私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

今日は少々趣向を変えて・・・・

2019-08-26 06:49:25 | 日記
 どうでもいいような私の「古事記」考???を今日はお休みして、「清楚」「可憐」「優雅」「優美」「純美」「浄妙」 「壮美」「優麗」????など、どう表現すればいいのか分かりませんが、兎に角、見てください。
          「私の朝顔」
 をです。
 庭に植えて、毎朝、わずかな時間にしかその姿を見ることはできませんが、室内にがざって楽しんでおります。
 花と葉と花器と光(風と云った方がいいのかもしれませんが???)が取成すそのあわいの妙を毎日楽しんでおります。

           

           

           
 

 

     

 

大久米命のダジャレです。

2019-08-25 07:14:54 | 日記
 「あなたの目の何んて大きい事よ。」
と、ヨリヒメは歌います。すると、その答えが大久米命から返ってきます。

    “袁登売爾 多陀爾阿波牟登 和加佐祁流 斗米”

    <オトメニ タダニアハムト ワガサケル トメ>

 これを声に出して読んでみてください。内容は、兎も角として、大久米命は、それを冗談半分に、しかも、その中に真剣さが半分以上も加わったような顔で、笑いをひた隠しながら言った乙女に対しての答えなのです。
 なかなか真に迫る様には言い表し難たい歌ですよね!!!

 その時の大久米命の顔を想像してみてください。大きな目を、更に、大きくして・・・
 いかなる名優が演じてもその芯に迫る演技ができましょうや????団十郎ならと何時も思うのですが、どうでしょうか。

 それから二人の間で如何なる会話が交わされたかは、古事記には何も書いておりません。
ここら辺りの経緯に付いて、もっと詳しく書紀にはと思い開いてみましたが、ただ単に

 「天皇が正妃を立てようと思われた時、ある人が“媛蹈鞴五十鈴媛命<ヒメタタライスズヒメノミコト>”を薦めたのでその人と結婚した」

 とのみ簡単に紹介しているだけです。古事記のほうがより抒情詩的に書いております。

 

聡明な伊須気余理比売です。

2019-08-24 07:16:36 | 日記
 「伊須気余理比売」は、突如として現れたは大久米命を前にして、まず、最初に驚きます。
 それはジンムからの求婚の話ではありません。オオクメの目が余りにも大きかったからです。
 西川きよしバリの、それよりももっと大きな目だったのでしょうか????「目じゅう顔だらけ流の」目だったのしょう。それを目にした彼女は、まだ、うら若い乙女です。何事にもすぐに「くすっと!!」笑いをみせる若い女性の特性がこの歌に表されているのです。
 ここら辺りの文章の構成も古事記独特です。
 その「ヨリヒメ」が、先ず、声にしたのは求婚に対する可否ではありません。

 「おほほ・・・・・でも、あなたの目はどうしてそんなに大きいの。ほほほ・・・」

 ポッと顔を赤らめてはにかむかと思えば、さにあらずです。初対面の男性に対しても、臆面もなく堂々と思っていることが十分に云えるような聡明な女性であることを証明しています。
 その歌は

        阿米都都<アメツツ>
        知杼理麻斯登登<チドリマシトト
        那杼佐祁流斗米<ナドサケルトメ>
 
 です。

 この「阿米都都。知杼理麻斯登登」ですが、宣長先生も「甚<イト>解<サト>り難<ガタ>し」として、「アメ」「ツツ」「チドリ」「マシトト」は鳥ではないだろうかと??? これ等の鳥は、何れも、「目が円くて利なる物なる故に」と解説があります。
 次にある「那杼佐祁流斗米<ナドサケルトメ>」は「どうしてそんなに裂けて大きいの!!!あなたの目は??」と云うくらいの意味です。「斗米」とは「目」です。

 このヒメの言葉を聞いて、オホクメは、とっさに・・・・・

    それも、また、明日にでも

「あの娘さんぐらいかなあ!!!!???」

2019-08-23 06:17:58 | 日記
 「延袁斯麻加牟」とジンムは歌われます。
 そこで、ジンムの御心を知った大久米命は、早速、「伊須気余理比売」にその旨を伝えます。仲人としての役目として当然ですが、それ以前の歴史ですと「イザナギイザナミ」を始めとして「スサノヲ」も「オホクニ」も「ヤマヒコ」にしても求婚は本人が直に相手を求めて、結婚は成立していたのですが、ジンムの場合は違うのです。
 ともかくも、大久米命はヨリヒメに
 「あなたを大后にとジンムがお考えですがどうでしょうか」
と伝えます。その時の大久米命の人相を古事記には次の3字で書き表しています。

        “黥利目”
        <サケルトメ>

 と。
 
 なお、ここでも「黥」の解釈がまちまちです。
 <イレズミ>で、多くの訳者は、この所を
   「目尻に入れ墨を施した精悍な眼つきをしていた。」
 としていますが、宣長は
   「此の命<ミコト>の目の甚<イト>大キにして裂けたる如くなるを云なり」
 と、更に、そのような容貌「大きい目」が「大久米」と云う名がつけられる原因になたのだと説明があります。また、入れ墨は、当時の社会では、罪ある人の面に入れるものだから大久米命がしているはずがないとも説明がありますが・・・・。

 なお、蛇足ですが、例の魏志倭人伝には、当時の倭人の風貌として、

    「男は大人も子供も、みんな顔や体に黥<イレズミ>をしている」

 と書かれており、顔には刻されていたことは確かですがですが、目尻にしていたかどうかは分かりませんが、どうお思いでしょうか???
 
      やはり私は宣長に賛成していますが・・・・。



 

ジンムは察知しておったのです????

2019-08-22 06:35:51 | 日記
 「やりおったな!!!!大久米命」
 と思われたのでしょうか、その七媛<ナナオトメ>達との遭遇をそれとなく察知していたのでしょうか???七媛の先頭に立っているのが、以前、大久米命から聞いたあの大物主神の媛

          “伊須気余理比売<イスケヨリヒメ>”

だと云う事をジンムは感じとります。そして、やはりここでも、その御心を歌にして答えます。

       “加都賀都母<カツガツモ>
        伊夜佐岐陀弖流<イヤ サキダテル>
        延袁斯麻加牟<エヲシ マカム>”

 と。
 
 この歌を、又、ちょっと説明します。
 <カツガツモ>ですが「且々も」で、「まあともかくも、はっきりと誰と彼と云う事はないんですが???」ぐらいに解釈できます。
 
 「とはいっても、あの先頭におる綺麗な乙女ぐらいがそうじゃあないでしょうか。若し妻にするなら???」

 と、その先頭の娘が「ヨリヒメ」であることを知りながら歌います。そこら辺の二人の心の内をそれとなく表した歌です。
 「延袁斯<エヲシ>の「斯<シ>」は、宣長が云うように、助辞ですから、「エ」は「愛<エ>」で、「愛らしい乙女を」ぐらいに解釈できるのです。

 何気ない大久米命の作戦通りに進められていくジンムの歴史の一ページをこのような大変洗練された言葉で誠に上手に言い伝えておるのです。
 
 ここら辺りも、毎度云う、誠に、上手い筋書ですよね。今日も拍手喝さいです!!!!!!!!!!!!!