私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

北朝鮮のミサイル問題と同じです。当然な防御態勢が!!!

2017-08-12 07:19:51 | 日記

 彼の母は木に挟まれていたオホクニを助け出します。これを古事記では

                       “拆其木而取活<ソノキヲ サキテ トリイカシツ>”

 「活」と云う字を使って<イカス>と読ましております。私は昨日、これに付いて「オホクニは木に挟まれて死んだわけではない。」と書いたのですが、私の見た本は、すべて「殺された」と説明があります。それは“拷殺”と云う文字から妥当な解釈だと思うのですが。でも、そんなにオホクニは無能ではなかったのではないかとおもうのです。最初の焼け石に撃たれ殺された経験もあると思います。そのような時、何の備えもない無防備の状態で、そのような危険いっぱいの存在しそうな場所に兄たちの計画にまんまと乗って入りこむなんて事は決してしなかったのではと思えたのです。そんなお人よしでは再生したオホクニは無かったのではと思えるのです。

 話は又横道ですが 昨日の報道から、あの北朝鮮のミサイル問題で、防衛省は、緊急に、迎撃用のミサイルを高知県などの通過県に設置したと報道されていますが。誰だって、もしもの場合に備えて防御の態勢は整えるのが当たり前です。オホクニだって例外ではない筈ですが????。これに対して、宣長は

                       “活<イカシテ>”

 に付いて、
 「此の度も前の如く、活(いか)す方術(わざ)ありけむを、其は伝へざりしなるべし。」
 と、死んでしまったのを、再び、再生させるその方術は伝わってはいないが、何らかの方法で再生させたと説明があります。私の解釈のような「オホクニは死んではいない。防御策をちゃんと講じていた。」何んて珍妙なる説明をしている人は無いのですが。どうでしょうかね????それにしても北朝鮮と云う国は、面白いという以前の、誠に「ヘンテコリン」な、お国にですね。?????どうなりましょうや?トランプの対応策は如何に。


強き者、汝の名は母なり。

2017-08-11 06:32:25 | 日記

 「おかあさん」と云う言葉の響きに付いては、先日、書いたのですが、それが「母」になると、全く、その響きと云いましょうか、そのニワンスが異なって我々の胸に押し迫ります。どう違うのか、一々解説しなくてもお分かりいただかえると思いますが、優しさだけでなありません,その持つどうしようもないほどの力と云うか何ものにも代えがたい強固な意識がその言葉の響きの中に、泉の如くに湧き出して、不思議な魅惑的な感覚に陥れます。

 オホクニは兄たちの慎重に設える穴の中にも危険は承知で堂々と入ります。護身用の刀などの武器か何かは、当然、彼は携さえていたと思われますが、古事記には、何も書かれてはおりませんが、その木の間に挟まれて

                    ”拷殺<ウチコロス>”

 されます。「拷」とは「たたく」と云う意味があります。木と木でオホクニの体をはさみうちにして殺そうとしたのですが、挟まれたのですがすぐ死んだわけではありません。その間に挟まれていたのですが手に持っていただろう刀などで守られ、体の自由が聞かないだけで死には至ってはおりません。するとそこに、又もや、どのような方法で知り得たのかは分かりませんが、彼の母
                          “刺国若比売<サシクニワカヒメ>”
 が、泣き叫びながら木に挟まれて身動きできなくなっている息子の側に飛んできて、すぐ木から助け出します。「母は強し」です。母は

                    “坼其木而取出活<ソノキヲ サキテ トリイデ イカシツ>”

 我が子を助けます。これが神話の世界の物語です、それ以上も以下でもありません。此の2回もの兄弟たちによる殺害計画を知って、母は考えます。この出雲の国にいたならば、又いつかは、必ず、オホクニは殺されてしまうだろう。どうすればそれを防ぐことができるのかと。

 

 

                       」


オホクニは木の割れ目に

2017-08-10 08:00:42 | 日記

 事態の確認材料としての古事記に書かれている言葉によると、この後オホクニは兄たちが拵えた大木の穴に入ります。事後がどうなるのかと云う事は当然お考えになったはずですが、この絶対的な矛盾の中に、敢て、己が己であるということを確かめ、そして、自己の自己たらしめよう(自己同一)と

                    “其木令入其中<ソノナカニイラシメテ>”

 この「令」と云う文字に、此の時のオホクニの気持ちを伝えていると思うのですが???いくら自分を亡き者にしようとそのような悪だくみには、決して、負けないぞという、それが自己同一です、強い自我意識が変身したオホクニの心を支配していたのです。それが

         “成麗僧大壮夫ウルワシキオトコ>”

 の「壮」です。しかし、その自我意識の奥底には彼の母の姿が潜在意識として当然あったはずです。だから、危険の迫っている道でも突き進む勇気を与えてくれたのだす。

 こんなこっとって、事態の確認になるのかや????????????


「折々のことば」から

2017-08-09 07:29:15 | 日記

 9日の朝刊に、鷲田清一さんが取り上げて説明しておる言葉が出ております。苅谷氏の本からだそうです。

   “根拠がしめされていなくとも、「ああそうなんあだ・・・・・・」と事態の確認材料を提供できれば、神話は神話としての使命を果たしている。”

 どうですか???時間的経緯などは殆ど無視して書かれてある、遠い遠い昔にこんあことが「あったそうだ」という伝承文学を、まことしやかに信じてはいないのではと思われますが、さもあったが如くに語られてきたのが神話だろうと思います。その神話の使命とは何かと問われても、はたと、困ってしまういます。その使命までは、私はこれまでついぞ考えたことは無かったのですが、改めに今朝の記字を見て、そう言われますと、なるほど、神話が神話として、できもしそうにないような摩訶不思議な物語の展開も、それが「神話の使命」だとすると、それをそのまま素直に解釈して、昔にはそうなんだったと思えばいいのです。何も現代と比較しながら読まなくてもいいのです。
 「オホクニが生き返った」
 「そうですか。それはよかったね」
 一々これはどうだ、あれはこうだなんて考えずに、古事記にある事をそのまま読めばいいのですよね。書かていることが「確認材料」そのままなのですから、それで済むのです。ISPだ何だと屁理屈をこいて仰々しく書く必要はなかったのですよね。今朝の新聞から我が身を反省させられること頻りです。


こんな生き物見たことある???

2017-08-07 16:55:05 | 日記

 またまた、横道へ・・・・・

 1昨日、孫たちを連れて成羽に、約2億年前頃に生息していたと言われる「エントモノチス・オコチカ」と云う貝の化石を採りに行きました。福地の谷川にある河原の中に点々と転がっているのを探します。10分ぐらい捜しただろうか、小さな化石が3個ほど続けて見つかりました。小川のきれいな水に足を入れたりしながらの楽しい採集経験になったようでした。時候がら「熱中症」も考えられますので早目にそこを切り上げ、次に「成羽美術館」に行きました。丁度、「サウルスの特別展」が開かれており、「モノチス」と一緒に見学させることができました。子供たちは、その中にカンブリア紀の「アノマロカリス」を見つけ興味を示しておりましたので、写真を見ながら、私の拙い説明を聞かせました。大変覚えにくい化石の名前ですが、成羽への化石採集記念に覚えておくよう指示を与えながら、更にあちことと館の中を見学して回りました。その五億年もの昔の生き物の姿を写真に撮ってきましたのでご紹介します。こんな生き物もいたのです。感動しながら見て来ました。

 孫たちにとっても記念になる夏休みの思い出になったことだろうと、爺さんが一人悦に入っている台風五号が通り過ぎた夕暮れ時です。

     こんな生き物だったそうです。