“和加夜流牟泥<ワカヤル ムネヲ>曾陀多伎<ソダタキ>”
この「曾」ですが、例によって、宣長の説から、彼は言います。
「曾<ソ>」とは、曾と叩くと言う云ことなり。凡て事を緩く和やかにするを、曾登<ソト>とも、曾々登<ソツソツト>とも、曾呂理登<ソロリト>とも云うは、みな此の「曾」なり」と。
これが「遊仙窟」に書かれている“「拍榒奶房間」とよく似たることぞ”と書かれているその通りのことだと説明があります。そして、家の中から
”多多岐麻那賀理<タタキ マナガリ>”
と、続いて歌が響きます。「胸を叩きながら、お互いに抱き合いましょう」です。随分と思い切った歌の内容です。どう思っても、これらの歌は乙女の言葉ではないと思います。誰ぞ側に姥などの人がいて、比売に替って云ったのではないかと思うのですが、どうでしょうかね????
この部分も、「古事記」きっての、かの遊仙窟と同様に、随分と怪しげな秘め事を巧みな言葉で言い表わししていると思われます。あまり一般には言い伝えられてはいないのですが???