私の町吉備津には細谷川に沿って見事なモミジ谷があります。隠れた吉備のモミジ名所です。近くにある近水公園のモミジとは比べ物にならないくらいの美しい紅葉が辺り一面に展開されます。十一月の末頃が見頃です。今は、夕焼けに染まったモミジも、毎日少しづつ色付いて変色していく緑のもみじも、また、おつな味が匂い立っております。
昨日「造山古墳蘇生会」の研修旅行で、神戸市にある「五色塚古墳」や加古川市にある「行者塚古墳」などを訪ねました。「行者塚古墳」のガイドさんのお話では、加古川にはその外に「人塚古墳」「尼塚古墳」があり、この「人塚古墳」は「播磨稲日大郎媛」のお墓だと説明がありました。
この人は、「大吉備津彦命(五十狭芹彦命)」と共に吉備の国に進軍してきた弟「若日子建吉備津彦命」の姫君で、後に十二代景行天皇の皇后になられ、あの「日本武尊」の母親になられたお方です。仲哀天皇の祖母でもあられるのです。
それがあろうことか、播磨の国(当時大和の勢力の西端に位置している辺境の地)に、それも僅かに60mばかりの円墳に葬られているなんて、随分、不敬な話だと思われませんか。そなんちっぽけな皇后墓があるはずがないと思うのですが、どうでしょうか???昔からこの地の人々が「播磨」という名が付いているだけ、そんな話をでっちあげたではないかと思うのですが、ガイドさんがあまりにも自慢そうにお話されるものですから、その事が強く印象に残りました。
なお、これも予断事ですが、吉備津彦命が大和から吉備の国に派遣され時、先ず、その「道口」として、神々にこれから行われる吉備との戦いの戦勝祈願を行った場所が、現在の加古川の氷丘です。
そんな古墳見学の私の文化の日の一日でした。「遊仙窟」は明日から