・・・12月24日土曜日(丙申・庚 子・庚辰)?・・・「Christmas(Xmas)-Eve」ですか・・・「餃子(ギョウザ)」も「子」の熟語で、「青い芥子(ケシ・カイシ)=Blue Poppy・Meconopsis=メコノプシス(Meconopsis)=緑絨蒿」も「子」の熟語だった・・・なんか、「メデタイこと」があるのかな?・・・朝からガンガンのお天気で、雪投げ、屋根の雪降ろし、昼に洗濯、夕方に二階のドラム缶へ灯油入れ・・・日没・・・寒くなってきたネッ、モモちゃん・・・昨夜は「モーガン・フリーマンの時空を超えて」を、また観たが、「時間」、色々、様々な説があるらしいが、研究者の「時間がアル(実在する)」には哂っちゃうけれど、タイトルが「時空を超えて」なのに、「越える物」が存在しなくちゃ無理だろう・・・辿り着く所は「脳ミソの領域の機能所産(観念概念)」だろう・・・「時間」は個々人の「脳ミソの認識思惟機能変化の固定観念(概念)として実在」するのさ。「科学最大の謎が時間」だとはねッ・・・「未確認生物」は「確認された生物」だろう。人間の五感だけではなく、映像機器、録音機器に納まっているが、「確認」されているのだから、偽造、偽物でない限り、詳細なところが「ワカラナイ」と云う「生物」だろう・・・
「時間の定義」とは「物のプロセスの変化」でしかない。「変化にも始点の基準」が必要だ。「1日を数字で刻むもの」は「時計の長短二針とそれが移動し、示す目盛の数字」である。「時間も空間」も元々は天体観察、自然観察の対象が認識され、その思考概念とされた結果である。「空間」とは「モノとモノの間のコト」である・・・
「光」は「モノ=物質」である。「光子」と呼んだり、漢字で「記録」している字面とおりの
「光=⺌(ショウ・小がしら・亅+八)+兀(出っ張り・突き出るところ)」、
「光=⺌(火)+兀」 or「⺌(火)一+儿=ヒト・人の足)」の「子(一+了)=始終・終始」
「⺌」が「川→巛」ならば波打つ川の流れである・・・
の「絶え間なく変化している物質」である。
「兀兀(コツコツ=兀々)=すこしづつ・絶え間なく」
は
「切れ目のない連続、進行」
である。「光の子」は「光の粒の連続性」である。
たしか、キリスト(基督・移鼠=移子)も「光の子」だったカナ、「景教(キリスト教分派ネストリウス派)」・・・
「速度の変化」とは「定点(始点)を基準」にした「物質の移動、変化のプロセス」そのものである。
「時間認識の違い」は「個々人の主観的な脳ミソ機能の認識差異の感覚」である・・・
そんなことで「ベットの中で眠れない」ならば、ゴロゴロしていてもイイから別なコトで時間を過ごせばイイかも・・・それも「必要なヒト」がいるのは「当然」であるけれど?、ボクもかってはソウだったから・・・でも、光彩、採光、三原色発光の液晶(LED)モニタ・ディスプレイで観れるTV番組の「時間」は面白かったけれどね。チョと昔は「光電管、ブラウン管のTV」だったのに、「文明文化」は加速度を増している・・・アレッ、ハナ水とクシャミ・・・風邪をヒイタカナ、従姉が送ってくれた「早めのパブロン」を飲まなくちゃぁ・・・
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・・・「景教(キリスト教分派ネストリウス派)=ミシア(Missiah )教=彌尸訶・彌施訶・彌失訶」は「マリア」を
「クリストトコス
Χριστοτόκος
キリスト=Χριστος
を生む者= τοκος)」
とし・・・唐代、635年、貞観九年の中国にペルシャ人の「阿羅本(アラボン=オロボン=アロペン=Alopen)」等によって伝教され、教会は「波斯寺(波斯経寺)→大秦寺(ダイシンジ)」と呼ばれた。現存する「大秦塔」は「七重の塔」・・・745年に「佶和(ゲワルギス)がローマ(大秦)帝国から訪れ、「大秦寺」となり、建中二年(781年)に石碑が「大秦景教流行中国碑(1623年か、1625年に発見)」として建立され、布教された。
後、武宗により、会昌五年(845年)に弾圧された・・・きっと、「隠れ切支丹」になった者もいたのに違いない。
日本での本格的な弾圧は
「江戸幕府のキリシタン禁制、慶長十七年(1612年)、 幕府直轄領での禁制、慶長十八年(1613年)」で、
↓↑
1612年
岡本大八事件
キリスト教の禁止通達
旗本の
原主水などが改易
1613年
幕府直轄領での禁制
1619年
京都で52名が殉教
1622年
長崎で55名が殉教
1623年・・・・大秦景教流行中国碑の発見(1623、or 1625年)
崇伝が
「排吉支丹文」で禁止を明文化
江戸で55名が殉教
1637年
島原の乱後
松前藩(蝦夷地)は
キリスト教徒に甘かったが
禁止、弾圧
↓↑
「中国の元王朝のネストリウス派キリスト教」は
「也里果温教=ヤリカオン教」と記録されているらしい・・・「耶理化恩(隠・怨・音)」?・・・
↓↑
で、
「聖母マリア
(テオトコス・Θεοτοκος
Θεοτοκος=神(θεος)を生む者(τοκος)」
は、牛小屋でもなく、羊小屋でもなく、「馬小屋(厩舎)」での出産だった。人間の女性だったから大変だったカモネッ・・・で、「産屋」が「馬小屋」とは?・・・「牛」は「耕作と牛乳」、「羊」は「羊毛と羊肉」で、馬はホトンドが「運搬手段」、「騎馬、戦車」に利用され、尻尾は「弦楽器の弦」にされはしただろうが、「食肉」にはされなかっただろう?・・・だが、いずれも「かわ=皮(剥ぎカワ)→革(鞣カワ・なめしかわ)」にはされた・・・
・・・アレッ、今現在、12月25日の午前1時5分前ですか・・・「Mary クリスマス」です・・・
「光」に導かれ、東邦からやって来た「三博士」は「拝火教(Zoroaster・ゾロアスター)」ではなかったのか?・・・ならば「イラン・ペルシャ(波斯)」人だったカモ?・・・
「波=水+皮」の「皮(かわ・ヒ)」は「ヤ+ノ+又」?ではあるが、「皮膚(ヒフ)」でもあるから「剥がれた皮(かわ)」である。「膚」は「虍+田+月(肉・冃←頭巾)」である。これを踏まえて「皮(かわ)」の漢字を分解すれば「(刀 or 卩)+(l+又)」かもで、「斯=其(それ・その・キ・ギ)+斤(おの・キン)」であるが・・・
「波」とは水面の水そのものが、風、ある物体の相互に異なる力が衝突し、その中心から分かれて移動する水の皺(しわ)だろう・・・水面に小石を投げれば円形状の波紋、長方形の巻かれた絨毯を拡げる時に凸凹が同方向に波打つように描き広がるのと同じである・・・物体の強い力が他の物体の弱い力を「+-・凸凹」しながら波として伝播し動かすのである・・・
電波も光波も、音波も地震波も、そして、「重力波」も伝播する媒介「物体・物質」の存在無くしてはアリエナイが・・・「時」は「物質」では無く、「空」は「物質の密度」であるカナ・・・
「巳通度」・・・漢字文字は「三ツ戸・水戸」?・・・「三尸(サンシ)の虫」は「庚申の日の虫」・・・「三虫・三彭・伏尸(フクシ)・尸虫(シチュウ)・尸鬼(シキ)・尸彭(シホウ)」・・・60日目の庚申日」・・・
「地球ドラマチック・ツタンカーメンの謎~死の真相に迫る~」も面白かった・・・ミイラの分析、CGで全身の再現」・・・「知られざる素顔」は「現存・古事記」の「ヤマトタケル」の源泉の構想は「ツタンカーメン」だったカモ・・・先天性内反足、左足骨折、130本の杖、チャリオット6台、弓50本以上、矢数百本発見・・・癲癇病?・・・爪先変形、左足の人差し指の一部欠損、左足骨一部壊死・・・
タギタギしくなった「倭タケルの足」は「古事記」の記録・・・
↓↑
ツタンカーメン王墓の発見
「グレゴリオ暦1922年11月4日
↓↑
大正十一年十一月四日」
↓↑「大隈重信」大正十一年一月十日死亡
一月十四日国民葬(儀)
日比谷公園で国民葬に30万参加・・・日比谷?
葬儀委員長は
波多野敬直・・・・・・・・波の多の野、敬う直?
司法大臣・宮内省大臣
1850年11月13日(嘉永三年十月十日)
~
1922年(大正十一年)8月29日
↓↑ 大隈重信内閣は
1915年(大正四年)1月18日
袁世凱に・・・・・・・袁の世の凱(凱旋・凱歌)
猿(女)の与の凱旋?
猿田比古(彦)?
青面大王=庚申
対華21ヶ条要求・・・・37=21
↓↑
1916年(大正五年)
早稲田大学は英国の
ゴルドン(Elizabeth A.Gordon)女史から
「石羊」と「ゴルドン文庫」寄贈
彼女は
「大秦景教流行中国碑」の複製を
高野山に建てた
1851~1925年
1925(大正14)年6月27日死去
墳墓は高野山、景教碑の傍
↓↑
1919年(大正八年)に
大隈重信は
「日本百科大辞典」を編纂・全10巻完成
↓↑
↓↑ 1882年(明治二十二年)10月18日
来島恒喜の爆弾テロで
右足切断
1916年(大正五年)1月12日
福田和五郎ら
8人に
再度の爆弾テロ襲撃、爆弾は不発
↓↑
1922年
10月27日ファシスト党ローマ進軍
10月31日ムッソリーニ首相就任
↓↑ 12月30日ソビエト連邦成立
中華民国十一年
朝鮮主体十一年
↓↑
ユリウス 歴
1922年 10月 22日・土曜日
↓↑
壬戌年・庚戌月・丙子日・赤口
↓↑
1922年11月4日
ツタンカーメン王墓
イギリスの
カーナヴォン(Carnarvon )卿(Lord)
・・・掛阿名部音・教(盧胡土・婁兎度)?
の支援を受け
考古学者
ハワード・カーター・・・葉倭蛙努・掛蛙他蛙?
(Howard Carter・1874年5月9日~1939年3月2日)
が発見」
↓↑
1922年2月28日・・・エジプト王国が英国から独立宣言
3月03日・・・が「人権宣言」
↓↑
「ツタンカーメン(トゥト-アンクアムン・・・問う訳
Tut-ankhamun
Tut-enkh-amen
Tut-enkh-amon
トゥト-アンクアテン
Tut-ankhaten)」
紀元前1342年頃~紀元前1324年頃
在位紀元前1333年~1324年
第18王朝の古代エジプト王(ファラオ)」
「アメンホテプ3世の王妃
ティイ・・・・・・・・・・・綴意?
と
ツタンカーメン
の生母の
キヤ・・・・・・・・・・・・記也?
の
ミイラも・・・・・・・・・・木乃伊→巳意裸・三位等?
診意覶・見異羅?
アメンホテプ2世王墓で発見」
「ツタンカーメンの
父親は
アメンホテプ(Imen hetep・・・・・編目務保弖(氐)附?
Amenhotep
アンクアテン・・・・編務句蛙典?
アクエンアテン)・・阿句重務丫典?
4世」
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・・・「ク・リ・スマス」・「イ・ブ」が過ぎてから・・・3時15分・・・モモちゃん、おやすみ・・・