イザナギの神が顔の雫を拭われて,天照大御神の次にお生まれになったのが、
“次洗右御目時<ツギニ ミギリノミメヲ アラヒタマヒシトキニ>”
と。
ちょっと、ここでまた「閑話」です。先に「左」が何事においても優先されていたのだと言いましたが、その読み方に付いても、すこしばかり横道にそれます。と言うのは、この「右」の読み方ですが、「左」が<ヒダリ>と読みます。だから、これは<ミギ>ではなく、<ミギリ>と、古には、読んで追ったのだそうです。何時頃から、この<ミギリ>が<ミギ>になったのかは分かりませんが???
まあ、それはともかくとして、
“月読命<ツクヨミノミコト>”
餓お生まれになります。左目からは昼を支配する神“天照大御神”日の神様(太陽)が、そして、右目からは月をイメージする夜の神様がここに誕生するのです。
なお、日本書紀には
“次生月神。一書曰、月弓ノ尊、月夜見ノ尊、月読ノ尊”
と書いてありますが、これに付いて「宣長」は
「例の論<アゲツラ>ふにも足らず」
と厳しく論評しておりますが、どうでしょうかね?