今まで累々と述べてきたのは、出雲のオホクニが「越」の美女「沼河比売」への求婚への様子を二人の間で交わした歌についてです。でも、ここで云い表わされておるのは、ただ単に、一人の男が美しい美女を我がものにしようとして旅して、遂に、自分の妻とすることができたと言う単純な恋愛小説的な物語ではありません。その奥にあるものは、日本の歴史的な経緯の一断面を言表したものではと私は思いますす。
まだ、当時は、日本には、大和を中心とした勢力や、オホクニを中心とした出雲や、その外、筑紫や吉備の勢力がお互いに覇権を争って、それぞれ王国を作っていた時代です。だから、当然に、出雲の勢力もその権力の及ぶ範囲を拡張させていた時だったのです。
当然、アホクニを中心とした出雲勢力も、日本海王国を目指して伯耆但馬、更に、北へ越の国まで手を拡げていたのです。このオホクニは、先に、八十神の兄達をその武力でもって完全に征服しておりますすから、当時の社会では相当の戦力を保持していたはずです。それは、オホクニの父「スサノヲ」が八岐大蛇から取り出したと言われる刀に象徴される強靭な「鉄製の武器」を使った兵器だったと思われます。だから、此の武器を使えば越の国等、案外に簡単にと思われるかもしれませんが、「大黒様」の愛称で親しまれているオホクニです。あくまでも、その戦略は平和的外交だったのです。
あの北朝鮮に対するトランプのような強硬作戦でなく、あくまでも話し合いによる平和外交による「親和」を主体としたものだったのです。その方法の一つが、戦国大名間でしばしば見られるような縁戚関係を結ぶことによって生じさせる対策だったのです。それが「沼河比売」外交だったのです。「
でも、オホクニはこの戦いを始める前に
“太刀が緒も 未だ 解かずて。 襲<オスヒ>をも 未だ 解かねば”
と云って相手方を恐怖に追い込む作戦をとります。
「和平の交渉を拒否するならば、何時でも強靭な武器を持って、お前たちを攻め滅ぼす用意は出来ているが、どうだ。」
と言わしめたのです。面白いと思いませんか???