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コジキジゲン

誉田別尊(ほむ・タワケ・の・みこと)=本拿分見事?・捌蔓

2025-02-25 09:32:50 | 古事記字源
 前回からのツヅキ
 ↓↑
 誉田別尊(ほむ・タワケ・の・みこと)
      本  拿分    見事?
      八幡=はちまん=捌蔓
   ・・・宇佐神宮・・・新羅三郎=源氏
   源 義光(よしみつ)
   平安時代後期の武将
   河内源氏 の2代目棟梁
   源頼義の三男
   甲斐源氏初代当主
   兄 源義家(八幡太郎)
     源義綱(賀茂次郎)
   近江国の
   新羅明神(大津 三井寺 新羅善神堂)
   で元服し
   新羅三郎 (しんらさぶろう)
   と称した

   源 義家(よしいえ)
   八幡太郎の通称
   鎌倉幕府を開いた源頼朝
   室町幕府を開いた足利尊
   などの祖先
   比叡山等の強訴に際し
   鎮圧や
   白河天皇の行幸の護衛
   陸奥国守
   清原氏の内紛に介入し
   「後三年の役」を起こし
   朝廷に事後承認を求め
   その後約10年間
   逼塞状態だったが
   白河法皇
   の意向で院昇殿を許された
   七歳の春
   山城国
   石清水八幡宮で元服し
   八幡太郎と称す

   宇佐神宮
   全国4万社あまりの
   八幡様の総本宮
   八幡大神(応神天皇)
   比売大神
   神功皇后
   が祭神
   神亀二年 創建(725年)
   725年
   行基 淀川(山城国山崎-橋本間)
      に山崎橋を架ける
   唐  玄宗皇帝
      泰山で封禅の儀
   誕生 懐素 唐代の書家・僧

   養老八年-神亀元年
   皇紀1384年

   神亀(ジンキ・シンキ・神󠄀龜)
   年号
   724年   甲子年
   唐   開元 12年
   渤海  仁安   5年
   新羅  聖徳王 23年・・・聖徳王?

   3月3日(神亀元年二月四日)
   元正天皇 譲位
   第45代天皇
   聖武天皇即位
   吉備内親王が二品に叙
   陸奥国に多賀城築城

   誕生
   開成 奈良時代の僧
   藤原浜成 奈良時代の歌人

   死去
   6月30日(神亀元年六月六日)
   巨勢邑治
   8月 6日(神亀元年七月十三日)
   大蕤娘 天武天皇夫人
    蕤=艹+甤
      艹+豕+生
        甤=草木の実が垂れ下がるさま
          生子之多
          莫若豕也
         「不若=~にしかず」
         「莫若=~にしくはなし」・比較
    異体字「蕤 苼 㽔」
      ズイ・ニ・ソウ・ショウ・スイピン・イン
      草木の実が垂れ下がり
      花の垂れ下がるさま
      垂れ飾り
      drooping leaves
      fringe soft, delicate
     「fringe=肩掛け・すそなどの房べり
          房飾り
          婦人の額ぎわの切り下げ前髪
          動植物の房毛
          へり・外べり・外辺・周辺
          初歩・二次的なもの」
      frɪndʒ=フリンジ=Fringe
          ひもや織物の端の糸を
          かがったり束ねたりした房飾り
      不倫示(自・時・事・亊・似=邦字
          爾・邇・兒・児・兕・尼・巳)
      褒姒(ホウジ)
         西周の幽王(紀元前782年~紀元前771年)
         の2番目の后
         傾城(形声)の
         美女(卑-如・汝・鋤・所・書・序)
         ↓↑
         末喜・妲己・褒姒・息嬀
         夏姫・西施・趙飛燕・趙合徳
         潘玉児・馮小憐・楊貴妃・陳円円

         額田王・藤原薬子・常磐御前
         阿野廉子・日野富子・淀殿
   ↓↑
   神亀(ジンキ・シンキ・神󠄀龜)・・・訊記・新記?
   724年
   ~
   729年
   天皇 聖武天皇
ー↓↑ー
 爰=爫+一+友
   爫+一+又
   エン
   かえる・取りかえる
   ここ・ここに・そこに・それで
   ここにおいて
   ゆるい・ゆるやか・ゆったりしたさま
 媛=女+爰=姫(ひめ)
 猨=犭+爰=猿(さる)
 援=扌+爰=たすける=援助・救援・援護
ー↓↑ー
 妲己(ダッキ・Dájǐ)
 ・・・女+旦+己(ム=私・邪=蛇)
   己・・・巳=它=宀+ヒ
 蛇+姫(姬・姬・㚦・👸・比米)=ダッキ
ー↓↑ー
 殷王朝末期(紀元前11世紀ごろ)
 帝辛(紂王)の妃
 帝辛に寵愛
ー↓↑
 末喜(マッキ・バッキ)
 などと共に悪女の代名詞的存在
ー↓↑
 「有蘇氏」の娘
   有-蘇-我?
   蘇+我氏
ー↓↑ー ↓↑ー
蘇定方=蘇 定方(ソ テイホウ)
 592年~667年・唐の軍人・名は烈・字は定方
 本貫は「冀州-武邑-県」
 蘇邕の子
 隋末
 蘇邕は郷里の数千人を率いて叛乱の討伐
 定方は15歳で父の下で従軍
 蘇邕が死去し
 その部衆を引き継ぎ
 劇県の叛乱軍の
 張金称・楊公卿
 らを撃破
 後に
 「竇建徳」の麾下の部将の
 「高雅賢」の養子となり
 「高雅賢」と「劉黒闥」が死ぬと
 郷里に帰った
 唐の貞観初年
 匡道府折衝
 「李靖」の下で
 「突厥」攻撃の先鋒
 霧の中で
 「牙帳」・・・「帳幕(ゲル)=天幕」・陣地?
 を襲撃し
 突厥の
 「頡利可汗」
 は逃亡
 李靖が到着すると
 突厥の一党は降伏
 凱旋し
 左武候中郎将に任ぜられた
 永徽年間に左衛勲一府中郎将
 「程名振」・・・程(ほど)の名を振る?
 とともに高句麗を攻撃
 撃破
 右屯衛将軍に任ぜられ
 臨清県公に封ぜられた
 顕慶元年(656年)
 「程知節」・・・程(ほど)を知る節(ふし)?
 に従って前軍総管を務め
 「阿史那(あしな)-賀魯(ガロ)」
 を攻撃し、鷹娑川にいたった
 「阿史那-賀魯」
 が2万騎を率いて対陣すると
 「蘇定方」は
 総管の
 「蘇海政」・・・ヨミガエる海のマツリゴト?
 読み替える瀛(宇美・生み)
 とともに連戦
 突厥の別部の
 「鼠尼施」
 ・・・鼠(ねずみ)の尼(あま)に施せ
   移鼠=イエスのアマ=尸のヒを
 らが2万騎を率いて敵方に来援
 定方は騎兵の精鋭500を率い
 山嶺を越えて敵陣に討ち入り撃破
 唐の軍中では副大総管の
 「王文度」
 ・・・王の文を度(はかる)・渡り?
 が深入りを諫めたが
 定方は追撃を主張
 「程知節」
 が
 「怛篤城」
  怛=いたむ・かなしむ・うれえる
 篤=あつい・手厚い・人情が厚い
  モッパラである=鵙原・百舌鳥原?
  病気が重い
 にいたり
 胡人・・・えびす=恵比寿・蛭子・夷・戎
 を降伏させると
 「王文度」
 は
 「降胡」
 ・・・降伏のエビス(胡・夷・戎・蛭子)?
 を殺して財貨を奪うことを主張
 定方はこれに反対
 「王文度」は財貨を分配したが
 定方はこれを拒否
 高宗は
 「程知節」
 らが帰還した後
 「王文度」
 を庶民に落とした
 ↓↑
 ・・・「大化の改新(645年・六百四拾五ネン)」
 「蘇我入鹿・蘇我蝦夷」
 のその後の経緯(いきさつ)
 ・・・我(ガ)=吾(ゴ)、よみがえる
      賀    語  読み替える?
 ↓↑
 顕慶二年(657年)
 定方は伊麗道行軍大総管
 「阿史那-賀魯」
 を攻撃
 「任雅相」・・・任(まかす)
 雅(からす)の
 相=相似?
 と
 「回紇」・・・回す糸を乞う⇔乞食=古事記?
 の
 「婆閏」・・・波の女は
  閏(閠・䦞)=ジュン・うるう
  余(あま)りの月日(解譯比)
    海女 里
  潤年の日数、月数が多いこと
  正統ではない
  正統でない位?
 が副大総管
 定方は
 アルタイ山(金山・鷲山=倭史?)
     纂(讃・簒)
 の 
   アルタイル(Altair )
   わし(鷲)座α星(Alpha Aquilae)
 ・・・阿留臺
     (俀・妥・拿・蛇・媠)+意(委・異・亥)
  意・異の纂
 ↓↑
  隋書俀国伝 耶摩体
  都於邪靡堆
  則魏志所謂
  邪馬臺者也
  古云去
  樂浪郡境 及 帶方郡
  並一萬二千里
  在 會稽之東
  與 儋耳 相近
 阿毎王朝=阿輩雞彌
 ↓↑
 アルタイ山の
 北に出て
 「処木昆部」
  ・・・書紀(記)昆部(分・武)?
 を撃破
 俟・・・シ・まつ(待つ)
  人や機会を待つ
  たよりにする
  立ち止まる
 斤=おの・キン・斧・小野・己・𨨞
 の
 「嬾独禄」
  嬾=女+頼=孏・孄・㦨
    ラン・おこたる・ものうい
    なまける
   =懶=忄+賴
      忄+束+刀+貝
      忄+束+負
      忄+束+⺈+貝
      ものうい・だるい・けだるい
 独=犭+中+ム=獨=犭+罒+勹+中+ム
 禄=ネ+录
   示+录
   礻+彐+氺
   示+彐+氺
 祿=示+彔
   礻+彔
   示+彑+氺
   礻+彑+氺
 ↓↑
 を降し
 麾下の1000騎と
 回紇の1万人を率いて
 曳咥河に進軍し
 「阿史那-賀魯」の大軍と会戦
 「五弩失畢」
  ・・・五=ゴ・いつ
   弩=ド=奴+弓・・・奴國の弓
   失=シツ=𠂉+ー+人
   畢=田+卅+ー+十
     ヒツ
     終わる・終える
     ことごと(悉く・尽く・儘く)
     完全に・みな・全て
     あみ(網)・柄のついた網
     二十八宿の一
     あめふりぼし
    畢竟(ヒッキョウ)
    =究極・至極・最終
 結局・つまるところ
 就中
 が部族こぞって唐に降伏
 「阿史那-賀魯」と
 「処木昆」の
 「屈律啜」
  ・・・屈(かがむ=僂)=屍+出
      律=彳+聿
   啜=すすり泣く
      いつまでも
      喋りつづける
 は西方に逃走
 定方は副将の
 「蕭嗣業」
  ・・・蕭=艹+肅
   艹+肀+片+一+爿
   よもぎ(蓬生・艾)=与模擬
   つつしむ=謹む・包詞務
   䔥=萧
   嗣=口+冊+司
   業=なりわい
    =わざ=伎・技・生業・しのぎ?
 と回紇の
 「婆閏」に
 「邪羅斯」川・・・「邪=横島」の
   編は
   其+斤=小野の選?
 に向かわせて追撃
 定方と
 「任雅相」
 は後詰めに続いた
 大雪にあったが・・・臺の説?
 強引に兵を
 雙河
 まで進め
 「阿史那-彌射」
 「阿史那-歩真」
 の軍と合流して
 「阿史那-賀魯」
 の陣に迫り
 これを襲撃して破り
 「阿史那-賀魯」は
 「石国」
 ・・・石狩国 (いしかりのくに)=北海道
 大宝律令 国郡里制を踏襲し
 戊辰戦争(箱館戦争)
 終結直後に制定された
 別称は「石州 (セキシュウ)」
 or  「石見國」
 に逃れたが
 「阿史那-彌射」
   ・・・彌(镾・あまねし)を
  射(うつ)
 の子の
 「阿史那-元爽」
   ・・・元を
 爽=大+㸚・・・爽快
   大+爻
   大+㐅+乂
   大+㸚
   大+㐅+丿+丶
  ソウ・ショウ
  あきらか・明るい
  夜明けの明るさ
  さわやか・すがすがしい
  たがう・たがえる
  間違える・誤る・違反する
  傷つく・損なう・失う
  ばらばらになる
 が
 「蕭嗣業」と合流し
 「阿史那-賀魯」を捕縛
 唐の勢力圏は中央アジアに広がり
 定方は
 左驍衛大将軍に任ぜられ
 邢国公に封ぜられ
 子の
 「蘇慶節」も
 「武邑県」公・・・武の邑を懸ける公
 に封ぜられた

 顕慶四年(659年)
 「思結闕俟斤-都曼」
思=史・詞・私・田(かり)の心(思い)
   結=糸を結び拾い一(はじめ)の口
    闕=文を欠く
     俟=人は横島のカミサシの壹の人
      斤=おの=小野は
       都=ト=譯=訳
        曼=日+罒+又
        卑を編む者?
 が諸部を扇動し
 疏勒・朱倶波・渇槃陀の三カ国が
 唐に叛き
 定方は
 安撫大使
 となって討伐
 葉葉水
 にいたり
 都曼が
 馬頭川を守り
 定方は歩兵の精鋭1万と騎兵3000を選抜し
 都曼の陣の前に現れ
 都曼は戦うこともなく城に逃げ込み
 窮迫して、自らを縛って降伏
 パミール高原・・・葉を見意留巧言?
 より西の地方も
 唐の勢力圏に入った
 定方が捕虜を
 乾=戌亥
 陽=邑の卑のーの勹の〃
 殿=デン=伝・傳
 に献上すると
 邢州
 鉅鹿県の三百戸の食邑を加えられ
 左武衛大将軍に転じた

 顕慶五年(660年)・・・百済滅亡
 ↓↑
 顕(あら)わす
 慶(応)の
 語撚(六百六拾=亠+ハ+ー+ノ+日+陸を拾う?
 熊津道大総管
 軍を率いて
 百済征討
 城山から海をわたって
 熊津口に上陸
 沿岸の百済軍を撃破し
 真都城・・・新譯条?
 に進軍し
 百済の主力に勝利
 百済王
 「扶余-義慈」・・・附与-疑似・擬似
 太子の
 「扶余隆」・・・・附与-西郷の「隆」を盛る
 は北方に逃走
 定方が
 泗沘城
 を包囲すると
 「扶余-義慈」の子の
 「扶余-泰」・・・やすい=妥・哉諏意?
 が自立して王を称し
 抗戦を続けようとしたが
 「扶余-義慈」
 は開門して降伏
 百済の将軍の
 「禰植」
  ・・・禰(ネ・デイ)・禰宜=神官
 かたしろ・みたまや
 父のおたまや=父親の霊廟
 戦争に持っていく位牌
 爾=一+八+冂+丨+㸚
   一+八+冂+丨+爻
  =尓=𠂉+小(ハ+亅)
  =尒=𠆢+小(ハ+亅)
  =尔=ノ+⺂+小(ハ+亅)
   ジ・ニ
   その
   なんじ・おまえ・あなた
   二人称の代名詞
   その・それ・この・これ・ここ・かれ
   指示代名詞
   しかり・しかく・かくのごとし
   そのとおりである
  「のみ・~だけ」の意
   他の語の下に添えて、状態を表す
 と
 「扶余-義慈」
 は唐軍に降伏
 「扶余-泰」
 も捕縛
 「扶余-義慈」
 「扶余-隆」
 「扶余-泰」
 は東都洛陽に送られた

 定方
 は三カ国を滅ぼし
 子の
 「蘇慶節」
 は
 尚輦奉御の位を加えられ
 定方は
 遼東道行軍大総管
 平壌道行軍大総管
 に転じた
 高句麗の軍を
 「浿(ハイ)江=浿水」
 で破り
 「馬邑山」の敵営を落とし
 平壌を包囲したが
 大雪で包囲を解いて帰還
 涼州安集大使に任ぜられ
 「吐蕃」や「吐谷渾」とも戦った
 乾封二年(667年)
 76歳で死去
 左驍衛大将軍・幽州都督の位を追贈
 諡 荘 
ー↓↑ー
 妲己(ダッキ・Dájǐ)は
 「有蘇」氏の娘として生まれた
 『国語』では
 帝辛が
 「有蘇」氏
 を討った際に献上したのが
 「妲己」で
   己 姓
   妲 字
  (女性は字を先に
      姓を後に書いた)
 
 『史記・殷本紀』・・・殷(イン・アン
            雷鳴・獅子の咆哮)
 「妲己」は「帝辛」に寵愛され
 「師涓」
  に新淫の声
 「北鄙の舞・靡靡の楽」
  を作らせ
  賦税を厚くして
  鹿台に銭をたくわえ
  鉅橋に粟を満たし
  狗馬・奇物を収めて宮室いっぱいにした
  沙丘の苑台を拡張し
  野獣蜚鳥をその中に置き
  鬼神・・・「鬼道」は「卑弥呼の政祭の道」
  をあなどり
  沙丘に大勢の者を集めて楽しみ戯れた
  酒をそそいで池とし
  肉を掛けて林とし(酒池肉林)
  男女を裸にして互いに追いかけさせ
  長夜の飲をなした
  後
  妲己は周によって攻められた際に
  武王により殺された

 『列女伝』巻7孽嬖伝
  殷紂 妲己
 「炮烙の法」
 を見て妲己が笑った
 「比干」が
 「先王の典法をおさめずに
  婦人の言を用いていれば
  禍のいたる日も近いでしょう」
 と諫めた
 「妲己」は
 「聖人の心臓に七つの穴があると
  私は聞いております」
 と答え
 「比干の心臓」を取り出させて観賞した
 「紂王」が自殺すると
 「妲己」は
 「武王」によって首を斬られ
 「小白旗」に掛けられ
 「紂を亡ぼす者はこの女なり」
 と評論

 『漢書』外戚列伝の「顔師古」注
 「弁辞をよく好み
  姦を究めること盛んにした
  その言を帝辛が用いて民を苦しめた」

 妲己伝説
 妲己(狐狸精)
 「全相平話」
 元代の歴史講談小説
 の一節
 「武王伐紂平話」の中で
 妲己がキツネのなりかわり
  「千字文」の
 「殷の紂王(紀元前11世紀頃)を誘惑し
国を傾けた妲己は
九尾狐であると指摘」
 明代の「封神演義」
 「妲己を九尾狐の精」
 としている

 『封神演義』
 「九尾狐狸精(キュウビコリセイ)」
 として登場し
 「殷周革命」を実現させるために遣わされた
 「冀州侯蘇護の娘、蘇妲己(ソ ダッキ)」
 の魂を奪って妲己になりすまし
 紂王を堕落させて殷を滅ぼした

 「胡喜媚」は
 「九頭雉鶏精(きゅうとうちけいせい)」
 「王貴人」は
 「玉石琵琶精(ぎょくせきびわせい)」
 が正体であり
 「雉(記事)」の妖怪と
 「琵琶(枇杷・卑話)」の妖怪が化けたもの・・・

 葛飾北斎画『北斎漫画』
 「殷の妲己」
 九尾の狐が化けた姿の絵
 「玉藻前伝説」と結び付けられ
 天竺の華陽夫人
 周の褒姒
 と共に
 「玉藻前」の前歴
 『妲己のお百』
 「お百」
 京都九条通の
 賤家の生まれで
 美貌の持ち主
 14歳で祇園中村屋の遊女となり
 「鴻池善右衛門」に身請けされ
 江戸役者
 「津打友蔵」と姦通し
 江戸に下り
 友蔵の死後
 新吉原の
 「尾張屋清十郎」の女房となり
 佐竹家の臣
 「那河忠左衛門」の妾となり
 名を「りつ」と改めた
 「那河忠左衛門」
 は旧名が
 「那加采女」
 で、秋田騒動の中心人物として
 宝暦七年(西暦1757年)六月処刑
 「お百」
 は奉公人であるとして「おとがめ」なく
 江戸に出て
 高間騒動の
 「高間磯右衛門」の妾となった
 その間男性を殺害すること5たび
 宝暦年間の退廃期を代表
ー↓↑ー
 末喜(バッキ・マッキ)
 夏王朝の最後の帝
 桀(ケツ)の妃の一人
 「妺喜・末嬉・妺嬉」とも記録
 「妺(バツ)」
 と
 「妹(マイ)」
 の混同表記も存在
 山東の
 「有施氏」の娘
 桀が「有施氏」を討った際に
 降伏のしるしとして献上
 絶世の美女といわれ
 妃とされて愛された
 剣や冠を装備して宮殿に参内し
 桀は寵姫に溺れた悪王
 殷の帝辛(紂王)とともに
 「夏桀殷紂」(カケツインチュウ)
 称される

 末喜の願いに応え
 桀は
 瑤台(ヨウダイ)
 傾宮(ケイキュウ)
 という巨大な宮殿を建て
 落成祝いに大規模の宴会
 祝宴では
 池に酒を満たして
 樹々に肉を吊るした
 「酒池肉林」・「肉山脯林」
 末喜が絹を裂く音を好み
 高価な絹が集められ
 つぎつぎと音を聴かせるためだけに
 引き裂かれた
 桀は
 この行いを諫めた賢臣
 「関龍逢」
 を殺し
 家臣の
 「伊尹」
 もこの行いを批判し
 「湯王」のもとへ帰った
 ↓↑
 殷(商)の
 「湯王」
 は夏王朝を滅ぼし
 「桀」と「末喜」は
 鳴条、南巣へと落ちのびた
 ↓↑
 殷の紂王の妃・妲己
 西周の幽王の妃・褒姒
 のエピソードと酷似
 歴史書『国語』
 「昔夏の桀が有施を伐った際
  桀は有施人の妺喜を妃とし
  妺喜に溺れた
  そのため
  伊尹に夏は亡ぼされた」
  ・・・伊尹(医員・意囙=意因・異音)
 伊藤博文?
 ↓↑
 ⛩️
 応神天皇・・・ダレ・・・?
 来人を用いて国家を発展させた
中世以降
 軍神八幡神として信奉
 誉田別尊(ほむたわけのみこと)=本拿分見事?
 ・・・ツヅク・・・
ー↓↑ーー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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冬の蜘蛛・・・「カンジる」の本性は恐ろしい?

2025-02-24 22:55:20 | 古事記字源
 「カンジる」の本性は恐ろしい?
 ↓↑
 漢字部首=radical
      「過激な・急進的」
 漢字画数=number of strokes=stroke count
     「構成漢字一線の数」
     「打撃・ひと突き・一撃・殴る」
 漢字書順=stroke order
     「構成漢字の書き順」
     「殴り方の順序」
   ↓↑
   漢字=Chinese characters
   部首=radical
   画数=number of strokes
  ↓↑

  ↓↑
 「劉=刘=鎦」・・・コロす・・・
  劉=卯+金+刂
    卯=卬=ノ+㇙+卩
      ガウ・ゴウ・キャウ・キョウ
      のぞむ・なす
      たかぶる(昂る・昂奮・興奮)
      アン・我
      迎賓・
      信仰・歓迎・迎撃
    卯=ノ+㇙+ノ+卩
    卯=𠂎+卩=戼=コ(こ)」
         戼=ⵎ+フ+Г+コ
         戼・・・戼=兎
         卯=卬+ノ=ノ+㇙+ノ+卩
         十二支の四番目・・・†‡✝⨅⨆⨅⨆ⵡ ⵎコ
         方位東
         時刻は午前六時の前後の二時間
         動物では兎(うさぎ)
    卯=ノ+㇙+ノ+卩
      𠂎=「卩・セツ(割符の片方)」を
         左右反転させたもので
        「卯卿」などの一部を構成する
    𠂑=𠂎+丶
     =奏・・・演奏
      𠁾」と同義
     「卪」と対になる「割符の片方」?
      卵の構成文字
     =夘=タ+卩
     =戼=ⵎ+フ+「+コ・・・ⵎ+フ+戸
     =戼・・・𩇨𩇧𩇦𤕰𦕔
    「卯眼=ボウガン」
     枘穴(ほぞあな)
     二本の木材を繋(つな)ぐ時に
     一本の端は凹状に作り
     (「枘穴=ほぞあな」)
     もう一本の端は凸状に作って
     (「枘=ほぞ=筍(ジュン)」)
     これを繋ぎ合わせる
     その凹状の部分
    卯=真二つに叩き割る
    昴=すばる・ボウ=昂
    昴流(すばる)
    ↓↑
    脊=「=+人+=+月(肉)」=背・背反・舛
    皐=「白+=+十+=」=さつき=皐月=五月
                 ↓↑
            高野長英=瑞皐(ズイコウ)
      「=+=」=「貮拾爾・似」=「equal=等」
            ↓↑
            文化 元年五月五日
            1804年6月12日
            ~
            嘉永三年十月三十日
            1850年12月3日
            大運1843年1月(38歳)甲戌・傷官
       甲┏子(壬 癸)傷官・劫財建禄⇔庚戌・印綬
         冲
       庚┗午(丙 丁)印綬・正財 絶⇔丁亥・偏財
       癸 巳(戊庚丙)  ・正官 胎⇔戊子・正官
       癸 丑(癸辛己)比肩・比肩冠帯⇔癸丑・比肩
         午未空亡
  ↓↑
  劉=𠂎+刀(卩・?)+金+刂・・・刀≠卩
        卩=鉈(なた)=金+它=金+巳⇔卩
    卩=㔾⇔巳=蛇行剣=刀
     =ふし(節=竹+艮+卩)づくり(造り)
      蛇行剣=七曲節の長剣
      割符=一つのものを真っ二つに割った片札
      ・・・「卯の字形」の示唆・・・納得?
 
  刘=文+刂
  鎦=金+留
  異体字
   「刘 𠭱 𡭀 鎦 懰 𡭈 㚹 鐂 镏 𢞓」
  刀+金+戼(バウ・卯・兎)→(リウ・卯=)
  weapon of war
  logging axe
  kill en masse
  peeling (paint off a wall, etc)
  sparse
  faded
ー↓↑ー
 地球の土地を売り買いする
 あんたに「切り札」はナイ・・・
 トランプ・♠・♤
       大運2024年8月(78歳)壬寅・正財
         2034年8月(88歳)癸卯・偏財
  丙 戌(辛丁戊)印綬・食神 養⇔乙巳・偏官
 ┏甲┏午(丙 丁)正官・印綬建禄⇔
 ┗己┗未(丁乙己) ・偏印冠帯⇔
  乙┗丑(癸辛己)偏官・偏財 墓⇔
    子丑空亡
ー↓↑ー
 名前とカンジの「ヘン」と「ボウ」
ー↓↑ー
 「御」
  御=彳+卸(缷・䣃)
    彳+午+止+卩
    彳+𠂉+十+正+卩
    彳+𠂉+十+ー+止+卩
    彳+𠂉+十+ー+ト+丄+卩
    ギョ
    ゴ
    おん
    お
    おさめる
    み
    安定させる・統治する
    馬や馬車を思い通りに操る・御者
    はべる・天子のそばに仕える
    天子・諸侯の行いや所有する物につけて
    敬意を表すことば・御言葉
    ふせぐ・ふせぎとめる・まもる
    日本語
    おん・お・み・ご・・・「音・吝・緒・見・語」
    相手に関することにつけて敬意を表す言葉
    物や動作につけて丁寧の意を表すことば
    御=馬を使ふ義
      轉じて下を引き回し、治むるに用ふ
      御㆓宇内㆒の如し
      馭と同じ、馭㆓羣臣㆒の類
      呪力は道路で行うことによって
      他の地に機能すると考えられ
      路上で呪儀する際に
     「御は杵形の呪器(午)」を使用
      杵(きね)=臼と共に使い
            穀物の脱穀籾すりなどの道具
            竪杵と横杵があり
            棒状で端が太い竪杵は
            手杵(てぎね)
            兎杵(うさぎきね)
            とも呼ばれる
      舂=𡗗+臼=㫪=𣇃・・・春(はる・シュン)
        三+人+臼(E+∃)
        一+人+臼
        ショウ
        うすづく(臼搗く)
        つく(搗く)
        うすでつく
        つく・うつ
        つく=衝
        太陽が没する・日が沈む
   通仮字「衙 許 禦」
   異体字「禦 𠉳 𠨙 𢓦 𧗨 𢓷 𧗪 衘 𢕜 䘘
       𡕺 䢩 馭 圄 圉 敔 驭 𢕥 𢾵 𤎇
       𧗻 𩣓 𩤳 𩤾」
   繁体字「禦=御+示(二+ハ+亅)」
       ↓↑
    御免・御覧・御礼・御見舞
    おみおつけ(御御御付け)
    おみくじ(御御籤=御神籤)
     ↓↑
     缷=缶+卩=午+凵+卩=䣃
       缶(カン・フ)=缶詰
     䣃=午+止+阝
       午(ゴ)=うま=馬(バ)
            馬を止める阜(おか・フ)
      =シャ
       おろし
       おろす
       重い荷物をおろす
       楽になる
       馬具を解く
       日本語
       おろし・おろす
       問屋が小売店に商品を売る
ー↓↑ー
 发=發(ハツ)=発(繁体字)・髮 (繁体字)
   ドウして
  「發=発」が「发」に変貌するんだか・・・
   撥(は)ねる
   撥=扌+發
     扌+癶+弓+殳
     扌+癶+弓+几+又
     ハチ・バチ・ハツ
     おさ(める)
     かか(げる)
     のぞ(く)
     は(ねる)
     おさめる・正しくする・整える
     はねる・はねあげる
     かかげる・まくり上げる
     のぞく・とりのぞく・はらいのぞく
     ばち
     琵琶(ビワ)の弦をかき鳴らす道具
     癶=両足を開いた形
       癶=足の動作
         背く・舛・韋・踳・睽・迕
            乖・叛
         両足を左右に開く意
     ↓↑
    「發=発」に似ているのが
     同じ「癶」を有する「癸」・・・
     ↓↑     ・・・祭・察・詧・豋の冠
     癸=癶+天   𨢵=𫞴「月(肉)+又」
               祭=タ+丶+又
             粲=歺+又+米=白米
     ↓↑        卜+夕+又+米
     癸=癶+天
       癶+一+大
       キ・みずのと・はかる・水の弟・北方
       夏癸殷辛(カキインシン)=暴君
       桃花癸水(とうかきすい)=月経
        ↓↑
  ・・・「米減一揆」が勃発しないのはナゼなんだか?
 ↓↑
 发=丿+又+丶=發=発=癶+兀+ー=癶+二+儿
   ハ+友
   ハ+ナ+又 
   ハツ・ホツ
   あばく(暴く)
   かみ(髪)
   たつ(発つ)
   はなつ(放つ)
   ひらく(開く)
   矢を放つ・鉄砲を撃つ・発射
   あばく・明らかにする・あらわす・あらわれる
   たつ・出かける・出発する・進む
   ひらく・あける・開放
   のびる・のばす・伸びる・盛んになる・成長する
   つかわす(遣わす・派遣)
   おこる・おこす・発起
   やる・生じる・致す
   かみ・髪の毛・頭の毛
   ごくわずか・極僅少・わずかな量
   長さの単位・一寸の百分の一
ー↓↑ー
 爰=爫+一+友
   爫+一+又
   エン
   かえる・取りかえる。
   ここ・ここに・そこに・それで
   ここにおいて
   ゆるい・ゆるやか・ゆったりしたさま
 媛=女+爰=姫(ひめ)
 猨=犭+爰=猿(さる)
 援=扌+爰=たすける=援助・救援・援護
ー↓↑ー
 妲己(ダッキ・Dájǐ)
    ・・・女+旦+己(ム=私・邪=蛇)
          己・・・巳=它=宀+ヒ
    蛇+姫(姬・姬・㚦・👸・比米)=ダッキ
ー↓↑ー
 殷王朝末期(紀元前11世紀ごろ)
 帝辛(紂王)の妃
 帝辛に寵愛
ー↓↑
 末喜(マッキ・バッキ)
 などと共に悪女の代名詞的存在
 つづく・・・妲己・・・脱気かも・・・
ー↓↑ーー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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シーボルトの息子兄弟、娘・・・お孫さん・典存交臨?

2025-02-23 23:03:37 | 古事記字源
    ↓↑  ↓↑

        楠本高子=シーボルトの孫娘
        (結婚   再婚
         三瀬高子・山脇高子・たか
          三瀬諸淵氏の妻
         山脇泰助氏と(再婚))

        楠本 高子(くすもと たかこ)
        嘉永5年2月7日
       (1852年2月26日)
        ~
        昭和13年
       (1938年7月18日

       大運1929年2月(77歳) 甲午・偏官
                   三合丙
   壬┏┏子(壬 癸)偏財・正財 胎⇔戊寅・比肩
   壬l┏寅(戊丙甲)偏財・偏官長生⇔己未・劫財
  ┏戊┗┗午(丙 丁)  ・印綬帝旺⇔辛亥・傷官
  ┗癸  丑(癸辛己)正財・劫財 養⇔己丑・劫財
       子丑空亡
        ↓↑
        楠本周三
        (東京-慈恵-医院-医学専門学校卒
         医師)

        三瀬諸淵(みせ もろぶち)・・・
             見せ・診せ・店・魅せ・三勢
             肆=四=連なる店舗
        天保10年7月1日(1839年 8月9日)
        ~
        明治10年(1877年)10月19日
        幕末・明治期の医師
        楠本高子の夫
        (初名 周三
         幼名 弁次郎
         字  修夫
         伊予国
         大洲 出身・・・おおす
         ↓↑
      名古屋大須観音
         大須文庫=古事記
        ・・・かんおん・漢音・感音・感温
           巻 音(オン=恩・御
               怨・穏・冤・寃・慇=殷+心)
        「伊勢本系統」の
         南朝: 建徳2年
         北朝: 応安4年(1371年)
         ~
         南朝:文中元年
         北朝:応安5年(1372年)
        「真福寺」の僧
        「賢瑜」によって写された
        「真福寺本『古事記』三帖」
     ↓↑
ー↓↑ーー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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「チバ」の「カンジるカンジ」って・・・ボクの混乱

2025-02-22 21:54:28 | 古事記字源
 以下、あっちこっちに跳んで
 ランダムな書き込み・・・
 「↓↑」を順次、目で追っても
 ボク自身がコンフユーズ・・・
 マッ、勝手な自己納得、解釈の妄想推理の書き込みだから
 ご容赦アレッ・・・
  ↓↑

 「チバ」の「カンジるカンジ」って・・・
 「風の中のスバル(昂・昴・諏葉留)」?
  ↓↑
 「千葉(ちば)」・・・・「千字文」?
 「千葉(せんば)」・・・「千波・船場」
 「千葉(センヨウ)」・・「占用・専用・船用・選葉」
 ↓↑
 明治6年6月15日・・・陸ネン陸ガツ壱拾五ジツ
 ↓↑
 千葉町を含む房総半島北部を中心とする
 印旛県(いんばけん)・・・印葉
 房総半島の南部
 木更津県(きさらづけん)
  ・・・記紀
     更(讃良=持統天皇?)に
     氵=さんずい=纂隋(簒隨)の
     聿(はじめ・ふで・イチ・イツ)を
     懸ける?
 が対等合併し
 千葉県が新設
 ↓↑

 平安時代前期
 『和名類聚抄(ワミョウ ルイジュショウ:和名抄)』
 に
 千葉郡・千葉郷
 が記録
 ↓↑
 中世
 「千葉庄(ちばしょう)・千葉荘」
 という
 下総(しもふさ)の国・・・房総(ボウソウ)半島
 最大規模の荘園があった
 ↓↑
 千葉郷の由来
 「台地・崖地の端」説・・・台=だい=臺・がけ=崖
                ム+口   臥懸 
 「泊(とめる・止・留)」説
  氵・・・纂隋は 白(いわく・曰)・私賂・新羅?
  ・・・「地図的」地形説は無いが
  ・・・「鳥=雞=酉=禽」の頭か嘴(くちばし)
 千葉郡・千葉郷
  ↓↑

 『古代地名語源辞典』
 地形に由来しているのが有力だ。
 古い地名は地形由来
  ↓↑
 「ツバ=台地や崖地の端」説
 「トバ=泊(とまり=港)」説
 ・・・
 「鳥羽・鳥葉」
  ・・・地図の俯瞰(鳥瞰)的図形は
    「鳥の頭」
    「鳥の嘴(くちばし・喙・咮)」
  ・・・にも見えるが・・・
    「俯瞰=鳥瞰」可能なのは
     空を飛べない
     鷄=雞、駝鳥にはムリだが
    「凧・気球・飛行機」の空中からの観察と
    「図形(地図)」を観れば理解(わか)るカモ?
     ↓↑
    「伊能忠敬」は「千葉の人」だった
     上総国
     山辺郡
     小関村
    (千葉県
     山武郡
     九十九里町
     小関)
     の名主
    「小関五郎左衛門」
     の家で誕生
     幼名は「三治郎」・・・纂字朗・・・朗読
     ↓↑
     父親の
    「神保 貞恒」・・・「小関」家に入り婿
     は
    「武射郡小堤(おんづみ)村・・・音通見ム覶?
    (千葉県・・・選の言葉を懸ける?
     山武郡・・・纂分の訓の阜(丘)?
     横芝光町
     ↓↑
      ・・・横芝光町(よこ   しばひかりまち)
              よこしま 司馬光  麻知・調
     ↓↑   ↓↑       ↓↑
          司馬光
          北宋中期の政治家・学者
          字 君実
          諡 文正
          神宗時代
        『王安石の新法』
          に反対して政界を退き
        「資治通鑑」編集
          哲宗の即位で宰相
          新法を廃して旧法に復した
          死後
         「温国公(オンコクコウ)」
         に封ぜられ「司馬温公」とも称された
         文集に「司馬文正公集
     ↓↑
     小堤=おんづみ)・・・音通見?
     ・・・ショウテイ
       =尚   綴・・・
        尚歯会=蛮社の獄
           1839年(天保十年五月)・拾・足
        高野長英
        渡辺崋山
        小関三英・・・小関
        鳥居耀蔵
    ↓↑  ↓↑

        シーボルト事件
        1828年(文政十一年)
              重(廿・从)位置?
             一拾一=Ⅺ
                =Ⅹ(カイ)+I(アイ)?
             一足(左右の靴)のイチ(位置)
        高橋景保=伊能忠敬の師
   ・・・獄死・塩漬け・・・
    ↓↑   ↓↑
   「鬼室福信=首の塩漬け」
         は
         泗沘(しひ)城奪還、百濟再興の将軍
   『日本書紀』663年6月
   「義慈王」・・・擬似(字)應(応)?
   「義慈王(ギジオウ)」
    599年~660年
    百済の第三十ー代
    最後の王(在位 641年~660年)
    諱 義慈

   「豊璋=」・・・天武の放生?
   「豊璋=義慈王の五男」
    ↓↑
   皇極天皇元年(642年)1月・・・「百済大乱」
    ↓↑    645年=「大化の改新」
    ↓↑
   「百済大乱」
   「弟 王子・・・「兄 皇子」はダレ?
      兒翹岐(ギョウキ)」
     「義慈王の異母兄弟」・・・
       翹=堯+羽=翘=戈+兀+羽
         尭=尧=ギョウ・高い
         垚(ギョウ・キ)+兀(ゴツ・ゴチ)+羽
         土+土+土+一+儿(片膝を曲げてつく人)+羽
         十+一+十+一+十+一+一+儿+羽
         ギョウ
         あげる
         つまだてる
         鳥の尾の長い羽毛
         あげる・あがる・もちあげる
         つまだてる・つまさきで立つ
         すぐれているさま・ぬきんでている
         心にかける・かける
    ↓↑
  と、その家族および高官が
    「島」に放逐・・・島流し・・・遠島、国外放逐
    ↓↑
   「済州島=耽羅(タンラ・チンラ・トムラ・탐라)國
       「𨈭牟羅・耽牟羅(たむら)・屯羅(とんら)」
        とも表記
        朝鮮半島沖の済州(耽羅)島に
        古代から中世に
        存在した「王国」
      「耽羅(トラ)皇子」・・・網羅・網(あみ)?
       耽羅=とら(虎・寅・禽・図羅・罫線圖)
        ・・・・「島大臣=蘇我蝦夷」
      羅=罒+維
        罒+糸+隹
        罒+幺+小+隹
       =罗=罒+夕
        ラ
        あみ・鳥をとる網
        あみする
        網にかけて捕らえる・一網打尽
        残らずつかみとる
        つらねる・つらなる・並べる
        薄い絹・うすもの
       「蘿=ラ・つた(蔦)-かずら(蔓・鬘)」
       ↓↑
     「曼荼羅=まんだら」
       仏画面に諸仏を描いた図形や
       象徴的に表した記号を特定の形式で配置し
       悟りの世界や仏の教えを示した図絵
       四種曼荼羅・金剛界曼荼羅・胎蔵界曼荼羅
    ↓↑
   「百済大乱」後
    4月に
   (島流しされた)
   「翹岐」らが
    大使として倭国に来朝・・・?
   「翹岐」
    は
   「蘇我蝦夷」
    に自宅で歓待された・・・
   「翹岐」=「豊璋」は同一人物?
     ・・・「豊璋」=「蘇我蝦夷=島大臣」・・・
    ???
    ↓↑   ↓↑
        「豊璋」
         は
        「鬼室福信」
         の謀反を疑って捕らえ
         達率(二品官)の
        「徳執得」・・・解く習得?
         が
        「福信は悪逆人」だとし
        「豊璋=豐璋=豐+王+立+日+十」
            豐國=豊前(ぶぜん=憮然)
               +
               豊後(ぶんご=文語・文悟)
           ・・・「天武天皇」・・・?
              「古人大兄皇子
               ?~大化元年9月12日
                 (645年10月7日)?
                娘は
                倭姫王(天智天皇の皇后)」
               別称
               古人皇子・古人大市皇子
               吉野太子・・・大海人皇子?
               とも呼称
              「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」
              「壬申の乱
               天武天皇元年6月24日~7月23日
             (ユリウス暦672年7月24日~8月21日)」
        「豊璋=豐璋」  
         は
        「鬼室福信」を斬らせ
         その「首を塩漬け」にした・・・福神漬?
       ・・・ナゼ、「謀反」・・・?
        「武烈王(603年~661年)=新羅 第29代王
          (在位654年~661年死亡)
           姓 金  ↓↑
           諱 春秋 ↓↑
    ↓↑   ↓↑     ↓↑
        「白村江の海戦(663年)」前に死亡
    ↓↑   ↓↑
        「鬼室福信」
         の親族
        「鬼室集斯」
         は天智4年2月(665年)
         天智10年正月
        「鬼室福信」の功績によって
        「天智天皇」から
         小錦下の位階を与えられ
         百済の民男女四百余名と
         近江国神前郡に住居を与えられた
         天智8年(669年)
         男女七百余名とともに
         近江国蒲生郡に移住させられた・・・
        「豊璋=豐璋」は行方不明・・・
         豊国=宇佐・・・に、居たカモ?
         宇佐神宮=八幡神宮・・・
         宇佐八幡宮神託事件
         神護景雲3年(769年)
         宇佐八幡宮
         称徳天皇(孝謙天皇の重祚)の
         765年
         太政大臣禅師「道鏡」の皇位譲渡問題
    ↓↑  ↓↑
        楠本高子=シーボルトの孫娘
        (結婚   再婚
         三瀬高子・山脇高子・たか)

        楠本周三
        (東京-慈恵-医院-医学専門学校卒
         ・医師)

        三瀬諸淵=楠本高子の夫
        (初名 周三
         幼名 弁次郎
         字  修夫
         伊予国
         大洲 出身
         ↓↑
      名古屋大須観音
         大須文庫=古事記
        ・・・かんおん・漢音・感音・感温
           巻 音(オン=恩・御
               怨・穏・冤・寃・慇=殷+心)
        「伊勢本系統」の
         南朝: 建徳2年
         北朝: 応安4年(1371年)
         ~
         南朝:文中元年
         北朝:応安5年(1372年)
        「真福寺」の僧
        「賢瑜」によって写された
        「真福寺本『古事記』三帖」
     ↓↑
    「伊能忠敬」は
    「千葉の人」だった
     父は
     酒造家・・・酒(さけ)造(つくり)
     の次男で
     小関家に入り婿
     三治郎(伊能忠敬)の他に男1人、女1人の子
     三治郎(伊能忠敬)は末子
     六才の時
     母死亡し
     小関家は
     叔父が継ぎ
     婿養子の
     父・「神保貞恒」は
     兄と姉を連れて
     実家の小堤村の神保家に
     戻ったが・・・・戻(戸+犬)⇔房(戸+方)
     三治郎(伊能忠敬)は
     小関家
     祖父母の下に残った

     伊能 忠敬(いのう ただたか)
     延享2年1月11日・・・二ねん一がつ・いち拾イチ
     1745 年2月11日・・・似撚・爾画通・位置 異字?
      ~
     文化15年4月13日
     1818 年5月17日・・・壱千八百壱拾八

       大運1817年6月(72歳)庚午・印綬
                 三合丙
  乙┏丑(癸辛己)食神・比肩冠帯⇔戊寅・正官
 ┏戊 寅(戊丙甲)正官・正財沐浴⇔丁巳・偏財・害
 ┗癸┗未(丁乙己)  ・偏財・墓⇔庚辰・印綬
 癸┗丑(癸辛己)比肩・比肩冠帯⇔丁丑・偏財
   申酉空亡
   ↓↑
  「財官双美格」
   or 
  「干合化気火格」?
↓↑
     伊能 忠敬(いのう ただたか)
     江戸時代の
     商人・天文学者・地理学者・測量家
     通称 三郎右衛門(さぶろえもん)
        勘解由(かげゆ)・・・新井白石=勘解由
        ↓↑
        勘解由使(かげゆし)
        日本律令制下の令外官の一
        平安時代初期
        地方行政を監査するために設置
        和名
       「とくるよしかんがふるのつかさ」
        唐名
       「勾勘」
        勘解由使の官庁=勘解由使庁
        太政官の北西、中務省の南に位置
        後、監査の対象は
        内官(京都の各官職)へと拡大
        ↓↑
     字  子斉
     号  東河
     ↓↑
     寛政12年(1800年)56歳
     ~
     文化13年(1816年)73歳
     まで
     17年をかけて
     日本全国を測量
     後は弟子たちが遺志を受け継いで
    『大日本沿海輿地全図』完成
     享和元年(1801年)
     伊能忠敬(三治郎)56歳の際
    「房総半島」測量の途次
     内陸の
     小堤村を訪問
     1883年(明治16年)
     贈正四位
 ↓↑
 奈良時代の
 木簡(モッカン)に
 「上総=上捄」
 「捄=扌+求=盛る
    キュウ・ク
    細長いさま
    集める
    すくう・たすける=救助・救援
    土を集めて盛る
    土をすくって入れる
    通仮字 球
    異体字 救 莍
    簡体字 救」
  麻の実=麻と総を間接的に結合でき
      地域は「捄」と称され
      令制国成立後
      同じ和訓を持つ
     「総」に書き改められた・・・
 「房をなして稔る果実」・・・「乳房」?

 平安時代初期の
 『古語拾遺(コゴシュウイ)』
 麻(マ・あさ)を植えたところよく育った
 「麻の別名=総」
 「ふさ」の国と名付けた
  ・・・「麻=あさ=あざ=字」?
 『万葉集』
 下総国千葉郡の
 「大田部足人(おおたべのたりひと)」
 が
 天平勝宝七年(755年)
 詠んだ歌の冒頭に
 「知波乃奴乃(千葉の野の)」
 と記録・・・
 「多くの葉が生い茂ったこと
  千葉=ふさ(房・総・惣・夫差)」と同義・・・
ー↓↑ーー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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カンジのようにヨメルとイイなぁ~楔形文字・・・ムリ

2025-02-19 19:21:13 | 古事記字源
 ・・・今日は朝からガレージの屋根の雪を降ろした・・・天気は晴天・・・
 屋根に積もた雪は1メートル強だが
 お天気さまが雪を溶かしてメタメタにオモイ・・・
 フラフラで汗びっしょり・・・「エデンの風呂」が恋しい・・・
 「エデンの東」はアダムとイヴが追放された場所だが・・・
    「極東は倭=日本?」で「玉名=投馬?」の
 「ヘビ(蛇・它・蝮・🐍)の邪の國?」なんだろう・・・
 「邪の道は蛇」って・・・
 「ム(よこしま=横島)の道は
  拜(ヘ=経・屁・拝・輩・屁・妃・𣏟・配)卑(日・亹・碑)」
 「邪馬台国」への「蛇行の道」だろう・・・
 「玉名の横島」は「球磨本=熊本=隈本(大隈・佐賀)=肥後」?
         佐賀の「大隈 重信」
         と
熊本の「横井 小楠(ショウナン)」
         or  「井上 毅(こわし)」
         本命 「北原 白秋(ハクシュウ)」?
            〔生没年:1885〜1942年〕
            熊本県玉名郡関外目村(玉名郡南関町

 ニホンゴもカンブンも英語も米語もヨミとれナイ、キキとれナイのに
 ・・・ムリってか・・・?
 それでもオモシロシ、ムラムラと興味が・・・
 「シャボン=厳選して飼育された去勢の雄鶏」・・・?
 「シャボン玉(あわ=泡⇔阿波・安房・沫)飛んだ」
 「空まで飛んだ」

 あわ=粟=覀+米
      西+米
      襾+米
      ー+⨆+冂+ー+氺
      一+儿+口+米(ー+氺)

 「シャボン玉(しゃぼんだま)」 童謡

 1922年(大正11年)・・・対象は壹拾臺(台)の訳詞
 仏教児童雑誌『金の塔』に発表
 野口 雨情 作詞
 野口 英吉
 1882年5月29日~1945年1月27日(62歳没)
 茨城県多賀郡磯原町(北茨城市)出身
 早稲田中退
 北原白秋、西條八十とともに
 童謡界の三大詩人

 中山 晋平 作曲
 ↓↑
 1923年(大正12年)
 中山 晋平の譜面集「童謡小曲」に発表
 1936年(昭和11年)
 野口雨情によって
 「シャボン玉」の3・4番の詩が追加
 ↓↑

 「シャボン玉=七色の泡沫の玉」・・・
  泡(氵+勹+己)=沫(氵+末)
         ⇔粟(䅇)=阿波(あは)=安房・安和
               あぱ・あば?・阿麻・海部・海女
                  あま=贏・余・甘・尼
         ⇔阿毎(あま-い)王朝⇔安陪・阿倍・阿部・安倍
                     阿武(あぶ・虻)=則天武后
               煬(あぶ-る)=煬帝隋王朝
           毎=𠂉+母(毋・毌=貫)=每
             マイ・よこしま
           毎=マイ・バイ・みごと・つね・むさぼる
             つねに・ごと・ごとに・いつも
             そのたびごとに
             ムサボル(貪る)・求める・欲求
             よこしま(奸・姦・犯・己・邪)
             いえども(雖=虽+隹)・・・虽=𧈧
                          强 =強=彊
 「シャボン」の語源は
 「石鹸(セッケン)」を意味
 16世紀スペイン語
 xabón(シャボン)に由来
 現代スペイン語
 石鹸=jabón(ハボン)
 1677年(延宝五年)
 「小児の弄物也
  サボン粉を水に浸し
  細管を以て吹レ之時に丸泡を生ず」
 「シャボン玉屋」が出現
 「シャボン玉」=空気中で作られる泡(あわ・あは)
 石鹸の替わりに
 ムクロジ(無患子)、芋殻、タバコの茎などを焼いて
 粉末状に加工したものを水に浸して用いていた
 当時は「サボン玉」
 ↓↑

 シャボン玉飛ンダ
 屋根マデ飛ンダ
 屋根マデ飛ンデ
 コハレテ消エタ

 シャボン玉消エタ
 飛バズニ消エタ
 生マレテスグニ
 コハレテ消エタ

 風々吹クナ
 シャボン玉飛バソ

 シャボン玉飛ンダ
 屋根ヨリ高ク
 フーハリフハリ
 ツヅイテ飛ンダ

 シャボン玉イイナ
 オ空ニ上ル
 上ッテ行ッテ
 帰ッテ来ナイ

 フーハリフハリ
 シャボン玉飛ンダ
 ↓↑
ー↓↑ー参考・参照文字ーー
「𠮛=𠫔=ー+ム」・・・口=ム
𠮛=旨=「匕・匕・七」+日
      匙・匕首=小刀(ノ+𠃌)
      刀=⺈=刂
              (⺈=彑=彐)
「ⴹ+ⴺ=⺽(キョク)」
   =𠀉+彐
 ↓↑
 亹=亠+舋
   亠+𦥑+同+冝
   亠+𦥑+冂+一+口+冖+且
   亠+𠀉+冂+𠮛+彐+冖+且
   ビ
   ボン
   モン
   努力するさま・つとめるさま
   川の両岸がつき出て
   門のような形をしているところ

「亹」と類字の漢字
 舋=𦥑+同+冝=釁     
   𦥑+冂+一+口+冖+且
   𠀉+𠮛+彐+冖+且
 釁=𦥑+同+冖+酉+分     
   𦥑+冂+一+口+冖+酉+八+刀
   𠀉+𠮛+彐+冖+酉+八+刀
   キン
   きざ(兆)し
   きず(瑕)
   すきま(隙間)
   ちぬる(血塗る)
   ぬ(塗)る
   きざし・前兆
   きず・ひび・欠点
   きま・ひま・割れ目・継ぎ目
   ちぬる(血塗る)
   いけにえ(生贄)の血をぬって神を祭る
   ぬる・体にものを塗りつける
   あやまち・過失・とが(咎・科)
   愆釁(ケンキン)=失敗・欠点・過失・悪行
   三釁三浴(サンキンサンヨク)=丁寧に対応する

   斖=文+舋(興+且)
     立+興+且
     亠+乂+ー+𦥑+同+冝
     立+𠀉+冂+𠮛+彐+冖+且
     立+亠+丿+𦥑+冂+一+口+冖+且
     亠+䒑(丷+一)+𠀉+𠮛+彐+冖+且
     ビ
     一心に励む・無理に努める
ー↓↑ー参考・参照文字ーー
 ↓↑
 ウルク文化期(紀元前3200年)・・・有留句文化記・紀?
 シュメール人・・・諏目重留訊?
 によって
 絵文字としての
 性格が強いウルク古拙文字発明
 次第に単純化・抽象化され
 青銅器時代初頭(紀元前2500年)
 約1,000文字の・・・「千字文」?
 シュメール文字になり
 青銅器時代末期(紀元前2000年)
 約400文字(ヒッタイト語 楔形文字)
      ・・・比通(筆)他意譯?
 から
 約200文字(アッカド語 楔形文字)
      ・・・「丫譯化土」?
 になった
 シュメール文字
 シュメール語
 アッカド語(アッカド語楔形文字)
 エラム語(エラム語楔形文字)
      ・・・「絵等務」?
 ヒッタイト語(ヒッタイト語楔形文字)
 楔形文字ルウィ語
     ・・・「留有為」?
 に借用
 古代ペルシア語(古代ペルシア楔形文字)
           ・・・「経留詞蛙」?
          「波斯」
 や
 ウガリット語(ウガリット文字)
        ・・・「有臥理通譯(訳)」?
 などに独自の文字の発達を促した
 ↓↑
 初期の象形文字
 粘土板の上に
 縦の枠を設け
 ペン(アシで作り先を尖らせた尖筆)で書かれた
 「🖊 👣・🐾・足(拾・十・Ⅹ)
  筆      たり・・・ジュウ=廿=20
 文字は横書きになり
 先を楔形(セッケイ・Ⅴ・∧)
   にした尖筆(センピツ)を
 粘土板に押し当てて
 記録(書・書記)くようになった
 ↓↑
 楔形文字の
 粘土板は
 長期記録用に
 窯で焼き
 残す必要がないモノは再利用
 粘土板のあった建物が戦乱で焼かれ
 結果的に固く焼成されて保存された
 ↓↑
 楔形文字
 シュメール人によって
 シュメール語記録のために発明
 メソポタミア全域で
 3000年にわたって使用
 次第に近隣の他民族に借用され
 アッカド
 バビロニア
 エラム
 ヒッタイト
 アッシリア
 で民族固有の言語を書くのに使用
 ↓↑
 シュメール楔形文字の後世の借用
 シュメール文字のいくつかの特徴を保存
 アッカド語文献は
 シュメール語の
 音節を表す音節文字
 と
 一語
 にまるごと対応する表語文字を含む
 楔形文字の多くの文字が
 音節と意味の両価を示している
 (en:polyvalent)
 楔形文字が
 ヒッタイト語に借用されたとき
 アッカド語の表語文字的な書き方が加えられ
 結果多くの
 ヒッタイト語の単語が
 表語文字的に書かれ
 その音価を今日推定することはできない
 ↓↑
 音節文字(オンセツモジ・syllabary)
 表音文字のうち
 ひとつひとつの文字が
 音節 を表す文字体系
 表音節文字=仮名文字
 と
 表語文字(音と意味の両方を表す文字・logogram
      logos(言葉・論理)
      と
      gram(書かれたもの)
      を組み合わもの)
 の複合した筆記は
 日本語の筆記システムの複雑さと比べると
 日本語が漢字で書かれる場合は
 ある文字は表音的で
 ある文字は表意的に用いられ
 文脈によって
 音価(音の長さ
    文字の一つ一つに
    対応する具体的な音声)
 がまちまちに取られる
 漢字から発展した
 表音文字の仮名も用いられ
 楔形文字のヒッタイト語も
 同じような表記体系を持っていた
 ↓↑
 シュメール・アッカド文字
 と
 系統の異なるいくつかの表記体系が存在する
 古代ペルシア楔形文字は
 音素文字(アルファベット)で
 各文字の画数は
 アッシリア文字よりはるかに少ない
 「神」や「王」といった語は
 表意化されている
 ウガリット文字は
 楔形文字的方法で書かれ
 標準的な
 セム語形式の文字(アブジャド)であった
 ↓↑
 最後に記録された例は
 紀元後75年
 天文学上の記録
 ↓↑
 1802年
 G.F.グローテフェント
 ペルセポリスの碑文の写本を利用し
 古代ペルシア語の解読に努力
 ↓↑
 アッカド語楔形文字
 の解読
 1621年
 に発見された
 アケメネス朝ペルシャの
 ベヒストゥン碑文(磨崖碑文)が
 ヘンリー・ローリンソン
 によって
 1835年に再発見され、利用された
 ペルシアの
 ベヒストゥンの崖で
 ベヒストゥン碑文を発見し
 そのいくつかを写し取った
 碑文は
 ダレイオス1世の治世下(紀元前522~486年)
 に刻まれ
 ペルシア帝国の
 三つの公用語
 古代ペルシア語(古代ペルシア楔形文字)
 アッカド語(アッカド語楔形文字)
 エラム語(エラム楔形文字)
 で書かれた同一のテキストであった
 ベヒストゥン碑文が
 アッカド語楔形文字解読に果たした役割は
 ロゼッタ・ストーンが
 ヒエログリフ解読に果たした役割に相当
 ↓↑
 ポール・エミール・ボッタが
 1842年
 都市ニネヴェを発見し
 オースティン・ヘンリー・レヤード
 によって発掘された
 アッカド語楔形文字に
 覆われた焼かれた粘土板数万点
 アッシュールバニパル王家の文書庫
 アッシュールバニパルの
 図書館の遺跡があった
 1851年
 ローリンソン
 と
 ヒンクス
 は200のアッカド語を解読
 ↓↑
 楔形文字は
 Unicode 5.0に含まれ
 以下の領域に
 次の文字(982文字)が収録・・・
 ↓↑
𒀀 𒀁 𒀂 𒀃 𒀄 𒀅 𒀆 𒀇 𒀈 𒀉
𒀊 𒀋 𒀌 𒀍 𒀎 𒀏 𒀐 𒀑 𒀒
𒀓 𒀔 𒀕
𒀖 𒀗 𒀘 𒀙 𒀚 𒀛
𒀜 𒀝 𒀞 𒀟
𒀠 𒀡 𒀢 𒀣 𒀤 𒀥 𒀦 𒀧 𒀨
𒀩
𒀪
𒀫 𒀬
𒀭 𒀮 𒀯
𒀰 𒀱
𒀲 𒀳
𒀴 𒀵 𒀶
𒀷
𒀸 𒀹 𒀺
𒀻
𒀼
𒀽 𒀾
𒀿
𒁀
𒁁
𒁂
𒁃
𒁄 𒁅
𒁆
𒁇
𒁈
𒁉 𒁊 𒁋 𒁌
𒁍
𒁎 𒁏
𒁐 𒁑 𒁒
𒁓
𒁔 𒁕
𒁖 𒁗 𒁘 𒁙 𒁚 𒁛 𒁜 𒁝 𒁞 𒁟
𒁠 𒁡 𒁢 𒁣 𒁤 𒁥 𒁦 𒁧 𒁨 𒁩
𒁪 𒁫 𒁬 𒁭 𒁮
𒁯
𒁰
𒁱
𒁲
𒁳
𒁴 𒁵
𒁶 𒁷 𒁸
𒁹 𒁺 𒁻 𒁼 𒁽
𒁾 𒁿
𒂀 𒂁
𒂂
𒂃
𒂄
𒂅 𒂆 𒂇 𒂈
𒂉 𒂊 𒂋
𒂌
𒂍 𒂎 𒂏
𒂐 𒂑 𒂒 𒂓
𒂔 𒂕 𒂖
𒂗 𒂘 𒂙 𒂚
𒂛 𒂜
𒂝 𒂞
𒂟
𒂠
𒂡 𒂢 𒂣 𒂤 𒂥 𒂦 𒂧 𒂨 𒂩 𒂪 𒂫 𒂬 𒂭 𒂮 𒂯
𒂰 𒂱 𒂲 𒂳 𒂴
𒂵 𒂶
𒂷 𒂸 𒂹 𒂺 𒂻 𒂼 𒂽 𒂾 𒂿𒃀 𒃁 𒃂 𒃃 𒃄 𒃅 𒃆
𒃇 𒃈 𒃉 𒃊 𒃋 𒃌 𒃍 𒃎 𒃏𒃐 𒃑 𒃒 𒃓 𒃔 𒃕 𒃖
𒃗 𒃘 𒃙 𒃚 𒃛 𒃜 𒃝 𒃞 𒃟𒃠 𒃡 𒃢 𒃣 𒃤 𒃥
𒃦 𒃧 𒃨 𒃩 𒃪 𒃫 𒃬 𒃭
𒃮 𒃯
𒃰 𒃱
𒃲 𒃳
𒃴
𒃵
𒃶
𒃷 𒃸 𒃹
𒃺
𒃻
𒃼 𒃽 𒃾 𒃿
𒄀 𒄁 𒄂 𒄃 𒄄 𒄅 𒄆 𒄇
𒄈 𒄉 𒄊 𒄋 𒄌 𒄍 𒄎 𒄏𒄐
𒄑
𒄒
𒄓 𒄔
𒄕
𒄖 𒄗
𒄘 𒄙 𒄚 𒄛 𒄜 𒄝
𒄞 𒄟 𒄠 𒄡
𒄢
𒄣 𒄤
𒄥
𒄦
𒄧 𒄨 𒄩 𒄪 𒄫
𒄬
𒄭 𒄮 𒄯 𒄰 𒄱 𒄲 𒄳 𒄴 𒄵 𒄶
𒄷 𒄸 𒄹 𒄺 𒄻 𒄼 𒄽
𒄾 𒄿 𒅀 𒅁
𒅂 𒅃
𒅄
𒅅
𒅆 𒅇 𒅈 𒅉
𒅊
𒅋 𒅌
𒅍
𒅎 𒅏𒅐 𒅑 𒅒
𒅓 𒅔 𒅕 𒅖 𒅗 𒅘 𒅙 𒅚 𒅛 𒅜 𒅝 𒅞 𒅟
𒅠 𒅡 𒅢 𒅣 𒅤 𒅥 𒅦 𒅧 𒅨 𒅩 𒅪 𒅫
𒅬 𒅭 𒅮 𒅯 𒅰 𒅱 𒅲 𒅳 𒅴 𒅵 𒅶 𒅷
𒅸 𒅹 𒅺 𒅻 𒅼 𒅽 𒅾 𒅿 𒆀 𒆁 𒆂 𒆃
𒆄 𒆅 𒆆 𒆇 𒆈 𒆉 𒆊 𒆋 𒆌
𒆍
𒆎
𒆏
𒆐 𒆑
𒆒 𒆓 𒆔 𒆕 𒆖
𒆗 𒆘
𒆙
𒆚 𒆛
𒆜 𒆝 𒆞
𒆟
𒆠 𒆡 𒆢 𒆣
𒆤 𒆥 𒆦
𒆧
𒆨 𒆩
𒆪 𒆫
𒆬
𒆭 𒆮
𒆯
𒆰 𒆱 𒆲 𒆳 𒆴
𒆵 𒆶 𒆷
𒆸 𒆹 𒆺 𒆻 𒆼 𒆽 𒆾 𒆿 𒇀 𒇁 𒇂 𒇃 𒇄 𒇅 𒇆 𒇇
𒇈 𒇉 𒇊 𒇋 𒇌 𒇍 𒇎 𒇏 𒇐 𒇑 𒇒 𒇓 𒇔 𒇕 𒇖 𒇗
𒇘 𒇙 𒇚 𒇛 𒇜 𒇝 𒇞 𒇟 𒇠 𒇡 𒇢 𒇣 𒇤 𒇥 𒇦 𒇧
𒇨 𒇩 𒇪
𒇫
𒇬 𒇭 𒇮 𒇯
𒇰 𒇱
𒇲 𒇳 𒇴 𒇵 𒇶 𒇷 𒇸 𒇹 𒇺 𒇻 𒇼 𒇽 𒇾 𒇿
𒈀 𒈁 𒈂 𒈃 𒈄 𒈅 𒈆 𒈇 𒈈 𒈉 𒈊
𒈋 𒈌 𒈍 𒈎 𒈏 𒈐 𒈑 𒈒 𒈓
𒈔
𒈕 𒈖 𒈗 𒈘 𒈙 𒈚 𒈛
𒈜
𒈝 𒈞 𒈟
𒈠 𒈡 𒈢 𒈣 𒈤 𒈥 𒈦 𒈧 𒈨 𒈩 𒈪
𒈫 𒈬 𒈭 𒈮 𒈯
𒈰
𒈱
𒈲 𒈳 𒈴 𒈵 𒈶 𒈷 𒈸
𒈹 𒈺 𒈻 𒈼 𒈽
𒈾 𒈿 𒉀 𒉁 𒉂 𒉃 𒉄 𒉅 𒉆 𒉇 𒉈 𒉉 𒉊 𒉋 𒉌 𒉍 𒉎
𒉏 𒉐 𒉑
𒉒 𒉓 𒉔 𒉕 𒉖 𒉗 𒉘 𒉙 𒉚 𒉛 𒉜 𒉝 𒉞 𒉟
𒉠
𒉡 𒉢
𒉣 𒉤 𒉥 𒉦 𒉧 𒉨 𒉩 𒉪
𒉫 𒉬 𒉭 𒉮 𒉯𒉰 𒉱 𒉲 𒉳 𒉴 𒉵 𒉶 𒉷 𒉸 𒉹
𒉺
𒉻
𒉼
𒉽
𒉾
𒉿 𒊀 𒊁 𒊂 𒊃 𒊄 𒊅 𒊆 𒊇 𒊈
𒊉 𒊊 𒊋 𒊌 𒊍 𒊎 𒊏
𒊐 𒊑
𒊒 𒊓 𒊔 𒊕 𒊖 𒊗 𒊘 𒊙 𒊚 𒊛 𒊜 𒊝 𒊞 𒊟
𒊠 𒊡 𒊢 𒊣 𒊤 𒊥 𒊦 𒊧 𒊨
𒊩
𒊪 𒊫 𒊬
𒊭
𒊮 𒊯 𒊰 𒊱 𒊲 𒊳 𒊴 𒊵 𒊶
𒊷 𒊸
𒊹
𒊺 𒊻 𒊼 𒊽
𒊾 𒊿
𒋀
𒋁
𒋂 𒋃 𒋄 𒋅 𒋆 𒋇 𒋈 𒋉 𒋊 𒋋 𒋌 𒋍
𒋎 𒋏 𒋐 𒋑 𒋒
𒋓 𒋔 𒋕 𒋖 𒋗 𒋘 𒋙 𒋚 𒋛 𒋜 𒋝
𒋞 𒋟
𒋠 𒋡 𒋢 𒋣 𒋤 𒋥 𒋦 𒋧 𒋨 𒋩 𒋪 𒋫 𒋬 𒋭 𒋮 𒋯
𒋰 𒋱
𒋲
𒋳 𒋴 𒋵 𒋶 𒋷 𒋸 𒋹
𒋺
𒋻
𒋼 𒋽
𒋾 𒋿
𒌀 𒌁 𒌂 𒌃 𒌄 𒌅
𒌆 𒌇
𒌈 𒌉 𒌊
𒌋 𒌌 𒌍 𒌎 𒌏
𒌐
𒌑
𒌒 𒌓 𒌔 𒌕 𒌖 𒌗 𒌘 𒌙 𒌚 𒌛
𒌜 𒌝 𒌞 𒌟 𒌠 𒌡
𒌢 𒌣 𒌤 𒌥
𒌦 𒌧
𒌨 𒌩 𒌪
𒌫 𒌬 𒌭 𒌮 𒌯 𒌰 𒌱 𒌲 𒌳
𒌴 𒌵
𒌶
𒌷 𒌸 𒌹 𒌺 𒌻 𒌼 𒌽 𒌾 𒌿 𒍀 𒍁 𒍂 𒍃 𒍄 𒍅 𒍆
𒍇 𒍈 𒍉 𒍊 𒍋 𒍌 𒍍 𒍎 𒍏 𒍐
𒍑 𒍒 𒍓 𒍔 𒍕 𒍖
𒍗 𒍘 𒍙
𒍚 𒍛
𒍜
𒍝 𒍞
𒍟
𒍠
𒍡
𒍢
𒍣 𒍤 𒍥
𒍦 𒍧
𒍨 𒍩 𒍪 𒍫 𒍬
𒍭
𒍮
 ↓↑
 ・・・字形が「漢字(楷書)」に似ているモノもある・・・
 ボク的には
 「丸み・曲線・蛇行」の字形よりも
 「縦横斜めの直線交叉・角ばった」
 字形が見やすく
 記憶に残る・・・
 意味ではなく
 構成される「視覚的な形」・・・
 楷書漢字の字形の原則的な基本は
 「l・ー」の重なりである
 ↓↑
 画=一+由+凵
   一+田+凵
   ガ
   カク
   え
   えがく
   かぎる
   かく
   はかる
   かぎる・くぎる
   さかい・さかいをつける
   はかる・はかりごと・考えをめぐらす
   漢字を構成する点や線を数えるコトバ
   絵(え)
   えがく(描く)・絵をかく(画く)
   名詞
   漢字を構成している線や点
   字の線のみをいうこともある
   接尾語
   助数詞
   漢字を構成している線
   点を数えるのに用いる=画数
   畫=聿+田+一
     肀+二+田+一
   畵=聿+田+凵
     肀+二+田+凵
     肀+一+田+凵
   ↓↑
   漢字=Chinese characters
   部首=radical
   画数=number of strokes
 ↓↑
 㓰=画+刂=画
   カク・くぎる・わかつ
   かぎる・さかいをつける=画
   はかる・はかりごと・考えをめぐらす=画
   漢字を構成する点や線を数えることば=画
   切り開く・切り裂く
 婳=女+画
   カク・ギャク
   しとやか・物静か・・・撫子(なでしこ)?
   みめよい・美しい
ーーーーー
 ・・・???・・・
 乑≠豕・豚・🐷
    ・・・ぶた=蓋・兩・雙・貳・双・二
 乑 𠍸 𠏭 𠹩 𡒍 𡘎 𣀒 潨 𤲄 𥣙
 聚 藂 𧑄 𧑸 𧕠 衆 鄹 𨞮 𨴖 𩂢
 驟 骤
ー↓↑ーー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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