玉造方面へ所用があったついでに、その近所にあるNHK大河ドラマの真田丸ゆかりの地に立ち寄った。
その地域一帯が真田山という地域名でまさにこの地に真田幸村が徳川家康を睨みつけた砦があった場所だ。
大阪環状線の玉造駅を降りてすぐ近くにある商店街は一昨年ぐらいから真田フィーバーで真田ロードと呼ばれている。
書店さんも真田関連本で観光客を引き付ける。
横断歩道をわたり東へ向かって公園の角を左に曲がると三光神社の入り口だ。大阪大空襲で倒れた鳥居の一部が現在の鳥居の横に保存されている。
石段を上がるとそこが三光神社の境内。由緒案内によると西暦400年過ぎごろに創建された神社だそうで、真田幸村の銅像と「真田の抜け穴」が有名で、全国の真田ファンの聖地になっている。大阪冬の陣の時に真田丸の出城があり、大阪城本丸からここに地下道があったそうだ。これが本殿。この本殿も地域の氏子の家々もすべてが大阪大空襲では焼失したが後に再建された。
こういう絵馬も販売されている。
真田幸村の銅像と左に「真田の抜け穴」がある。年に一度、抜け穴は一般公開されている。
幸村の顔が堺雅人とはずいぶん違うなあと思いながら、さらに石段を登っていくと西側の眼下に巨大な墓地が現れた。これが真田山陸軍墓地だ。
西南の役以来、日清、日露、さらに第2次大戦で亡くなった陸軍兵士ら約4800人の墓標と43000人あまりの遺骨が安置されている。
今日は墓地内は閑散としていて私以外には誰一人いなかったが、まだ新しい花束が手向けられている墓地もいくつもあった。残念ながら、観光客は真田幸村の三光神社までは訪れるが、この墓地までは来ないのだろうか。資料的・歴史的価値の非常に高い場所であるだけに、ぜひとも訪れてみてほしい。大阪市などはもっとこの墓地のことを広報してほしいと思う。