ニジのカナタに・・・ナニがある・・・
↓↑
?・・・「日置(ひおき・ひき・へき)」・・・実地・字通知?
「置=罒+十+目+乚(乙・L)」
横目を交わらす
縦目の乚(隠れる・イン
乙=おつ・イツ)
「乙」の字形
「匿(かく)るなり
𨒅曲(キキョク)・・・𨒅=辶+只=曲行するなり
怖れる、恐らく
して
隱蔽する形に象る(説文解字・巻十二)」
隠すための衝立のようなものの象形
「讀みて隱の若くす」
で、隠と音義ともに通じ
「隠の異体字」・・・
「ツバメ(燕・乙鳥・鳦)を表す
𠃉と同一視される」こともある
・・・燕国=エンコク=縁濃く?
=三国時代の公孫氏の国
燕国=広陽国・広陽郡・燕郡・・・燕京=エンキョウ=圓教?
燕京=薊(ケイ)
艹+⺈+田+灬 +刂
艹+魝・・・魝=魚の歯?
魚の背鰭・尾鰭?
薊=艹+魚+刂=あざみ
魝=楚人謂 治魚也(說文)・割也(博雅)・解剖・さばく(捌)
サカナをオロス
おろす=卸す=魚・獣の肉を切り分ける
吉 詣切・音は計(ケイ)・解也(集韻)・解体
古 屑切(廣韻)
薊=艹+魝・・・類字
薢=草薢(ところ・山芋)
鬼野老(おにところ)
菟薢 (ヒカイ・生薬名)
蘚=朝鮮・鮮卑
蘇=蘇我・蘇生・・・紫蘇(しそ・ちそ)
・・・始祖・私訴・紙祖?
公孫=公(諸侯)の孫
公の子である公子までは公族
その子の公孫からは臣籍に下り
公孫を氏とする・・・
公孫僑(子産)=春秋時代の宰相
公孫龍(竜)=戦国時代の思想家
公孫鞅(商鞅)=戦国時代の政治家
公孫衍=魏の官である犀首(公孫衍)・・・衍=余分な文字
↓↑
「燕」は
更元七年(前318年)
魏・趙・韓・燕・楚の
五ヶ国の合従を組織し、秦を攻めた
↓↑
春秋戦国時代
燕の首都=薊(ケイ)・・・景・軽・鶏?
↓↑
燕国は
紀元前222年
秦に滅ぼされ
上谷郡・漁陽郡・右北平郡
遼西郡・遼東郡
設置
↓↑
秦末
各地の諸侯が独立
趙王武臣の将軍
「韓広」が独立して
燕王となる
秦を滅ぼした
楚の
「項籍」によって
「韓広」は
「遼東王」に遷され
「項籍」に協力した
燕の将軍
「臧荼」が・・・・・「臧+荼」
燕王となった
↓↑
高祖 劉邦 前漢建国
「臧荼=燕王」は
紀元前202年
反乱を起こし殺され
高祖の幼馴染
「盧綰」が・・・・・「盧+綰」
燕王に封ぜられた
高祖は
異姓の諸侯王を粛清
自らの親族たちを
諸侯王に立てる
「郡国制」を施行
「盧綰」・・・・・「盧+綰」
は廃され
高祖の八男・・・・・「八+男」
「劉建」が・・・・・「劉+建」
燕王となった
以降
劉氏一族が燕王
↓↑
元狩六年(前117年)
八代目
燕王
「劉旦」・・・・・・「劉+旦」
後継問題で父の
武帝と揉め
所領の
良郷・安次・文安
の三県を没収された
↓↑
元鳳元年(前80年)
燕王
「劉旦」
謀反を起こすも失敗し、自害
燕国は一時
「広陽郡」となる
↓↑
「宣帝」の
本始元年(紀元前73年)
「劉旦」の太子
「劉建」が・・・・・・「劉+建」
燕王から改称して新たに
広陽王に封ぜられ
広陽郡は
「広陽国」となって
「薊・方城・広陽・陰郷」
の四県を領した
↓↑
「王莽」
「新國」建國
広陽国は
「広有郡」と改名
「薊県」は
伐戎県、
「方城県・広陽県・陰郷県」は
「陰順県」と改名
↓↑
光武帝
「後漢」建国
広有郡は上谷郡に合併
↓↑
「和帝」
永元八年(96年)
広陽郡として復活
「薊・広陽・昌平・軍都・安次」
の五県を領した
幽州刺史治(州都)は
「薊(ケイ)」
に設置
↓↑
西晋
広陽郡はふたたび
「燕国」となり
「薊・安次・昌平・軍都・広陽
潞・安楽・泉州・雍奴・狐奴」
の十県・・・拾(足)を懸ける・・・?
を領した
↓↑
「八王の乱」後
「燕国」は
「燕郡」となり
「燕郡・右北平郡・遼西郡」には
「鮮卑」族の・・・・「鮮+卑+ゾク」
「段部」が割拠・・・「段+部」
↓↑ ↓↑
「燕国」は
338年・・・参百参拾八・参参八
↓↑ 338年
干支 戊戌
仁徳天皇 二十六年
皇紀 998年
東晋 咸康四年
後趙 建武四年
成漢 玉恒四年・漢興元年
前涼 建興二十六年(西晋元号使用)
前燕 太祖
文明帝(慕容皝)五年
代 建国元年
↓↑
朝鮮
高句麗 故国原王八年
百済 比流 王三十五年
↓↑ 新羅 訖解 王二十九年
「後趙」の
「石虎」・・・・・・・「石+虎」
によって滅ぼされた
燕郡は後趙の領土となり、後
後趙の後継争いに乗じて
「前燕」の
「慕容儁」が・・・「慕+容+儁」
儁=亻+雋=㒞=㑺
亻+凹+隹
シュン
すぐれる
すぐれた人=俊
「後趙」に侵攻し
「薊」を奪って・・・・「薊」
「前燕」の都とした
↓↑
「北魏」
「燕郡」は
「薊・広陽・良郷・軍都・安城」
の五県
を領した
↓↑
「隋」王朝の時代
・・・「隋(ズイ=陏・随・髄・瑞・蘂・蕊)」
「涿郡」に合併
以降、燕国の名は消えた・・・倭に埋没した・・・?
↓↑
遼隧の戦い(リョウスイのたたかい)
三国時代の戦乱
遼東で半独立政権を築いた
公孫氏(燕王)と
魏が
遼隧(遼寧省海城市)で武力衝突
遼東
公孫氏
は滅亡・・・
↓↑
晋書巻九七四夷傳
「名を卑弥呼と曰う・・・・・・・?
宣帝の平らぐ公孫氏なり」・・・?
と記載
卑弥呼は
西晋の始祖
宣帝(魏の司馬仲達)
に滅ぼされた・・・?
「公孫氏」であった・・・
東漢の外臣で
4代50年に渡って
遼寧省一帯に君臨した
公孫氏の太守
渕(ヱン)を・・・・渕=ヱン=燕(鳦)
=円(圓・塩・猿)
つぶら= 円 大使主
(つぶらのおほみ)
円 大臣
都夫良 意富美
西暦238年・・・卑弥呼の魏への使者派遣
に討ち
曹魏
の遼東平定が成る
↓↑
237年
呉の
孫権
は
高句麗と通じ
遼東へ親征を行おうとした
魏は
毌丘倹(カンキュウケン)
を派遣し
鮮卑・・・鮮(あざやか)な卑(いや しい)
魚の羊 彌栄・癒也恣意?
朝鮮 いやさか=厭(嫌)性?
の軍を動かして
遼東に駐屯
孫権
は親征を断念
魏は
公孫淵に対し
上洛を命じたが
公孫淵は
拒否
挙兵して
遼隧で
毌丘倹
を撃退
同年
公孫淵
は
燕王を称し
年号を
紹漢
と定め独立
周辺部族を掌握して
玉璽を与え
魏との国境をめぐり
抗戦を継続・・・
↓↑
遼隧の戦い
238年
曹叡
は
司馬懿
に4万余の兵を与え
公孫淵征伐を命じ
公孫淵も
卑衍(ヒエン)
・・・卑の
衍=彳+氵+亍=あまる意
文章中に誤って入った
余計な文字
衍=語句中にまちがって入った
不必要な文字
衍字(エンジ)
卑弥呼の余り?
・・壱(壹・臺)與or磐余
↓↑
楊祚(ヨウソ)
・・・楊=十+八+昜(日一勿・ヨウ)
昜≠易=日+勿
の
祚=示+乍(ながら・サ・ジャ)
天からくだされる幸福・福祚
天子の位・皇祚・聖祚・践祚
重祚 (ちょうそ) ・帝祚
らに
数万の軍を与え
遼隧(リョウズイ)に派遣
↓↑・・・隧=スイ・ズイ
墓の奥へと通じる道
地中の通路・トンネル(tunnel)
渠=溝
地下水路・地下用水路
暗渠・渠渠・渠水
河渠・管渠
ドック=船渠(センキョ)
英語=dock オランダ語=dok
渠=ゴ・キョ・みぞ
なんぞ・かれ・かしら・おおきい
なんぞ・なに・いずくんぞ
かれ(三人称の人代名)
頭・親分・渠師・渠魁
隧道(すいどう・ずいどう)・隧路
隋道・随道⇔隋所・隋書?
↓↑
卑衍(ヒエン)
が
司馬懿(シバイ)・・・懿=壹+次+心
懿徳天皇
を攻撃したが
司馬懿
は
胡遵・・・胡(えびす・恵比寿・蛭子・戎・夷)
遵(したがう・ジュン)法闘争?
らを派遣して
卑衍(ヒエン)・・・卑弥呼・卑弥弓呼?
を破った
↓↑
公孫淵は
遼隧に
数十里(二十里、六、七十里)
の
塹壕を掘り
司馬懿
の軍を迎え撃った
遼隧の
公孫淵
の防衛陣が
堅固と見た
司馬懿は
東南に退却したとみせかけて
国都の
襄平を侵攻
公孫淵は遼隧の軍を撤退させ
都の守備に当たらせたが
敗退を繰り返し
司馬懿に襄平を包囲される
・・・司馬の懿(壹+次+心)
イチのツギのココロ
懿徳天皇=第四代天皇
大 日本 彦 耜 友 天皇(日本書紀)
(おほやまとひこすきとも)
大 倭 日子鉏 友 命(古事記)
↓↑
長雨の時期で兵糧が底を突き
公孫淵は人質を出して
和睦(ワボク)
和=ワ=倭
睦=目+坴
睦(むつ・リク)み合う
しようと画策
司馬懿
はこれを許さず
公孫淵
を捕え、処刑
公孫淵(渊・渕)
の子
公孫脩(修)
をはじめとする一族も討たれ
↓↑
238年
神功皇后摂政 三十八年八月二十三日
西暦 238年 9月 19日(ユリウス)
皇紀 898年
魏 景初二年
公孫淵(燕) 紹漢二年
八月・・・238年 9月 19日(ユリウス)
遼東「公孫」氏は滅亡
↓↑
戦後
司馬懿
はこの地に
魏へ反抗する勢力が
再び生まれぬよう
当地の15歳以上の男子を皆殺しにした
↓↑
公孫淵は
孫権
に援軍を求める使いを出し
239年
孫権は援軍として
↓↑
羊衜・・・羊の衜
鄭冑・・・鄭(奠の阝)冑(由の冃)
孫怡・・・孫(子の系)怡(心の台)
↓↑
を派遣
↓↑
曹叡
死去
魏は
遼東に対する配慮がなく
羊衜
らが
遼東の
牧羊城(旅順口)で
魏の
張持・・・張の持・・・張(政)の持つ黄幡?
高慮・・・高の慮・・・高(句麗)の思慮?
らを破って、
その男女を捕虜として帰国
↓↑
朝鮮半島中西部の
帯方郡
を境に
南 は韓と接し
東北は高句麗
西北は烏丸・鮮卑
西南は漢・魏の
幽州と接する
漢・魏は
公孫氏政権があった為
遼東以東を
絶域とみなし
東夷諸国との
通交を行わなかった
二世紀後半
「黄巾の乱」後の混乱に乗じ
「公孫度」
が
遼東地方に半独立政権を樹立
高句麗・後漢と争いながら
楽浪郡・山東半島まで勢力を拡大
↓↑
204年
公孫度の子・・・公孫の度(たび・ド)
公孫康が・・・・公孫の康(やす・コウ)
楽浪郡の南に
帯方郡・・・・・帯=丗+冖+巾
=たらし・おび・タイ
を設置
↓↑
公孫度が
「黄巾の乱」・・・黃巾之亂=後漢末期
西暦184年(中平元年)
太平道の教祖
「張角」を指導者とする
信者が各地で起こした
中国史上初の組織的「農民反乱」
以来の混乱に乗じ
遼東地方に
半独立政権を樹立
民族・風習とも
「漢民族」
だが
朝鮮半島
中西部の
帯方郡を境に
南 は韓と接し
東北は高句麗
西北は烏丸・鮮卑と接し
公孫氏の勢力圏である
遼東以北の地は
中華圏の北東端
漢・魏など
時の中華王朝からは
絶域とみなされ
公孫氏の勢力圏は
半独立地方政権だった
↓↑
漢人の
公孫氏三代
度(たび・ド・タク)
康(やす・コウ)
淵(ふち・エン)=潭
=渕=渊
水を深くたたえている所・海淵・深淵
物事の出てくる根源・淵源
底が深く水がよどんでいる所・瀬
容易に抜け出られない苦しい境遇・苦境
が
50年にわたって
遼東半島に樹立した
地方政権(190~238)
ー↓↑ーーー
・・・公孫氏・・・天孫降臨・・・辿遜交隣・・・
遜=辶+子+系
へりくだる・ソン
退いて他にゆずる・遜位
へりくだる・謙遜・不遜
ひけを取る
帝位を譲る
劣る
遜る=相手を敬って自分を低くする
謙遜する・へりくだる
ひけを取る
遜色
忖度(ソンタク)?
ー↓↑ーーー↓↑ーーー
???・・・
景初二年八月二十三日
↓↑
西暦238年(景初二年8月23日⇔西暦238年9月19日?)
干支 戊午年庚申月乙卯日
↓↑
戊午(丙 丁)正財・偏財 長生
┏庚申(戊壬庚)正官・印綬 胎
┗乙卯(甲 乙) ・比肩 建禄
壬午(丙 丁)印綬・偏財 長生
子丑空亡
↓↑
西暦238年9月 19日
干支 戊午年辛酉月壬午日
↓↑
戊午(丙 丁)偏官・正官 胎
辛酉(庚 辛)印綬・印綬 沐浴
壬午(丙 丁) ・正官 胎
丙午(丙 丁)偏財・正官 胎
申酉空亡
↓↑
日本
神功皇后摂政 38年・・・西暦238年9月 19日
8月 西暦238年9月 19日
23日 戊午 庚申 壬午
↓↑
皇紀 898年
↓↑
中国
魏 景初二年
公孫淵(燕) 紹漢二年
蜀(蜀漢) 延熙元年
呉 嘉禾七年・赤烏元年
朝鮮
高句麗 東川王十二年
新羅 助賁王 九年
百済 古尓王 五年
↓↑
遼東
公孫淵
魏に謀反
司馬懿
率いる追討軍に敗れ
「八月」に滅亡
50年続いた
公孫氏の遼東支配
終焉(シュウエン)・・・
↓↑
呉の年号「赤烏元年」紀年銘の
画文帯神獣鏡
が
山梨県
西八代郡
市川三郷町
鳥居原
狐塚古墳
から出土
↓↑
「公孫淵」が
「司馬懿」に討たれ
公孫氏政権=燕王朝が崩壊
魏が
楽浪郡
帯方郡
を占拠
↓↑
邪馬台国
の女王
卑弥呼
は
帯方郡へ使者を送って
魏との交流が再開・・・
↓↑
和=あえる=和える
↓↑
相=木+目
十+八+目
異体字「目木」
ソウ
ショウ
あい
ありさま
さが
たすける
首相・宰相
相互・相殺
相思相愛
見る・よく見る・くわしく見る
うらなう
かたち・ありさま・すがた・様子
たすけ・たすける・補佐する
あい・互いに・ともに
こもごも・かわるがわる
あい・仲間=相棒(あいぼう)
あい
動詞の前につけ
語調を強めるのに使う語
相変わらず・相済みません
↓↑
相人・観相・手相・人相
外にあらわれたかたち
実相・相貌
すがた・ありさま
相好・形相・真相
あい・たがいに・ともに
相愛・相談・相互・相和す
うけつぐ・つぎつぎと
相続・相伝
「相模(さがみ)の国=相州」
佐賀観・・・差、咬みに咬みて?
誓約(うけい)
天照大神×素戔嗚
卑弥呼vs卑弥弓呼
壹 與vs張政
魏 vs呉
魏 vs燕(公孫氏)
↓↑
位相(イソウ)・家相(カソウ)
形相(ギョウソウ)・血相(ケッソウ)
骨相(コッソウ)・死相(シソウ)
真相(シンソウ)・世相(セソウ)
皮相(ヒソウ)・面相(メンソウ)
様相(ヨウソウ)
相合傘(あいあいがさ)
相生(あいおい)
相生結び(あいおいむすび)
相客(あいキャク)
相子(あいこ)
相碁井目(あいゴセイモク)
相性(あいショウ)
相席(あいセキ)
相対(あいタイ)
相対済し令(あいタイすましレイ)
相槌(あいづち)
相手のない喧嘩はできぬ
相弟子(あいデシ)
相半(なか)ばする
相判(あいバン)
相部屋
相俟(ま)って
相身互い
相宿(あいやど)
相模(さがみ)
相如四壁(ショウジョシヘキ)
相伴(ショウバン)
相撲(すもう)
相愛(ソウアイ)
相違(ソウイ)
相応(ソウオウ)
相姦(ソウカン)
相関(ソウカン)
相克(ソウコク)=相剋
相殺(ソウサイ)
相似(ソウジ)
相承・相称
相乗・
相即不離(ソウソクフリ)
相当(ソウトウ)
相場(ソウば)
相聞(ソウモン)
相輪(ソウリン)
相応(ふさわ)しい
↓↑
木の目=木のメ・・・木の年輪・節
=木の芽
樹木の新芽
このめ
山椒(サンショウ)の若芽
参 照 和歌女?
箱=竹 + 木 + 目
筑紫 記紀 眼・芽・女
竹=𠂉+丨+𠂉+丨=たけ・チク
𠂉(かみさし・髪挿し・櫛)
丨(ぼう・コン)
↓↑
箱=竹+十+八+目
筑紫 足(拾) 捌 囗 二
↓↑
α+相
厢=厂+相
㜀=女+相
葙=艹+相
廂=广+相
湘=氵+相
想=相+心
箱=竹+相
緗=糸+相
霜=雨+相
孀=女+雨+相
灀=氵+雨+相
礵=石+雨+相
䌮=糸+雨+相
驦=馬+雨+相
鸘=雨+相+鳥
↓↑
和=あえる =和える
なごむ =和む
やわらぐ=和らぐ
おだやか=和やか・穏・妥
↓↑
わきあいあい
和気藹々・和気藹藹
和気靄々・和気靄靄
にぎにぎ(賑々)しい様子
↓↑
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)
饒 速日命
饒=食+堯
食+垚+兀
食+土+土+土+一+儿
ジョウ
ニョウ
あまる
おおい
ゆたか
ゆたかにする
あまる・ありあまる
たくさんある・十分にある
ゆるす・大目にみる
豊かな心で許す
↓↑ ↓↑
堯=垚+兀
ギョウ
たかい・けだかい・この上なく高い
中国の伝説上の帝王の名前
↓↑
邇藝速日命(古事記)
饒速日命(日本書紀)
饒速日命(先代旧事本紀)
別名
天照国照彦(あまてるくにてるひこ)
天火明櫛玉(あまのほのあかりくしたま)
饒速日尊(にぎはやひのみこと)
天火明命(あまのほのあかりのみこと)
天照國照彦天火明尊
胆杵磯丹杵穂命
(いきしにぎほのみこと)
天照御魂神(あまてるみたまのかみ)
天 照 皇 御魂 大神
(あまてらすすめみたまのおおかみ)
櫛玉命(くしたまのみこと)
櫛 玉 神 饒 速 日 命
(くしたまのかみにぎはやひのみこと)
ー↓↑ーー↓↑ーー
・・・???・・・
↓↑
?・・・「日置(ひおき・ひき・へき)」・・・実地・字通知?
「置=罒+十+目+乚(乙・L)」
横目を交わらす
縦目の乚(隠れる・イン
乙=おつ・イツ)
「乙」の字形
「匿(かく)るなり
𨒅曲(キキョク)・・・𨒅=辶+只=曲行するなり
怖れる、恐らく
して
隱蔽する形に象る(説文解字・巻十二)」
隠すための衝立のようなものの象形
「讀みて隱の若くす」
で、隠と音義ともに通じ
「隠の異体字」・・・
「ツバメ(燕・乙鳥・鳦)を表す
𠃉と同一視される」こともある
・・・燕国=エンコク=縁濃く?
=三国時代の公孫氏の国
燕国=広陽国・広陽郡・燕郡・・・燕京=エンキョウ=圓教?
燕京=薊(ケイ)
艹+⺈+田+灬 +刂
艹+魝・・・魝=魚の歯?
魚の背鰭・尾鰭?
薊=艹+魚+刂=あざみ
魝=楚人謂 治魚也(說文)・割也(博雅)・解剖・さばく(捌)
サカナをオロス
おろす=卸す=魚・獣の肉を切り分ける
吉 詣切・音は計(ケイ)・解也(集韻)・解体
古 屑切(廣韻)
薊=艹+魝・・・類字
薢=草薢(ところ・山芋)
鬼野老(おにところ)
菟薢 (ヒカイ・生薬名)
蘚=朝鮮・鮮卑
蘇=蘇我・蘇生・・・紫蘇(しそ・ちそ)
・・・始祖・私訴・紙祖?
公孫=公(諸侯)の孫
公の子である公子までは公族
その子の公孫からは臣籍に下り
公孫を氏とする・・・
公孫僑(子産)=春秋時代の宰相
公孫龍(竜)=戦国時代の思想家
公孫鞅(商鞅)=戦国時代の政治家
公孫衍=魏の官である犀首(公孫衍)・・・衍=余分な文字
↓↑
「燕」は
更元七年(前318年)
魏・趙・韓・燕・楚の
五ヶ国の合従を組織し、秦を攻めた
↓↑
春秋戦国時代
燕の首都=薊(ケイ)・・・景・軽・鶏?
↓↑
燕国は
紀元前222年
秦に滅ぼされ
上谷郡・漁陽郡・右北平郡
遼西郡・遼東郡
設置
↓↑
秦末
各地の諸侯が独立
趙王武臣の将軍
「韓広」が独立して
燕王となる
秦を滅ぼした
楚の
「項籍」によって
「韓広」は
「遼東王」に遷され
「項籍」に協力した
燕の将軍
「臧荼」が・・・・・「臧+荼」
燕王となった
↓↑
高祖 劉邦 前漢建国
「臧荼=燕王」は
紀元前202年
反乱を起こし殺され
高祖の幼馴染
「盧綰」が・・・・・「盧+綰」
燕王に封ぜられた
高祖は
異姓の諸侯王を粛清
自らの親族たちを
諸侯王に立てる
「郡国制」を施行
「盧綰」・・・・・「盧+綰」
は廃され
高祖の八男・・・・・「八+男」
「劉建」が・・・・・「劉+建」
燕王となった
以降
劉氏一族が燕王
↓↑
元狩六年(前117年)
八代目
燕王
「劉旦」・・・・・・「劉+旦」
後継問題で父の
武帝と揉め
所領の
良郷・安次・文安
の三県を没収された
↓↑
元鳳元年(前80年)
燕王
「劉旦」
謀反を起こすも失敗し、自害
燕国は一時
「広陽郡」となる
↓↑
「宣帝」の
本始元年(紀元前73年)
「劉旦」の太子
「劉建」が・・・・・・「劉+建」
燕王から改称して新たに
広陽王に封ぜられ
広陽郡は
「広陽国」となって
「薊・方城・広陽・陰郷」
の四県を領した
↓↑
「王莽」
「新國」建國
広陽国は
「広有郡」と改名
「薊県」は
伐戎県、
「方城県・広陽県・陰郷県」は
「陰順県」と改名
↓↑
光武帝
「後漢」建国
広有郡は上谷郡に合併
↓↑
「和帝」
永元八年(96年)
広陽郡として復活
「薊・広陽・昌平・軍都・安次」
の五県を領した
幽州刺史治(州都)は
「薊(ケイ)」
に設置
↓↑
西晋
広陽郡はふたたび
「燕国」となり
「薊・安次・昌平・軍都・広陽
潞・安楽・泉州・雍奴・狐奴」
の十県・・・拾(足)を懸ける・・・?
を領した
↓↑
「八王の乱」後
「燕国」は
「燕郡」となり
「燕郡・右北平郡・遼西郡」には
「鮮卑」族の・・・・「鮮+卑+ゾク」
「段部」が割拠・・・「段+部」
↓↑ ↓↑
「燕国」は
338年・・・参百参拾八・参参八
↓↑ 338年
干支 戊戌
仁徳天皇 二十六年
皇紀 998年
東晋 咸康四年
後趙 建武四年
成漢 玉恒四年・漢興元年
前涼 建興二十六年(西晋元号使用)
前燕 太祖
文明帝(慕容皝)五年
代 建国元年
↓↑
朝鮮
高句麗 故国原王八年
百済 比流 王三十五年
↓↑ 新羅 訖解 王二十九年
「後趙」の
「石虎」・・・・・・・「石+虎」
によって滅ぼされた
燕郡は後趙の領土となり、後
後趙の後継争いに乗じて
「前燕」の
「慕容儁」が・・・「慕+容+儁」
儁=亻+雋=㒞=㑺
亻+凹+隹
シュン
すぐれる
すぐれた人=俊
「後趙」に侵攻し
「薊」を奪って・・・・「薊」
「前燕」の都とした
↓↑
「北魏」
「燕郡」は
「薊・広陽・良郷・軍都・安城」
の五県
を領した
↓↑
「隋」王朝の時代
・・・「隋(ズイ=陏・随・髄・瑞・蘂・蕊)」
「涿郡」に合併
以降、燕国の名は消えた・・・倭に埋没した・・・?
↓↑
遼隧の戦い(リョウスイのたたかい)
三国時代の戦乱
遼東で半独立政権を築いた
公孫氏(燕王)と
魏が
遼隧(遼寧省海城市)で武力衝突
遼東
公孫氏
は滅亡・・・
↓↑
晋書巻九七四夷傳
「名を卑弥呼と曰う・・・・・・・?
宣帝の平らぐ公孫氏なり」・・・?
と記載
卑弥呼は
西晋の始祖
宣帝(魏の司馬仲達)
に滅ぼされた・・・?
「公孫氏」であった・・・
東漢の外臣で
4代50年に渡って
遼寧省一帯に君臨した
公孫氏の太守
渕(ヱン)を・・・・渕=ヱン=燕(鳦)
=円(圓・塩・猿)
つぶら= 円 大使主
(つぶらのおほみ)
円 大臣
都夫良 意富美
西暦238年・・・卑弥呼の魏への使者派遣
に討ち
曹魏
の遼東平定が成る
↓↑
237年
呉の
孫権
は
高句麗と通じ
遼東へ親征を行おうとした
魏は
毌丘倹(カンキュウケン)
を派遣し
鮮卑・・・鮮(あざやか)な卑(いや しい)
魚の羊 彌栄・癒也恣意?
朝鮮 いやさか=厭(嫌)性?
の軍を動かして
遼東に駐屯
孫権
は親征を断念
魏は
公孫淵に対し
上洛を命じたが
公孫淵は
拒否
挙兵して
遼隧で
毌丘倹
を撃退
同年
公孫淵
は
燕王を称し
年号を
紹漢
と定め独立
周辺部族を掌握して
玉璽を与え
魏との国境をめぐり
抗戦を継続・・・
↓↑
遼隧の戦い
238年
曹叡
は
司馬懿
に4万余の兵を与え
公孫淵征伐を命じ
公孫淵も
卑衍(ヒエン)
・・・卑の
衍=彳+氵+亍=あまる意
文章中に誤って入った
余計な文字
衍=語句中にまちがって入った
不必要な文字
衍字(エンジ)
卑弥呼の余り?
・・壱(壹・臺)與or磐余
↓↑
楊祚(ヨウソ)
・・・楊=十+八+昜(日一勿・ヨウ)
昜≠易=日+勿
の
祚=示+乍(ながら・サ・ジャ)
天からくだされる幸福・福祚
天子の位・皇祚・聖祚・践祚
重祚 (ちょうそ) ・帝祚
らに
数万の軍を与え
遼隧(リョウズイ)に派遣
↓↑・・・隧=スイ・ズイ
墓の奥へと通じる道
地中の通路・トンネル(tunnel)
渠=溝
地下水路・地下用水路
暗渠・渠渠・渠水
河渠・管渠
ドック=船渠(センキョ)
英語=dock オランダ語=dok
渠=ゴ・キョ・みぞ
なんぞ・かれ・かしら・おおきい
なんぞ・なに・いずくんぞ
かれ(三人称の人代名)
頭・親分・渠師・渠魁
隧道(すいどう・ずいどう)・隧路
隋道・随道⇔隋所・隋書?
↓↑
卑衍(ヒエン)
が
司馬懿(シバイ)・・・懿=壹+次+心
懿徳天皇
を攻撃したが
司馬懿
は
胡遵・・・胡(えびす・恵比寿・蛭子・戎・夷)
遵(したがう・ジュン)法闘争?
らを派遣して
卑衍(ヒエン)・・・卑弥呼・卑弥弓呼?
を破った
↓↑
公孫淵は
遼隧に
数十里(二十里、六、七十里)
の
塹壕を掘り
司馬懿
の軍を迎え撃った
遼隧の
公孫淵
の防衛陣が
堅固と見た
司馬懿は
東南に退却したとみせかけて
国都の
襄平を侵攻
公孫淵は遼隧の軍を撤退させ
都の守備に当たらせたが
敗退を繰り返し
司馬懿に襄平を包囲される
・・・司馬の懿(壹+次+心)
イチのツギのココロ
懿徳天皇=第四代天皇
大 日本 彦 耜 友 天皇(日本書紀)
(おほやまとひこすきとも)
大 倭 日子鉏 友 命(古事記)
↓↑
長雨の時期で兵糧が底を突き
公孫淵は人質を出して
和睦(ワボク)
和=ワ=倭
睦=目+坴
睦(むつ・リク)み合う
しようと画策
司馬懿
はこれを許さず
公孫淵
を捕え、処刑
公孫淵(渊・渕)
の子
公孫脩(修)
をはじめとする一族も討たれ
↓↑
238年
神功皇后摂政 三十八年八月二十三日
西暦 238年 9月 19日(ユリウス)
皇紀 898年
魏 景初二年
公孫淵(燕) 紹漢二年
八月・・・238年 9月 19日(ユリウス)
遼東「公孫」氏は滅亡
↓↑
戦後
司馬懿
はこの地に
魏へ反抗する勢力が
再び生まれぬよう
当地の15歳以上の男子を皆殺しにした
↓↑
公孫淵は
孫権
に援軍を求める使いを出し
239年
孫権は援軍として
↓↑
羊衜・・・羊の衜
鄭冑・・・鄭(奠の阝)冑(由の冃)
孫怡・・・孫(子の系)怡(心の台)
↓↑
を派遣
↓↑
曹叡
死去
魏は
遼東に対する配慮がなく
羊衜
らが
遼東の
牧羊城(旅順口)で
魏の
張持・・・張の持・・・張(政)の持つ黄幡?
高慮・・・高の慮・・・高(句麗)の思慮?
らを破って、
その男女を捕虜として帰国
↓↑
朝鮮半島中西部の
帯方郡
を境に
南 は韓と接し
東北は高句麗
西北は烏丸・鮮卑
西南は漢・魏の
幽州と接する
漢・魏は
公孫氏政権があった為
遼東以東を
絶域とみなし
東夷諸国との
通交を行わなかった
二世紀後半
「黄巾の乱」後の混乱に乗じ
「公孫度」
が
遼東地方に半独立政権を樹立
高句麗・後漢と争いながら
楽浪郡・山東半島まで勢力を拡大
↓↑
204年
公孫度の子・・・公孫の度(たび・ド)
公孫康が・・・・公孫の康(やす・コウ)
楽浪郡の南に
帯方郡・・・・・帯=丗+冖+巾
=たらし・おび・タイ
を設置
↓↑
公孫度が
「黄巾の乱」・・・黃巾之亂=後漢末期
西暦184年(中平元年)
太平道の教祖
「張角」を指導者とする
信者が各地で起こした
中国史上初の組織的「農民反乱」
以来の混乱に乗じ
遼東地方に
半独立政権を樹立
民族・風習とも
「漢民族」
だが
朝鮮半島
中西部の
帯方郡を境に
南 は韓と接し
東北は高句麗
西北は烏丸・鮮卑と接し
公孫氏の勢力圏である
遼東以北の地は
中華圏の北東端
漢・魏など
時の中華王朝からは
絶域とみなされ
公孫氏の勢力圏は
半独立地方政権だった
↓↑
漢人の
公孫氏三代
度(たび・ド・タク)
康(やす・コウ)
淵(ふち・エン)=潭
=渕=渊
水を深くたたえている所・海淵・深淵
物事の出てくる根源・淵源
底が深く水がよどんでいる所・瀬
容易に抜け出られない苦しい境遇・苦境
が
50年にわたって
遼東半島に樹立した
地方政権(190~238)
ー↓↑ーーー
・・・公孫氏・・・天孫降臨・・・辿遜交隣・・・
遜=辶+子+系
へりくだる・ソン
退いて他にゆずる・遜位
へりくだる・謙遜・不遜
ひけを取る
帝位を譲る
劣る
遜る=相手を敬って自分を低くする
謙遜する・へりくだる
ひけを取る
遜色
忖度(ソンタク)?
ー↓↑ーーー↓↑ーーー
???・・・
景初二年八月二十三日
↓↑
西暦238年(景初二年8月23日⇔西暦238年9月19日?)
干支 戊午年庚申月乙卯日
↓↑
戊午(丙 丁)正財・偏財 長生
┏庚申(戊壬庚)正官・印綬 胎
┗乙卯(甲 乙) ・比肩 建禄
壬午(丙 丁)印綬・偏財 長生
子丑空亡
↓↑
西暦238年9月 19日
干支 戊午年辛酉月壬午日
↓↑
戊午(丙 丁)偏官・正官 胎
辛酉(庚 辛)印綬・印綬 沐浴
壬午(丙 丁) ・正官 胎
丙午(丙 丁)偏財・正官 胎
申酉空亡
↓↑
日本
神功皇后摂政 38年・・・西暦238年9月 19日
8月 西暦238年9月 19日
23日 戊午 庚申 壬午
↓↑
皇紀 898年
↓↑
中国
魏 景初二年
公孫淵(燕) 紹漢二年
蜀(蜀漢) 延熙元年
呉 嘉禾七年・赤烏元年
朝鮮
高句麗 東川王十二年
新羅 助賁王 九年
百済 古尓王 五年
↓↑
遼東
公孫淵
魏に謀反
司馬懿
率いる追討軍に敗れ
「八月」に滅亡
50年続いた
公孫氏の遼東支配
終焉(シュウエン)・・・
↓↑
呉の年号「赤烏元年」紀年銘の
画文帯神獣鏡
が
山梨県
西八代郡
市川三郷町
鳥居原
狐塚古墳
から出土
↓↑
「公孫淵」が
「司馬懿」に討たれ
公孫氏政権=燕王朝が崩壊
魏が
楽浪郡
帯方郡
を占拠
↓↑
邪馬台国
の女王
卑弥呼
は
帯方郡へ使者を送って
魏との交流が再開・・・
↓↑
和=あえる=和える
↓↑
相=木+目
十+八+目
異体字「目木」
ソウ
ショウ
あい
ありさま
さが
たすける
首相・宰相
相互・相殺
相思相愛
見る・よく見る・くわしく見る
うらなう
かたち・ありさま・すがた・様子
たすけ・たすける・補佐する
あい・互いに・ともに
こもごも・かわるがわる
あい・仲間=相棒(あいぼう)
あい
動詞の前につけ
語調を強めるのに使う語
相変わらず・相済みません
↓↑
相人・観相・手相・人相
外にあらわれたかたち
実相・相貌
すがた・ありさま
相好・形相・真相
あい・たがいに・ともに
相愛・相談・相互・相和す
うけつぐ・つぎつぎと
相続・相伝
「相模(さがみ)の国=相州」
佐賀観・・・差、咬みに咬みて?
誓約(うけい)
天照大神×素戔嗚
卑弥呼vs卑弥弓呼
壹 與vs張政
魏 vs呉
魏 vs燕(公孫氏)
↓↑
位相(イソウ)・家相(カソウ)
形相(ギョウソウ)・血相(ケッソウ)
骨相(コッソウ)・死相(シソウ)
真相(シンソウ)・世相(セソウ)
皮相(ヒソウ)・面相(メンソウ)
様相(ヨウソウ)
相合傘(あいあいがさ)
相生(あいおい)
相生結び(あいおいむすび)
相客(あいキャク)
相子(あいこ)
相碁井目(あいゴセイモク)
相性(あいショウ)
相席(あいセキ)
相対(あいタイ)
相対済し令(あいタイすましレイ)
相槌(あいづち)
相手のない喧嘩はできぬ
相弟子(あいデシ)
相半(なか)ばする
相判(あいバン)
相部屋
相俟(ま)って
相身互い
相宿(あいやど)
相模(さがみ)
相如四壁(ショウジョシヘキ)
相伴(ショウバン)
相撲(すもう)
相愛(ソウアイ)
相違(ソウイ)
相応(ソウオウ)
相姦(ソウカン)
相関(ソウカン)
相克(ソウコク)=相剋
相殺(ソウサイ)
相似(ソウジ)
相承・相称
相乗・
相即不離(ソウソクフリ)
相当(ソウトウ)
相場(ソウば)
相聞(ソウモン)
相輪(ソウリン)
相応(ふさわ)しい
↓↑
木の目=木のメ・・・木の年輪・節
=木の芽
樹木の新芽
このめ
山椒(サンショウ)の若芽
参 照 和歌女?
箱=竹 + 木 + 目
筑紫 記紀 眼・芽・女
竹=𠂉+丨+𠂉+丨=たけ・チク
𠂉(かみさし・髪挿し・櫛)
丨(ぼう・コン)
↓↑
箱=竹+十+八+目
筑紫 足(拾) 捌 囗 二
↓↑
α+相
厢=厂+相
㜀=女+相
葙=艹+相
廂=广+相
湘=氵+相
想=相+心
箱=竹+相
緗=糸+相
霜=雨+相
孀=女+雨+相
灀=氵+雨+相
礵=石+雨+相
䌮=糸+雨+相
驦=馬+雨+相
鸘=雨+相+鳥
↓↑
和=あえる =和える
なごむ =和む
やわらぐ=和らぐ
おだやか=和やか・穏・妥
↓↑
わきあいあい
和気藹々・和気藹藹
和気靄々・和気靄靄
にぎにぎ(賑々)しい様子
↓↑
邇芸速日命(にぎはやひのみこと)
饒 速日命
饒=食+堯
食+垚+兀
食+土+土+土+一+儿
ジョウ
ニョウ
あまる
おおい
ゆたか
ゆたかにする
あまる・ありあまる
たくさんある・十分にある
ゆるす・大目にみる
豊かな心で許す
↓↑ ↓↑
堯=垚+兀
ギョウ
たかい・けだかい・この上なく高い
中国の伝説上の帝王の名前
↓↑
邇藝速日命(古事記)
饒速日命(日本書紀)
饒速日命(先代旧事本紀)
別名
天照国照彦(あまてるくにてるひこ)
天火明櫛玉(あまのほのあかりくしたま)
饒速日尊(にぎはやひのみこと)
天火明命(あまのほのあかりのみこと)
天照國照彦天火明尊
胆杵磯丹杵穂命
(いきしにぎほのみこと)
天照御魂神(あまてるみたまのかみ)
天 照 皇 御魂 大神
(あまてらすすめみたまのおおかみ)
櫛玉命(くしたまのみこと)
櫛 玉 神 饒 速 日 命
(くしたまのかみにぎはやひのみこと)
ー↓↑ーー↓↑ーー
・・・???・・・