宣長は、世の中には、『月日は「天照大御神」が生まれる以前から自然にできていた。』と、云う物識り者もいるが、それは間違いだと断定しています。それ等の人々は
”漢籍<カラブミ>の理に溺れたる己が私シごとにて、甚<イタク>古ヘノ伝ヘに背けり。もし、月日もとより坐々<マシマサ>ば、今茲<ココニ>成リ出デ坐るは何の神とかせむ。・・・・・・・ひたぶるに外国<トツクニ>の書の理節のみ泥<ナズミ>て、如此<カク>さだかに成出坐る始<ハジメ>を記されたる、御国の正しき古<イニシ>ヘノ伝ヘを信<ウケ>ざるは、いみしき邪説<ヨコサマゴト>に非<アラズ>や。亦、漢人のいわゆる陰陽の理を以て万ツを説<トク>は、みな誤<ヒガゴト>なり・・・・・”
と。憤怒しております。
太陽が生まれたのは、わが神の国「高間カ原」では、この時からだと断定しております。大変面白い本居宣長の解説です。こんなことが次から次へと多くの書物を紐解きながら研究されて、諸説を、「それは誤事だ」と論破する姿に大変感激を覚えます。なお、かの頼山陽などと激論を交わすとどうなりましょううや、きっと面白いのではと思われますが・・・これも「閑話」ですが。