「アメン」の名は
隠すという動詞のの「imen 」に由来?
隠すためのモノは
イチジクの葉だった・・・アダム・・・?
無花果?・・・
「市(移置)=亠+巾」の字句?
↓↑
「少名毘古那」の「ひむし」・・・発想は・・・妄想?
カルナック・・・「輕・珂瑠」名付句・・・?
漢風諡号 文武天皇
和風諡号
倭 根子 豊 祖父 天皇
(やまと ねこ とよおほぢの すめらみこと)
(ワ コンシ ホウ ソフ テンコウ)?
天 之 眞宗 豊 祖 父 天皇
(あめの まむね とよおほぢの すめらみこと)
(テンシ シンソウ ホウ ソフ テンコウ)?
アメン神・・・・海部務・・・阿毎武?
天部孥?
孥=奴+子
女+又+子
ド・ヌ
つまこ=妻子・妻と子
子・子ども
やっこ・しもべ・奴隷=奴
↓↑
カルナック神殿
(Karnak Temple
Temple of Karnak
Karnak Temple Complex)
「カルナック」
アラビア語で
「窓」の意・・・まど・・・?・・・日留?
窓=穴+厶+心
宀+八+厶+心
ソウ
まど
あかりとり・
風を通す穴(あな)
Windows(ウインドウズ)
異体字
「窗・窻・䆫・牕・牎」
蛍窓雪案(ケイソウケツアン)
鑿窓啓牖(サクソウケイユウ)
清窓浄机(セイソウジョウキ)
北窓三友(ホクソウのサンユウ)
明窓浄几(めメイソウジョウキ)
深窓(シンソウ)に育つ
↓↑
古代エジプトの神殿複合体
エジプトの
首都カイロから
ナイル川を南におよそ670キロメートルさかのぼった
東岸に位置
新王国時代(紀元前1550~1069年頃)
古代首都テーベ
(古名 ワセト=Waset)・・・倭瀬戸?
巨大都市テーベの一部
カルナック複合体の名
西岸には歴代の王が眠る王家の谷や貴族の墓
ハトシェプスト女王葬祭殿
中心は
アメン神(アモン・アムン・アメン=ラー・アムン=ラー)
アメン大神殿複合体(アメン=ラーの神域)
↓↑
神殿
祠堂(礼拝堂)
塔門(パイロン・ピュロン)
その他の建造物の構成からなる
古代宗教遺跡
泥煉瓦の周壁に囲まれた3か所の主要部分
アメン大神殿(アメン=ラーの神域)
他の2か所の構成要素
ムト(ムゥト)の神域
モンチュ(モント・モントゥ・メンチュウ・メントゥ)
の神域
↓↑
建造は
中王国時代(紀元前2055~1650年頃)
センウセルト1世(紀元前1965~1920年頃)
残存
新王国時代からの建造物のほとんどが
プトレマイオス朝(紀元前332~32年)
~
ローマ支配時代(紀元前30~後395年[6])
まで継続
カルナック神殿複合体
アメン神をその頂点とする
新王国時代の
テーベ三柱神崇拝の中心地
↓↑
都市テーベ
中王国時代
第11王朝(紀元前2055~1985年頃)
祠堂はテーベの初期の神々である
地母神ムト
軍神モンチュ
に捧げられていた
初期の建造物は侵略者により破壊
第11王朝で
国家神は
モンチュ
最古の遺物
第11王朝による小さな
八柱神のものがあり
アメンについて記録
↓↑
第1中間期(紀元前2181~2055年頃)
長くテーベの地方神であった
アメン神は
第12王朝(紀元前1985~1795年頃)
王朝の守護神として
モンチュに代わり国家神となった
↓↑
アメンは
雄羊
鵞鳥(がちょう)・・・?
・・・・天乃羅摩船
(アメのカガミのフネ
ガガイモの実=大形で広披針形
表面に突起を有し
種子には白色の長毛
綿(わた)の代用とされた)
に乗り
鵝・・・鵝鳥=鵞鳥の羽
(ヒムシ=ガ=蛾?)
の皮の着物を着て
波の彼方より来訪(古事記)
鷦鷯(みそさざい)
の皮の着物を着て来訪(日本書紀)
「ひ虫」=蚕の蛹(さなぎ)
その羽化したもの
ひひるむし
「肥虫(ひむし)」・・・肥中=熊本?
成虫が体長1.5~2mmの菱形
淡黄白色の昆虫
寄主の破片や隙間に卵を産み
酵母を餌として
およそ212個の卵を産む
寿命は175日くらい
卵期は11日
越冬する・・・?
「ひむし」を着ていたのは
少名毘古那神
少名毘古那神
少彦名命
宿奈毘古那命
須久那美迦微
須久奈比古
少日子根命
小比古尼命
小彦命
小日子命
小名牟遅神
久斯神
少名彦命
天少彦根命
↓↑ ↓↑
と同一視された・・・・発想は・・・妄想?
文久三年(1863)十二月
遣欧使節団
(第二回遣欧使節
横浜鎖港談判使節団)
フランス軍の軍艦
ル・モンジュ号で日本を出港
上海~インド~スエズ~カイロ
ギザの
三大ピラミッド
スフィンクスを見学
使節団総勢は35名
正使は27歳の
外国奉行
池田筑後守長発(ながおき)
副使は44歳の
河津伊豆守祐邦(すけくに)
目付は30歳の
河田相模守煕(ひろむ)
↓↑ ↓↑
1864(元治元)年
エジプトでピラミッドとスフインクスを
を見学した江戸幕府の武士達
パリ使節団の三十四人中の
二十七人・・・???
↓↑ ↓↑
「アメン」の名は
隠すという動詞の
「imen 」に由来
エジプト語の意味は
「隠された者」
「隠された神」
で
「アメンの称号」に
「その姿、神秘なる者」
地方神アメンは
護国伸として
豊饒神「ミン」
陽神「ラー」
などの他の有力な神と習合していった
↓↑
アメン大神殿の主な建設工事
テーベが統一された
第18王朝(紀元前1550~1295年頃)
新建設は
第19王朝(紀元前1295~1186年頃)
セティ1世(紀元前1294~1279年頃)
ラムセス2世(紀元前1279~1213年頃)
着工
王朝のほぼすべての王(ファラオ)が
神殿域に何かを追加
女王
ハトシェプスト(紀元前1473~1458年頃)
記念物を建造
ヒクソスの占領中に
国外の支配者により
破壊されていた古代エジプトの
女神ムト
のかつての神域を再構築
ハトシェプストはその時代
神殿入口に立つ1対のオベリスクを設置
女王の事業としての
カルナックの
「赤い祠堂」=「聖舟祠堂」
として当初は2基のオベリスクの間に建っていた・・・
女王は王位16年目を祝し
さらに2基のオベリスクの建設を命じた
そのオベリスクの1基は建造中に壊れ
第3のものがそれに置き換えるために構築
アスワンにある採石現場には
未完のオベリスクとして
放置されたオベリスクが残っている
新王国時代
トトメス3世 (紀元前1479~1425年頃)
の頃のものといわれる・・・
↓↑
アメン大神殿構成
第1塔門
神域全体を取り囲む周壁の追加
末期王朝(紀元前747~332年)
第30王朝(紀元前380~343年)
ネクタネボ1世(紀元前380~362年)
によって構築
↓↑
西暦323年
コンスタンティヌス1世(306~337年)
キリスト教徒の信仰を認め
356年
コンスタンティウス2世(337~361年)
が帝国全体にわたって
異教の神殿の閉鎖を命じた
カルナック神殿はこの時代に大部分が放棄
キリスト教会が廃墟のなかに設置
トトメス3世祝祭殿の中央の間の再利用で
そこには聖人が描かれた装飾や
コプト語の碑文が記録
↓↑
パネジェム1世の巨像(ラムセス2世像)
アメン大神殿(アメン=ラーの神域)
テーベ三柱神(アメン・ムト・コンス)
の最高神である
アメンに捧げられている
パネジェム1世の彫像
いくつかの巨大な像があり
さらに
高さ29.5メートル
重さ323トン
の最大級のオベリスクが立っている
↓↑
ハコルの聖舟祠堂
古代の埠頭の傍らに
第29王朝
ハコル(紀元前393~380年)
聖舟は実際の舟(バーク)を模したもので
これを神輿として運ぶ行列の際に
川を経由する聖舟のための休息所であった
↓↑
羊頭スフィンクス参道
(第1塔門入口)
スフィンクス参道(ドロモス)
ラムセス2世の構築した埠頭より
第1塔門に通じ
40体の雄羊の頭を持つ
スフィンクス(クリオスフィンクス)
が両側に並ぶ
埠頭からは同じく
ラムセス2世が建立したスフィンクス参道は
第2塔門への入口につながっていたが
第1塔門が構築されたときに
羊頭スフィンクスは
前庭の両脇に移された
↓↑
第1塔門
塔門の幅は113メートル
高さ43メートル
厚さは15メートル
↓↑
セティ2世の聖舟祠堂
前庭(第1中庭、大中庭)
第22王朝
(ブバスティス朝、紀元前945~715年頃)
における前庭
↓↑
ラムセス3世神殿(正面入口)
前庭の南側
第20王朝
ラムセス3世によって建造された小神殿
神殿の中庭の左右に各8体の
オシリスをかたどる王の立像が並び
その奥に
多柱室や
テーベ三柱神の聖舟祠堂が備えられている
ラムセス3世神殿の東隣(前庭入口)
第22王朝
シェションク1世
(紀元前945~924年頃
シシャク「旧約聖書」列王記 I 14.25-26)
の業績を記念した
「ブバスティス門」があり
その外壁には
シェションク1世が
捕虜を打ち据える場面が描かれる
↓↑
第19王朝
ラムセス1世 (紀元前1295~1294年頃)
塔門にある
ホルエムヘブのレリーフや碑文を侵害し
それらにラムセス1世自身のものを加えた
その後
ラムセス2世により奪われ
塔門の東(背)面は
セティ1世のもとで
新たに築かれた大列柱室の西壁になり
セティ1世が父
ラムセス1世の肖像撤去の埋め合わせとして
ラムセス1世を讃えるいくつかの肖像を加えた
第2塔門の中央部は末期王朝の時代に崩壊
後
プトレマイオス朝時代に修復
プトレマイオス6世
(紀元前180~145年[6])
の肖像が描かれた
↓↑
大列柱室の高窓
高い中央上方の縦格子を持つ高窓より
採光されていた
「カルナック」は
アラビア語で
「窓」の意・・・まど・・・?・・・日留?
↓↑
「隠し場」の中庭
第19王朝
メルエンプタハ(紀元前1213~1203年頃)
ルクソール神殿への行進行列の
「隠し場(カシェット〈カシェ〉、Cachett)」
の中庭の壁面に
海の民に対する自身の勝利を記念
中庭には
オシリスの姿の王像ととに
左足を踏み出した王像
↓↑
第7塔門
トトメス3世により築かれた
中庭の側壁は後のラムセス2世に次ぐ息子
メルエンプタハによって建造
第7塔門が通常
一般に通過できる塔門の最後
↓↑
第8塔門
ハトシェプストにより建造
塔門の前方に巨大な座像が建立
↓↑
第9塔門
ホルエムヘブにより構築
内部は空洞の詰め石に
アメンホテプ4世の
アテン神殿を
形成したタラタートを解体し再使用
↓↑
アメンホテプ2世祝祭殿(セド祭殿)
第9塔門と第10塔門の間の中庭の東壁に復元
↓↑
第10塔門
ホルエムヘブが
主な建築資材としてアメンホテプ4世の神殿より
解体されたタラタートを使用し最後の塔門を構築
両側にホルエムヘブと思われる2体の巨像
↓↑
聖池
第18王朝のトトメス3世が奉献した
長さ120メートル
幅77メートル
第25王朝の時代に造成された
11段階段を持つ
地下水で満たされた聖池は
神殿における水の供給源
神官たちが自身を清める場所であった
↓↑
聖池の南側
アメンの聖鳥とされた
ガチョウ(鵞鳥)の飼育場があり
この聖鳥の囲い地より聖池に
放鳥するための石造トンネルが通じていた
↓↑
タハルカ神殿
第25王朝
タハルカの祠堂
聖池の北西に位置
地下には太陽神が毎夜
地下を旅して
毎朝再び
スカラベとして復活する描画がある
↓↑
スカラベ像
タハルカの建物跡の前方に
第18王朝
アメンホテプ3世が
太陽神アトゥム=ケプリ=ラー
に捧げた赤色花崗岩の
スカラベの像がある
太陽神は
「朝のケプリ
真昼のラー
夕方のアトゥム」
の3つの形態(側面)があり
アトゥム
ラー
と同一視された朝の太陽神
ケプリ
はスカラベ甲虫 (Scarabaeus sacer)
の姿で表された
↓↑
コンス神殿
アメン大神殿の南西に位置
月神でアメンの子神
コンスに捧げられている
第20王朝
ラムセス3世によって着工
後、多くの統治者により装飾
入口の塔門は
ピネジェム1世により装飾され
碑文とともに神々の前に立つ
ピジュネムの姿が描かれ
前庭や多柱室はその前の
ヘリホルにより装飾
その奥の至聖所は
「コンスの家」と称され
コンスの聖舟祠堂が備えられており
彫刻された聖舟の台座がある
↓↑
コンス神殿の記念門
プトレマイオス3世エウエルゲテス
(紀元前246~221年)
によるこのコンス神殿の
記念門(プトレマイオス3世の門)
は
バブ・エル=アマラ門 (Bab el-Amara Gate)
の名でも知られ
そこから
スフィンクス参道が
ルクソール神殿に向かって延び
またムトの神域にも通じる
↓↑
オペト神殿
プトレマイオス8世(紀元前170~116年)
によって主に構築
オシリスを
出産した女神オペト(イペト〈タウェレトと融合〉)
の神殿であり
コンス神殿に隣接してあるが
アメン=ラーの神域の
西側周壁に専用の門があったオペト神殿には
後に
アウグストゥスなどの統治者により装飾が加えられた
↓↑
プタハ(プタハとハトホル)神殿
メンフイスの創造神プタハの小神殿は
アメン主神殿の北側
モンチュの神域に近い神域壁のすぐ内側にある
建物は中王国初期の神殿の場所に
トトメス3世によって建てられた
後
第25王朝の
シャバカ(紀元前716~702年)
プトレマイオス朝の時代から
ローマ支配時代に修復・拡張され
年代が異なる5つの門がある
小列柱室の正面に3つの祠堂があり
2つはプタハに捧げられたもので
中央の祠堂にプタハ像があるが
ハトホルに捧げられていた3つ目の南端の祠堂には
プタハの妻神
セクメト(セフメト)の黒色花崗岩の立像が安置
↓↑
センウセルト1世の「白い祠堂」
中王国時代
第12王朝
センウセルト1世の聖舟安置小堂
主神殿の中心に位置する至聖所
センウセルト1世の
セド祭を記念し
大祭の間、聖舟を安置する祠堂
↓↑
ーーーーー
(ユカリとオジさんの世迷い言・2)
古代エジプトの神々(1)・絵字符都・『埃及』(1)・(42)
http://web.archive.org/web/20080501061632/http://www1.odn.ne.jp/~haa98940/fanin/pura2/kojiki42.htm
↓↑ ↓↑
エメラルドブルーの謎 (碧き眼の人形伝説) 奈井江 五郎
↓↑ ↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
+
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
↓↑
干支歴
↓↑
追加添文 「戦争と平和」・・・「モウケの生き方」
↓↑
メリキリの - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃん
https://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
↓↑
モウ君の総合目次
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コジキ姫赤い絨毯に乗る(m)
↓↑
古事記と虎関師錬
↓↑
鉄腕アトムのロボット法を
思い出して
これを
貼り付けてみたけれど・・・
AIの記憶・・・まだ、若いみたい・・・