今日の収穫はキュウリ(究理・胡瓜)がニホン(日本・二本・似本・爾本)・・・?・・・
ーーーーー
枕草子
(一〇一段)・・・百一段・壱百壱段・佰壱段
1+0+1=2=弐=仁
1×0×1=0=零
かたはら
いた
き
もの
ーー↓
かたはらいたし
「傍(かたわ)ら痛し」の歴史的仮名遣い
「かたはら」を「片腹」と解した
他人が実力以上のことを行っているのが、
滑稽で苦々しく感じる
笑止千万・・・である・・・カナ・・・
・・・「片葉等(過多葉等)意他史」であろう・・・
「傍」は「イ+旁(かたわら・ホウ・ボウ)」である。漢字部首の「左側」の漢字である・・・
「偏旁冠脚垂構繞」・・・歌舞伎なら「変貌観客遂行の場」の「段」のシナリヲである。漢字研究者なら「変謀閑却推考(推敲)の條(定・帖)」である・・・
「繞」は「もとうる・まとう・めぐる・ジョウ・ニョウ」である。「ニョウ」は「女得」で「おんな(音名)」を「う(得)」である・・・「もとうる=摸問留・摸唐留・摸答留・母等留」・・・日本歴史の母系血統系譜の記録は「蘇我・唐→阿毎→阿倍→安陪・安倍・安部」の「則天武后」である・・・これに「幕末・明治」の「官吏」が纏わり付いて絡んでくるのだ・・・?
「繞」は「ニョウ(ネウ)=(呉音)・ ジョウ(ゼウ)(漢音)」 で[和訓]は「まとう・めぐる・かこむ・まつわる」、「纏繞(てんじょう)」、「纏足=てんそく=天測=転即=典則」、「囲繞」・・・
「右繞(ウニョウ)」
仏教の敬礼法の一・古代インドの風習・尊者・仏像などのまわりを、右回りに歩く作法・・・
ーー↓
「辶」=しんにょう・しんにゅう
「道・進・迷・・・」
道や歩く事に関する意味の部首
「之(の・これ・シ)の字に似ているので
「之繞(シニョウ)」、訛って「しんにょう」、更に訛って「しんにゅう」
「辶」の源字は「辵(チャク)」
「巡(ジュン)」は「之繞」に含めず、
「まがりがわ」の部に含める・・・?
ーー↓
「辵・辵(チャク)」を「そうにょう(走繞)」や「きにょう(鬼繞)」などのような表し方をしていたのだが、
後に今で言う
「二点(ゝゝ)之繞」の形になった
戦後、当用漢字字体表が公表されてから
現在では、「活字」においてのみ
「一点(ゝ)之繞」で表される
込 辺 迅 近 迎 返 述 迭
迫 逆 送 退 追 逃 迷 逝
造 速 逐 通 逓 途 透 連
逸 週 進 逮 運 過 遇 遂
達 遅 道 遍 遊 違 遠 遣
遮 遭 適 遺 遵 選 遷 還
避 遡 遜
辻 迂 迄 辿 迪 迦 逅 這
逍 逞 逗 逢 迸 遁 逼 遥
邁 遼 邂 遽 邏 など
ーー↓
「凵(カン・コン)」=かんにょう・うけばこ
「凶・出・凹」など
「繞の形」をしていないが、
便宜上
「繞扱い」にされる
「脚」に見做される場合もある
「凶・凹・出・凸」
「函」など
ーー↓
「廴(イン)」=えんにょう・いんにょう
「建・延・廷」など
伸びる事や進む事に関わる意味
「えん」は「延」から
「廴」の字音から「インにょう」
「廷・延・建」
「廻」など
ーー↓
「走」=そうにょう
「起・越・趣」など
走る事に関する意味
「赴 起 越 超 趣」
「赳 趙 趨」など
ーー↓
「鬼」=きにょう
「魅・魁」など
「鬼、物の怪」に関する意味
「魅」
「魁・魃・魑・魍・魎」など
ーー↓
「麦」=ばくにょう
「麺・麩」など
「麦、麦」加工品に関する意味
「麺」
「麩・麹」など
ふうにょう
「颱・颶」など
風に関する意味
ーー↓
夊=すいにょう=「処」など
爪=そうにょう=「爬」など
爪に関する意味
毛=け=「毬」など
ーー↓かたはらいたし
客人・・・・もろうど・まろうど・まれびと
もろ独活・毛呂宇土
唐土人・胡人・外国人→欧米人
古人→古人大兄皇子
振る比の渡の覆えの往事
胡 人 於 補重の王事
・・・「まろうど」って「聖書」では「旅人・彷徨人」・・・「迷える人」・・・だったか・・・チムール帝国の「康(サマルカンド・Samarkand)」・・・1369年、「西チャガタイ‐ハン国」を滅ぼし建国、1507年に滅亡・・・古代ギリシャ人たちはサマルカンドを「マラカンダ」と呼びました。中国では「康国」と漢字 で書きます。サマルカンドの語意は「人びとが出会う場所」・・・「ウズベキスタン共和国(月即別・月祖別・烏茲別克斯坦・烏茲別克)」の「康(サマルカンド・Samarkand)」の別名が「青の都」・・・「ウズヘキ=渦碧(辺規)+スタン=諏毯・洲淡」かも・・・住民はトルコ(土耳古)・・・
ーーー↓土耳古(トジコ)
蘇我「刀自古」郎女
聖徳太子の妃
父は蘇我馬子
母は物部氏の女
兄は蘇我蝦夷
姉は河上娘(崇峻天皇嬪)
妹は法提郎女(舒明天皇夫人・古人大兄皇子の母)
子は
山背大兄王
財王
日置王
片岡女王
↓
「刀耳胡(古)」→刀自古郎女(とじこ の いらつめ)
ーーー↓
トルコ(土耳古)系のウズベク人。ウズベキスタンは
綿花の大産地→海神(わたつみ・棉積・棉摘)
首都「タシケント」は→足建都(渡・賭・途・徒)
前一~二世紀には
城塞都市
古代史では「タシ、チャチ、ビンケント」などと
・・・・・「多氏・知也地・紊(鬢)建都」?
呼ばれた。
中国では
「達矢干」・・・・・・・・伊達也観
「石国」と記されている・・・岩国・磐国・違和国?
ーー↓堅塩(ケンエン・かたしお・かたじお)=岩塩
蘇我堅塩媛(そが の きたしひめ)
欽明天皇の妃
用明天皇、推古天皇の母
父は蘇我稲目
妹は
蘇我小姉君(欽明天皇の妃)・・・姉(あね・シ)
姉の異体字は「姊(古字)」→第の略字?
大姉は「比丘尼(びくに)」
女性の法名の称号
男性の居士(こじ)に対する文字
ならば「小姉」は?・・・腰・越・輿・古史
虎視・虎史・胡史?
蘇我石寸名(用明天皇の嬪)
石(いわ・いし・セキ)の
寸(約30.303mm)=「き・す・スン」
「寸」は平安時代の記録で「す」
訓は「き」
の
名
「寸」近世の遊里で、
局女郎(つぼねじょろう)の
揚げ代
一寸が一匁、または百文
「石寸名」→いわきな→「岩城・岩木・磐木」名
弟は
蘇我馬子
境部摩理勢・・・境(さかい・キョウ)
境=土(十一)+立+日+儿
十+一+立+兒?
十+一+立+皃?
皃=訓読=かお・かたち・かたどる
呉音=マク・ミョウ(メウ)
漢音=バク・ボウ(バウ)
相貌に・・・惑わされてはイケナイ・・・コジキ・ニホンショキの「ニホンだてのヂナリヲ」で・・・贋作は明治「文化文明」開化の「摩の理の勢い」である?・・・朦朧と彷徨(さ迷)う・・・妄想人・・・沙流(さる=猿・然・申)間感度(巻度)・・・
ーー↓まろうど
客・賓・客人
「まらひと」→古くは「まろうと」
訪問客・訪ねて来た人・きゃく・きゃくじん
まろうどがみ
客神・客人神
その土地で信仰されるようになった神
きゃくじん
「客実・賓実」
まろうどざね
主たる客・正客・主賓
まろうど
「まらひと」の転
近世まで「まらうと」
よそから訪れる人・客・客人・まれびと
「まろうど」は稀に来る人の意
「珍客」、「賓客」
「招かれて来る者」
「不意に来る者
「まらひと」の音変化
古くは「まろうと」
・・・・真漏徒・・・麻漏徒・・・馬廊徒・・・?
ーー↓もろこし
唐土(たうど)・・・多雨土・問う十の一
モロコシ=玉蜀黍・蜀黍・唐黍(とうきび)
高粱(コウリャン・コウリョウ・コウロウ)
(たか-はり・たか-やな)の異名
ーー↓もろこし
日本から中国を呼んだ名・唐・唐土
中国から伝来したモノ
中国南方の越(エツ・浙江・セッコウ省付近)の
諸国・諸族の「諸越(もろこし)」の訓読
その土地から諸物が渡来した意
ーー↓枕草子の続きです
などに
あひて
物
いふに、
奧の方に・・・・奥州・欧州・応酬・押収
うち
解け
ごと・・・・・・語徒
人の・・・・・・比渡
いふを、・・・・移付・意附・委付・異附
制せで・・・・・おさせで→訳語施出
聞く・・・・・・訊く・聴く・起句・効く・利く
規矩
菊→花・華
麹→こうじ=公示・公字・好事
掬→すくう=救う・巣食う・素句得
鞠→まり=真理・萬理・麻里・毬
記句・紀句
心地。・・・・・新知・真字
思ふ・・・・・・想う・重う・主得・面胡
人の
いたく・・・・・依託・異多句・意他句・委他句
板句→おおいた
→大分・豊後・豊前・豊国
宇佐→国東(くにさき)
醉ひて・・・・・與委手
おなじ・・・・・おなじ・於名字→同字
事・・・・・・・字・時・次・児・自→こと=言
したる。・・・「詞他・史多」留・至たる
(たる)・・・・足・垂
聞き・・・・・・危機・記紀
ゐたる
をも
知らで
人の
うへ
いひたる。
それは
何・・・・・・・名爾
ばかり・・・・・秤・測り・謀り
ならぬ・・・・・名等奴(濡=氵+需)
氵(水)
サンズイ(纂隋)・視ず
+
需=求める・ジュ・シュ
つかひ
人
なれど、
かた
はら
いたし。
旅
だち
たる
所
ちかき所
など
にて、
下衆
どもの
ざれ
かはしたる。
にくげ
なる
兒を、
おのれが
心地に
かなしと
思ふままに、
うつくしみ
あそばし、
これが
聲の
眞似にて
いひける
事など
語り
たる。
才ある
人の前
にて、
才なき
人の
物
おぼえ
がほに
人の
名
など
いひたる。
殊に
よしとも
覺えぬ
わが歌を
人に
語り
きかせて、
人の
譽めし
事など
いふも
かた
はら
いたし。
人の
起きて
物語
などする
傍に、
あさましう
打ち
とけて
寐たる人。
まだ
音も
彈き
ととのへぬ
琴を、
心一つ
を
やりて、
さやうの
かた
知りつる
人の
前にて
彈く。
いと
ど
しう
住まぬ
聟の、
さる
べき
所
にて
舅に
あひ
たる。
ーーーーー
・・・
ーーーーー
枕草子
(一〇一段)・・・百一段・壱百壱段・佰壱段
1+0+1=2=弐=仁
1×0×1=0=零
かたはら
いた
き
もの
ーー↓
かたはらいたし
「傍(かたわ)ら痛し」の歴史的仮名遣い
「かたはら」を「片腹」と解した
他人が実力以上のことを行っているのが、
滑稽で苦々しく感じる
笑止千万・・・である・・・カナ・・・
・・・「片葉等(過多葉等)意他史」であろう・・・
「傍」は「イ+旁(かたわら・ホウ・ボウ)」である。漢字部首の「左側」の漢字である・・・
「偏旁冠脚垂構繞」・・・歌舞伎なら「変貌観客遂行の場」の「段」のシナリヲである。漢字研究者なら「変謀閑却推考(推敲)の條(定・帖)」である・・・
「繞」は「もとうる・まとう・めぐる・ジョウ・ニョウ」である。「ニョウ」は「女得」で「おんな(音名)」を「う(得)」である・・・「もとうる=摸問留・摸唐留・摸答留・母等留」・・・日本歴史の母系血統系譜の記録は「蘇我・唐→阿毎→阿倍→安陪・安倍・安部」の「則天武后」である・・・これに「幕末・明治」の「官吏」が纏わり付いて絡んでくるのだ・・・?
「繞」は「ニョウ(ネウ)=(呉音)・ ジョウ(ゼウ)(漢音)」 で[和訓]は「まとう・めぐる・かこむ・まつわる」、「纏繞(てんじょう)」、「纏足=てんそく=天測=転即=典則」、「囲繞」・・・
「右繞(ウニョウ)」
仏教の敬礼法の一・古代インドの風習・尊者・仏像などのまわりを、右回りに歩く作法・・・
ーー↓
「辶」=しんにょう・しんにゅう
「道・進・迷・・・」
道や歩く事に関する意味の部首
「之(の・これ・シ)の字に似ているので
「之繞(シニョウ)」、訛って「しんにょう」、更に訛って「しんにゅう」
「辶」の源字は「辵(チャク)」
「巡(ジュン)」は「之繞」に含めず、
「まがりがわ」の部に含める・・・?
ーー↓
「辵・辵(チャク)」を「そうにょう(走繞)」や「きにょう(鬼繞)」などのような表し方をしていたのだが、
後に今で言う
「二点(ゝゝ)之繞」の形になった
戦後、当用漢字字体表が公表されてから
現在では、「活字」においてのみ
「一点(ゝ)之繞」で表される
込 辺 迅 近 迎 返 述 迭
迫 逆 送 退 追 逃 迷 逝
造 速 逐 通 逓 途 透 連
逸 週 進 逮 運 過 遇 遂
達 遅 道 遍 遊 違 遠 遣
遮 遭 適 遺 遵 選 遷 還
避 遡 遜
辻 迂 迄 辿 迪 迦 逅 這
逍 逞 逗 逢 迸 遁 逼 遥
邁 遼 邂 遽 邏 など
ーー↓
「凵(カン・コン)」=かんにょう・うけばこ
「凶・出・凹」など
「繞の形」をしていないが、
便宜上
「繞扱い」にされる
「脚」に見做される場合もある
「凶・凹・出・凸」
「函」など
ーー↓
「廴(イン)」=えんにょう・いんにょう
「建・延・廷」など
伸びる事や進む事に関わる意味
「えん」は「延」から
「廴」の字音から「インにょう」
「廷・延・建」
「廻」など
ーー↓
「走」=そうにょう
「起・越・趣」など
走る事に関する意味
「赴 起 越 超 趣」
「赳 趙 趨」など
ーー↓
「鬼」=きにょう
「魅・魁」など
「鬼、物の怪」に関する意味
「魅」
「魁・魃・魑・魍・魎」など
ーー↓
「麦」=ばくにょう
「麺・麩」など
「麦、麦」加工品に関する意味
「麺」
「麩・麹」など
ふうにょう
「颱・颶」など
風に関する意味
ーー↓
夊=すいにょう=「処」など
爪=そうにょう=「爬」など
爪に関する意味
毛=け=「毬」など
ーー↓かたはらいたし
客人・・・・もろうど・まろうど・まれびと
もろ独活・毛呂宇土
唐土人・胡人・外国人→欧米人
古人→古人大兄皇子
振る比の渡の覆えの往事
胡 人 於 補重の王事
・・・「まろうど」って「聖書」では「旅人・彷徨人」・・・「迷える人」・・・だったか・・・チムール帝国の「康(サマルカンド・Samarkand)」・・・1369年、「西チャガタイ‐ハン国」を滅ぼし建国、1507年に滅亡・・・古代ギリシャ人たちはサマルカンドを「マラカンダ」と呼びました。中国では「康国」と漢字 で書きます。サマルカンドの語意は「人びとが出会う場所」・・・「ウズベキスタン共和国(月即別・月祖別・烏茲別克斯坦・烏茲別克)」の「康(サマルカンド・Samarkand)」の別名が「青の都」・・・「ウズヘキ=渦碧(辺規)+スタン=諏毯・洲淡」かも・・・住民はトルコ(土耳古)・・・
ーーー↓土耳古(トジコ)
蘇我「刀自古」郎女
聖徳太子の妃
父は蘇我馬子
母は物部氏の女
兄は蘇我蝦夷
姉は河上娘(崇峻天皇嬪)
妹は法提郎女(舒明天皇夫人・古人大兄皇子の母)
子は
山背大兄王
財王
日置王
片岡女王
↓
「刀耳胡(古)」→刀自古郎女(とじこ の いらつめ)
ーーー↓
トルコ(土耳古)系のウズベク人。ウズベキスタンは
綿花の大産地→海神(わたつみ・棉積・棉摘)
首都「タシケント」は→足建都(渡・賭・途・徒)
前一~二世紀には
城塞都市
古代史では「タシ、チャチ、ビンケント」などと
・・・・・「多氏・知也地・紊(鬢)建都」?
呼ばれた。
中国では
「達矢干」・・・・・・・・伊達也観
「石国」と記されている・・・岩国・磐国・違和国?
ーー↓堅塩(ケンエン・かたしお・かたじお)=岩塩
蘇我堅塩媛(そが の きたしひめ)
欽明天皇の妃
用明天皇、推古天皇の母
父は蘇我稲目
妹は
蘇我小姉君(欽明天皇の妃)・・・姉(あね・シ)
姉の異体字は「姊(古字)」→第の略字?
大姉は「比丘尼(びくに)」
女性の法名の称号
男性の居士(こじ)に対する文字
ならば「小姉」は?・・・腰・越・輿・古史
虎視・虎史・胡史?
蘇我石寸名(用明天皇の嬪)
石(いわ・いし・セキ)の
寸(約30.303mm)=「き・す・スン」
「寸」は平安時代の記録で「す」
訓は「き」
の
名
「寸」近世の遊里で、
局女郎(つぼねじょろう)の
揚げ代
一寸が一匁、または百文
「石寸名」→いわきな→「岩城・岩木・磐木」名
弟は
蘇我馬子
境部摩理勢・・・境(さかい・キョウ)
境=土(十一)+立+日+儿
十+一+立+兒?
十+一+立+皃?
皃=訓読=かお・かたち・かたどる
呉音=マク・ミョウ(メウ)
漢音=バク・ボウ(バウ)
相貌に・・・惑わされてはイケナイ・・・コジキ・ニホンショキの「ニホンだてのヂナリヲ」で・・・贋作は明治「文化文明」開化の「摩の理の勢い」である?・・・朦朧と彷徨(さ迷)う・・・妄想人・・・沙流(さる=猿・然・申)間感度(巻度)・・・
ーー↓まろうど
客・賓・客人
「まらひと」→古くは「まろうと」
訪問客・訪ねて来た人・きゃく・きゃくじん
まろうどがみ
客神・客人神
その土地で信仰されるようになった神
きゃくじん
「客実・賓実」
まろうどざね
主たる客・正客・主賓
まろうど
「まらひと」の転
近世まで「まらうと」
よそから訪れる人・客・客人・まれびと
「まろうど」は稀に来る人の意
「珍客」、「賓客」
「招かれて来る者」
「不意に来る者
「まらひと」の音変化
古くは「まろうと」
・・・・真漏徒・・・麻漏徒・・・馬廊徒・・・?
ーー↓もろこし
唐土(たうど)・・・多雨土・問う十の一
モロコシ=玉蜀黍・蜀黍・唐黍(とうきび)
高粱(コウリャン・コウリョウ・コウロウ)
(たか-はり・たか-やな)の異名
ーー↓もろこし
日本から中国を呼んだ名・唐・唐土
中国から伝来したモノ
中国南方の越(エツ・浙江・セッコウ省付近)の
諸国・諸族の「諸越(もろこし)」の訓読
その土地から諸物が渡来した意
ーー↓枕草子の続きです
などに
あひて
物
いふに、
奧の方に・・・・奥州・欧州・応酬・押収
うち
解け
ごと・・・・・・語徒
人の・・・・・・比渡
いふを、・・・・移付・意附・委付・異附
制せで・・・・・おさせで→訳語施出
聞く・・・・・・訊く・聴く・起句・効く・利く
規矩
菊→花・華
麹→こうじ=公示・公字・好事
掬→すくう=救う・巣食う・素句得
鞠→まり=真理・萬理・麻里・毬
記句・紀句
心地。・・・・・新知・真字
思ふ・・・・・・想う・重う・主得・面胡
人の
いたく・・・・・依託・異多句・意他句・委他句
板句→おおいた
→大分・豊後・豊前・豊国
宇佐→国東(くにさき)
醉ひて・・・・・與委手
おなじ・・・・・おなじ・於名字→同字
事・・・・・・・字・時・次・児・自→こと=言
したる。・・・「詞他・史多」留・至たる
(たる)・・・・足・垂
聞き・・・・・・危機・記紀
ゐたる
をも
知らで
人の
うへ
いひたる。
それは
何・・・・・・・名爾
ばかり・・・・・秤・測り・謀り
ならぬ・・・・・名等奴(濡=氵+需)
氵(水)
サンズイ(纂隋)・視ず
+
需=求める・ジュ・シュ
つかひ
人
なれど、
かた
はら
いたし。
旅
だち
たる
所
ちかき所
など
にて、
下衆
どもの
ざれ
かはしたる。
にくげ
なる
兒を、
おのれが
心地に
かなしと
思ふままに、
うつくしみ
あそばし、
これが
聲の
眞似にて
いひける
事など
語り
たる。
才ある
人の前
にて、
才なき
人の
物
おぼえ
がほに
人の
名
など
いひたる。
殊に
よしとも
覺えぬ
わが歌を
人に
語り
きかせて、
人の
譽めし
事など
いふも
かた
はら
いたし。
人の
起きて
物語
などする
傍に、
あさましう
打ち
とけて
寐たる人。
まだ
音も
彈き
ととのへぬ
琴を、
心一つ
を
やりて、
さやうの
かた
知りつる
人の
前にて
彈く。
いと
ど
しう
住まぬ
聟の、
さる
べき
所
にて
舅に
あひ
たる。
ーーーーー
・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます