私の町吉備津

岡山市吉備津に住んでいます。何にやかにやと・・・

大和の国に・・・

2019-08-16 05:39:09 | 日記
 大久米命は言います。

   “此間有媛女是謂神御子<ココニ カミノミコナリトモウス ヲトメアリ”

 と。そして、その人が、何故、神の媛女<ヲトメ>であるか、その由来を説明します。それによると、この国に大変美しい
         “勢夜陀多良比売<セヤダタラヒメ>”         
という美人<ヲトメ>“がいました。その父親は
         “三島湟咋<ミシマノミゾクヒ>”
です。これではその媛が「神の御子」である証拠にはなりません。だから続けてオオクメは説明します。これが、誠に、古事記でならではと云う、奇抜な理由が付けられております。

 「ある時、大和の国神(天ツ神と縁続きのない土着の豪族)である三島湟咋の媛である「勢夜陀多良比売」が大変美しかったので一目惚れした、三輪の
         “大物主神<オホモノヌシノカミ>
 が見染めます。そして、直接、求婚はせずに、奇天烈な方法でこの女性に近付きます。
 まず、「勢夜陀多良比売」が“大便<カワヤ>”に入った時に、大物主神は、これ又、奇妙なる
          “丹塗矢<ニヌリノヤ>”
 に化けて、その<カワヤ>の下より「勢夜陀多良比売」の
          “富登<ホト>”
 を“突<ツキタマウ>”です。

 なお、この大便<カワヤ>ですが、宣長は

 「為大便之溝流下は<カワヤノシタ>と読んで、古代の厠は溝流<ミゾ>の上に造り、溜まりたる屎は、やがて流れる水に流れてしまい無くなるような仕組みだ。」だと説明してります。要するに、大物主神は娘が入った便所の下に潜って、そこから女性の陰処を触ったのです。
 今だったら、すぐに、新聞種になっていたようなことが堂々と行われていたのでしょうかね????

 大変に、何と言いましょうか、変わった面白いと云うかき奇妙と云うか変な求婚ですよね????!!!!???!!!??!!?!

大久米命が言います・・・

2019-08-15 09:55:21 | 日記
 ジンムは由緒正しい神と縁続きの御子なる女性を選んで正式な后ー大后<オホキザキ>-に決めなければなりません。
 「誰かいい女性は・・・」
 と思われたのでしょうか、それを察知した

           “大久米命<オホクメノミコト>”

 が申上げます。
 
 
 またちょっと寄り道です。この「大久米命」とは、先にジンムが高天原よりの高千穂の峯に降臨する時の一緒に来た神様「天津久米神」です。

        

 にある先頭の右に居る神です。

 この神様は、先にジンムがナガスネヒコと戦った時に、その兵士を鼓舞するために歌った歌の中に

          “みつみつし 久米の子が”

 と云う歌がありますが、この久米の子と云うのは「大久米命」が率いる兵士で、戦いの時には、常に、先頭に立って戦う兵士です。この絵でも、それを証明するように「天忍日命」と共に先頭に立って一隊を誘導しておりますす。

 如何してかは知らないのですが、戦いとはぜんぜん関係のないジンムの嫁探しに協力しておるのです。面白い構成になっていますね。又もや感嘆しております。どうでしょうか???

白檮原宮<カシバラノミヤ>で・・・

2019-08-13 08:52:52 | 日記
 書紀には、この「白檮原宮」を

          “天皇、即帝位於橿原宮”

 とあり、畝傍山の麓で、「橿原宮」と書いてあります。この地でジンムは

    “治天下<アメノシタ シロシメス>”。天下を治められるようになります。

 今から2680年も前のことです。

 これで古事記に書かれているジンムの事は最後かと思いきや、まだまだ続きがあります。一応。これで私のジンム記は、最後にしようかな???と思ったのですが、時間がたっぷりとありますから、ついでのことに、ジンムの最期まで、読み進めたいと思います。

 さて、そうしますと古事記には、ジンムがこの「白檮原宮」へ行ったことから書かれております。それは「大后選び」の歴史から始まります。ではそれから・・・


 「ジンム」の最初の后は、まだ、彼が高天原から降臨された“日向<ヒムカ>”にいた頃、“阿多之小椅君<アタノ コバシノキミ>”の妹

       “阿比良比売<アヒラヒメ>”

 を后とされ、二人の御子がありましたが、日向地方の豪族の娘で、天上の神々とは何らの関係もなく、血筋が正しい家柄の娘とは言い難いのです。そこで、この橿原の地では、正式な血筋正しい天上の神々と関係のある“大后<オホギサキ>”を求めになられ無くてはなりません。
 それを、古事記には

        “求為大后之美人”

 と書いてあります。この「美人」を<オトメ>と読ましており、「美」とは、一般にいう「美しい」ではなく、「天上の神々と血筋の繋がった由緒正しい若い女性」と云う意味です。
       

いよいよジンムは大和に・・・

2019-08-11 09:40:25 | 日記
 長く厳しい各地での戦いの後。ようやくジンムたちは大和には入ることができました。それを

      “言向平和荒夫琉神等。退撥不伏人等”
 <アラブルカミタチヲ コトムケ ハヤシ。マツロハヌヒトドモヲ ハライタイラゲテ>
 
 ジンムに沢山の敵対する者達をある時は平和裏に、又、ある時は武力で撃退しながら、ついに
 
      “坐畝火之白檮原宮治天下也”
  <ウネビノ カシバラノミヤニ マシマシテ アマノシタ シロシメシキ> 

 畝火の白檮原<カシバラ>に宮殿をつくり、そこで天下を治めたのです。

 4月から4ヶ月半ほどかかって、ようやく「私のジンムの東征の旅」が終わりました。平成の終わりの時には終わってしまうのではと思っていたのですが、あちらへふらり、こちらへふらりと、随分の長い旅になりましたが、ここら辺りでと思います。

 それにしても、古事記は、何時読んでも思うのですが、その読む時々で、その内容の深さが変わってくるのを不思議に思いながら読みました。

  読書って、本当に面白いですよね!!!!!!!!!!!!!

日本で最初の「軍師」が戦いに参列する・・・

2019-08-09 05:52:33 | 日記
 書紀には続きます。弟磯城をして、兄磯城<エシキ>に御子に味方たするように遣わして、天の御子ジンムに従うように説得させますが従いません。仕方なく戦いが始まります。
 書紀には書いております。
 まず、ジンムは、これは如何なる軍か分からないのですが、

           “女軍<メイクサ>”

 なる軍勢を派遣し、これ又、何を意味しているのかよく分からないのですが、兄磯城が用意していた

           “炭火<オコシビ>

 を消してしまおうというのです。

 どうです。ここを読んでも、この戦いが如何なる様相を呈したのか詳細はわからないのです。この「女性」ですが、ジンムの兵士を大小2つに分け、人数の小さい部隊の方を「女軍」と命名し、それに対して大部隊の方を「男軍」と呼んだのだと思われます。学者の中には「女性の軍隊だ」と説明している人もいるのですが、それは間違いだと思います。現在では「A組」「B組」「一軍」「二軍」などと云う分け方がありますが、当時は「男・女軍」と云う呼び名を使ったのです。
 でも、この戦いは大変苦境に陥った戦いだったのです。兵士は疲れきってしまっております、もうこれ以上闘うことはできません。
 さあどうする???
 古事記では、ジンムは助けを天に向かって呼びかけ、その結果、

         “邇藝速日命<ニギハヤビコ>”

 が高天原から降りてきて助けてくれます。
 しかし。書紀でも、やはりジンムは兵士に向かってその気力を鼓舞するためでしょうか、歌を歌っています。その歌によって勝利したと書紀には書いておりますが、でも、この戦いの勝利の原因は、ジンムの歌と云うより、むしろ軍隊を「女軍」「男軍]の二つに分け戦うと云う作戦にあったのではないでしょうか????「作戦勝ち」です。まだ敵はそのような戦略があると云う事を知らなかったのですが、前と後ろの二か所より攻撃する作戦です。これ以降の我が国の戦いでも「戦術を煉る」と云う戦いが一般に行われる様になったのです。

 日本における「軍師」一号が誕生します。

  彼の名前は

            “椎根津彦<シヒネツヒコ>”

 です。その彼が出したのが、また、「二軍と炭火を消せ」二つ作戦です。