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いじめ自殺はなぜ? 支え合う共同体制を~子どものまなざし 40

2010年12月09日 | 土佐いく子の教育つれづれ

 母親にプレゼントしようと思って、せっせと編んだマフラーで首をつって死んだという群馬・桐生市の六年生の明子ちゃん。それを発見したときの母親の思いはいかばかりだったろうかと想像するだけで震えてくる。

 なぜ、そこに到るまで手が打てなかったのだろうかと悔やまれる。大学の講義のときに、学生に意見を求めた。

「給食のとき好きな者同士にするのは配慮がいる。先生は明子さん一人のことよりも、あとの生徒の声に負けていたのではないか」という鋭い意見も出た。「『いじめはない』とうのみにする学校のありようが気になる」「こんないじめは氷山の一角。教師は関係作りにもっと力をそそぐべきだ」「すべて担任のせいにはしたくない。学校全体のフォローをどうしていたのか知りたい」と学生たちは真剣に意見を出し合った。「お母さんのために編んだマフラーで首をつったなんて…辛すぎる」と涙ぐんで発言した男子学生もいた。

 さらに「加害者は許せないけど、その子らもいろんな問題を抱えていたり、心の病を持っていたのではないか、そこにもメスを入れる必要がある」。これも鋭い意見だ。

 次第に事実が明らかになり、学校もいじめの事実を認めた。学級が崩壊状態にあったこともわかってきた。学校は「教師の指導力不足」と言い訳をしたが、担任であった先生は、今どうしているのだろうか、とまた気がかりだ。

■いじめ減も評価対象

 どんな立派な教師のクラスでも、いじめは起こりうる。教師を支え合う学校の集団体制こそ、今求められている。

 なのに人事考課制度で、教師を5段階に評価し、お互いをバラバラにし、成果を急がせるから、こんな事態が起きているのだ。文科省はいじめと不登校を「5年間で半減」させろと数値目標を現場に下ろしてきた。だから不登校ぎみな子を朝起こして引っぱってきたり、いじめが起きていても見て見ぬふり。あっても報告できない事態が起きているのだ。文科省の責任は重大だ。

 しかも、来年度から指導要領改訂で時間も内容もぐっと増え難しくなる。子どもたちの中に一層、荒れやいじめが出るのではないかと懸念する。

 学生が「いじめって解決すると思いますか」と質問してきた。「適切な対応をすれば、必ず解決する」と答えた。私も小学校の現場でいろんな体験をくぐってきたからだ。

■創造的な文化活動で

 六年生の女子5人グループ内でかなり深刻ないじめが続いていた。仲良くしているのかな、と気になり何度か尋ねたが、被害者の子は笑顔で否定するばかり。いじめを見抜くのはかなりの困難があり、日頃から子どもとの間に信頼関係を作っておかないと難しい、というのが実感である。

 私の場合は、日記や作文という表現物を大事にしていたので、被害者の子が「先生、助けて」といじめの事実を訴えてきたことが問題解決の決定的な力になりえた。そこで明らかになったことは、加害の側にまわった子たちが各々に大きな問題を抱え、悲鳴を上げていたのだ。そこから半年、親御さんと二人三脚で個々の家庭と連絡を取り合い対応を重ねていった。

 一方、教室では、いじめの事実と向き合う話し合いを重ねたが、説教して「これからは気をつけようね」という話にはならない。新たに人間関係を組み換え、作り直していく活動が必要なのだ。そのために大切にしたことが、自主的で創造的な楽しい文化活動。

 発表会に向け劇活動に夢中になったこと、卒業に向け卒業アルバム製作委員会を立ち上げどこにもないアルバムを作ろうと燃えたこと、卒業式の「よびかけ」を自分たちで考え、自分たちの卒業式を創る取り組みをしたこと。

 今も加害者も被害者も心の痛みを忘れていないが、今ある自分を作る何らかの力にはなっているようだ。いじめは解決できるのだ。しかし、いじめを生み出す今日の競争社会、教育のありようこそ問われている。そして、学校の共同体制が今日ほど求められているときはない

(とさ・いくこ 和歌山大学講師・大阪大学講師)

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