イザナギは水から顔を出して、懸った水を、先ず、左目、次に右目と拭われます。そして、最後は鼻に付いた雫をお拭いになられます。すると、その時に現れた神は、ご存じ
“建速須佐之男命<タテハヤ スサノウノミコト>”
です。
書紀には「素戔鳴尊<すさのをのみこと>」と書かれてあります。かの宣長は、清少納言の枕草子には「そさの]と書いてあるが、それは“訛(ひがごと)なり”と、あります。なお、「建速<タテハヤ>」とは武々しい様子を云う言葉だそうです。
その鼻が終わると、今度は、当然、続いて“御口”や“御耳”をお洗以になったのではと思うのですが。此の「御鼻」が最後だったのです。どうしてでしょうか。その理由について「古事記伝」には
「御口は黄泉の国の物を食べてはないので穢れてはおらず、御耳はイザナミの声や雷の声を聞いてはいるが、総て声には穢れの元になるものはないから、清める必要がない」
と書いてあります。でも、イザナギはイザナミと話をしたりその声を聞いたりしたのだから、やはり「御口」も「御耳」も穢れているのではと私は思いますがね????どうでしょうか