私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

”甚麗神来” どう読まれますか???

2017-08-17 08:07:52 | 日記

 これを、<ハナハダシキ カミ マイキツ>と読ましております。これはオホクニが一目ぼれしたスサノヲの娘

                          “須勢理毘売<スセリヒメ>”

 が、その父親に告げた言葉です。もうお互いに一目ぼれし合った仲です。
 「大変、麗しい神がお出でになりました。お逢いしてあげて下さい。」
 と、嬉しそうな声で父親に告げます。これが
                  
                          ”甚麗神来”

 です。そこで、スサノヲは、早速、来訪者に逢います。逢って見ると、娘が言った通りの凛々しい好男子ですが、

 「なるほど、娘“須勢理毘売”は麗し神と云ったが、でもな。わしから見ると、そんなに麗しいと言うほどのことは無い。そんなにいい顔をしているとは思えんぞ。ちょっと・・・わしが名前を付けてやるわい!!!、そうだなあ・・・何と云う名前がいいかなあ?????。そうだ!!!『葦原色許男<アシハラノシコオ>』と云うのがどうだろうか。いやそれがいい。それにしてしまえ」
 
と、告りたまわれたのです。
 この「色許男<シコオ>」は「強く逞しい男」と云う意味もあるのですが、一方で、男をののしって云う時、何と醜いのだろうかと云う意味にもなるのですから、オホクニと初対面したスサノヲは、むしろ「何といやらしい男だろう。」、思われたのではないでしょうか。それは父親の心理として、愛する娘が寝とられた男に対する嫉妬心みたいなものが働いて、敢て、「しこお」と云う名前を付けたのではと推察しているのです。                   


オホクニの一目ぼれした女性

2017-08-16 10:48:14 | 日記

 木の国の大屋毘古神は云います。

               「“根堅洲国<ネノカタスクニ>”へ行けば、きっとあなたの希望を叶えるくれます。」

と。オホクニは喜んで根の国に行き、着いてスサノヲの館に到着します。案内を乞くと、そこにきれいな女性出て来ます。「オホクニは一目ばれです。それを古事記には

                  ”為目合而<マグハヒ シテ >”

 其の女性と目と目があい、男女がお互いに思い合うことです。所謂、俗に言う「ひとめぼれ」するのです。お互いに「見交<ミカワ>」して、即、深く「見感<みめでて>」しまうのです。男女の瞬間的な出会いを、誠に、当を得た文字を使って簡単に、しかも、その時の状況を、これ以上ない言葉て、表現しているのです。それからどのくり時間的な経緯があったのかは分かりませんが、此の言葉の後に直に

                  “相婚<ミアヒマシテ>”

 になるのです。どう解釈をすればいいのでしょうかね。この人以外の人とが決して夫にも妻にもしないと言う心が瞬間的に生まれ、無言の心に約束が交わされたのではないかと思いますが。その場で、現代的風に抱き合ったりはしなかったとは思いますが。心と心に堅く結び付いたのではと思われます。其の女性の名前が

                      “須瀬理毘売<スセリビメ>”です


8月15日です

2017-08-15 07:27:09 | 日記

   また、例の横道です

 今日は、8月15日、72回目の「終戦の日」です。「終戦って何??。」と云う思いが72回も私の胸に去来したのかなあとつくずく思っております。そこで私の最初の「終戦」の思い出を一つ。

 72年前の玉音放送です。我が家に有ったラジオです。音声が大きくなったり小さくなったりする普通の家に有る「四球ラジオ」です。どうしてかも何も分からなかったのですが、そのラジオを、その時は、特別に、私の家の縁側に出して、近所の人と一緒に聞きました。この時、誰がいたのかは定かではないのですが、隣の「とうやん」と云うおじさんがいたのは記憶に残っております。その時分にいた男性の大人と云えば「父」と左官をしていたこの「とうやん}しかいなかったからです。おばさん連中は沢山いたのですが誰がいたかは記憶にありません。私を含め子供も、多分、沢山いた筈ですが。ラジオから流れ出た天皇陛下のお言葉をみんな真剣に聞いていました。しかし、当時、小学3年生だった私には、それが何の放送であるかわかるはずはありません。また、その時、どのような放送が流れたのかも、又、周りにいた人達が、どのようにその放送を聞いたのかも覚えてはいません。ただ、今でも、確かに、この胸の奥に残っているのは、「とうやん」の息子の「つよっさん」が大声で叫んだ言葉です。彼は、その時、高等科か青年学校に行っていたのかは分かりませんが、何処でそのような言葉を知っていたのでしょう、兎に角、叫んだのです。

            “やったー、これからはなんでも じゆうだ。なにゅうしてもええんじゃ。”

 と。
 それからラジオの周りにいた大人の人達がどういう話をしたのか、どうなったのか、そんな事は一切記憶には有りませんが、私には「つよっさん」が言った「じゆう」と云うの言葉さえ何も分からなかったのです。でも、また
 「なにゅうしてもええんじゃ」
 と、誰かが言ったと思います。そこは私の兄も、つよっさんの弟「たけっさん」もいたと思いますが、みんなで「なにゅうしても ええんじゃ」と囃し立てます。この「これからは なにゅうしても えんじゃ」と云う言葉が、そこにいた子供たちを、男の子だけですが、次の行動に移させたのでしょうか、土手の外にある、どこの家のスイカ畑かは分からないのですが、その畑に飛んで行き、普通ならそのようなことは、決して、しなかったのですが、その中から一つのスイカを取り出して、川に入って、真夏の太陽がじりじりと照るつけている中で、みんなで食べたのです。
 
           「これがじゆうか??。」
 

 今でも、そんなことが心の片隅にはっきりと残っておる私の最初の「終戦」です。食べたスイカの味も何もかも記憶に残ってはいません。しかし、これもどうしてだかは分からないのですが、このスイカ泥棒はこれが最初で最後になったことには違いありません。

    

                    


御祖命<ミオヤノミコト>なる神は???

2017-08-14 07:27:52 | 日記

 詳しく古事記を読んでいきますと。「これは一体どうなっているのか」と訝るような所に度々突き当たります。その一つが、オホクニに尋ねなさいと申し渡した「母」、古事記には

                  “御祖命<ミオヤノミコト>”

 とあります。「神産巣日之命<カミムスビノミコト>の所に飛んでいったのも、この御祖命です。所がです。その母の命令に従って木の国の大屋毘古命の所に行くのですが、そこで逢った神様「大屋毘古命」も、やはり、“御祖命“と書かれております。この記述に付いて、宣長は、この御祖命は、「大屋毘古命」だと言う人もいるが、それがいいのだと思うが、そのことをはっきりと書いた本もなく、

              “いささか事たらはぬここちす”

と書いてあります。何だか説明不足のようにである、と言うのです。その御祖命がオホクニに

              “告子云<ミコニ ノリタマハク>”

              “可参向須佐能男命坐之根堅洲国<スサノヲノミコト マシマス ネノカタスクニニ マイデテヨ>”

  「スサノヲの所へ行きなさい。」と、言われたのです

 


出雲からの脱国作戦

2017-08-13 09:47:35 | 日記

 オホクニの母は
 「お前が出雲の国にこれ以上いては、きっと、八十神たちに滅ばされてしまうこと間違いなに。逃げるが勝ちだ、今、木の国にいる大屋毘古神<オホヤビコノカミ>のもとに行きなさい。助けていただけます。
 と言って、

                       ”速遣<イソガリ ヤリタマヒキ>”

 直ぐそのままの姿で、木の国。そうです。紀州へ急がせます。なお、此の「大屋毘古神」は、木の種を日本に初めて播いた神様です。その土地が紀ノ国だったのです。だから木の国なのです。ここから日本全体にある森が生まれたのです。最初は人も森の何もこの国にはなかったのです。神話の世界ではですが。
 又、この「大屋」と云う名も、もともと家の棟木のことなのですから、『木』と大変関わりのある名を持つ神様です。この神様は、書紀には
   「素戔鳴尊の子で、五十猛ノ神<イダケルカミ>で、“有功之神”」
 と書いてありますので、何事も広く受け止めて、きっとオホクニを守ってくれると母は思って遣わしたのです。でも、その母の思いを八十神は察知して、追いかけて矢を撃ちかけて来ます。八十本もの矢が、一度に、オホクニめがけて飛んできます。オホクニは、丁度、すぐ側に有ったのでしょう大木陰で身を守ります。そして、それからの事に付いて、古事記では

                       “自木俣漏逃而去<キノマタヨリ クキノガレテ サリキ>”

 と書いてあり、これを宣長は
 「こは大樹の下に隠居て、其木の俣(また)より脱出して、竊に遁去りたまふなり」
 と、説明しております。