です。それでも、そこに上がり込んで雨の晴れるのを待っておったのです。だからこそ、その前に書かれている
“闇中に莫作して”
と云う言葉が深く理解することができるのです。行燈も何もない、まっ暗いぼろ家の中にいたと言うことが分かります。そうすることによって、次の
“雨も又奇なりとせば”
の「奇なり」と云う言葉に、特別な響きを感じるように思われるのです。芭蕉の天才的文章構想才能の現れです。「奇」とは不思議な、変わっていて、それでいて優れているときに使う言葉です。普通の雨でしたら、それほど「奇」とは感じられないのですが苫屋ですから、独特の侘びしげな禅的な日本独特の美がそのか中から感じ取ることができたのだと思います。また、これはあの
「浦のとまやの秋の夕ぐ」
を、十分に、考慮しての構想です。その効果を存分に出すために、実際とは違がっている、「蜑の苫家」を選んだのです。???
しかし、実際は、芭蕉は、そんな苫屋に泊るはずがありません。事前に、そこら辺りの俳諧愛好者たちが、芭蕉の来る事を知って準備していたはずです。実際は、象潟辺りにある裕福な魚業関係者の家に泊めていただいたのではないでしょうか。
だから、この
”蜑の苫屋に膝を入て”
の、たった9文字が、ものすごく読者を引き付けて、「奥の細道」により高度な文学的価値を与え、不動の日本における名著の位置を得さしめているのではないでしょうか???