“多久豆怒能 斯路岐 多陀牟岐”<タクヅヌノ シロキ タダムキ>と読むのだそうです???「なんのこっち」です。
まず、“多久豆怒”ですが、辞書によりますと、「多久<タク>」は、コウゾの古語で「栲」で、「たえ」とも読むのだそうです、持統天皇の歌
“春過ぎて 夏来にけらし 白妙
ころもほすてふ 天のかぐ山”
の「白妙」も本来は「白栲」と表記していたのだそうです。次の“豆怒<ヅヌ>は綱<つな>で、<タグツヌ>は(たぐつな)、コウゾで作られた「白い綱」と云う意味で、「の」がついて、「しろ」「しら」にかかる枕詞なのです。
此処まで読んでくると、前の「ぬばたまの」「朝日の」また「栲綱の」もそうですが、枕詞が使われている技巧の凝らした歌が詠みあげられています。そのようなことからも、この歌を歌った人が、前に歌った人とは違う(「沼河比売」ではない)、もう少し世事に長けたお人ではなかったのかと云うことから。「母かも???」てなことを考えたのですが。どうでしょうかね?????
その白い<タダムキ>です。腕です。臂<ヒジ>ともあります。要するに
【私の真っ白い腕をあなたの体に巻き付けて抱擁しましょう】
と云う、誠に、ドエッチな呼びかけです。このようなわくわくするような誘惑の歌をどうして若い乙女が歌えるものですか。誰か他の人が歌ったのです。その続きは、更に、絵にでも描こうものならたちまちに発禁になるような際どい描写の歌が載っております。ただ、万葉集という題名の元に書かれている故に、読む人もそれほどのこととは思わないでいるだけだろうと思われます??