「あら、可愛らしい花。これはね、クサノオウって言うの。毒があるのよ。大丈夫、食べなければいいだけ。昔は水虫の薬に使ってたそうなのよ?」
黄色い花をいくつも付けた、ひざの丈くらいの草の前に座って、楽しそうに講義をしてくれる。ムジさんは、生き物にくわしかった。道すがら、花を見つけては座りこみ、チョウを見つけては追いかける。普段はみんな「ただの雑草」「ただの虫」で片付けて済んでしまっていたものを、あらためてそれぞれ見ていくと、じつはみんな個性的で、それは愛すべきものであるように感じられた。彼女の語りはとても素っ気ないものだったけど、それでいて魅力的で、私は引きこまれた。いつのまにか私は、自分から花の名を尋ねるようになっていた。
「これはなんて言う花ですか?」
「まあ一面に生えてるわ、素敵。タネツケバナっていうの。ほら。花もだけど、葉っぱも可愛らしいと思わない?」
嬉しそうに答えるムジさんは、まるで子供のような目で野草を愛でる。きっと、子供のころからずっと変わらず、こんな感じだったのだろう。ムジさんの子供時代がありありと想像されて、つい笑みがこぼれる。
「あっ、これ、なんでしょう?」
私が草花の中からふいに見つけたそれは、明らかに他のものと雰囲気が違っていた。
それは不思議な形をしていた。小指くらいの太さでクリーム色の茎がひょろっと地面から伸び、その先っぽに親指の先くらいのキャップのようなものをかぶっている。キャップは浅い黄色でとても滑らか、日光を透かすようで美しい。ひょろ長くて頼りないそれは、キノコのように見えるが、芽生えたばかりの植物のようでもあった。
「あら、見つけた? あらあら!これよ!」
ムジさんはそう声をあげて私のすぐ前にかがみこむ。
「あらあらあら。これよ、探していたのは、これ。ありがとうね。」
ムジさんは、そのふっくらとした指で、愛おしそうにそれをなでながら続けた。
「これはね、“かなめぞつね”というの。これを探すために私たちは毎年ここへ出かけてくるのよ。この季節にしか出てこないの。」
かなめぞ……? 耳慣れない響きにちょっと戸惑う。
「それ……食べるんですか?」
訊ねた私に首を横に振ると、ムジさんは言った。
「食べるんじゃないの。でも、そう、似てるかもね、食べるのと。これを見つけることで、私たちは生かされてるから。」
生かされている……?どういうことだろう。
「わかりづらいかしらね。本当は、これそのものにはあまり意味がないの。見つけたものが大事なんじゃない、見つけることが大事なの。わかるかしら?」
何を言っているのかわからず、ぼんやり立ちつくしている私。ムジさんはそれでもやはり、にこにこしているのだった。
春のもったりとした柔らかい風があたりを包む。そのままどのくらいそうしていただろうか……私は何を考えているのかも忘れ、ただただその女性の笑顔に見入っているだけの自分に気づいたころ、彼女はゆっくりと立ち上がり、お辞儀をした。
「さあ、そろそろかしらね。本当にありがとう、助かったわ。これは、ひとりでは見つけられないの。」
……お別れ?
あまりの唐突さにちょっと言葉が見つからないでいると、ムジさんは続けた。
「お散歩、楽しかった。またいつか会いましょうね。……そうそう、これをお返ししなきゃ。」
ムジさんは、そう言うと、何かを私に手渡した。それは、不思議なものだった。影も形もない、見えない何か。でも確かに、なめらかでひんやりとした手触りと、重みを感じた。
「なんですか、これ?」
それはね、“とき”よ……
……「では、今年新しく迎えた新入社員のみなさんに、あらためて自己紹介をしてもらいます!」
Kさんの仕切りで自己紹介が始まる。さも嬉しそうな表情だ。
「新入社員のSです!」
自分で「新入社員」だと言ってしまうあたりが聞いててむずがゆい。私は手洗いに行くふりをして、席を外した。
湖のほとりの遊歩道。ここで見る桜は格別なのだろうが、その花も散ってしまって今は見られない。
ふと桜の木の根元を見やると、不思議なキノコが生えているのを見つけた。それは淡い黄色で、隕石みたいにいびつな丸っこい傘。傘といってもそれはボコボコと不定型の穴がくぼんでいて、でも、とても精巧に作られたボール紙製の工芸品のようにも見える……そんな奇妙な形だった。
私が初めて見るはずのそのキノコは、でも、どこか懐かしく、慕わしいような、不思議な感じがした。
春のもったりとした柔らかい風が、桜の枝を揺らす。
そしてキノコがふふふと笑った。
(完)
モレルさん その1
モレルさん その2
黄色い花をいくつも付けた、ひざの丈くらいの草の前に座って、楽しそうに講義をしてくれる。ムジさんは、生き物にくわしかった。道すがら、花を見つけては座りこみ、チョウを見つけては追いかける。普段はみんな「ただの雑草」「ただの虫」で片付けて済んでしまっていたものを、あらためてそれぞれ見ていくと、じつはみんな個性的で、それは愛すべきものであるように感じられた。彼女の語りはとても素っ気ないものだったけど、それでいて魅力的で、私は引きこまれた。いつのまにか私は、自分から花の名を尋ねるようになっていた。
「これはなんて言う花ですか?」
「まあ一面に生えてるわ、素敵。タネツケバナっていうの。ほら。花もだけど、葉っぱも可愛らしいと思わない?」
嬉しそうに答えるムジさんは、まるで子供のような目で野草を愛でる。きっと、子供のころからずっと変わらず、こんな感じだったのだろう。ムジさんの子供時代がありありと想像されて、つい笑みがこぼれる。
「あっ、これ、なんでしょう?」
私が草花の中からふいに見つけたそれは、明らかに他のものと雰囲気が違っていた。
それは不思議な形をしていた。小指くらいの太さでクリーム色の茎がひょろっと地面から伸び、その先っぽに親指の先くらいのキャップのようなものをかぶっている。キャップは浅い黄色でとても滑らか、日光を透かすようで美しい。ひょろ長くて頼りないそれは、キノコのように見えるが、芽生えたばかりの植物のようでもあった。
「あら、見つけた? あらあら!これよ!」
ムジさんはそう声をあげて私のすぐ前にかがみこむ。
「あらあらあら。これよ、探していたのは、これ。ありがとうね。」
ムジさんは、そのふっくらとした指で、愛おしそうにそれをなでながら続けた。
「これはね、“かなめぞつね”というの。これを探すために私たちは毎年ここへ出かけてくるのよ。この季節にしか出てこないの。」
かなめぞ……? 耳慣れない響きにちょっと戸惑う。
「それ……食べるんですか?」
訊ねた私に首を横に振ると、ムジさんは言った。
「食べるんじゃないの。でも、そう、似てるかもね、食べるのと。これを見つけることで、私たちは生かされてるから。」
生かされている……?どういうことだろう。
「わかりづらいかしらね。本当は、これそのものにはあまり意味がないの。見つけたものが大事なんじゃない、見つけることが大事なの。わかるかしら?」
何を言っているのかわからず、ぼんやり立ちつくしている私。ムジさんはそれでもやはり、にこにこしているのだった。
春のもったりとした柔らかい風があたりを包む。そのままどのくらいそうしていただろうか……私は何を考えているのかも忘れ、ただただその女性の笑顔に見入っているだけの自分に気づいたころ、彼女はゆっくりと立ち上がり、お辞儀をした。
「さあ、そろそろかしらね。本当にありがとう、助かったわ。これは、ひとりでは見つけられないの。」
……お別れ?
あまりの唐突さにちょっと言葉が見つからないでいると、ムジさんは続けた。
「お散歩、楽しかった。またいつか会いましょうね。……そうそう、これをお返ししなきゃ。」
ムジさんは、そう言うと、何かを私に手渡した。それは、不思議なものだった。影も形もない、見えない何か。でも確かに、なめらかでひんやりとした手触りと、重みを感じた。
「なんですか、これ?」
それはね、“とき”よ……
……「では、今年新しく迎えた新入社員のみなさんに、あらためて自己紹介をしてもらいます!」
Kさんの仕切りで自己紹介が始まる。さも嬉しそうな表情だ。
「新入社員のSです!」
自分で「新入社員」だと言ってしまうあたりが聞いててむずがゆい。私は手洗いに行くふりをして、席を外した。
湖のほとりの遊歩道。ここで見る桜は格別なのだろうが、その花も散ってしまって今は見られない。
ふと桜の木の根元を見やると、不思議なキノコが生えているのを見つけた。それは淡い黄色で、隕石みたいにいびつな丸っこい傘。傘といってもそれはボコボコと不定型の穴がくぼんでいて、でも、とても精巧に作られたボール紙製の工芸品のようにも見える……そんな奇妙な形だった。
私が初めて見るはずのそのキノコは、でも、どこか懐かしく、慕わしいような、不思議な感じがした。
春のもったりとした柔らかい風が、桜の枝を揺らす。
そしてキノコがふふふと笑った。
(完)
モレルさん その1
モレルさん その2