私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「オロチ退治の場所は、出雲でなく、備前だ。」

2017-07-11 06:36:27 | 日記

 安永年間(1780年ごろ)岡山藩の上級武士で、早くから隠居して気ままに自分の趣味に打つこんだ「

                           “土肥経平<ドヒツネヒラ>”

 と云う人がおられました。著書に

                         「寸簸之塵<キビノチリ>」

 があります。「キビノチリ」、即ち、吉備の地理の事をいろいろと書いた本です。
 此の中の最初に「石上韴霊社」や「簸川」についての記事が見られます。此の中で、彼は「スサノヲ」(素盞鳴命)が葦原中国に降り給う場所、かの脚摩乳手摩乳に合った場所、を「出雲」ではなく、「備前」であったと、古事記にはない説を書いたのです。この説に付いて、本居宣長も知っていたのでしょう 次のように書いております。

 “「此の剱吉備邇在る」とあるにつきて、須佐之男命の蛇を斬たまひしも、実は備前ノ国なり。故に簸ノ川といふも備前にあり、出雲の斐ノ川にあらず、と云う説もあれど、信<ウケ>られず”

 と。きっぱりと此の土肥経平の説を否定しています。私もそれでいいのではと思っておるのですが、どなたかご意見はございませんか???