これも、また、宣長先生の説明からですが・・・・
「天照<アマテラス>」ですが、この“「照」は「氐良須<テラス>」と訓べし”と、これは“天に坐々して照り賜ふ意で、「高光<タカヒカル>」とおなじ」だと書いてあります。次に「大」ですが、「太」の字を書いているのも目にするが、これはまちがいだと。・・・・・・そう言えば、我が家の、もう今ではなくなってしまっているのですが古ぼけた薄暗い、何かもったいぶっていてめったにその部屋に、私など子供は入らせてもらわなかった奥の間のお床に懸けていた掛け軸の字も「天照太皇神」だったように記憶して、いるのですが????
この「大御」についても説明がなされております、これを<オホミ>と読み、天照大御神}を
“アマテラスオホミカミ”
と読むのが正しいと。それが日本書紀を見ると
“於是共生日神<ココニ ヒノカミヲ トモニウミマツリマス>、号大日孁貴<オホヒルメノムジト ゴウス>”
“一書曰天照大神<イッショニ イハク アマテラスオホミカミ >。一書曰天照日孁尊<アマテラqスニルメノミコト>”
と書かれ ここに見え「天照大神」ですが、本当は、これは“ひがごとなり”、即ち、誤りで、古事記に書かれている「天照大御神」の方が正しいのだと、色々な理由を付けて宣長は力説しておりますが、それはここでは省きますが。
マア、このようにしてようやく日の本の国に「天を照らす]のですから「太陽」だと思われますが生まれたのです。では、この神様の住む高間原は、それ以前はどうだったのでしょうかね????それは混沌としてあるかないか分からないような世にも不可思議な世界だったのでしょうかね?????そこら辺りは何も古事記も日本書紀も黙秘権を行使して語ってはくれません。念のために!!!!!!