私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

大久米命の見合作戦その2

2019-08-21 06:08:44 | 日記
 “七媛”が高佐士野<タカサジヌ>で遊行<アソバ>します。

 大変美しい場所で大変美しい七乙女たちが楽しそうに春の行事に参加しています。その中に大久米命がジンムの大后<オホギサキ>にと進めている大物主神の娘

         “伊須気余理比売<イスケヨリヒメ>”

 がいます。(大久米命が計画的に配したのだろうと私は想像していますが???)
 「あれあれあの高佐士野に大変美しい乙女が若草を取っていますね。あの先頭に立っていらっしゃるお方が、先日申上げた比売です。なんとお美しい方でしょうか???」
 
       “夜麻登能 多加佐士怒袁  <ヤマトノ タカサジヌヲ>
        那那由久 袁登売杼母   <ナナユク オトメドモ>”
        
 と歌って、最後に

        “多禮袁 志摩加牟     <タレヲカ シマカム>”

 「どうでしょうか。美しい乙女ばかりではありませんか??あの中のどなたを妻にいするとしたらいいとお思いになられますか??」

と、歌われます。

 ここら辺りの書きようが古事記の古事記たる所以でしょうかね???面白い書きぶりです。古風と云いましょうか、誠に、情緒的な表現方法をとっている文学作品としても高い評価の下せる作品に仕上がっているように何時も思うのですが???

お見合い場面の設定を?????

2019-08-20 07:02:22 | 日記
 見目麗しい由緒正しい女性として、大物主神の娘である
             “比売多多良伊須気余理比売”
 を大久米命はジンムに話します。そして、次に、その娘が、実際、どのような姿か見る場を設定します。日本最初のお見合い場面の設定です。
 その場所とし選んだのが
             
           “高佐士野<タカサジノ>”

 です。この場所は、現在、何処いあるのかは不明ですが、兎に角、白檮原付近であることは確かです。大変美しい丘かどこかでしょうか、古事記には、季節も何時とも書いてはいませんが、『七草』の時分ではないでしょうか???。それは万葉集の最初の歌

  “籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児・・・”

 にもあるように、きっとそのような古来からのわが国特有の風習を大久米命は上手に利用した「見合い作戦」ではなかったかと私は勝手に想像しながら読んでいますが??????
 それを伺わせるような言葉に

           “於是七媛遊行<ココニ ナナオトメ アソベル>”

 が書かれています。「七」は「七草」の行事を暗示しているのではと????
 「七人の美しい娘たちが、春の丘辺で、わいわいがやがと本当に楽しそうに春の行事をごく自然に楽しんでいます。」
 その楽しそうな娘たちの様子を、その近くのよく分かる「高佐士野」より少々小高い丘に大久米命はジンムを何気なく誘いこみます。意図的にです。

  では、その結果は・・・・

神の御子の名前が・・・

2019-08-19 06:20:56 | 日記
 大物主神の御子に名が、どうして、二つあるのでしょうか????その理由を古事記では小字で説明してあります。そんなことは、又、どうでもいいのですがついでの事ですから、付けたしておきます。

    “是者悪其富登云事。後改名者也
 と。
 要するに「富登<ホト>」と云う呼び方が神の御子にはあるまじき名前だと云う事で、後から改めたと補助説明がしてあります。ちなみに、「富登」を「比売」に替え

    “富登多多良伊須須岐比売”から
    “比売多多良伊須気余理比売”にです。 

 この由緒正しい神の御子であるこの女性を、どうしても、ジンムの大后にと思われた大久米命のとった策は・・・・

矢に化けた大物主神は・・・・

2019-08-18 14:52:20 | 日記
 大物主神は「丹塗矢」に変身して便所の下から忍びこみ、勢夜陀多良比売の“富豊<ホト>をまさぐります。姫は、びっくりして大声を上げながら便所から飛び出して自分の部屋に逃げ込みます。
 でも、その時、姫は、あまりにもびっくりしたのげしょうか、自分の部屋にたどり着いてみれば、何とそのエッチな矢をしっかりと握ったままです。どうしたらいいのか分かりません??
 「まあ何て失敬な矢だこと。」
と、怒ってそこら辺りへ投げ捨てかねないのですが、姫はその矢を、多少の縁かと思われたのでしょうか、床の縁へそっと置きます。するとどうでしょう、そんなことってあるものかと思われるのですが、物語の世界です。その朱塗りの矢は、

      “忽成麗壮夫<タチマチニ ウルワシキオトコニ ナリテ>”

 壮麗な男に変身します。そしてどのような言葉が二人の間で交わされたかは書いてないのですが、兎に角、二人はその場で結ばれたのでしょうか、二人の間に女の子が生まれたのです。その子の名が
 
        “富登多多良伊須須岐比売”
        <ホトタタライススギヒメ>

 です。古事記にはこの姫の別名も書いてあります。何回読んでも年寄りには、二つの名前何んて覚えきれないのですが、字を見ながら書いておきます。

       “比売多多良伊須気余理比売”
       <ヒメタタライスケヨリヒメ>

 です。この姫は三輪山の神「大物主神」のお子様ですから、誰がどう言おうと

         “神御子<カミノミコ>”

 です。大久米命は
 「素姓の知れたれっきとした神の御子です。」
 と、
 
 お話はこれで一幕がおります。この二人は以後どうなったのでしょうか????

     、

“伊須須岐伎<イススギギ>”とは????

2019-08-17 07:56:41 | 日記
 大和の国の美女“勢夜陀多良比売<セヤダタラヒメ>”を見染めた大物主神はヒメが大便所に入った時を見透かして、その真下からヒメの陰処をまさぐります。

  エッチな神様ですね。

 すると、、当然ですが、

       “其美人驚而立走伊須須岐伎”
       <ソノオトメ オドロキテ タチハシリ イススギキ>

と、書いています。何のことかすぐに想像はつきますが、<イススギキ>を宣長はどのようにと思いページを捲ってみました。

  “伊須須岐伎は、即ち驚て立ち走るさまなり。”
 
 とあります。その文例を
       「大殿祭ノ詞」
       「源氏物語朝貌ノ巻」
       「栄華物語」
 から上げて、その意味を解説しています。

 又、ちょっと話が飛びますが、私は、明日、「私の町吉備津」の偉大なる先人
     「藤井高尚」
の旧跡を訪ねて、地域の人達を、現地案内します。
 ご存じ高尚先生は本居宣長の高弟です。その彼の紹介を兼ねての案内ですからと思い、彼の名著

      “消息文例”

 を開けてみました。
 宣長の「古事記伝」は、「伊須須岐伎多」のように、多くの日本の古典の文例からその用例を引き出して難解な文章を解説しているのですが、高尚のこの著書も、師である宣長の手法と全く同じ方法で解説しております。
 例えば
      〇取向  あしらひ    もてなし
 の解説に、『若紫ノ巻、未通女ノ巻、藤袴ノ巻、紅葉ノ賀ノ巻』(源氏物語)の文例を掲げて解説しており、師の影響を強く感じずにはおれません。

 なお、この「消息文例」の序文は宣長が書いております。蛇足ですが・・・それを