ケイザイのカンジ「經世濟民(経世済民)」・・・軽罪?
ケイバ・・・のカンジ・・・
12月13日、阪神競馬場・阪神ジュベナイルフィリーズの
競馬で「白馬」の「ソダシ」がG1制覇、優勝・・・?
知らしめる・・・?・・・ナニを・・・?
物事を大勢の人に知らせること
知らしめる・周知させる・告示、周知する・連絡する
伝達する・伝える・連絡網を回す・・・回覧
報せる・広める・報知する・告げる
思い知らせてやる・・・トッチメル・お灸を据えてやる
懲(こ)らしめてやる
知らせる
is just to inform.
知らしめる
has a compulsive nuance.
I recommend you shouldn't say 知らしめる easily
・・・だから・・・知ってナニすんの・・・三サル・・・?
しらしめる・・・白い雪が大地を占める・・・東北奥州・蝦夷?
白羅占める・・・新羅占める・・・源氏・・・白旗・・・?
白村江の海戦(663)以後
唐vs新羅戦争
670年~676年
唐と新羅は、同盟を結び
660年に百済
668年に高句麗
を滅ぼしたが
その後
唐・新羅戦争
676年
新羅は
伐浦で
唐軍を破って
唐軍排除掃討
半島支配の新羅・・・「しらしめる」?
↓↑
ケイザイのカンジ「經世濟民(経世済民)」・・・刑罪・刑剤・軽罪・・・?
軽 座位・珂瑠皇子・・・刈追字・借往時・往事・王爾・黄示・・・?
文武天皇=倭「根子(ねこ)」豐祖父(豊祖父)天皇
天之眞宗豐祖父(豊祖父)天皇・・・葛野王
豐= 丰+山+ 丰+豆
異体字「丰(簡体字)・𣍈(説文解字)・𧯮(俗字)
灃(俗字)・酆(俗字)・𤲊(俗字)
豊(代用字(新字体)」
母 阿閉(阿陪)皇女=元明天皇
父 草壁皇子
日下部皇子
↓↑ ↓↑
安康天皇=穴穗御子(あなほのみこ)
1614年(慶長19)
再建された京都
方広寺大仏殿の釣鐘の銘
「国家安康」⇔大阪の冬夏の陣の
イチャモンの銘字
鮟鱇(華臍魚)=深海魚⇔新開衙?
提灯鮟鱇=誘引突起から
発光液を噴出
雄略天皇の時代
日下大王を殺したのは
坂本の祖、根の臣
と
安康天皇(木梨軽皇子の同母弟)
日下大王の妹
日下王(草香幡梭姫皇女)
を娶ったのは
雄略天皇
漢風諡号 雄略天皇
和風諡号 大泊瀬幼武天皇
御名 大泊瀬幼武・大泊瀬・幼武
別称 大泊瀬幼武尊
大長谷若建命
大長谷王
↓↑
役 小角(えん の おづぬ・おづの ・おつの)
「役=やく=約=薬=譯=訳」の緒書く・・・?
舒明天皇六年(634年)伝~大宝元年六 月七日(701年7月16日)伝
呪術者・修験道の開祖
姓 君
役行者(えんのぎょうじゃ)・・・譯(訳)行の写
役優婆塞(えんのうばそく)・・・訳が優(優れ・優秀)
婆=波(は)+女(おんな)
葉 音名
塞=サイ=差異
加茂役君・・・化して模す訳(やく)の訓(よみ)
賀茂役君(かも の えん の きみ)
諡号 神變大菩薩
尊称 役行者、役優婆塞(えんの うばそく)
父 出雲から入り婿した大角(おほづ)・・・大隅・大須見
母 白専女(刀良女=とらめ)・・・虎目・図羅目・寅目
生地 大和國葛城上郡茅原郷
(奈良県御所市茅原)
没地 天上ヶ岳(箕面市)
宗派 修験道
白雉元年(650年)・・・新羅の記事
京に
志明院を創建
寺院 役行者霊蹟札所など
弟子 韓國 廣足=韓国広足
韓の国の広の足・・・典薬頭
「外従五位下の韓国広足は小角を師としていたが
その後に師の能力を妬んで讒言した」
とする説・・・
葛木山の神である
・・・葛野王(かどののおう
かどののおほきみ)
弘文天皇(大友皇子=伊賀皇子)
の第一皇子
光仁天皇の従兄
淡海三船の祖父
官位 正四位上・式部卿
「葛野王」は
文武天皇継承論議で
親ー子ー孫の
直系継承を主張し
「弓削皇子」を一喝・・・・弓削氏⇔道鏡
「一言主」が
「葛野王」の「一言=一喝」
父 弘文天皇(父 天智
母 伊賀宅子娘)
母 十市皇女(父 天武
母 額田王)
妹 壱志姫王
子 池辺王=淡海三船の父
藤並王
田辺王
↓↑
人に乗り憑依(う)って
文武天皇に
役の優婆塞の謀反を讒言・・・
「一言主」は
「役の優婆塞」の呪法で縛られて
今(『日本霊異記』執筆の時点)
になっても呪縛は解けない・・・
↓↑
・・・能の演目『葛城』では、「女神」・・・
↓↑
『古事記(712年)・下つ巻』
460年(雄略天皇四年)
雄略天皇が名を問うと
「吾は
悪事も一言
善事も一言
言い離つ神
葛城の一言主の大神なり」
↓↑
『日本書紀(720年)・雄略天皇』
「一事主神(一言主神)」・・・「一(壹・壱)字」
797年に書かれた『続日本紀(797年)・巻25』
高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争って
天皇の怒りに触れて土佐国に流された
↓↑
『日本霊異記(822年)』
一語主(一言主)は
役行者に使役される神
↓↑
文武天皇三年(699年)五月二十四日
讒言され
「役小角」は
「伊豆島」に流罪・・・「出雲」の島?
小角が
鬼神(キジン=記人)を
使役して
水(みづ=密・瑞・観ず?)を汲み
薪(まき=巻・真紀?)を採らせていると噂
↓↑
大宝元年(701年)一月
大赦で
茅原に帰る
六月七日
箕面山(みのおやま・みのおのやま)
瀧安寺の
奥の院にあたる
天上ヶ岳にて入寂・享年68
↓↑
中世
金峰山、熊野山の縁起を
合わせて作られた
『両峰問答秘鈔』
『修験指南鈔』
などがあり
詳細な
『役行者本記』という
小角の伝記が現れた
寛政十一年(1799年)
聖護院宮盈仁法親王が
光格天皇へ
役行者御遠忌(没後)1100年を迎えることを上表
正月二十五日
光格天皇は
烏丸大納言を勅使として聖護院に遣わして
神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡を贈った
勅書は天皇の真筆で聖護院の寺宝
大宝元年八月三日(701年9月9日)
大宝律令が完成
翌年公布
初めて日本の国号が定められた
遣唐使
粟田真人に初めて節刀を与え
唐との国交正常化を目指し
日本の国号変更(倭→日本に漢字表記を変更)通告
↓↑
「一言主」とは・・・「ことわざ(諺)」・・・?
「一言居士」・・・
↓↑
加減乗除の実数で説明できるモノ・・・読み書きソロバン(算盤・十露盤)
壹・壱・移置・位置・位地・移置・市・・・イチ・・・
初発(存在)の分裂(動的変化)の開始・・・
個体(初・壹・壱・一)の分割は貳(二)から始まる・・・
全体(全・零・0・〇)の分割は貳(一)から始まる・・・
↓↑
はじめ
一・紀・大・春・哉・吉・朝
基・元・啓・玄・新・造・朔
児・初・順・源・素・東・肇
↓↑
肇=𢼄+聿
聿(ふで)で
書き「啓(はじめる)」こと
↓↑
啓=戸+攵(攴)+口
異体字「启(簡体字)・啟(旧字体)
啔(異体字)・闙(異体字)」
「戸+攴(手の動作)+口」
戸を手でひらく
口で言葉を発する
ケ
ケイ
ひらく
はじめる
言葉を発する・説明する
目上の者に申しあげる
貴人の行動
行啓
↓↑
崇神天皇(すじんてんのう)
開化天皇十年~崇神天皇六十八年十二月五日
120歳
第十代天皇
在位 崇神天皇元年1月13日~同68年12月5日)
『日本書紀』
御間城入彦五十瓊殖天皇
御肇国天皇
諱 御間城尊
別称 御肇國天皇
御眞木入日子印恵命
所知初國御眞木天皇
美萬貴天皇
父 親開化天皇
母 親伊香色謎命
↓↑
皇后 御間城姫
↓↑
子女 垂仁天皇
彦五十狭茅命
国方姫命
千千衝倭姫命
倭彦命
五十日鶴彦命
豊城入彦命
豊鍬入姫命
大入杵命
八坂入彦命
渟名城入媛命
十市瓊入媛命
皇居 磯城瑞籬宮
↓↑
「価値=value・worth・merit
金銭に換算できる価値としてはvalueもworthも用いる
value=主として有用性・重要性などに関する価値
worth=精神的・道徳的など本質的な価値
merit=賞讃に値するよさを表す・付加価値
Different people have different values.
↓↑
「使用価値=use value・utility value
value in use」の説明
「労働価値=labour of value」の説明
「希少価値=rarity(レアラァティ) value
scarcity(スケアシティー)value」の説明
「交換価値=exchange value」の説明
↓↑
経済学=人間社会における
物質的な生活資料の
生産と交換の
諸法則性の論理
↓↑
人間社会における
生産関係と
生産物の
分析された本質説明を基礎に
その交換市場に於ける
商品(交換物となった生産物)の
使用価値としての
商品交換での
需要供給関係で
価値変化を変動させる
交換媒介物(金)との関係の
在り方を説明する理論・・・?
↓↑
政治経済学(political economy)
Economics
↓↑
ギリシャ語
οικονομία(家政術)に由来
漢語の「経済」
「世の中を治め
人民を救う」
「経世済民(経国済民)」の略語
東晋の
「葛洪」の・・・葛城・葛木・桂木
『抱朴子(ホウボクシ)』
の記述が初出
祖父が三国時代の
「呉」の国の大臣
父が地方長官
『抱朴子(ホウボクシ)』
内篇20篇、外篇50篇
内篇は仙人になる修行方法の記録
東晋の
「建武元年(317年)」に完成・・・317
重視するのは
「金丹」で、金丹の服用で
不死の生命を得る(金丹篇)
金丹は
丹砂(天然の硫化水銀)を材料として得られる
還丹と黄金を材料とする金液
「黄白篇」で
錬金術
↓↑
内篇は神仙術に関する諸説を集大成
後世の
「道教」に強い影響を及ぼした
『抱朴子』は緯書を引いて
体内の
「三尸の虫」が
「庚申の日」に
「司命神」に人の悪事を訴え
「竈の神」も晦日に司命神に悪事を訴える
という説を述べ
司命神は訴えられた悪によって
人の寿命を縮め
仙術を行っても無効になる
(微旨篇。司命神は対俗篇)
道徳主義は
『抱朴子』の特異な点で
後に
『太上感応篇』の「善書」に発展・・・?
道蔵の太清部
『太上感応篇』30巻
「李昌齢」の伝
「鄭清之」の賛
李昌齢=「李石」
=南宋の紹興・乾道年間(12世紀)の人
「鄭清之(1176~1251)」少し後の人物
30巻の大部分は
「李昌齢=李石」の「伝(注釈文)」で
本文は全文1274字
↓↑
「李昌齢=李石」は
「伝(注釈)」を書いた人で作者ではない
『太上感応篇』
「司過の神」が人間の罪の重さに応じて禍を与える
「三台・北斗神君」が罪を記録し
「三尸・竈神」などが罪を報告
善行と悪行を羅列し
悪行の方が多い
内容は『抱朴子』の抜粋に近く
内篇の対俗・微旨両編と関係が深い・・・
↓↑
経=糸(幺小)+圣(又十一)
済=氵+斉(亠乂丿二亅)
↓↑
訳語の考案者
「福澤諭吉」
講義名として
「経済」という語を
用いた時点(1862年、1868年)で
すでに
1862年発行の辞書
『英和対訳袖珍辞典』が・・・英・和・対訳
袖珍=そでに入る小型な辞典・ ポケット型辞典
「political economy」の訳語として
「経済」「経済学」の訳語を記録
同年
「西 周」が手紙の中で
「経済学」の語を使用
訳語として同時期に
「資生」も提唱された・・・「資生堂」?洗濯石鹸・・・
シルヴィ・バルタン
ドライウエイにハルがくりゃ・・・
ワンサカ・わんさか・ィエィッ、ィエィッ、ィエィッ
レナウン、レナウン、れなうん、Renown
明治35年(1902)・創業者の佐々木八十八
アラン・ドロン
「D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne.
(ダーバン、現代を支える男のエレガンス)」
山東如意グループ(山東省)の傘下・・・?
・・・なんで、潰れたんだか・・・大雪・・・
コロナは雪の結晶に似ている・・・
↓↑
「経済」=「世の中を治め、人民を救う」
「経世済民=経国済民」の略語
日本
1729年
太宰春台が『経済録』、経世論を著
経済と意味が類似の古典的漢語
「理財」・「食貨」・「貨殖(興利)」
などがあった
↓↑
市場経済(Market economy)
企業や個人が
自己利益を最優先し
物財を生産し
需要・供給の
商品市場の枠内の仕組みの
売買交換によって
分配する形態の経済
規範や指令もなく
市場における消費の動向によって
生産活動が規定される
個人の自由度が高く
意思決定が分散的で
希少性の変化に柔軟に反応
↓↑
経済理論が保証する市場経済の効率性は
私有財産権
取引の自由
企業参入退出の自由
完全情報公開などの条件が必要
条件が満たされない場合に
市場崩壊
↓↑
計画経済 (Command economy)
中央当局によって
あらゆる
経済活動が運営されている形態の経済
指令経済とも
産業への必要物資
生産目標
生産割り当てなどが定められ
その計画に基づいて
経済活動が遂行
経済資源や労働力を
計画的に運用することができ
特定の産業を集中的に発展できる
労働者の
インセンティブが欠如しやすい
インセンティブ(incentive)
労働意欲を引き出す
生産外部からの刺激
「餌・ニンジン」
生産性を上げる
労働条件と結果の
報酬・奨励・報奨
「カネ、権力、名誉、仕事、自由・・・」
↓↑
政治学=人間社会の協生論
法律学=人間社会の約束論
↓↑
経世済民(けいせいさいみん)
世の中をよく治め
人々を苦しみから救うこと
「経」は治める、統治する
「済民」は人民の難儀を救済
「済」は救う、援助する
「經世濟民(経世済民)」
「世を經(をさ)め
民を濟(すく)ふ」
「経国済民」
↓↑
東晋の
「葛洪」・・・葛野王・葛城王・葛木皇子
の著作
『抱朴子』内篇(地眞篇)
・・・ウリ(朴)の子を抱く
子(シ・ス・ツゥ)=了+一=書籍の終始・始終
接頭・接尾の「子」・思想家の書籍の名
「經世濟俗」という語
「經世濟民」とほぼ同義で用いられ
隋代の
「王通」
『文中子』礼楽篇に
「皆有經濟之道、謂經世濟民」
「經濟」が「經世濟民」の略語として用いられていた
『晋書』殷浩伝(唐)
『宋史』王安石伝論(元)
などに
「經濟」の字句
政治・統治・行政一般を意味する
清末
「戊戌の政変」後
科挙の新科目
「経済特科」は、この用法
↓↑
近世以前の日本
「経世済民(経国済民)」
が一つの言葉として用いられることはあまりなく
「経国」
「済民」
などがそれぞれ別個に用いられた
江戸時代
「経世済民(経済)」
が用いられた
明末清初の
考証学者による
「経世致用の学」の影響で
日本でも
儒学者・蘭学者などによる同種の
「経世論(経世済民論)」が流行した
初めて「經濟」の語を書名とした
「太宰春台」
『経済録』(18世紀前半)は
「凡(およそ)天下國家を治むるを
經濟と云、
世を經め民を濟ふ義なり」とし
「經世濟民(經濟)の學」は
政治学・政策学・社会学
などの広範な領域のコトバであった
↓↑
戸後期
貨幣経済が浸透し
「經濟」のなかでも
「社会生活を営むのに必要な
生産・消費・売買などの活動」
と強調
↓↑
「堀達之助」らの
『英和対訳袖珍辞書』で
"economy"=「家事する、倹約する」
とし
"political economy"(古典派経済学で経済学を意味)
に「経済学」の訳語を与えた
「西 周」
によると日本における
最初の西洋経済学入門書
「神田孝平」訳の
『経済小学』(1867年(慶応三年)刊
では
「経済学」を
「ポリチャー エコノミー」
と読ませ
同年末に刊行された
「福沢諭吉」の
『西洋事情 外篇』巻の3
でも同様の用法として
「経済学」の語が見える
前年1866年(慶応二年)刊の
『西洋事情 初篇』巻の1
には
「経済論」の語がある・・・
↓↑
「経済(学)」が
「エコノミー」
「ポリティカル・エコノミー」
の訳語として
「西 周」は
『百学連環』(1870年(明治3年)刊)で
「エコノミー」
と
「ポリティカル・エコノミー」
の区別を重視し
前者に「家政」
後者に国家の「活計」を意味するものとし
津田の訳語「経済学」では
「活計」の意味を尽くしていないとし
「制産学」の訳語を与えてた
個人(企業)の「家計・会計」
と
国家規模の経済運営を「理財」の訳語が用いられた
1881年刊『哲学字彙』で
"economics"の訳語
明治初期の大学・専門学校の学科名としては
「理財学」が用いられた
しかし国家レベルと個人・企業レベルの
「エコノミー」を包括して
「経済」とする用法が次第に普及
江戸時代以来の
「貨殖興利」という用法も存続したため
本来の
「経済」
の語に含まれていた
「民を済ふ」
という規範的な意味は稀薄となった
新しい用法は
本来の意味の
「經濟」という語を
生み出した
「中国(清)」にも翻訳を通じ
逆輸出され
以後東アジア文化圏全域で定着した
↓↑
「大塩平八郎の乱」
・・・権力を握る「目的=戦略」は脳外だった・・・
↓↑
「大塩平八郎」
寛政5年1月22日
1793年3月4日
~
天保8年3月27日
1837年5月1日
↓↑
別名 正高・後素
通称 平八郎
号 中斎
平八郎の
実の祖父・政之丞が
阿波国・・・阿波・アワ・あわ・・・
泡=氵+勹+己
=液体に包まれた己(おのれ・よこしま・キ)
あわ・あぶく・ホウ・foam・bubble
泡沫(ホウマツ・うたかた)
液体もしくは固体が
その中に気体を含んで丸く膨らんだモノ
気体を包む液体の表面張力により作られる
固体の泡は
液体の状態で形成され固体化されたモノ
脇町の出身
与力・・・與力
大塩家に
養子に入った
祖父と混同された・・・
↓↑
出生地
大坂天満
と
阿波美馬郡
の2説
↓↑
幼名 文之助
諱 正高・後素
字 子起・士起
与力退職後 連斎・中斎
↓↑
『洗心洞箚記』・・・箚記(サツキ)=箚を札の義に用いた慣用音
ものを書きしるす簡札
読書したり、話を聞いたりしたときの
感想・意見などを
気のむくままに書き記すこと
その記録・随想録
『二十二史箚記』は
箚記(読書雑記を箇条書きしたもの)の形式
中国の正史二十二史の
編纂形式や構成・内容について
考証し論評した書
清代の
「趙翼」の著
本編36巻と補遺1巻
乾隆六十年(1795年)の
自序
嘉慶五年(1800年)の
銭大昕等の序文がある
「廿二史箚記」とも記される
『古本大学刮目』
『儒門空虚聚語』
知(真の認識)と行(道徳的実践)とは表裏一体
人間の知(認識)は
行(行為・実践)の一部であって
分けることはできない
↓↑
天保八年
二月十九日
(1837年3月25日)
大坂(大阪市)で
大坂町奉行所の
元与力
大塩平八郎(中斎)と
その門人らが起こした
江戸幕府に対する反乱
ーーーーー
・・・???・・・
ケイバ・・・のカンジ・・・
12月13日、阪神競馬場・阪神ジュベナイルフィリーズの
競馬で「白馬」の「ソダシ」がG1制覇、優勝・・・?
知らしめる・・・?・・・ナニを・・・?
物事を大勢の人に知らせること
知らしめる・周知させる・告示、周知する・連絡する
伝達する・伝える・連絡網を回す・・・回覧
報せる・広める・報知する・告げる
思い知らせてやる・・・トッチメル・お灸を据えてやる
懲(こ)らしめてやる
知らせる
is just to inform.
知らしめる
has a compulsive nuance.
I recommend you shouldn't say 知らしめる easily
・・・だから・・・知ってナニすんの・・・三サル・・・?
しらしめる・・・白い雪が大地を占める・・・東北奥州・蝦夷?
白羅占める・・・新羅占める・・・源氏・・・白旗・・・?
白村江の海戦(663)以後
唐vs新羅戦争
670年~676年
唐と新羅は、同盟を結び
660年に百済
668年に高句麗
を滅ぼしたが
その後
唐・新羅戦争
676年
新羅は
伐浦で
唐軍を破って
唐軍排除掃討
半島支配の新羅・・・「しらしめる」?
↓↑
ケイザイのカンジ「經世濟民(経世済民)」・・・刑罪・刑剤・軽罪・・・?
軽 座位・珂瑠皇子・・・刈追字・借往時・往事・王爾・黄示・・・?
文武天皇=倭「根子(ねこ)」豐祖父(豊祖父)天皇
天之眞宗豐祖父(豊祖父)天皇・・・葛野王
豐= 丰+山+ 丰+豆
異体字「丰(簡体字)・𣍈(説文解字)・𧯮(俗字)
灃(俗字)・酆(俗字)・𤲊(俗字)
豊(代用字(新字体)」
母 阿閉(阿陪)皇女=元明天皇
父 草壁皇子
日下部皇子
↓↑ ↓↑
安康天皇=穴穗御子(あなほのみこ)
1614年(慶長19)
再建された京都
方広寺大仏殿の釣鐘の銘
「国家安康」⇔大阪の冬夏の陣の
イチャモンの銘字
鮟鱇(華臍魚)=深海魚⇔新開衙?
提灯鮟鱇=誘引突起から
発光液を噴出
雄略天皇の時代
日下大王を殺したのは
坂本の祖、根の臣
と
安康天皇(木梨軽皇子の同母弟)
日下大王の妹
日下王(草香幡梭姫皇女)
を娶ったのは
雄略天皇
漢風諡号 雄略天皇
和風諡号 大泊瀬幼武天皇
御名 大泊瀬幼武・大泊瀬・幼武
別称 大泊瀬幼武尊
大長谷若建命
大長谷王
↓↑
役 小角(えん の おづぬ・おづの ・おつの)
「役=やく=約=薬=譯=訳」の緒書く・・・?
舒明天皇六年(634年)伝~大宝元年六 月七日(701年7月16日)伝
呪術者・修験道の開祖
姓 君
役行者(えんのぎょうじゃ)・・・譯(訳)行の写
役優婆塞(えんのうばそく)・・・訳が優(優れ・優秀)
婆=波(は)+女(おんな)
葉 音名
塞=サイ=差異
加茂役君・・・化して模す訳(やく)の訓(よみ)
賀茂役君(かも の えん の きみ)
諡号 神變大菩薩
尊称 役行者、役優婆塞(えんの うばそく)
父 出雲から入り婿した大角(おほづ)・・・大隅・大須見
母 白専女(刀良女=とらめ)・・・虎目・図羅目・寅目
生地 大和國葛城上郡茅原郷
(奈良県御所市茅原)
没地 天上ヶ岳(箕面市)
宗派 修験道
白雉元年(650年)・・・新羅の記事
京に
志明院を創建
寺院 役行者霊蹟札所など
弟子 韓國 廣足=韓国広足
韓の国の広の足・・・典薬頭
「外従五位下の韓国広足は小角を師としていたが
その後に師の能力を妬んで讒言した」
とする説・・・
葛木山の神である
・・・葛野王(かどののおう
かどののおほきみ)
弘文天皇(大友皇子=伊賀皇子)
の第一皇子
光仁天皇の従兄
淡海三船の祖父
官位 正四位上・式部卿
「葛野王」は
文武天皇継承論議で
親ー子ー孫の
直系継承を主張し
「弓削皇子」を一喝・・・・弓削氏⇔道鏡
「一言主」が
「葛野王」の「一言=一喝」
父 弘文天皇(父 天智
母 伊賀宅子娘)
母 十市皇女(父 天武
母 額田王)
妹 壱志姫王
子 池辺王=淡海三船の父
藤並王
田辺王
↓↑
人に乗り憑依(う)って
文武天皇に
役の優婆塞の謀反を讒言・・・
「一言主」は
「役の優婆塞」の呪法で縛られて
今(『日本霊異記』執筆の時点)
になっても呪縛は解けない・・・
↓↑
・・・能の演目『葛城』では、「女神」・・・
↓↑
『古事記(712年)・下つ巻』
460年(雄略天皇四年)
雄略天皇が名を問うと
「吾は
悪事も一言
善事も一言
言い離つ神
葛城の一言主の大神なり」
↓↑
『日本書紀(720年)・雄略天皇』
「一事主神(一言主神)」・・・「一(壹・壱)字」
797年に書かれた『続日本紀(797年)・巻25』
高鴨神(一言主神)が天皇と獲物を争って
天皇の怒りに触れて土佐国に流された
↓↑
『日本霊異記(822年)』
一語主(一言主)は
役行者に使役される神
↓↑
文武天皇三年(699年)五月二十四日
讒言され
「役小角」は
「伊豆島」に流罪・・・「出雲」の島?
小角が
鬼神(キジン=記人)を
使役して
水(みづ=密・瑞・観ず?)を汲み
薪(まき=巻・真紀?)を採らせていると噂
↓↑
大宝元年(701年)一月
大赦で
茅原に帰る
六月七日
箕面山(みのおやま・みのおのやま)
瀧安寺の
奥の院にあたる
天上ヶ岳にて入寂・享年68
↓↑
中世
金峰山、熊野山の縁起を
合わせて作られた
『両峰問答秘鈔』
『修験指南鈔』
などがあり
詳細な
『役行者本記』という
小角の伝記が現れた
寛政十一年(1799年)
聖護院宮盈仁法親王が
光格天皇へ
役行者御遠忌(没後)1100年を迎えることを上表
正月二十五日
光格天皇は
烏丸大納言を勅使として聖護院に遣わして
神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の諡を贈った
勅書は天皇の真筆で聖護院の寺宝
大宝元年八月三日(701年9月9日)
大宝律令が完成
翌年公布
初めて日本の国号が定められた
遣唐使
粟田真人に初めて節刀を与え
唐との国交正常化を目指し
日本の国号変更(倭→日本に漢字表記を変更)通告
↓↑
「一言主」とは・・・「ことわざ(諺)」・・・?
「一言居士」・・・
↓↑
加減乗除の実数で説明できるモノ・・・読み書きソロバン(算盤・十露盤)
壹・壱・移置・位置・位地・移置・市・・・イチ・・・
初発(存在)の分裂(動的変化)の開始・・・
個体(初・壹・壱・一)の分割は貳(二)から始まる・・・
全体(全・零・0・〇)の分割は貳(一)から始まる・・・
↓↑
はじめ
一・紀・大・春・哉・吉・朝
基・元・啓・玄・新・造・朔
児・初・順・源・素・東・肇
↓↑
肇=𢼄+聿
聿(ふで)で
書き「啓(はじめる)」こと
↓↑
啓=戸+攵(攴)+口
異体字「启(簡体字)・啟(旧字体)
啔(異体字)・闙(異体字)」
「戸+攴(手の動作)+口」
戸を手でひらく
口で言葉を発する
ケ
ケイ
ひらく
はじめる
言葉を発する・説明する
目上の者に申しあげる
貴人の行動
行啓
↓↑
崇神天皇(すじんてんのう)
開化天皇十年~崇神天皇六十八年十二月五日
120歳
第十代天皇
在位 崇神天皇元年1月13日~同68年12月5日)
『日本書紀』
御間城入彦五十瓊殖天皇
御肇国天皇
諱 御間城尊
別称 御肇國天皇
御眞木入日子印恵命
所知初國御眞木天皇
美萬貴天皇
父 親開化天皇
母 親伊香色謎命
↓↑
皇后 御間城姫
↓↑
子女 垂仁天皇
彦五十狭茅命
国方姫命
千千衝倭姫命
倭彦命
五十日鶴彦命
豊城入彦命
豊鍬入姫命
大入杵命
八坂入彦命
渟名城入媛命
十市瓊入媛命
皇居 磯城瑞籬宮
↓↑
「価値=value・worth・merit
金銭に換算できる価値としてはvalueもworthも用いる
value=主として有用性・重要性などに関する価値
worth=精神的・道徳的など本質的な価値
merit=賞讃に値するよさを表す・付加価値
Different people have different values.
↓↑
「使用価値=use value・utility value
value in use」の説明
「労働価値=labour of value」の説明
「希少価値=rarity(レアラァティ) value
scarcity(スケアシティー)value」の説明
「交換価値=exchange value」の説明
↓↑
経済学=人間社会における
物質的な生活資料の
生産と交換の
諸法則性の論理
↓↑
人間社会における
生産関係と
生産物の
分析された本質説明を基礎に
その交換市場に於ける
商品(交換物となった生産物)の
使用価値としての
商品交換での
需要供給関係で
価値変化を変動させる
交換媒介物(金)との関係の
在り方を説明する理論・・・?
↓↑
政治経済学(political economy)
Economics
↓↑
ギリシャ語
οικονομία(家政術)に由来
漢語の「経済」
「世の中を治め
人民を救う」
「経世済民(経国済民)」の略語
東晋の
「葛洪」の・・・葛城・葛木・桂木
『抱朴子(ホウボクシ)』
の記述が初出
祖父が三国時代の
「呉」の国の大臣
父が地方長官
『抱朴子(ホウボクシ)』
内篇20篇、外篇50篇
内篇は仙人になる修行方法の記録
東晋の
「建武元年(317年)」に完成・・・317
重視するのは
「金丹」で、金丹の服用で
不死の生命を得る(金丹篇)
金丹は
丹砂(天然の硫化水銀)を材料として得られる
還丹と黄金を材料とする金液
「黄白篇」で
錬金術
↓↑
内篇は神仙術に関する諸説を集大成
後世の
「道教」に強い影響を及ぼした
『抱朴子』は緯書を引いて
体内の
「三尸の虫」が
「庚申の日」に
「司命神」に人の悪事を訴え
「竈の神」も晦日に司命神に悪事を訴える
という説を述べ
司命神は訴えられた悪によって
人の寿命を縮め
仙術を行っても無効になる
(微旨篇。司命神は対俗篇)
道徳主義は
『抱朴子』の特異な点で
後に
『太上感応篇』の「善書」に発展・・・?
道蔵の太清部
『太上感応篇』30巻
「李昌齢」の伝
「鄭清之」の賛
李昌齢=「李石」
=南宋の紹興・乾道年間(12世紀)の人
「鄭清之(1176~1251)」少し後の人物
30巻の大部分は
「李昌齢=李石」の「伝(注釈文)」で
本文は全文1274字
↓↑
「李昌齢=李石」は
「伝(注釈)」を書いた人で作者ではない
『太上感応篇』
「司過の神」が人間の罪の重さに応じて禍を与える
「三台・北斗神君」が罪を記録し
「三尸・竈神」などが罪を報告
善行と悪行を羅列し
悪行の方が多い
内容は『抱朴子』の抜粋に近く
内篇の対俗・微旨両編と関係が深い・・・
↓↑
経=糸(幺小)+圣(又十一)
済=氵+斉(亠乂丿二亅)
↓↑
訳語の考案者
「福澤諭吉」
講義名として
「経済」という語を
用いた時点(1862年、1868年)で
すでに
1862年発行の辞書
『英和対訳袖珍辞典』が・・・英・和・対訳
袖珍=そでに入る小型な辞典・ ポケット型辞典
「political economy」の訳語として
「経済」「経済学」の訳語を記録
同年
「西 周」が手紙の中で
「経済学」の語を使用
訳語として同時期に
「資生」も提唱された・・・「資生堂」?洗濯石鹸・・・
シルヴィ・バルタン
ドライウエイにハルがくりゃ・・・
ワンサカ・わんさか・ィエィッ、ィエィッ、ィエィッ
レナウン、レナウン、れなうん、Renown
明治35年(1902)・創業者の佐々木八十八
アラン・ドロン
「D'urban c'est l'elegance de l'homme moderne.
(ダーバン、現代を支える男のエレガンス)」
山東如意グループ(山東省)の傘下・・・?
・・・なんで、潰れたんだか・・・大雪・・・
コロナは雪の結晶に似ている・・・
↓↑
「経済」=「世の中を治め、人民を救う」
「経世済民=経国済民」の略語
日本
1729年
太宰春台が『経済録』、経世論を著
経済と意味が類似の古典的漢語
「理財」・「食貨」・「貨殖(興利)」
などがあった
↓↑
市場経済(Market economy)
企業や個人が
自己利益を最優先し
物財を生産し
需要・供給の
商品市場の枠内の仕組みの
売買交換によって
分配する形態の経済
規範や指令もなく
市場における消費の動向によって
生産活動が規定される
個人の自由度が高く
意思決定が分散的で
希少性の変化に柔軟に反応
↓↑
経済理論が保証する市場経済の効率性は
私有財産権
取引の自由
企業参入退出の自由
完全情報公開などの条件が必要
条件が満たされない場合に
市場崩壊
↓↑
計画経済 (Command economy)
中央当局によって
あらゆる
経済活動が運営されている形態の経済
指令経済とも
産業への必要物資
生産目標
生産割り当てなどが定められ
その計画に基づいて
経済活動が遂行
経済資源や労働力を
計画的に運用することができ
特定の産業を集中的に発展できる
労働者の
インセンティブが欠如しやすい
インセンティブ(incentive)
労働意欲を引き出す
生産外部からの刺激
「餌・ニンジン」
生産性を上げる
労働条件と結果の
報酬・奨励・報奨
「カネ、権力、名誉、仕事、自由・・・」
↓↑
政治学=人間社会の協生論
法律学=人間社会の約束論
↓↑
経世済民(けいせいさいみん)
世の中をよく治め
人々を苦しみから救うこと
「経」は治める、統治する
「済民」は人民の難儀を救済
「済」は救う、援助する
「經世濟民(経世済民)」
「世を經(をさ)め
民を濟(すく)ふ」
「経国済民」
↓↑
東晋の
「葛洪」・・・葛野王・葛城王・葛木皇子
の著作
『抱朴子』内篇(地眞篇)
・・・ウリ(朴)の子を抱く
子(シ・ス・ツゥ)=了+一=書籍の終始・始終
接頭・接尾の「子」・思想家の書籍の名
「經世濟俗」という語
「經世濟民」とほぼ同義で用いられ
隋代の
「王通」
『文中子』礼楽篇に
「皆有經濟之道、謂經世濟民」
「經濟」が「經世濟民」の略語として用いられていた
『晋書』殷浩伝(唐)
『宋史』王安石伝論(元)
などに
「經濟」の字句
政治・統治・行政一般を意味する
清末
「戊戌の政変」後
科挙の新科目
「経済特科」は、この用法
↓↑
近世以前の日本
「経世済民(経国済民)」
が一つの言葉として用いられることはあまりなく
「経国」
「済民」
などがそれぞれ別個に用いられた
江戸時代
「経世済民(経済)」
が用いられた
明末清初の
考証学者による
「経世致用の学」の影響で
日本でも
儒学者・蘭学者などによる同種の
「経世論(経世済民論)」が流行した
初めて「經濟」の語を書名とした
「太宰春台」
『経済録』(18世紀前半)は
「凡(およそ)天下國家を治むるを
經濟と云、
世を經め民を濟ふ義なり」とし
「經世濟民(經濟)の學」は
政治学・政策学・社会学
などの広範な領域のコトバであった
↓↑
戸後期
貨幣経済が浸透し
「經濟」のなかでも
「社会生活を営むのに必要な
生産・消費・売買などの活動」
と強調
↓↑
「堀達之助」らの
『英和対訳袖珍辞書』で
"economy"=「家事する、倹約する」
とし
"political economy"(古典派経済学で経済学を意味)
に「経済学」の訳語を与えた
「西 周」
によると日本における
最初の西洋経済学入門書
「神田孝平」訳の
『経済小学』(1867年(慶応三年)刊
では
「経済学」を
「ポリチャー エコノミー」
と読ませ
同年末に刊行された
「福沢諭吉」の
『西洋事情 外篇』巻の3
でも同様の用法として
「経済学」の語が見える
前年1866年(慶応二年)刊の
『西洋事情 初篇』巻の1
には
「経済論」の語がある・・・
↓↑
「経済(学)」が
「エコノミー」
「ポリティカル・エコノミー」
の訳語として
「西 周」は
『百学連環』(1870年(明治3年)刊)で
「エコノミー」
と
「ポリティカル・エコノミー」
の区別を重視し
前者に「家政」
後者に国家の「活計」を意味するものとし
津田の訳語「経済学」では
「活計」の意味を尽くしていないとし
「制産学」の訳語を与えてた
個人(企業)の「家計・会計」
と
国家規模の経済運営を「理財」の訳語が用いられた
1881年刊『哲学字彙』で
"economics"の訳語
明治初期の大学・専門学校の学科名としては
「理財学」が用いられた
しかし国家レベルと個人・企業レベルの
「エコノミー」を包括して
「経済」とする用法が次第に普及
江戸時代以来の
「貨殖興利」という用法も存続したため
本来の
「経済」
の語に含まれていた
「民を済ふ」
という規範的な意味は稀薄となった
新しい用法は
本来の意味の
「經濟」という語を
生み出した
「中国(清)」にも翻訳を通じ
逆輸出され
以後東アジア文化圏全域で定着した
↓↑
「大塩平八郎の乱」
・・・権力を握る「目的=戦略」は脳外だった・・・
↓↑
「大塩平八郎」
寛政5年1月22日
1793年3月4日
~
天保8年3月27日
1837年5月1日
↓↑
別名 正高・後素
通称 平八郎
号 中斎
平八郎の
実の祖父・政之丞が
阿波国・・・阿波・アワ・あわ・・・
泡=氵+勹+己
=液体に包まれた己(おのれ・よこしま・キ)
あわ・あぶく・ホウ・foam・bubble
泡沫(ホウマツ・うたかた)
液体もしくは固体が
その中に気体を含んで丸く膨らんだモノ
気体を包む液体の表面張力により作られる
固体の泡は
液体の状態で形成され固体化されたモノ
脇町の出身
与力・・・與力
大塩家に
養子に入った
祖父と混同された・・・
↓↑
出生地
大坂天満
と
阿波美馬郡
の2説
↓↑
幼名 文之助
諱 正高・後素
字 子起・士起
与力退職後 連斎・中斎
↓↑
『洗心洞箚記』・・・箚記(サツキ)=箚を札の義に用いた慣用音
ものを書きしるす簡札
読書したり、話を聞いたりしたときの
感想・意見などを
気のむくままに書き記すこと
その記録・随想録
『二十二史箚記』は
箚記(読書雑記を箇条書きしたもの)の形式
中国の正史二十二史の
編纂形式や構成・内容について
考証し論評した書
清代の
「趙翼」の著
本編36巻と補遺1巻
乾隆六十年(1795年)の
自序
嘉慶五年(1800年)の
銭大昕等の序文がある
「廿二史箚記」とも記される
『古本大学刮目』
『儒門空虚聚語』
知(真の認識)と行(道徳的実践)とは表裏一体
人間の知(認識)は
行(行為・実践)の一部であって
分けることはできない
↓↑
天保八年
二月十九日
(1837年3月25日)
大坂(大阪市)で
大坂町奉行所の
元与力
大塩平八郎(中斎)と
その門人らが起こした
江戸幕府に対する反乱
ーーーーー
・・・???・・・