私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

「誤る」と「謝る」と・・・

2017-07-24 07:03:19 | 日記

 今朝の朝刊ノコラム「折々のことば」に
          「怪しんで殺める前に、誤りを避けるこそ、大事でなないか。」
 と言う中西進先生の言葉を取り上げて解説しておられました。その中に「誤る」と「謝る」とに付いて、このどちらにも「あや」(綾)がふくまれ、、ものの筋目が歪むという危うい事態、もしくはその解消を意味する、と。

 昨今の国内外で起きている色々な政治的な事件を見ていると、どうも、見る人の目によって、その「あや」が色々と違って見え、誤りが誤りと見えず、「怪文章だ」なんて、平気で大声でどなり散らすような人がうようよと大手を振って闊歩しております。常に自分のする事が正しいのだとして、大勢の人は、当然、誤らなくてはと思っているような事でも、それが「誤り」とは見えず、だから「謝らない」人達が目の前にうようよと動き回っているように思われます。

 最近の此の一連の出来事を、歴史的に見るとどうでしょうか。今、私が読んでいる「神様の世界」でも、日常茶飯事のように起きていたと書かれています???弟であるオオクニでも、邪魔だから殺してしまおうと計略を平気で立てます。80人もいる兄弟の中、誰一人としてそれに異議を申し立てる様な神様がいなかったということは、誠に、不可思議な現在の自民党の世界と同じだったのでしょうかね??自分たちがやりたいことに反対する人が全部敵で

     「そんな人達は・・・・・・」

と云うような発言も飛び出すのです。「誤れば謝る」と云う当り前のことが、当たり前ようになされるような社会の実現は人間社会が続く限り不可能なことではないのでしょうか???神様の世界でだってあったのですから。