モレルさんに、今日、二年ぶりに出会った。
それは、桜の植えこんであるゲートボール場のすみっこだった。天気がいいからと、なんとなく当てもなしに出かけ、たまたま通りかかった小学校の向かい側で、ふとフェンスの向こう側を見ると、彼がいたのだ。モレルさんは、いつものように、紙風船をくしゃくしゃにしたような変な形の黒い帽子をかぶり、ただニコニコとしてたたずんでいた。
私のほうも、実はモレルさんについて、多くを知っているわけではない。わかっているのは、春、桜の花が咲く季節にあらわれるということと、ちょっと意外な場所で出くわすことが多い、ということだけだ。だから、こうしてたまに出会っても、特に話すこともない。ふつうの顔見知りなら、家族のこととか、仕事のこととかを聞けばいいのだけど、モレルさんに対しては、なんとなくそんな必要がない気がして、だから今日も、私はモレルさんと同じようにニコニコとたたずんでいた。
実は一度だけ、こう尋ねたことがある。「モレルさんて、外国の方なんですか?」
彼は、ニコニコしたまま小首をかしげると、こう答えた。
「ん、どうだろ。僕は昔からここにいるけど、でも、もしかしたら、そうかも。」
名前もそうだけど、モレルさんはすこし、日本人離れしたところがあった。瞳は、私のものと同じ色だけど、彼のそれはもっと丸くてクルクルしていた。髪もこころもち赤みがかった程度だけど、その長髪はふさふさとやわらかくて、風がふけば麦畑の緑のように、ざわり、ざわり、とそよぐのだ。
そんなモレルさんに対していると、なんとなしに心地よくて、だから、何も言わず、時間だけが過ぎていくのだった。
そんなに心地よいのであれば、ふたりで連れだって、散歩をしたらどうだろうか……ふとそんな考えが頭をよぎった。私はすこしうつむいて考え、でもすぐに顔を上げて、彼に話しかける決心をした。
「あの、よろしければ、この辺りをいっしょに……」
そうやって口に出す途中で、私はことばを飲みこんだ。モレルさんの姿は、もう消えていたのだった。
なにか急用でもあったのだろうか。それとも、私のよこしまな心を察したから?そう考えながら、それでも挨拶もなしに消えてしまったモレルさんのことを嫌うどころか、いぶかしむことすらできなかった。
たぶん、モレルさんはそよ風の精か何かなのだろう。そよ風が吹いては止むように、彼も現れては消える。そういう存在なのだ。
ただ漫然と、そんなことを考えて、私はまた歩き出した。これからも、彼とふたりで散歩することはないだろう。それでも、またどこかでかならず、彼と出会う。それだけでいい。それ以上、何もない。私の心は、今、まんまるだ。
春の日射しは、あくまでやわらかく、風にゆれる桜の枝はおだやかだった。
(続く)
それは、桜の植えこんであるゲートボール場のすみっこだった。天気がいいからと、なんとなく当てもなしに出かけ、たまたま通りかかった小学校の向かい側で、ふとフェンスの向こう側を見ると、彼がいたのだ。モレルさんは、いつものように、紙風船をくしゃくしゃにしたような変な形の黒い帽子をかぶり、ただニコニコとしてたたずんでいた。
私のほうも、実はモレルさんについて、多くを知っているわけではない。わかっているのは、春、桜の花が咲く季節にあらわれるということと、ちょっと意外な場所で出くわすことが多い、ということだけだ。だから、こうしてたまに出会っても、特に話すこともない。ふつうの顔見知りなら、家族のこととか、仕事のこととかを聞けばいいのだけど、モレルさんに対しては、なんとなくそんな必要がない気がして、だから今日も、私はモレルさんと同じようにニコニコとたたずんでいた。
実は一度だけ、こう尋ねたことがある。「モレルさんて、外国の方なんですか?」
彼は、ニコニコしたまま小首をかしげると、こう答えた。
「ん、どうだろ。僕は昔からここにいるけど、でも、もしかしたら、そうかも。」
名前もそうだけど、モレルさんはすこし、日本人離れしたところがあった。瞳は、私のものと同じ色だけど、彼のそれはもっと丸くてクルクルしていた。髪もこころもち赤みがかった程度だけど、その長髪はふさふさとやわらかくて、風がふけば麦畑の緑のように、ざわり、ざわり、とそよぐのだ。
そんなモレルさんに対していると、なんとなしに心地よくて、だから、何も言わず、時間だけが過ぎていくのだった。
そんなに心地よいのであれば、ふたりで連れだって、散歩をしたらどうだろうか……ふとそんな考えが頭をよぎった。私はすこしうつむいて考え、でもすぐに顔を上げて、彼に話しかける決心をした。
「あの、よろしければ、この辺りをいっしょに……」
そうやって口に出す途中で、私はことばを飲みこんだ。モレルさんの姿は、もう消えていたのだった。
なにか急用でもあったのだろうか。それとも、私のよこしまな心を察したから?そう考えながら、それでも挨拶もなしに消えてしまったモレルさんのことを嫌うどころか、いぶかしむことすらできなかった。
たぶん、モレルさんはそよ風の精か何かなのだろう。そよ風が吹いては止むように、彼も現れては消える。そういう存在なのだ。
ただ漫然と、そんなことを考えて、私はまた歩き出した。これからも、彼とふたりで散歩することはないだろう。それでも、またどこかでかならず、彼と出会う。それだけでいい。それ以上、何もない。私の心は、今、まんまるだ。
春の日射しは、あくまでやわらかく、風にゆれる桜の枝はおだやかだった。
(続く)