まいど、日本機関紙出版です。

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おっかさん、あれが国会議事堂だよ…

2009年12月09日 | 編集・営業ふらふら雑記

 昨日は4年ぶりの東京へ新刊の打ち合わせに。同行者は杉山貴士さん。彼の編著となる次の本のことです。10時新大阪発のぞみに乗車。天気がよく、真っ白な富士山が見えました。

 品川で乗り換え1時に代々木で待ち合わせ。全作に協力してもらった舘野さん、加茂さん、近藤さんと近くのカフェでランチ。まだこんな家が新宿にもあるのかと思うような古い民家を生かしたちょっと不思議な店で、若い女性たちで賑わっていました。これだけで大丈夫かと思いましたがベーグルランチを注文しました。食べてみると意外と食べ応えのある、変わった味のスープとサラダ付きのランチでした。

 3人と別れて高島屋の東口へ移動。“人間と性”教育研究所の高柳先生と合流して高島屋の8階のアジアンカフェへ。あれこれのお話の後、地下鉄で国会議事堂前へ。おお、あれが首相官邸か!とすっかりお上りさん気分になりながら、衆議院第1議員会館の6階にある宮本たけし事務所へ向かいました。

 写真撮影があったとかでちょっとストライプの入ったスーツを着込んだ宮本さんを囲んで4人で新刊本の打ち合わせ。約1時間半あまり、いろいろ意見が出てその場ではまとめることが出来なかったため後は大阪へ帰っての宿題ということにして、晩ご飯へ移動することに。

 ところで宮本さんのフロアには民主党の小沢、前原議員など大物議員や有名な女性議員の部屋もあります。なぜか、ほほう~っと激しく反応してしまいました。

 さて、外に出るとあちこちで何やら激しく建設工事が行われています。聞くと新しい議員会館などのよう。道路を挟んで右手に国会議事堂が怪しく光っているので、ここでもお上さん気分に戻って写真をパチリ! どうも正面からではないようでしたが、まあ良しとしよう。地下鉄駅に向かって歩いていると、山下議員と笠井議員とばったり。なるほどいかにもここは国会なのだ!という感じがしました。

 地下鉄を有楽町で降りて上がると巨大な建物の中にいました。東京フォーラムという建物で、そのデカいこと。高柳先生曰く「えっ、ここが有楽町?」。そのままJRガード下の魚居酒屋に突入、、マグロカマの照り焼きをつつきながら、「性と生」を話題に1時間半余り、止まらない談義が続きました。

 さて帰りは8時50分東京発新大阪行きに乗車。帰宅は12時過ぎという、以上、東京日帰り報告でした。


 

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戦争の記憶 君へ伝える 君が伝える

2009年12月07日 | 丸ちゃんの私的時間

 昨日は京都のF田弁護士の誘いで、京都弁護士会主催の第39回「憲法と人権を考える集い」=〈戦争の記憶 君へ伝える。君が伝える〉に出かけてきました。

 会場はあの京都議定書が調印された京都サミットが行われた京都国際会館でした。初めて行く場所で、なかなかの貫禄ある会場でした。大阪の国際会議場とは風格が違います。

 さて、第1部は益川敏秀さんの講演で「平和について 理論物理学者はかんがえる」。そのあとのインタビューとも併せて、ご自身の戦争体験から現在の平和を巡る状況まで幅広く話されました。

 人柄がにじみ出るような訥々とした、時には脱線もしながらのお話はなかなか味のあるものでした。

「科学者だからといって平和主義者ではない。その人がどんな立場にあろうとも1人の生活者として平和の課題に向き合うことが大事」「来年から憲法改正の国民投票法が施行されるが、それが発議されないように圧倒的な9条改正反対の声を今、大いに広げていくことが必要」…などのお話が印象的でした。

 また「朝日新聞に戦争体験を語ったことが紙面になり、こういった話をする機会が突然訪れるようになった」と笑いながら話されていましたが、ノーベル賞科学者がこのように平和のために、私たちと同じように語り行動するその姿は、どんなに多くの人々の励ましとなっていることだろうかと、これってすごいことなんじゃないかと思いました!

 第2部は、京都の中高校生たちの沖縄体験レポートと沖縄で戦争体験を伝える活動をしている「はえばるYouth」という中高生たちのお話でした。

 公募した学生たちなのでそれなりに平和について関心を持っている中高生たちでしたが、それでも沖縄体験はそれぞれの心に大きな何かを刻み込んだようで、そのことを率直に語る姿に希望を強く感じました。

 ある男子は「家でお父さん、お母さんに沖縄のことを話したけど、『ふぅーん…』と言われたぐらいで余り反応がなくがっかりした。でも今日、この会場に2人がきてくれている。だからお父さん、お母さん、今度僕がこんな話をしたらお父さん、お母さんももっと話をしてください!」と発言、会場は爆笑と感動に包まれました。

 また沖縄の中高生たちの話では、たとえば6月23日の沖縄戦記念日前後には沖縄の全小中校で沖縄戦についての学習やおじい、おばあの体験を聞く授業などが行われること、沖縄で戦争について知ることはごく普通のこと、でもだからといって日常的に平和や戦争のことについて会話をしているかというとそうでもない、普通の中高生たちがそこにいる、というような話もありました。

 沖縄と本土の、たとえば基地問題に関する関心や意識の違いというのは、こういったことからもすでに始まっているように思いました。

 3時間に及ぶ集いでしたが、最後に実行委員長をつとめたF田弁護士が挨拶、1100人という参加者を集めたこういう企画が実現できる京都の弁護士さんたちの力を感じました。


 

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『誰もが幸せになる1日3時間しか働かない国』をめざしたい

2009年12月05日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 現在新たに準備中の本に関して、その著者の方から1冊の本を紹介してもらいました。

『誰もが幸せになる1日3時間しか働かない国』(マガジンハウス・2008年3月)というタイトルの本です。

 実際、1日に3時間しか働かずに生活できる国なんてこの地球上には存在じないのですが、でもゆくゆくはそういう社会へと模索している国としては欧州のいくつかの国が当てはまるのではないかと思います。

 とにかくガツンと感じるものがあり、我々日本人の生き方・暮らし方・考え方の発想転換を求めているようなそんな内容の本です。空想物語のように思えるかも知れませんが、その点は著者もかなり気を使って書いていて、個々の示している事柄についてはリアリティを持って読めました。

 現代の日本の状況、そのこれからの行く末、そして私たち1人ひとりはどこへ向かうのか。昨日の『資本論』講演会のことと併せて、本当に人間らしい豊かな暮らしが出来る社会とはどんな社会なのか、ちょっと考えてみないといけないのではないかと強く思ったとても印象的な本でした。

 資本主義社会が生まれて相当の時間がたちました。また8時間労働が叫ばれ始めてからもかなりの年月が経ちましたが、何ら変わっていないこの現状。労働時間なんて8時間どころかますます増えている、そんな現実もあるくらいです。

 いったい、その間に作られた「富」はどこに消えたのだろうか。あるいはどこに蓄積されているのだろうか。それが人間の幸福のために注ぎ込まれてきたならば、もしかしたら「1日3時間しか働かない国」がこの日本で実現できていたかも知れないのでは、と思いました。

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贅沢な3本講演会

2009年12月04日 | 丸ちゃんの私的時間

 昨日は夕方、働き方ネットと基礎経済科学研究所共催の『資本論』講演会に参加。〈社会変革の波を起こそう―時代はまるで『資本論』〉という題目の講演会で、なんと贅沢な3本のお話が聴けたのだ。2時間の間に3本の講演である。

 講師とテーマは、①「働き過ぎと貧困をどう克服するか」(森岡孝二・関西大学教授)、②「『資本論』と情報通信技術革命」(野口宏・関西大学名誉教授)、③「『資本論』と人間発達」(大西広・京都大学大学院教授)の3氏。

 時間の関係上、お一人30分余りの講演で、わが貧困なる頭ではすんなりと理解できるところ、できないところ、いろいろ含んだそれぞれのお話だったが、現在の日本社会を解きほぐし、これからのあり方を考えていくヒントが実は『資本論』には詰まっているということはなるほど合点のいったところだった。

 特に興味を惹いたのは大西先生の講演で、現代の日本社会は明らかにその抱える困難を克服する主体を作りつつあるということ、新しいこれからの社会を担う人間を形成しつつあるといった辺りのお話は、おもしろく聴かせてもらった。

 うーん、学ぶべきことが実にたくさんあるわい、と思った日であった。


 

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出版企画のご提案はありがたいことですが・・・

2009年12月03日 | 編集・営業ふらふら雑記

 時々、出版企画の持ち込みをいただきます。こういう企画があるけど、こんな原稿を書いたけど出版できないかというものです。

 やはりネットは便利なもので、原稿は簡単に送られるし、返事もすぐにできるということで、現物の持ち込みよりもデータを直接送ってこられほうが断然多いのです。

 こちらとしても企画の提案を呼びかけているのに応えてもらい、それ自体はたいへん嬉しいことです。

 が、どうか提案される前に小社の出版傾向、分野などについてちょっと調べてもらってその上で送っていただくようにお願いします。

 このブログやHP、さらにアマゾンを始めとしたネット書店でだいたい現在稼働中の出版物、あるいは出版傾向については把握可能ですので、それらを見てもらいながら、小社に持ち込んだ場合にその企画が検討される見込があるかどうか、小社の出版守備範囲に入った企画かどうかなどを判断頂いた上で、ご提案いただくとたいへん助かります。

 以上、たいへん生意気なことを言ってすみません。どうかご理解よろしくお願いします。

 なお、自費出版のご相談についてはこの限りではありませんので、どんどん持ち込みくださいませ。

 

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世間はもう夕食時間か…

2009年12月02日 | 編集・営業ふらふら雑記

 本日も時間は速く過ぎ、気がつくと19時である。世間は夕食時間である。うーむ、あれが出来てない、これが残った…と考えるとおもしろくないので、出来たことについて喜ぶことにしよう。

 今からジュンク堂に予約本の受け取りに。さて片づけようかと思ってたら、息子の大学入試合格という嬉しい知らせが入った。本人にすればとりあえずは一山越えた感かな

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葛飾ビラ配布弾圧事件に思う

2009年12月01日 | 丸ちゃんの喜怒哀楽へなへなジャーナル

 葛飾政党ビラ配布事件に最高裁で有罪判決が出ました。しかしまったくもっておかしな判決です。言論表現の自由への攻撃として、断固抗議します。

 いろいろ疑問があります。このマンションは従来から様々な商業ビラはもちろんいろんなビラが投函されていたそうです。なのになぜ荒川さんのビラ配布は警察に通報され、逮捕に至ったのか。逮捕されるまで苦情を言われたこともなかったし、被害届けも出ていないのになぜか、ある日突然逮捕されたのです。

 投函禁止は管理組合の規則だといいますが、住民たちは本当に投函禁止に賛成したのでしょうか? そんなことを管理組合が決めることができるのでしょうか? 住民の中にはビラ投函OK、読む自由もあるという人もきっといるでしょう。

 新聞報道によると、このマンションには管理組合の議事録にも載っていないような規則があったという管理人の証言を根拠に、最高裁は荒川さんが管理組合の決定を犯したと判断したとされています。実にいい加減な判断のように思えます。

 もしこういう規則をマンション住民が決めていたとしたなら、何とも薄ら寒さを感じるマンションではないかと思います。私は住みたくない。そう思います。そういう管理組合自体が恐ろしいです。

 私たち1人ひとりの民主主義に対する感度が問われる事件です。

 我が家にも様々なビラが投函されます。そこに自分に関係あるものはほとんどありません。勧誘の電話もよくかかります。実に鬱陶しく感じることもしばしばです。

 でもだからといってじゃあ、即警察に電話して取り締まれとはなりません。気に入らなければゴミ箱へ捨てればいいのです。読まなければいいのです。それが普通の感覚でしょう。

 誰でも自由に自分の意思を表現することができるという民主主義の大本の感覚がわかっているからこそ、まあそれでいいじゃないかと許せるのだと思います。

 弁護士の内田雅俊氏はある本でこう書かれています。

「現代社会は多少の『迷惑』『不快感』を甘受することを前提に成り立っている。これを直ちに刑罰によって取り締まったら社会全体がギスギスしたものになる。
 警察の基本は『民事不介入』で、些細な生活上のトラブルは極力、当事者が話し合って解決すべきこと。いったい全体、このビラ配りの結果、住民にいかなる『被害』が発生したのか? 
 仮に『被害』があったとしてもそれは民事上の損害賠償請求が認められるようなものではない。民事事件にすらならないようなことになぜ『民事不介入』を掲げる警察が介入して来たのか? 
 それはこの警察が刑事警察ではなく『公安警察』だからである」(岩波BL№655より)

 そう、これは住居侵入罪なんかの事件ではない、あきらかな政治弾圧、言論弾圧事件なのです。でないと、自宅が強制捜査され、逮捕から起訴まで23日間も拘留されるなんてことには普通はならないでしょう!

 また、『朝日』の中井記者が書いています。

「今回の判決に従えば、ビラを配るために集合住宅に入ることは多くの場合、犯罪と認定されるだろう。そのことで得られる『平穏』と、表現の自由という、市民の大切な権利の行使を萎縮させる影響とを比較すると、判決はあまりにも形式的だ」

 いったい最高裁って何なのかとこういう判決が出るたびに思います。あの判事たちは何を恐れているのでしょうか? なぜ大事な憲法判断を避けるのだろうか。

 先頃、NNNドキュメントで裁判官をテーマにした番組がありました。そこで描かれていたのは長沼ナイキ訴訟での自衛隊違憲判決など真正面から憲法判断を下した裁判官に対する司法中枢部からの凄まじいいじめ、圧力の様子でした。

 今、日本の政治が変わり、また世界の流れも大きく変わっている時、どうも日本の司法の世界は市民感覚、あるいは国際感覚から大きくずれているような気がしてなりません。まさに司法の危機です。でもそれは勝手に裁判所自身が招いている危機のように思えます。

 国際機関から「日本は表現の自由への不合理な制限をやめるべし」という勧告が出せれているそうですが、いったい最高裁はこの勧告にどう応えるのでしょうか。

 


 

 

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