私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

私の名月観賞会です。

2016-09-14 11:03:21 | 日記

 今年は9月15日が名月です。
  私は毎年、たった一人で、「私の町 吉備津」の名月を、私流に楽しんでおります、時には駄句もひねりながら・・・・・。

というのも 私の好きな蕪村の句にあります(几董の蕪翁句集より)

                   

                     “月天心 貧しき町を 通りけり”

 の風光が見えるのです。

 というのは、この「風光」に一番よく合致しているのが、吉備津宮内の古き街並みから見る月見なのです。と云っても、そこには、今を昔に置き換えるような風光は何処捜しても見当たりません。ただ、僅か200年もの前の古き良き街角の喧噪な姿を、天空にさしかかった明月に、思い馳せながら、只々、そぞろ歩きに、歩を進めるのみです。が、その中には、何となく此の蕪村の句の風光が、自然と心にしみ出してくるような深い縁(えにし)のある不思議な感覚に陥ることができる独特な風光に出逢えることができるのです。
 この句に在るような蕪村が言う「貧しき町」とは、決して、貧乏人のすむ田舎町を云うのではありません。何んの飾りけも面白味もない、そこらあたりに並んでいる平凡な町を云うのだと思います。15日の10時か?11時か?その頃に、是非、出かけてみませんか、この宮内に。なかなか面白い、それこそ他では見ることができない吉備津独特の月夜の「風光」が発見できますよ。10時ごろ普賢院の前ぐらいに、一人老人が立っております。声をおかけくだされば、一絶の吉備津の月をご案内できるかと思いますので。


“きさ”とは

2016-09-14 08:54:02 | 日記

 少々長くなりますが、蓑笠庵梨一は、此の“きさ”について長々しく説明しております。それによりますと、“さき”というのは象の日本の古い時代の名なのだそうです。更に、梨一は

   “蚶潟<キサガタ>共云。蚶ハ小さき蝸牛の穀に似たる貝煮て、関東の小児のもてあそぶ、[きさご]という物是なり(上ツかたにては[したたみ]と云)”

 と、「きさ」と云う語の異説も紹介しておりあさ。続いて、
 「此の江は浅くて蚶<キサ>等の貝が生息しておったからそんな名前が付けられたのだろうと。更に、ここに「蚶満寺」と云う寺もあることから「蚶潟」が正式な名前だったのでは」とも書いております。よくそこまで梨一先生は調べたものがと感心しております。
 そして、続いて

 この江の広さは、少しも松島にも劣らない、同じぐらいだが、舟は棹で扱い、櫨を立てることはない。

                  “是又一絶のみ”

 とあります。「一絶」とは、他方と比べて優れている所と云う意味です。大きな船はこの江には入らす、中国の西湖と同じで、ただ遊人の舟しか浮かべる事が出来ない、誠に、俗っぽくなく、優雅で優れた江だと、それが芭蕉の云う

                 “江山水陸の風光数を尽して”

だと云うのです。
 なお、ここにある「風光数を尽して」の「風光」について、この言葉は三體詩の中に見えると書いておりますが、それをお見せします。まず三體詩です。

       次に、「風向」    です。