盗<ヒソカ>に楠媛はその夫を殺します。その殺害に関して女手で一つで出来る話ではありません、それを手伝っただろうと推察される人が一人いるのです。その人はだぶん副将に命じられたと思われる「吉備海部直赤尾」です。
この吉備海部直赤尾と云う人物が何者であるかは何も説明はないのですが、楠媛がその夫を密かに殺し、亡骸を室内に埋めたその後に、直ぐ“乃與海部赤尾・・・・在大嶋”と云う文が見えます。この事は、この赤尾が楠媛と共謀して弟君の”盗殺、隠埋”を暗示しているのだろうと私は考えています。女性一人で出来るわけではありません。当時、日本には、未だ、鉄器も十分にはなかった時代です(480年代です)。当然、百済に於いても、まだ、どこにでもあるというものではなかったのだろうと思います。大人の男性一人を埋めるにしても大変な労力と道具が必要です。どうしても誰かの手助けがいるのは当り前なことだろうと思われます。
(なお、当時の日本における鉄製品は、その原料である鉄塊を「任那」より輸入して、それから鉄製品を製造していたようです。)
穴を掘るスコップなどの道具も、当然、事前に内密のうちに用意しなくてはなりませんもの。この赤尾がどこからか調達していたものと考えられます。と云うことは、天皇は事前にこの弟君に対して相当深く疑念を抱いていて、あわよくばその任地「百済にて無き者」にと計画した出来事でなないかとさえ推測されます。
この弟君が”不在<イナイコトヲ>聞<キコシメシテ>”
天皇は「日鷹吉士堅磐<ヒタカノキシ カタシハト>」と固安銭<コ アンセム>」を迎えに百済に派遣しております。どうして、楠媛たちの一行は、既に、”手末才伎<タナスエノテビト>”も百済の王から賜っております。すぐに帰国できる準備は弟君が整えてくれていたはずです。なぜ、わざわざ弟君が、突然に、いなくなった事を、日本まで行って、天皇に知らせたのでしょうかね。是も不思議な歴史の一ページです。
考えてみますと、此の間の時は 、単純に計算しても、一年ぐらいは優に経過しているのではと思われますが。歴史の時間が、現在に比べて、ものすごく長いと言うことがわかります、文章ではわずか十字余りですが。