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コジキジゲン

「充分です」・・・カゴの中のパン・・・

2016-12-10 17:49:16 | 古事記字源

 ・・・「東田直樹」君の「The Reason I Jump」・・・「人間として」って、ナニ?・・・「人間」って、漢字(日本語)では「人+間」で、「人と人の間(の諸関係?)」で群れて生きていく生物の一般概念?・・・「人間の条件」と云うイヤな小説があったけれど、「大地」と云うスキな小説もあったが。登場人物は全部、「人間として」なんだけれど、様々、色々な「人間としての登場人物」なんだけれど・・・「人間としての尊厳」?、「人間らしい性質、感情などがあるさま」?、「ひと・人類・人柄・人格・人物」、「人間の人間であるゆえん・人間の普遍的本性」?・・・「人間らしさ」?・・・だから、「人間だから」って、ナニ?・・・「として」って?・・・「として=一つの資格・立場・名目、Bを設定して、Aの存在、行動のあり方の規定」って、「役割分担・階級、階層序列」?・・・「人間としての存在=personality=個性・性格⇒character」、「人間=Human・正しい=Rights」、「人間の普遍的本性」?、「誰に対しても誠実である」?、「人間として生きる事の意味と価値を知る為の社会」(的人間?)・・・
 「Homo sapiens(ヒト亜族(Hominina)に属する動物の総称・ 哺乳類霊長目(サル目)ヒト科ヒト属の 学名)」=「ラテン語の wise man(賢い人・智者)の意」
 「Homo(同じ・同種・同類・類似・ホモ(homo)=同じの意=同一細胞内に同一の遺伝子が対になって存在すること・一組の対立形質をAとaで表すと、AAかaaの遺伝子型になる」
 「sapiens(サピエンス)=ラテン語の賢明であるという意味の動詞 sapio(サピオー)の現在分詞形」
 「自由の主体としての人間」?
 「ホモ・ルーデンス(遊び人)」?
 「人間はポリス(都市国家)的動物である」?
 ・・・「人間として当然のことをしただけ」の「当然の具体的な内容」はナニ?・・・「自我の尊重、個人(他我)の解放」?・・・
 そうですか、「sapiens(サピエンス)=分別のある人・賢人・賢者・哲人・美食家」・・・なるほデ、「美食家」ですか・・・
 「人間」+「として・だから」のコトバを使用する「人間」たちの「意味規定」は曖昧であるようだ・・・
 「協働・協同・共同」体内のヒトビトは「約束ゴト=掟=秩序」で生きているのだから「人と人の間の諸関係のルールを守もって生きていくヒト」が「人間」で、更に云えば「社会的人間」である・・・
 「協働・協同・共同」体内で守ることの「基本」は
 「盗むな・騙すな・殺すな・差別するな」
 に尽きるが・・・当然、これを犯すモノは「排除」されるか、「罰」を受ける・・・これらの「約束ゴト・掟」を知らない人々もワンサカいる・・・「約束ゴト・掟」は「社会」で知らされ、知っているコトが前提であるが・・・知ることが出来ないヒトもいる・・・「跳びはねるコト」が禁止されるカモ・・・
 だが、諸先輩の「人間とは」は、今現在の立場での「プチブル意識のエゴな枠内」での「人間とは」らしい。彼らも、その枠内で、「人間とは」、それも「人間なんだよ」のヒトリなんだろう・・・
 アンタの「生活財・生活地位」に「盗みと、差別の部分」はないのか?
 「自由」は「どの枠内」で許されているんだか・・・?・・・「選択の自由」、「自由な選択」・・・
 生きている間の「生活財の多寡の追及」の「人間とは」・・・「自由」で、当然なんだろう・・・
ーーーーー
 ・・・「跳びはねる場所」も与えられない、「君の本」も読めない仲間が居るのはキミのせいでもないが・・・「自由な枠内」・・・「自由」とは「余裕の枠内・秩序の枠内・社会的存枠の宿命」だから・・・「既存の自由」を「運命」でコワシテみる・・・?・・・本当に「トリ」にナッチャウかも・・・飛べればイインだけれど・・・「カゴ」が必要だ・・・

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恐竜が「琥珀」の中に・・・

2016-12-09 23:24:37 | 古事記字源

 ・・・ミャンマー北東部で発見された「琥珀」の中に恐竜の尻尾を発見(カレント・バイオロジーに論文掲載・第一著者の中国地質大学の邢立達(シン・リダ)博士が化石標本をミャンマー・ミッチナーの琥珀市場で発見した9900万年前の琥珀」・・・「邢立達(シン・リダ)」博士の名前が「邢(シン・けい)=开+阝」、「邢は周時代の北方の邢国・文王の子である邢朋叔が封じられ、元公の代に滅亡」、「北狄(ホクテキ)に攻められ、紀元前659年に夷儀に移動した(邢遷于夷儀)が、紀元前635年に衛国(僖公二十五年正月・衛侯燬滅邢)に完全に滅ぼされた」、「立達(リダ)=目的、目標を達成、目的に行きつく」ですか・・・「6号機コウノ鳥」の行くへは・・・「種子島の水」と「日本製リチームイオン電池」を積んで22時23分、47秒点火発射・・・隣国の大統領は弾劾・・・「卑弥呼」にも「壹與」にもなれなかった・・・「TPP」ですか・・・「自由貿易」とは「地域的に経済的不均衡発展=経済的不均衡発展の自由市場」が前提である。共通通貨の「ユーロ(€・Euro)共通使用貨幣、紙幣」はヨーロッパ(Europe・欧羅巴)の経済を均衡化させたのか・・・「国際通貨」らしい「アメリカ$」は「世界経済」の「諸外国を均衡化」したのか・・・日本国内での「共通貨幣、紙幣」は「円(圓)」なのに「地方、地域の経済格差」がある・・・「金銭は均衡化」しないのが前提である・・・当然である・・・貨幣は商品と商品の「媒介交換手段」である。もちろん、「蓄財手段」でもある・・・すべからく、「自由商品市場」が前提の「交換、蓄財」手段であり、「投機⇔投棄」手段でもある・・・結果、「儲かる・損する」の博打的な手段なのである・・・「TPP(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement=環太平洋戦略的経済連携協定=環太平洋経済連携協定)」・・・
 トランス・・・・・・虎務棲?
 パシフィック・・・・葉施附意椄句?
 ストラテジィク・・・守虎出字意句?
 エコノミック・・・・重拠之視通句?
 パートナーシップ・・頗吾訳名阿詞通符?
 アグリーメント・・・蛙具理意目(女・馬)務途?
 ・・・???・・・
ーーーーー
 「きまぐれな」=「capricious」
   Capricorn =「山羊(座)」
         「気の多い・浮気な
 「気まぐれな黒猫」=「capricious black cat」
     フランス語=「 un chat capri-cieux
           (アン シャ カプリ シュー)」
            蛙 務釈 迦鮒理 諏得・・・?
ーーーーー
 ・・・ロケットH2、「こうのとり」は宇宙空間に分離、成功したらしい・・・モモちゃん、39日目だね・・・

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MMの birthday Eve・・・

2016-12-09 01:42:01 | 古事記字源

・・・「クリスマス」・・・「Mary(庚辰)-空(申酉)」さんの birthday Eve」・・・
ーーーーー
 Maria - マーリア・マリーア
 Marie - マリー・マリエ
 Mary - メアリー(メアリ)
 Marya - マリヤ・マリャ・マリーヤ
 Moira - モイラ
 Mariah- マライア
 Marika- マリカ
  ↓↑
 キリスト教「新約聖書」に登場
 イエスの母マリア
 『新約聖書』 聖母マリア・神の母・生神女
 サロメ (イエスの弟子) (マリア・サロメ)
 『新約聖書』 イエスの弟子。
 マグダラのマリア
 『新約聖書』
 マリア (クロパの妻)
 『新約聖書』クロパの妻・聖母マリアの姉妹
 マリア (小ヤコブとヨセの母)
 『新約聖書』マリア・ヤコベとも呼ばれる。
 マリア (マルタの妹)
 『新約聖書』マルタ (マリアの妹)の姉
  ベタニアのマリアとも呼ばれる。
 マルコの母マリア
 『新約聖書』使徒言行録 12章12節
 パウロの友マリア
 『新約聖書』ローマの信徒への手紙 16章6節
ーーーーー
 随分と多いね・・・「マリ・マル・マレ・マロ」だらけである・・・「マリリン」・・・「mari-ri-ne」・・・
 マリリン・モンロー
(Marilyn Monroe)
 1926年6月1日~1962年8月5日
 本名
 ノーマ・ジーン・モーテンソン
(Norma Jeane Mortenson)
 1926年 丙寅(己丙甲)
   6月 癸巳(戊庚丙)
   1日 辛酉(庚辛)子丑
 ・・・「Norma=ノーマ・ノルマはロシア語・英語はquota・定規座=南半球の小さな星座で、天の川の中の狼座と祭壇座の近くにある」・・・
 ・・・「Morten=マージーサイド (Merseyside) の町」+「son」
 ・・・「marine=海洋の・海棲む・海産の」
 ・・・「United States Marine Corps」・・・海兵隊
 ・・・「Jeane=ジーン・ジェーン・ジャンヌ」
 ・・・「ノーマ・ジーン(Norma Jean)
     1942年~1972年7月17日
     アメリカ合衆国のサーカスのメスのアジア象
     村の広場で立ち木に鎖で繋がれて
     に落雷の一撃を受けて死亡」・・・
 「marine=ラテン語のmare(マーレ=海)
  marinus(マリヌス)
  ・・・フランス語のマラン(男性形、marin)
  ・・・マリーヌ(女性形、marine)」
 「サウンド・オブ・ミュージック=The Sound of Music」・・・「さうんど-おぶ-みゅーじゅく(作運努-於部-観諭字諭句?)」も「マリア」・・・「マリア役のジュリー・アンドリュースは29歳
 1935年 乙亥(戊甲壬)
  10月 乙酉(庚辛)
   1日 庚戌(辛丁戊)寅卯
 生まれ)」・・・
 夫の「トラップ男爵はオーストリア海軍潜水艦隊司令官?」・・・正確には「オーストリア=ハンガリー帝国海軍の潜水艦隊司令官」だろう・・・「オーストリア=ハンガリー二重帝国、オーストリア=ハンガリー君主国」・・・「墺洪国、墺洪帝国」・・・
  ↓↑
 オーストリア
 墺太利
 墺地利
 墺土利
 墺多利
 墺斯利
 墺太利亜
 墺斯太利
 墺士地利
 墺地利亜
 墺斯土利亜
 墺西太利亜
 澳地利
 澳太利
 澳斯多利
 澳地利亜
 澳太利亜
 澳国
 奥地利
 奥地利亜
 奥失突利亜
 噢失突利亜
 浩斯特里
 欧塞特里
 墺国
 ↓↑
 ハンガリー
 洪牙利
 匈牙利
 匈加里
 哄喝利
 翁加里亜
ーーーーー
 日本の
 キリシタン(切支丹=七+刀+十+又+冂+丶)
       基督教徒
        督=叔(シュク・スク)・・・叔父・叔母
          +
          日(曰)
         =上+小+又+日
         =「ひろう(拾)・わかい(若)」
          「幼い・兄弟の序列で三番目(三男)」
          「末世(荒れた世の中)」
          「枝についている豆の象形・豆を拾う」
 「ゼス(ゼスス)・キリシト」
 「イイスス・ハリストス」
 「イエス・キリスト」
  ↓↑
 イエス・キリスト
 (紀元前6年~紀元前4年頃~紀元後30年頃
 ギリシア語=Ίησοῦς Χριστός
 ヘブライ語
 ラテン文字転記=Yhoshuah ha-Mashiah
 ナザレのイエス=イエス・キリスト
  ↓↑
 イエスの存在
 フラウィウス・ヨセフス(1世紀)
 タキトゥス(1世紀)
 スエトニウス(1世紀)
 などが記録
 ↓↑
ーーーーー
 エジプトの「マリア」
 12歳で両親の元を離れ
 アレクサンドリアに赴き、
 以降17年間、淫蕩生活・・・
 「糸紡ぎ」という職人で
 無報酬で男達と寝た
 十字架挙栄祭
 (正教会の、
  ハリストスの
  磔刑十字架が土中から発見された祝祭日)
 にエルサレムへ船で向かった
 十字架挙栄祭日
 主の十字架はエルサレムの
 至宝を見ようとして
 聖堂に入ろうとしたが、
 ナニ者かに押し返されので
 十字架を見る事が出来るのならば
 これ以降、淫蕩を止めるという祈りを捧げ
 彼女は聖堂に入る事が出来、
 十字架も見ることができた
 その直後、
 ヨルダン川の向こう岸に行けば
 平安を得られるであろうとの
 啓示を受け
 ヨルダン川に赴いて顔と手を洗い、
 丸木舟でヨルダン川の向こう岸に渡った
 その後、
 彼女は
 47年間、荒野で裸で修行生活をしていた
 ↓↑
 司祭ゾシマが
 マリアの死体を発見したとき
 マリアの足元に大きな
 ライオンが現れ、
 彼女の足を舐めた・・・
 ゾシマは恐れたが、ライオンが
 彼に甘え始めたので、
 ゾシマは
 マリアのために墓を掘るように
 ライオンに命じると
 ライオンが
 地面を掘り起こしたので、
 ゾシマはマリアをそこに埋葬した・・・
 ↓↑
 帰還したゾシマが
 修道院長と修道士達にこれらの話を語り
 「克肖女(こくしょうじょ)マリア」
 の永眠日を記憶する事が決められた
 ↓↑
 司祭の
 ゾシマは
 100歳近くで永眠・・・
 ↓↑
 マリアの教会伝承
 生没年不詳
 6世紀初め頃の聖人(正教会)
 5世紀初頭頃(カトリック教会)
 正教会は
 「エジプトの聖マリア」の永眠を
 521年
 522年など
 カトリック系は
 421年
ーーーーー
 ・・・「Mary(庚辰)-空(申酉)」さんの birthday Eve」が、今現在12月9日金曜日1時40分になっちゃった・・・おやすみ、MoMoちゃん・・・

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アベ、サンタ、「マリア」・・・タンサ、「アリス」って、「Wonder」・・・?

2016-12-07 17:43:33 | 古事記字源

 ・・・12月も7日目ですか、明日は・・・「真珠湾攻撃(Attack on Pearl Harbor・日本時間1941年12月8日未明・ハワイ時間12月7日)」・・・そして「1945年(昭和20年)8月15日に「負けた」と宣言したが「敗戦」ではなく、「終戦」として「記念」してきたらしい・・・「諏得替(撰)記捻比」・・・呆然、唖然、愕然・・・「切支丹」の「沈黙」のツヅキだが、「切る支の丹・支のタンを切る」である。「タン(丹)=に・あかい・まこと・鉱物の一・辰砂・丹砂・赤色の顔料・赤い色・丹朱・丹青・丹頂」・・・どうして「雲丹(うに)」なんだか、身は「オレンジ(橙)」色・・・「辰砂=水銀と硫黄(イオウ)の化合物」、「水銀」は蒸発し、「錬金術」の根源的な物質である・・・「丹砂を配合した不老不死の仙薬=丹薬・仙丹・練丹術」、「仁丹(ジンタン)」の「丹(まこと・に・あかい・タン)」だが、「赤蝦夷」のシンサ(審査)、タンサ(探査)の「ジンタン=訊探(譚)」である・・・
 「水銀=mercury・hydrargyrum・原子番号80の元素・元素記号は Hg・汞(エ+水)とも記す・第12族元素に属す・常温、常圧で凝固しない唯一の金属元素・銀のような白い光沢を放つ・辰砂 (HgS) は硫化物」・・・日本語は「みずかね・みずがね=水銀・汞=拼音(ピンイン)=gǒng(ゴォン)」、ラテン語で「argentum vivum(生きている銀)」、英語の「quick-silver(生きている銀)」・・・生きている「銀=金+艮(東北・丑寅=牛虎)」である・・・
 東北仙台宮城は伊達藩の「沈黙」・・・
 「支倉常長
 (慶長十八年9月15日(1613年10月28日)
  月ノ浦(石巻市)~アカプルコ (Acapulco de Juárez)
  ↓↑       あか-ぷ-るこ=Aca-pu-lco・・・?
           ↓↑
           Acapu=マメ科の種
              木材は暗褐色
              ポルトガル語
              マメ科ジャケツイバラ科
              チーク--ブラジルと呼ばれる
              熱帯アメリカ属Andira
              米国Vouacapoua種の様々な樹木
              acapu植物の緑の葉
             (アメリカVouacapoua
              オーブレーマメ科
              ジャケツイバラ科)
           loco=locos,locoes
              植物=ロコ草
              米国西部・中部産の
              マメ科ゲンゲ属
              オヤマノエンドウ属の
              有毒植物数種の総称
              家畜の中毒を引き起こす
              ↓↑
              ハワイ州で誕生した
              原住民、拠住民
              localに由来
              loco=「mad、crazy」の俗語
              ↓↑
              ノヴェスパニアの
             「Acapu-lco」
             「de=の・of」・・・デ・出・・・?
              接頭辞 de-「~から離れる」
              英単語の
              de-ception(騙すこと・詐欺)
              de-cide(決断する・決心する)
              de-cision(決断・決心)
              de-crease(減る)
              de-grade(価値、地位の低下)  
             「Juarez=1806~1872
                  メキシコの政治家
                  1855年
                  自由主義革命後
                  教会と軍隊の特権を廃止
                  内戦後、大統領
                  フランスの武力干渉を排除」
  ↓↑
 「桃生」の「水浜」
  で建造した洋式帆船・・・サン・セバスチャン号
              サン・ファン・バウティスタ号
  で出帆
  元和六年八月二十四(1620年9月20日)
  帰国後
  二年後に死去
  幼名は與市
  初名は六右衛門長経
  洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ
  ローマ貴族を授与された」
 「嫡男の
  支倉常頼が後を継いだが、
  寛永十七年(1640年)
  家臣がキリシタン(切支丹)であったコトの
  責任を問われ処刑断絶
  寛文八年(1668年)
  支倉常頼の子
  支倉常信の代で
  家名を再興
  後、
  第10代当主の代まで宮城県大郷町に
  第11代~現在の第13代支倉常隆まで、
  宮城県仙台市に在住」
  「後に
   六右衛門長経
   長経の名を忌避し、
   常長
   と偽って記録された」・・・
  「家紋」は、「逆卍」に「違い矢斜め十字」・・・?
 ・・・「隠れ切支丹」・・・
 「三浦按針」=1620年5月26日(元和六年四月二十四日)に死去・・・
 「万暦帝」=1620年8月18日(明の第14代皇帝)死去
  ↓↑
 「国家支配階級の沈黙」・・・更には「国家内の被支配階級の沈黙」・・・「天皇陛下」だけが「敗戦」で沈黙を破った・・・そして、「敗戦」で「沈黙」を破った「日本国の国民、市民」とは「ダレ」だったんだか・・・?・・・「終戦」で「沈黙」したのは「ダレ」だったんだか・・・国会で「饒舌」になっている奴がいる・・・「不思議な国」の「アキス(?)」は「沈黙」の替わりに「幻想」をフリマキ続けている・・・
 「Alice(Aris)」・・・イタリア語は「アリーチェ (Alice)」で「acciuga(アッチューガ)=カタクチイワシ科の魚の別名」らしい・・・「上顎骨の後端が眼の位置よりも後ろまで伸びるため大口・吻(口先)はやや尖(とが)り、下顎よりも前に突き出ている・顎の歯の発達は種によって様々・カタクチイワシ( Engraulidae)亜科は体が細長い円筒形に近く、外見はイワシ(鰯・鰮)に似る」、「堅口」なのか、「片口」なのか、「過多・型・形・潟・縣・加太」の「口」なのか?・・・「化多の䪼(出頁・くち・セツ・セチ・頬骨・顎骨・豚)」・・・
 「ルイス・キャロル(Lewis Carroll・1832年1月27日~1898年1月14日)」はペンネーム・・・「キャロル=踊りのための民謡・祝歌、頌歌と訳される賛美歌」・・・「Xmas carol」・・・
 本職は「英国の数学者・論理学者)=本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドジソン (Charles Lutwidge Dodgson) 」・・・ドジな奴は損する・・・?・・・「Dodgsonの発音」は「ドドソン」あるいは「ドッドドン・ドッドソン」らしい・・・「ドドソン(ドドスン)」の発音が正しいらしい・・・名前のスペルの「Gg=ジイ」の欠落も面白かった。この説は、
 「キャロルに関する雑学帳」・・・
  ↓↑
http://www.hp-alice.com/lcj/zatugaku/dodgson.html
 のに記されてあったモノです・・・
  ↓↑
 「Wonder(驚異・驚嘆・驚き・think・doubt)」の「land」・・・
 「~かなあと思う=何で~なのかなあ=I wonder why ~」
 「…を不思議に思う=思い巡らす=…に好奇心を持つ
  =about ...)」
  ↓↑
 「日米地位協定」
 1957年(昭和32年)1月30日
 群馬県群馬郡相馬村(榛東村)で
 在日米軍兵士・ウィリアム・S・ジラードが
 日本人主婦を射殺
 2002年6月
 沖縄で、窃盗容疑で逮捕された整備兵が
 「急使(米軍のクーリエ)」の
 身分証を保持していいたので釈放
 2002年4月
 在日オーストラリア人女性が
 横須賀で
 空母「キティホーク」乗組員に強姦
 容疑者は事件発覚前に名誉除隊で
 アメリカ本土に逃亡
 1995年にはアメリカ海兵隊兵士3名が
 12歳の女子小学生を拉致し、集団強姦
 実行犯である3人は
 日本側に引き渡されなかった
  ↓↑
 Wonder
  ↓↑
 a nine days' wonder
 in the name of wonder
  ↓↑
 …にあきれる
 (at ...,to do) 
 …を怪訝に思う・怪しむ・いぶかる・疑わしく思う
 (about ...)
 wonder (about) why
 依頼・許可・提案
 if(whether)
 I wonder whether
 I wonder if you can help me.
 …に驚く・…とは不思議だ
 I wonder (that) you didn't tell him yourself.」
  ↓↑
ーーーーー
 日本国民は、
 正当に選挙された・・・立候補者の
           「区割り選挙地の選挙民」
           「供託金」って「正当」か?
 国会における
 代表者を通じて行動し、
 われらとわれらの子孫のために、
 諸国民との協和による成果と、・・・「諸国民」のダレ?
 わが国全土にわたつて
 自由のもたらす恵沢を確保し、
 政府の行為によつて
 再び戦争の惨禍が起ることの
 ないやうにすることを決意し、
 ここに
 主権が国民に存することを宣言し、
 この憲法を確定する。
 そもそも国政は、
 国民の厳粛な
 信託によるものてあつて、
 その権威は国民に由来し、
 その権力は国民の代表者がこれを行使し、
 その福利は
 国民がこれを享受する。・・・「(全)国民」のダレが
               「享受」しているのか?
 これは
 人類普遍の原理であり、・・・「人類普遍の原理」って?
 この憲法は、
 かかる原理に基くものである。
 われらは、
 これに反する
 一切の憲法、
 法令
 及び
 詔勅を排除する。
 日本国民は、・・・・・・「日本国民」のダレ?
 恒久の平和を念願し、
 人間相互の関係を
 支配する崇高な理想を
 深く自覚するのであつて、・・・「ジカク」だけか?
 平和を愛する諸国民の
 公正と信義に
 信頼して、・・・・・「信頼」できるのか?
 われらの
 安全と
 生存を保持しようと
 決意した。・・・・・主観的な決意表明である?
 われらは、
 平和を維持し、
 専制と隷従、
 圧迫と偏狭を
 地上から永遠に
 除去しようと努めてゐる
 国際社会において、・・・・・「国際社会」って、ダレとダレ?
 名誉ある地位を占めたいと思ふ。
 われらは、
 全世界の国民が、
 ひとしく
 恐怖と欠乏から免かれ、
 平和のうちに
 生存する
 権利を有することを
 確認する。・・・・・・・「確認」って、ダレが?
             「日本国民」として「確認」・・・
 われらは、
 いづれの国家も、・・・・・いずれ=何れ=イズレ?
              諸外国も
 自国のことのみに専念して
 他国を無視しては
 ならないのであつて、
 政治道徳の法則は、・・・・「所為字同訳句(解く)」?
 普遍的なものであり、
 この法則に従ふことは、
 自国の主権を維持し、
 他国と
 対等関係に立たうとする
 各国の責務であると・・・・各国の責務?
 信ずる。・・・・・・・・・「(主観的に)信じる」って?
 日本国民は、
 国家の名誉にかけ、
 全力をあげて
 この崇高な理想と目的を
 達成することを誓ふ。・・・「決意表明」だが・・・相手は?
ーーーーー
 ・・・???・・・「沈黙」・・・「饒舌」で「恫喝・恐喝」・・・頑張りきれるか・・・「地球人」・・・「比律賓」も「ジポン」の「人びと」も・・・

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「Black(ぶらっく) hall」か、「Black(ぶらっく) whole」か・・・「夜明け前」の「ブラツキ」か・・・

2016-12-06 01:11:59 | 古事記字源

 ・・・「沈黙」のツヅキは「饒舌」・・・昨夜は「ダーウインが来た」の「白いライオン」、「サイエンスゼロ」の「ブラックホール(Black hall)」を観たが面白かった。「ブラックホール(Black hall)」は以前「コラプサー(collapsar)」と云われていたらしい。やっぱ、名前からして「ブラックホール(Black hall)」と呼ぶのはシロート(素人)に誤解を招くし、物理学者も混乱させてきたようだ。FS作家には想像を駆り立てる「コトバ」ではあるが、「アナ(穴・坎・坑・坑)=hall」ではない。「高密度・超極大の重力」の「存在物質」である。超密度、超極小の物質の重力が周囲の物質を引きつけている現象である・・・重力波の観測は複数の「Black hall」が合体した時に発せられたらしい・・・天体観測で、銀河系の中心が「Black hall」が群がっていると発見したのは「岡朋治教授」であるらしいが・・・考え方は「鳴門の渦」と同じである。渦が巻く現象は二つ考えられる。一つは海底に空間があり、その空間に「海水」が流れ込み、渦状の空間はその時にできる。流れ込んだ「海水」はどこかで徐々に海底空間から抜け拡散していく。あるいは、速度の異なった「潮流」と「潮流」が海中でぶつかり、その衝撃で渦を造り出す。物質はある領域空間では衝突を繰り返し密度を高め、遠心力的に渦を造り出す・・・
 問題は「時空の歪み」と云うコトバである。存在するのは「時空の歪み」ではなく「物質の歪み」だけである・・・
 考えが「ユガン」でいる、って・・・「ユガム」のも自然の摂理であるかな・・・
 ・・・ミンナが「寿命まで生き延びる=天寿」のが「アタリマエの時代」は無かったし、これからも無いだろうが・・・無理に命を棄てるコトは「カミ」の望んでいるコトでもないだろう・・・「ココロの時代」は「肉体(ジクタイ)の時代」でもあるのがアタリマエだが・・・「厄介(ヤッカイ)」でもアルカナ・・・きくコトも、みるコトも・・・三人のマリア、「マグダラのマリア(the Sinner)・ベタニアのマリア(マルタの妹)・マリア(キリストの母)」・・・更に「エギペト(エジプト)の聖マリヤ(5~6世紀)=ライオンが現れ彼女の足を舐めた」もいた・・・
  ↓↑
 「棄教」は簡単である。一言、「ヤメタ」のコトバを発すればすむ。そして、青銅のマリア像に足を載せるだけですむ。キリストは「マグダラのマリア(Mary Magdalene)=タリケア=亜使徒(あしと)=使徒に次ぐ者(Equal-to-the-apostles)」に自分の「足」に香油を塗らさせた。イエスの「足」に涙を落し、自らの髪の毛でイエスの「足」を拭き、香油を塗った・・・「足」は肉体の「重要な移動手段の部分」である・・・「タリ」なのだ・・・
 「キキョウ=帰郷・帰京・桔梗・奇矯・気胸・紀経・記教」・・・
 「桔梗」はボクの伯母さんの名前だった・・・「Platycodon grandiflorus(balloon flower)=万葉集で秋の七草と歌われる「朝貌の花」・去痰、鎮咳、鎮痛、鎮静、解熱作用があり、消炎排膿薬、鎮咳去痰薬などの薬用に使われる」・・・
 「土岐氏一族=明智光秀」の家紋
 「阿倍清明」の「桔梗印=五芒星」
 北海道函館の
 「桔梗町・桔梗駅(1902年・明治三十五年十二月十日開業)」
 で、・・・「沈黙」のツヅキは「饒舌」だったが・・・前置きがナガイ・・・
 以前のボクの書き込んだモノも、以下も、これからの書き込みもホトンドが「ウイッキペデア」や、他の「ブログ記事」を下敷きにしたモノである。「数字」や、「漢字」、「コトバの意義」、「学説」を参照、参考し、引用し、添付させてもらっているが、ボク自身の「オリジナルなモノ」は無い。で、「・・・」、「?」としての文言はホトンドが、それらを踏まえた「妄想・仮説」の枠内のモノである。
ーーーーー
 転びバテレン(padre・宣教師のポルトガル語)
  ↓↑・・・「バテレン」→「べてらん」?
  ↓↑   「ベテラン=古残兵、老兵
             ラテン語で年老いたの意
            「Vetus」+「an(接尾語)
             技術に長けた
             老練な歴戦の勇士
       「veteran=老練家・老兵
             ベテラン=expert(expertner)
                  熟練の専門職人
             米国で「復員、退役、在郷」の軍人
  ↓↑
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 クリストヴァン・フェレイラ
 (Cristóvão Ferreira)
 1580年(天正八年)頃~
 1650年11月4日(慶安三年十月十一日)
 ポルトガル出身のカトリック宣教師
 イエズス会士
 拷問によって棄教
 沢野忠庵(忠安)と名乗って
 キリシタン弾圧に協力
  ↓↑
 クリストファン・フェレイラ
 1633年10月18日(寛永十年九月十七日)
 長崎で
 中浦ジュリアン神父・・・
   Julião=1568年(永禄十一年)頃
        ~
       1633年10月21日(寛永十年九月二十日)
  ↓↑
  ↓↑
 らと
 穴吊りの刑に処せられ
 過酷な苦痛をもたらすが
 事前に
 死なないように処置をされ、
 棄教の意思表示は
 自由にできるようにされたが
 耐え抜くの至難
 他の者はすべて殉教
 5時間後
 フェレイラのみが
 耐え切れず棄教
 以後
 他の棄教した聖職者の
 「転びバテレン」とともに
 キリシタン
 取締りに当たった・・・彼の願いは
 ↓↑         隠れ切支丹を
            拷問する前に
            切支丹信者の
           「すてる」の
            一言だった・・・?
            切支丹信者ではなく
            百姓一揆に加担した
            百姓達はドウなったのか?
           「捨てるコトバ」が無い者は
            許されたのか・・・?
 ↓↑         許されはしなかった・・・?
 1644年(正保元年)
 『顕疑録』出版
 天文学書『天文備用』・・・・・・・合理的な科学者でもあった
 医学書『南蛮流外科秘伝』出版・・・医者でもあった
 ↓↑
 イエズス会管区長代理の「棄教」の影響
 ヨーロッパのカトリック教会に衝撃
 多くの宣教師が
 日本潜入を志願・・・不思議である
 潜入した宣教師たちは、
 捕縛、殉教、
 ある者は
 棄教
 遠藤周作の『沈黙』のモデル
 ジュゼッペ・キアラ
 ↓↑
 井上筑後守
 幕府大目付
 宗門改役
 「穴吊り」の
 拷問方法を考案し
 棄教させた・・・同胞日本人を殺したくは無かった
 ↓↑     「一コト」云えば、生きられるのだ
        「すてろッ」、「捨てます」
         彼の望みは
        「生かすコト」が目的だった・・・?
         戦国時代の武士は
        「かえり忠(逆り忠)=裏切り」で
        「寝返って」も生きられたが、
         織田信長あたりから
        「生命の保障」は
         曖昧になってきた
         戦線で
        「調略」=「はかりごと・計略・謀略」
         した裏切りの「約束事=代償=保障」
        「安全保障=命、所領安堵」も
         破棄されたのだ・・・
        「士農工商」の身分確は
        「生殺与奪」の秩序を確立したが、
         命の犠牲は「農民」がそのほとんどだった
        「武士」の不忠は「切腹」で、逃げ場は無い
 ↓↑      で、ある・・・          
 温厚な初老の政治家だった・・・?・・・元は切支丹だった
 かつては
 キリスト教徒
 ロドリゴに
 キリスト教は
 この国では根付かないと説く・・・同胞、同僚の
                 犠牲は避けたかった?
 ↓↑
 井上筑後守
 生誕
 天正十三年(1585年)
  ~
 万治四年二月二十七日(1661年3月27日)
 寛永四年(1627年)12月29日
 従五位下
 筑後守に叙任
 同九年(1632年)12月17日
 江戸幕府大目付(総目付)
 幕府の
 キリシタン禁教政策の中心人物
 下屋敷は文京区小日向
 キリシタン幽閉する施設として使用された
 脇に切支丹坂と呼ばれる坂が残る
 寛永十五年(1638年)
 島原の乱に
 上使として九州に赴いた
 寛永十七年(1640年)6月12日
 1万石を領し大名
 下総
 高岡藩の藩祖
 同二十年(1643年)5月23日
 三千石を加増
 正保元年(1644年)12月16日
 大目付として
 宮城和甫(宮城越前)?
 と共に
 諸大名に
 正保国絵図
 正保郷帳
 の作成を命じた
 正保国絵図
 国単位で作らせた国絵図で、
 これに基づき、
 正保日本図(日本総図)
 が作成された
 原本の大半と総図は、
 皇国地誌編纂中の
 1873年(明治六年)の
 皇城火災により消失
 複製(国立歴史民族博物館所蔵)
 が伝わっている
 現存国絵図は、
 羽後、出羽、秋田、仙北、出羽六郡、
 庄内三郡、新庄領、奥州南部十郡、
 南部領、山城、摂津、
 安芸、対馬、筑後、豊後
 提出もととなった各地の
 大名家ゆかりの
 原本の原本や、写本が残されている
 蝦夷地
 や
 琉球
 についても作成・・・正保元年(1644年)
 寛文九年(1669年)
 北条氏長
 を責任者として校訂事業
 ↓↑
 井上筑後守
 万治元年(1658年)・・・万の治の元の年
 ↓↑          干支は「戊戌」年
             明暦四年、改元(8月21日)
             万治元年七月二十三日
             中国順治十五年
             南明 永暦十二年
             朱亶塉(南明)定武十三年
 ↓↑          ↓↑
             9月3日
             オリバー・クロムウェル死去
             軍人、政治家(1599年~)
             トマス・クロムウェルは大伯父
             清教徒革命=ピューリタン革命
            (1641~1649年)の中心人物
             ネイズビーの戦い
             国王チャールズ1世を
             スコットランドに追い、
             議会派を勝利に導いた
 ↓↑          ↓↑
             1649~1660年
             イングランド共和国
            (Commonwealth of England)
             護国卿時代は独裁体制
 ↓↑          ↓↑
             11月12日(万治元年十月十七日)
             真田信之、
 ↓↑          信濃松代藩初代藩主死亡(~1566年)
 井上筑後守
 万治元年
 閏十二月八日
 辞職
 嫡男・政次は早世
 政次の嫡男である
 政清に
 万治三年(1660年)七月九日
 家督を譲って隠居
 幽山と号
 万治四年(1661年)二月二十七日
 死去。享年77
 ↓↑
 「沈黙」の登場人物
 ↓↑
 通辞
 井上筑後守の部下で
 奉行所の
 通訳を務める男
 ロドリゴに対して
 説得という形で
 棄教を勧め、
 時に議論を戦わせる
 神学校で学び洗礼を受けた過去を持ち
 彼(通辞)が棄教したのは
 宣教師の傲慢で
 日本人への
 侮蔑意識に満ちた態度に失望したため
 ↓↑
 1971年
 篠田正浩監督が
 『沈黙 SILENCE』の題名で映画化
 ↓↑
ーーーーー
 天正遣欧少年使節
 イエズス会の巡察師の
 アレッサンドロ・ヴァリニャーノが
 キリシタン大名
 大村純忠と接し
 財政難の
 日本の布教事業の立て直しと、
 次代の
 邦人司祭育成のため、
 キリシタン大名の
 名代となる使節を
 ローマに派遣しようと計画
 セミナリヨで学んでいた
 ジュリアン
 を含む4人の少年たちの
 使節副使となった
 ローマ教皇
 グレゴリウス13世・・・1582年
            グレゴリオ暦=現在の「西洋暦」
            ローマ教皇
            グレゴリウス13世が
            ヨーロッパの天文学者たちを
            集めて編纂
 と謁見
 ジュリアンは高熱で
 謁見式には臨めなかったが
 教皇への目通りを切望するジュリアンの願いで
 教皇と非公式の面会をした
 トスカーナ大公国の舞踏会で
 ジュリアンは緊張し
 踊る番で相手に
 老婦人を誘った
 1590年(天正十八年)
 帰国
 1591年(天正十九年)
 聚楽第で豊臣秀吉と謁見
 後、天草の修練院に入り、
 コレジオに進んで勉学
 1593年(文禄二年)7月25日
 他の3人とイエズス会入会
 1601年(慶長六年)
 マカオのコレジオに移った
 千々石ミゲルは退会
 1608年(慶長十三年)
 伊東マンショ
 原マルティノ
 とともに
 司祭に叙階
 司祭叙階後、博多で活動
 1613年(慶長十八年)
 領主
 黒田長政の
 キリシタン弾圧で
 追われ長崎に移動
 1614年(慶長十九年)
 江戸幕府のキリシタン追放令で
 潜伏し九州を回りながら、
 迫害キリシタンたちを慰め
 地下活動
 1632年(寛永九年)
 小倉で捕縛、長崎へ移送
 1633年10月18日(寛永十年九月十七日)
 イエズス会司祭の
 ジョアン・マテウス・アダミ
 アントニオ・デ・スーザ
 クリストヴァン・フェレイラ
 ドミニコ会司祭の
 ルカス・デ・スピリト・サント
 と3人の修道士とともに
 穴吊るしの刑、
 すぐに死ねずに
 苦しみもがく「惨刑」で・・・・・惨・刑・・・?
 クリストヴァン・フェレイラ
 が棄教
 他は殉教死・・・・・拷問死・・・?
 最初に死んだのは
 中浦ジュリアン
 穴吊るしにされて
 4日目の10月21日(9月20日)
 65歳没
 ↓↑
ーーーーー
 天正遣欧少年使節
 ↓↑
 1582年(天正十年)
 キリシタン大名の
 大友宗麟
 大村純忠
 有馬晴信
 の名代としてローマへ派遣
 アレッサンドロ・ヴァリニャーノの発案
 1590年(天正十八年)に帰国
 彼らが持ち帰った
 グーテンベルク印刷機
 によって
 日本語書物の活版印刷
 キリシタン版が出版
 ↓↑
 有馬晴信が日野江城下に建てた
 セミナリヨで学ぶ生徒の中から選ばれ
 派遣当時の年齢は
 13~14歳
 中浦ジュリアンが最年長、
 原マルティノが最年少
 ↓↑
 使節
 伊東マンショ(主席正使)
 大友宗麟の名代
 日向国主
 伊東義祐の孫
 司祭に叙階
 1612年
 長崎で死去
 ↓↑
 千々石ミゲル(正使)
 大村純忠の名代
 純忠の甥で
 有馬晴信の従兄弟
 後に棄教
 ↓↑
 中浦ジュリアン(副使)
 司祭に叙階
 1633年
 長崎で
 穴づりによって殉教
 ↓↑
 原マルティノ(副使)
 司祭に叙階
 1629年
 追放先のマカオで死去
 ↓↑
 随員
 ジョルジェ・ロヨラ修道士
 使節の教育係、日本人
 コンスタンチノ・ドラード
 印刷技術習得要員、日本人少年
 アグスチーノ
 印刷技術習得要員、日本人少年
 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父
 ローマへ随行途中
 職務によって
 ゴアにとどまる
 ヌーノ・ロドリゲス神父
 ヴァリニャーノの後をついで
 一行に従う
 ディオゴ・メスキータ神父
 通訳、イエズス会員
 ロレンソ・メシア神父
 オリヴィエーロ修道士
 ↓↑
 1582年2月20日(天正10年旧暦1月28日)
 長崎港を出港。
 1582年3月9日(天正10年旧暦2月15日)
 マカオ着
 1583年12月20日(天正11年旧暦11月7日)
 マラッカ・コチンをへてゴア着
 1584年8月10日(天正12年旧暦7月5日)
 ポルトガルの首都リスボンに到着
 サン・ロッケ教会が宿舎
 リスボン近郊シントラの
 アルベルト・アウストリア枢機卿
  (フェリペ2世の妹マリア
   神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の男子)
 の王宮に招かれる
 1584年11月25日(天正12年旧暦10月23日)
 スペインの首都マドリードで
 スペイン国王フェリペ2世の歓待
 1585年3月1日(天正13年旧暦1月30日)
 スペインのマヨルカ島を経由し
 イタリアのリヴォルノに到着
 トスカーナ大公国に入る
 1585年3月2日(天正13年旧暦2月1日)午後1時
 ピサに到着
 ピサ宮殿にてトスカーナ大公
 フランチェスコ1世・デ・メディチに謁見
 その晩、
 大公妃ビアンカ・カッペッロ主催の舞踏会に参加
 ピサ滞在中、
 斜塔や大聖堂、ピサのドゥオモ広場を訪問
 1585年3月6日(天正13年旧暦2月5日)
 カヴァリエーリ広場の
 サント・ステファノ・デイ・カヴァリエーリ教会で
 聖ステファノ騎士団を見学
 四旬節の初日である
 灰の水曜日で
 トスカーナ大公とともに灰を受ける
 1585年3月7日(天正13年旧暦2月6日)
 フィレンツェに到着
 シニョーリア広場の
 ヴェッキオ宮殿に宿泊
 1585年3月11日(天正13年旧暦2月10日)
 フィレンツェ近郊の
 プラトリーノの別荘
 ヴィッラ・デミドフで過ごす
 1585年3月23日(天正13年旧暦2月22日)
 ローマでローマ教皇
 グレゴリウス13世に謁見
 ローマ市民権を与えられる
 1585年5月1日(天正13年旧暦4月2日)
 グレゴリウス13世の後を継いだ
 シクストゥス5世の戴冠式に出席
 1585年6月3日(天正13年旧暦5月6日)
 ローマを出発
 ヴェネツィア、
 ヴェローナ、
 ミラノ
 などの諸都市を訪問
 1586年4月13日(天正14年旧暦2月25日)
 リスボンを出発し帰路
 1587年5月29日(天正15年旧暦4月23日)
 インドのゴアに到着
 ヴァリニャーノに再会
 コレジオにおいて
 原マルティノの演説
 同月に長崎で大村純忠が死去
 1587年6月
 豊後で大友宗麟が死去
 1587年7月
 豊臣秀吉、バテレン追放令発布
 1590年7月21日(天正18年旧暦6月20日)
 使節団、長崎に帰港
 1591年3月3日(天正19年閏1月8日)
 聚楽第で
 豊臣秀吉に、
 西洋音楽(ジョスカン・デ・プレの曲)を演奏
 ↓↑
 使節団が持ち帰った西洋文物
 活版印刷機
 西洋楽器
 海図
 ↓↑
ーーーーー
 ・・・「命」は無駄にしないのが「キリストの教え?」なのに、簡単に「殉教死」するのはナゼか・・・?・・・「コロビます」はコトバである・・・「ころび」の「ココロ」は「棄教」ではないだろうに・・・?・・・「隠れ切支丹」のエラサは「キリスト教徒」だったからではない・・・「階級社会の暴力」に対する長い、ナガぁ~い時間の「臥薪嘗胆」である・・・それは「怨恨」でもないし、「慈愛」を求めるモノでもない・・・「人間の解放」である・・・?・・・今現在はムリとしても・・・
 「Black() hall」か、「Black() whole」か・・・「夜明け前」の「ブラツキ」か・・・

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