また、少し、古事記をひも解いてみますと、古事記には、この書紀に書かれたいる
“阿摩〇霧”
を
”阿摩陀牟”
と、書いており、これを<アマダム>と読ませております。なお、本居宣長は「古事記伝」の中で、これを「天飛ぶ」で、「軽」の枕詞だと説明しております。
どちらがどうかというわけにもいかないのですが、書紀にても、古事記と同様にこれを、「アマタム」と読ましております。現代の多くの本で「アマトブ」と読ますのはいかがなものかと思うのですが。
また、少し、古事記をひも解いてみますと、古事記には、この書紀に書かれたいる
“阿摩〇霧”
を
”阿摩陀牟”
と、書いており、これを<アマダム>と読ませております。なお、本居宣長は「古事記伝」の中で、これを「天飛ぶ」で、「軽」の枕詞だと説明しております。
どちらがどうかというわけにもいかないのですが、書紀にても、古事記と同様にこれを、「アマタム」と読ましております。現代の多くの本で「アマトブ」と読ますのはいかがなものかと思うのですが。
昨日あげた難解の字の入った歌です。“阿摩〇霧 個留惋等売” これを<アマトム カルオトメ”と読ましております。なお、この字を「タ」と読んでおる人もいますが・・・・
この歌の全体を現代風に書いてみます。
「天飛ぶ 軽郎女 いた泣けば 人知りぬべみ 幡舎(ハサ)の山の 鳩の した泣きに泣く」
です。
また、ちょっと知識を振りかざしますと、「人知りぬべみ」の 「べみ」というのは、「べし」と云う推量の助動詞に、原因・理由を表す接尾語「み」がついたもので、「・・・しそうなので、・・・にちがいなさそうなので」と云う意味を表しています。「人が知るにちがいないので」ぐらいの意味になります。「いた泣けば」の「いた」は「甚し」です。
「軽郎女よ。貴方が甚だしく泣いたならば。私とあなたの関係を人が知って、とやかく言いふらすに決まっております。だから、私は幡舎の山の鳩のように、心の中で忍び泣きをしているのです。」
「貴方との逢瀬を人知れず思い、堂々と、私たちは恋人同士であると言えないので、その悲しさせつなさに耐えかねて、そっと心の中で泣いているのです。あなたもそうでしょう」と歌っているのです。なんと哀れな二人の悲しい恋ではないでしょうか。
なお、この歌もまた、古事記にも出ているのです。
ようやく「ユメ」が、何とか、正解かどうかは分かりませんが、解決したのですが????次にまた難題にぶち当たります。と云うのは、書紀にですが、伊予に流された妹であり、我が妻でもある軽大郎娘に軽皇子が歌を二首詠んでおります。その二首目の歌ですがその中に書かれている字です。
写真に写したので見てください。
この「ト」とルビのふって有る字ですが、私の持っている漢和辞典にもない字なのです。「ト」と読んでいいのでしょうか。「タ」と読ましている本もあるのですが????「ニンベン」がなかったなら「ふくろ」ですが、
なお、仮名日本紀には、これを「と」と読んでおりますので、それでいいのではと思いますが
昨日の歌についてですが、「ゆめ}と云うのは何だろうかと、一日中、あれでもない、これでもないと方々を探したのですが、それらしい答えを見つけることはできませんでした。ここにある「ゆめ」とは、「決して」、「断じて」、「必ず」等の禁止の意味を表す副詞ではなさそうです??
「ワガタタミユメ」です。どう解釈すればいいのでしょうか???
有る人の曰、それは「ユ」は「い」で、「斎」だと。
それであるならば、話は早いのです。
”和餓哆哆濔由瑇<ワガタタミユメ>”
です。自分が今まで使っていた部屋の畳を、一層に、「斎む」です。「綺麗にして慎重に取りあつかっててくださ」と云う意味になります。
「ユメ」を一日中追い掛けておりました。ようやくその答えらしい物を見つけましたが、どうでしょうかね????。
軽大郎皇女が伊予に流されてこの物語は終わるのですが、その最後は。伊予に流された皇女に、皇子が二つ歌を奉って、結果については何も語ってはいませんが、この二つの歌の中からその終焉を伺わせておるだけです。
その一首は、大変読みずらいとは思いますが、その原書には万葉仮名を使って書かれていますので、最後にそれを紹介そます。
於褒企弥烏 <オホキミヲ>
志摩珥波夫利 <シマニハフリ>
布儺阿摩利 <フナアマリ>
伊餓幣利去牟鋤 <イガヘリコムゾ>
和餓哆瀰由瑇 <ワガタタミユメ>
去等烏許曾 <コトヲコソ>
哆哆瀰等伊絆梅 <タタミトイハメ>
和餓兔梅烏由梅 <ワガツマヲユメ>
その内容は
「大君を島に放逐しても、船に人数が多すぎて乗りきれずに、きっと帰ってくるだろう。」と、ここまでは何とか解釈できますが、この後はどうも???誰か御助けを・・・・・