「数学的帰納法」Mathematical Inductionはド・モルガンの提起のようである(1838年)。
Mathematical Induction
これは2ページほどの論文である。以下は最初の2段落の拙訳である。
帰納法(数学)。帰納法は、自然哲学で使われている言葉の意味では、純粋数学では知られていない。たしかに、異なった事例の証明の集まりによって一般的な命題が証明される例はあり、それは研究者に帰納の過程(個別から一般を導きだすこと)を喚起させるかもしれない。しかしそのような例は永久的ものとして捉えられてはならない。というのは、一般的証明は通常、注意が問題に向けられる限りにおいて見いだされているからである。
しかし、数学的な推論に極めてふつうに行われている特別な方法がある。それに対して、われわれは「継起的帰納法」(successive induction)という名前を提起する。それは物理の帰納法の主な特性を持っている。なぜなら、それは、実際、すべての個別的な事例の検証から導かれた一般的な真理の集まりだからである。しかし、その過程は、それぞれの事例が先行する事例に依存する点において、物理の過程とは違っている。それでも、観察を証明に置き換えると、数学の過程は経験的な過程とアナロジーがあり、われわれの考えでは、術語「継起的帰納法」は十分に正当である。2つの例を示せば、読者はすでに馴染みのある研究の方法を認識できるようになるだろう。
Mathematical Induction
これは2ページほどの論文である。以下は最初の2段落の拙訳である。
帰納法(数学)。帰納法は、自然哲学で使われている言葉の意味では、純粋数学では知られていない。たしかに、異なった事例の証明の集まりによって一般的な命題が証明される例はあり、それは研究者に帰納の過程(個別から一般を導きだすこと)を喚起させるかもしれない。しかしそのような例は永久的ものとして捉えられてはならない。というのは、一般的証明は通常、注意が問題に向けられる限りにおいて見いだされているからである。
しかし、数学的な推論に極めてふつうに行われている特別な方法がある。それに対して、われわれは「継起的帰納法」(successive induction)という名前を提起する。それは物理の帰納法の主な特性を持っている。なぜなら、それは、実際、すべての個別的な事例の検証から導かれた一般的な真理の集まりだからである。しかし、その過程は、それぞれの事例が先行する事例に依存する点において、物理の過程とは違っている。それでも、観察を証明に置き換えると、数学の過程は経験的な過程とアナロジーがあり、われわれの考えでは、術語「継起的帰納法」は十分に正当である。2つの例を示せば、読者はすでに馴染みのある研究の方法を認識できるようになるだろう。
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