・・・水道が凍結した・・・「国際政治情勢」もアヤウイ情勢であるがTV映像は「平和」に浮かれている・・・昨日は9時半に歯医者さん、役場、農協、スーパーで食糧の仕入れ、帰宅して「ドクターY」をみて笑った。相手の「理由」があって、相手がクレるモノはさっさと貰う。だが、本人はきっと「対価の報酬・ボーナス」だと思ってんだろう。貰ったからって、「自分自身の信条・信念」が変わるモノでもない。札束であろうが、メロンであろうが、人参、葱、キャベツ(cabbage)、大根であろうが、相手の余裕の範囲で、同じである。貰って「罪の呵責」を感じるのは、それが「合法」ではなく、「犯罪」だと思っている奴だからだろう・・・「合法」か、「非合法」は「立法議会」で審議可決され、「記録化」された「文字・文章」次第である。だが、それらの「法律文」も曖昧で、その解釈は「裁判官」次第。しかも、犯罪者個々人次第で「保釈金」とか、「執行猶予」の差がある・・・そして、この地球上の視える範囲、聴こえる範囲、空気の触れるコトが出来る小さな空間で・・・ダレもが日常生活で「社会的に生き延びて行くのは難しい」・・・今現在、生きているのは「アリガタイ結果」であるかな・・・様々な生きざまがあるが・・・限られた時間の枠内である・・・その枠内で「イイコト」がタクサンあるとイイねッ・・・
ボクにはかっては欲しかったカラーTV、ステレオ、ラジヲ、コンピュータ・・・ストーブ、水道、シャワーレットトイレ、ベット・・・そして備蓄のコメもある・・・もちろん、「オモイ(想・思)い出」も・・・
ナゼ、
「思」は「囗+十+心」で、
「偲」は「イ+囗+十+心」で、・・・偲ぶ=しのぶ=忍ぶ
死の部
「想」は「十+八+目+心」で、
「憶」は「忄+立+日+心」で、
「重」は「千+田+十+一」なんだか?・・・
↓↑
「おもい=輖=重い荷を載せる車=車+冂+吉(十一口)
「おもい=𨗈=日景(日影)の移動=景(日亠口亅八)+辶」
・・・「輖(車周)𨗈(景辶)」・・・「日蔭(日影)時計」・・・「日時計様組石」・・・「ストーンサークル=環状列石(レッセキ)=環状石籬(セキリ)」・・・「面影(おもかげ)」・・・
↓↑
1880年代に
札幌農学校の
第一期生である
田内捨六・・・・・・・「田の内」を「捨てる六」です?
「□の十を捨てる音(亠)の八」
によって発掘調査された
北海道小樽の
三笠山、山麓の
「忍路(オショロ)環状列石」は
1861年(文久元年)に発見され、
1886年(明治十九年)に公表された
約3,500年前の縄文遺跡・・・
「忍路(オショロ)」は
「忍(しのぶ)路(みち)」だが、
「偲ぶ道」・・・
↓↑
於母影(おもかげ)
雑誌
「国民之友
(明治二十二年八月
1889年8月号訳詩集・於母影)」
オフェリアの歌
いずれを君が恋人と
わきて知るべきすべやある
貝の冠とつく杖と
はける靴とぞしるしなる
かれは死にけりわが姫よ
渠(かれ)はよみじへ立ちにけり
かしらのほうの苔を見よ
あしのほうには石立てり
柩をおほふきぬの色は
高ねの雪と見まがいぬ
涙やどせる花の環は
ぬれたるままに葬りぬ
(森 鴎外訳)
↓↑
「19:00~23:10(12/17)報道スクープSP激動!世紀の大事件・・・世界を震撼させた、誰もが知る大事件の誰も知らなかった新事実を発掘。関係者が明かしてくれた新証言から、伝え残した新事実と語り継ぐべき教訓を伝える第4弾!」・・・
で、意識的に「人間(?)」であるコトを個々人が自覚していくことは、「社会的」にだけではなく、対「自然的」にも「アリガタイコト」である・・・だが、たいがい、それに「気が付く」のは自分自身が「事態、事件」に遭遇した後である・・・
本日は「12月17日・土曜日」だが、「パプアニューギニアでM6.9以上の地震・15:14にパプアニューギニアでM6.9の地震が発生」・・・「パプアニューギニア付近でM6.5以上の地震が発生した後10日以内に日本でM5以上の地震が起きていた事例」が多いらしい・・・
↓↑
ーーーーー
ストーンサークルの密集域が
円筒土器文化圏(東北北部)と重なっている
円筒土器は
遼河文明と関連している・・・?
↓↑
遼河文明と関連する
三内丸山遺跡からも
スートーンサークルが発見
日本に
ストーンサークルをもたらしたのは
Y染色体ハプログループNに属す
ウラル系遼河文明人・・・?
↓↑
ただしウラル系民族に
環状列石を造る文化は元来なく、
環状列石の本来の担い手は
ヨーロッパで
メンヒル・・・モノリス=メガリス
「2001年、宇宙の旅
2001・A Space Odyssey」=往復?
庚辰年(2001年1月)
辛巳年(2001年2月節分から)
壬辰月04月・・・辰=たつ=龍=リュウ
己亥日06日
↓↑ ↓↑ ↓↑
1968年戊申
04月丙辰・・・辰=たつ=龍=リュウ
06日丙午 ↓↑
に公開・・・・・中国語=lóng・lung
「雲は龍に従い、風は虎に従う」
↓↑ 長い石=maen hir=peulvan
広開土王碑=好太王碑は
「甲寅年九月廿九日乙酉
414年 甲寅(己・丙・甲)虎・彪
10月 甲戌(辛・丁・戊)犬・狗
28日 甲申(己・壬・庚)猿・猨・狙」
に建てられた・・・?
メンヒルに「漢字文字」が刻まれたモノ?
↓↑ ↓↑ ↓↑
エイジプトの石塔=オベリスク(obelisk)
ギリシャ語は「obeliskos(串・くし)」
エジプト語は「テケン(保護・防御)」
日本地名の
「立石(たていし・リツシャク)」は
ナゼ、「立石=たツいし=龍石」なのか?
立石寺(山形県)
↓↑ 立石=東京都葛飾区-立石
立石稲荷
神体石にて直径2尺許、高さ1尺程
下は土中に埋り、
其形伏し牛に似たり。
此石、
冬はかけ損し、
夏に至れば元の如くなれり。
かく寒にかけ暑に癒ると云は
活蘇石なるへし。
(新編武蔵風土記稿)
立石様の石は
鋸山(のこぎりやま)から運搬
房総半島の南部、
↓↑ 千葉県安房郡鋸南町と
↓↑ 富津市の境に位置する山
を建立するなど
巨石文明を担った
Y染色体ハプログループR1b
に属す集団・・・・・・・・その逆はないのか?
↓↑
彼らは
トカラ語派の担い手として
アルタイ地域まで到達していた
アファナシェヴォ文化では、
ストーンサークル
を伴った墓槨がみられる
その文化が東進して・・・・西進した逆はないのか?
遼河文明に入り、
ウラル系
遼河文明人を介して日本にもたらされた・・・
↓↑
遼河文明は
紅山文化
の発見から始まる・・・
大規模な竪穴式住居の出土
遼寧省凌源市から
建平県で発見された
紅山文化の遺跡の一
牛河梁遺跡は広範囲にわたって
墳墓や祭壇などの神殿が発見
紅山文化の遺跡からは
風水の原型と見られるものも出土
興隆窪文化の遺跡からは
中国最古の
龍を刻んだヒスイなどの玉製品が発見
最古の
遼寧式銅剣(琵琶形銅剣)
櫛目文土器などが出土
黄河文明や長江文明とは異質で
古代の中華文明に影響を与えた
遼河文明遺跡における
6500年前~3600年前
にかけての
古人骨の
Y染色体ハプログループ分析では、
ウラル系民族で高頻度に観察される
ハプログループNが
60%以上の高頻度で認められ
遼河文明を担った集団は
ウラル語族を話していた可能性・・・
ーーーーー
・・・???・・・
・・・プーチン×アベ・・・「日本罠守」国家の敗北・・・「日本国家」の裏切り、背信・・・領地を奪われて「未来志向」?とはね、「国家主義者」が美辞麗句で装うとも・・・「平和条約」を結んで守る、か?・・・「歴史的なロシア→ソ連→ソ連崩壊→ロシア」のヤリ方の「反省」はないようだ・・・そして、「松岡洋右」の反省も無いカモ・・・「1941年4月13日調印・日ソ中立条約=日本国及ソヴイエト連邦間中立条約」・・・随分前に極東のロシアの何処かで日本レストランを経営していた日本人がそのレストランをロシアの法律を楯に奪われてしまったニュースがあったが・・・それより以前的に戦後、北方海域でソ連、ロシアに拿捕された日本船舶の数は「平成十九年十二月現在、千三百二(1302)隻、拿捕された日本人、延べ九千二十三人(9023)(北海道庁発表)」・・・「レポ船=ロスケ船頭=ソ連保護下の日本密漁船」・・・生活がカカッテているから、魚が獲れるなら「スパイ」もするさ、「国家の境界」なんかは、関係ない・・・北洋の「蟹」は中国経由で日本市場で売買されている・・・「ロシア人が密漁」した「蟹」の裏ルート・・・?
「ウラジーミル」・・・「裏字意見留・浦路意視留・得等字意診弄」・・・?
「ソ連ロシア革命政府(ウラジーミル・イリイチ・レーニン(1870年4月22日~1924年1月21日)の原則」は
「無併合、無賠償、民族自決(ブレスト・リトフスク講和・1918年3月2日)」
ではなかったのか?・・・真面目な人間は額面とおりに理解するだろうが、「政治、軍事、調略」戦略上のコトバで、「振り込み詐偽のコトバ」であろ・・・「六韜三略」の「公望(太公望呂尚)」だろう・・・「無併合、無賠償、民族自決」、
だが、現実のプロセスは
「帝国主義の強盗フランスと組んで戦争継続」・・・
「革命戦争」・・・
「戦争も講和もせず」・・・
「講和調印」・・・
「戦争もしないが講和もしない」・・・
↓↑
「労働者と農民を募集し赤軍創設」?
・・・「(赤軍)兵士」になれば、取り敢えずは「喰えた」し、その後は「農村」からの「食糧の強制徴発」の主体になった・・・
↓↑
「理不尽な講和には応じないが、
一方的に戦争を停止」・・・
↓↑
の状況は
「1945年
8月
15日
の敗戦帝国日本」
には無かった・・・?・・・
↓↑
原爆投下は
1945年(昭和20年)8月6日午前08時15分・広島
1945年(昭和20年)8月9日午前11時02分・長崎
↓↑
「ボツダム宣言(Potsdam Declaration)
は
1945年(昭和20年)
7月
26日
アメリカ合衆国大統領
イギリス首相
中華民国主席
の名において
大日本帝国)に対して発された、
全日本軍の無条件降伏
等を求めた
全13か条)」・・・
1945年8月14日受諾
1945年9月2日調印
↓↑
「日本帝国軍隊の武装解除」
後の
「(連合国と)日本国との平和条約」
1951年9月8日調印、1952年4月28日発効
「サンフランシスコ講和条約=?=Treaty of Peace with Japan(日本国との平和条約)」
である・・・
↓↑
ーーーーー
結果は「ロシア革命政府」は
ドイツ軍占領地域の割譲条件を呑んで「講和条約」に署名・・・
「2月23日、ドイツの和平条件を受諾・2月26日、レーニン政府は降伏」
条約締結に反対していた
エスエル党(ロシア社会革命党左派)
は
連立離脱・・・
↓↑
ーーーーー
ロシア
エスエル党左派は
「マリア・アレクサンドロヴナ
・スピリドーノヴァ(スピリドノワ)女史が指導
↓↑
1884年甲申(己・壬・庚)
10月甲戌(辛・丁・戊)正官-食神・偏印・劫財
16日己亥(戊・甲・壬)辰巳
~
1941年辛巳(戊・庚・丙)食神合
09月丁酉(庚・ ・辛)偏印害
11日壬戌(辛・丁・戊)正財
↓↑
1917年
二月革命
第1回全露農民ソビエト大会執行委員
七月の臨時政府に反対する兵士の武装デモを支持
九月ペトログラード市議会議員
社会革命党中央委員会が
臨時政府との
連立、戦争継続を支持に反対
↓↑
1917年10月
ボリシェヴィキ
十月武装蜂起による
政権奪取支持
第2回ソビエト大会でソビエト政権が提出した
「平和に関する布告」
「土地に関する布告」
に賛成
十一月
社会革命党左派の第1回党大会で
事実上の党首
社会革命党左派=左翼社会労働党は
旧農奴層を代表政党と規定
党綱領で「農奴民」に
地主から没収した土地配分を要求
社会革命党左派は、
ブレスト=リトフスク条約の締結
ボリシェヴィキの農業政策に反対し
1918年3月ソビエト政府から離脱
七月
スピリドーノワは、
第5回ソビエト大会でボリシェヴィキに対する弾劾演説
社会革命党左派はモスクワ中心部で反乱、鎮圧
スピリドーノワ、エスエル左派は逮捕、拘束、脱獄
スターリン大粛清期
左翼社会革命党員らとともに逮捕
ウファに追放
1937年3月8日
ヴォロシーロフの暗殺を準備で
懲役25年の判決
1941年9月11日
ナチスドイツのソ連侵攻直後の
オリョール近郊で、
NKVD(エヌカー ヴェーデー
内務人民委員部・スターリンの秘密警察)
により
「メドヴェージェフの森(の虐殺)」で
オリガ・カーメネワ
(トロツキーの妹で、カーメネフの最初の妻)
らと共に銃殺(56歳)」・・・
ーーーーー
↓↑
「ソ連」は毛頭、「労働者の国(?)」でも「民主国家」でも無く、「ロシア革命(蒙等独裁国家)の政府の国」だったろう・・・
モチロン、大陸中国は「労働者の国」でも、「民主社会主義国家」でもない・・・
・・・「16・十六・壱拾六」が重なった・・・「中国に五胡十六国時代と云う時代区分があった。304年の漢(前趙)の興起から、439年の北魏による華北統一まで、その期間に興亡した諸国の総称」・・・五胡十六国・・・中国華北に分立興亡した民族・国家の総称」・・・
五胡
匈奴・鮮卑・羯・氐・羌
・・・これらの漢字が「日本的思想の原点」であるカナ・・・
↓↑
匈奴は前趙、夏、北涼を、
鮮卑は前燕、後燕、南燕、南涼、西秦を、
羯は後趙を、
氐は前秦、後涼、成漢を、
羌は後秦を、
漢族が前涼、西涼、冉魏、北燕
をそれぞれ建国
匈奴によって建てられた前趙、鮮卑
慕容部によって建てられた前燕
↓↑
国家の中には
複数の民族が混在
↓↑
十六国=北魏末期の史官
崔鴻が私撰した『十六国春秋』に基づく
実際の国の数は16を超える・・・
↓↑ ↓↑
国名 始祖 存続年 民族
前涼 張軌 301年~376年 漢族
前趙 劉淵 304年~329年 匈奴・・・勹+凵+乂
成漢 李特 304年~347年 巴賨・・・渦の宀+示+目+八
後趙 石勒 319年~351年 羯・・羯諦・羊+日+勹+乚+乂
前燕 慕容皝 337年~370年 鮮卑・・・魚+羊+卑(弥呼)
前秦 苻健 351年~394年 氐・・・・氏+一
後燕 慕容垂 384年~409年 鮮卑
後秦 姚萇 384年~417年 羌・・・・羊+儿
西秦 乞伏国仁 385年~431年 鮮卑
後涼 呂光 389年~403年 氐
南涼 禿髪烏孤 397年~414年 鮮卑
北涼 沮渠蒙遜 397年~439年 盧水胡・・・虍+田+皿+水+胡
南燕 慕容徳 400年~410年 鮮卑
西涼 李暠 400年~421年 漢族
夏 赫連勃勃 407年~431年 匈奴
北燕 馮跋 409年~436年 漢族
↓↑ ↓↑
五胡十六国以外の国
国名 始祖 存続年 民族
仇池 楊茂捜 296年~506年 氐
代 拓跋猗盧 315年~376年 鮮卑
冉魏 冉閔 350年~352年 漢族
西燕 慕容泓 384年~394年 鮮卑
翟魏 翟遼 388年~392年 丁零・・・丁+雨+令
後蜀 譙縦 405年~413年 漢族
・・・国名も始祖の名前も漢字そのもの意味も音訓も踏まえ
漢字分解して同様に考える・・・
・・・「卑弥呼・壹與」の年代は
「175年~247年~248年頃」である・・・
・・・彼らの最終的な逃げ場所は「倭・大和・日本」・・・
↓↑
ーーーーー
現在的に存在する「国家の数」は、
国際連合加盟国「193ヶ国」
日本、日本が承認している国「196ヶ国」
ブログ検索では
「独立国家」らしきモノを加えると
204ヶ国
206ヶ国
324ヶ国
とあった・・・
↓↑
ーーーーー
ナゼ、今頃、ドラマ化された「東京裁判・第三夜」なんだか?・・・「わたしは貝になりたい」のカケラが視えない・・・
「日本帝国軍事官僚は自国の軍事規律」も護らなかった・・・「ビルマの竪琴」の竹山道雄は戦後も「反戦主義者」でもなかった・・・
「反ナチスの日本在住のドイツ人女性のピアニスト」、「心情」は解るが、余計なお節介である・・・
プーチン、アベ・・・「日ソ不可侵条約」は結果、ドウナッタ・・・「民族枠」、「国家或」がある限り、「軍事暴力」はダレを護るのか・・・女防衛大臣は弁護士らしいが、日本国内でダレを弁護してきたんだか・・・南スーダン「駈けつけ自衛隊」派遣・・・戦争当事者になったら双方の「軍事的作戦行為」は殺傷が前提である。武器を売る人種が存在しては「相撲」で決着はつけられない・・・「活殺現場」での「残酷、残虐」は当然である・・・
ミシェル、ポーレット、君たちの時代は終わってはいない・・・
↓↑
ーーーーー
「最初のアメリカ人判事の
ジョン・P・ヒギンズは
辞退してアメリカに帰国」・・・?
↓↑
「アメリカの
マイロン・C・クレーマー
イギリスの
パトリック
ソ連の
I・M・ザリヤノフ・・・GPU(ゲペウ,ゲーペーウー)
ソ連代表部警視庁公安部
KGB の前身・・・
ゾルゲから情報は得ていたのか?
中華民国の
梅汝敖・・・・・・・・・蒋介石の部下・中共と内戦中
カナダの
E・スチュワート・マックドウガル
ニュージーランドの
エリマ・ハーベー・ノースクロフト」
の判事が「有罪判決」・・・十三階段の「ミチ」へ
東條 英機
1884年甲申(己・壬・庚)
(明治17年)
07月辛未(丁・乙・己)
30日辛巳(戊・庚・丙)申酉=空
戸籍記録は12月30日)
~
1948年戊子(壬・ ・癸)印綬合癸
(昭和23年)
12月甲子(壬・ ・癸)正財害
23日壬午(丙・ ・丁)傷官
↓↑
「フィリピンの・・・フィリピンはアメリカの植民地だった
ジャラニフは
六人の判決は軽すぎると主張」・・・666
「オランダの
レーリングは
減刑を主張し、
広田弘毅元首相は無罪
他の死刑囚も減刑せよ、と表明」
「フランスの
ベルナールは、
裁判は法の適用
および
手続きにおいても誤りがある、
と裁判の不当性を指摘し、
十一人の判事が・・・・・・・・・11・壱拾壱
一堂に集まって
協議したこともない、
と内部告発」
「インドの
ラダ・ビノード・バールは・・・・インド独立運動最中
終始一貫して全員無罪を主張。
東京裁判は裁判にあらず、
復讐の儀式に過ぎない、
と強く抗議。
裁判自体を違法として、
根底から否定」
「オーストラリアの
ウエップ裁判長は、
どの日本人被告も、
侵略戦争を遂行する謀議をしたこと、
この戦争を計画及び準備したこと、
開始したこと、
または遂行したことについて、
死刑を宣告されるべきでない」・・・との「判決文」?
↓↑
ーーーーー
・・・「日本の国益を考えれば、間違いは間違いとして正し、将来への禍根は断ちきっておくべきだった」?・・・「日本の国益」とは「ダレ」の「益」なのか?・・・
「平和に対する罪・殺人と通例の戦争犯罪・人道に対する罪」とは「ダレの罪」なのか?・・・
帝国日本国家指導者の「国内法」はモチロン、「国際法」の
「違反行為防止責任無視による法規違反」
は「聨合国家アメリカ」も法規違反同罪で、当然である・・・
「オレンジ作戦(War Plan Orange)=戦間期(1920年代~1930年代)においてアメリカ合衆国が立案(1919年)・陸海軍合同会議で承認(1924年)=対日海上船舶無差別撃沈計画」・・・
「戦争の本質」とはナニ?・・・「勝・負・妥協・復讐」・・・ナンのタメに・・・支配階級、プチブル意識層への「美学と浪漫」の妄想表現作品提供のタメではない・・・いるよなッ、従軍作家、従軍記者、戦場カメラマン、戦場TVレポーター・・・「血湧き、肉躍る」の「商品化」・・・ダレのタメの「玉砕」・・・
「1907年、ハーグ陸戦条約、規定。ハーグ陸戦協定、ハーグ陸戦法規、陸戦条規・・・交戦者の定義、宣戦布告、戦闘員・非戦闘員の定義、捕虜・傷病者の扱い、使用してはならない戦術、降服・休戦などの規定条約」・・・
・・・ダレが「殺傷容認の戦争現場」で守れるのか・・・敵対双方が作戦命令で戦線、市街戦、空爆撃で、監督責任放棄の「重い罪を犯していた」のは「国家指導者」である・・・
「おマエだって、同じコト、ヤッタだろう」での「戦争当事国のヤッタこと(同等)」で、慰安婦問題で「ハシモト某」が同じような論理を展開していたが・・・「どうか、風俗店を利用してください」だとはネッ・・・風俗嬢がinterviewで、「アンタに云われたくはない、ワッ!!」だった・・・「カジノ」で儲かったら何処へ行くんだか・・・その「施設」も計画済みか?・・・
「同じ土俵の枠内で、ナニゴトも自衛のための戦争でした」では救われない・・・「自衛」とはダレのタメの「自衛」だったのか・・・
「アメリカ支配階級の自衛利権」とは「国際戦争法規」を委棄するコトで護られた・・・モチロン、「帝国日本」は国際法厳守には「真面目」だったが、「バカ正直」だったのだ・・・
相手の根性は「武士道」ではなく、「商人道」である・・・「戦争はビジネス」なのだ・・・
真珠湾攻撃前、「ハワイ時間12月8日04:00出撃、3時間後に特殊潜航艇が、米駆逐艦”ウォード”に発見・攻撃され損傷、真珠湾とは反対側のオアフ島北のベローズ海岸に座礁、漂着。12月9日朝ベローズ海岸で捕虜」・・・その後、アメリカは日本の特殊潜航艇を砲撃拿捕し、そして撃沈し海底に・・・砲撃は「クジラ」に対するモノと記録報告されたらしいが、特殊潜航艇の日本帝国海軍軍人はアメリカで捕虜として生き延び、終戦後、1946年に帰国した・・・そして、出世したらしい・・・生還したコトにマッタク、「異議は無い」が・・・
「宣戦布告前(12月8日)」にどっちが先に攻撃シタ、シナイの問題ではない。だが、アメリカは「久志羅(鯨・鯢)=久地楽・櫛羅」を砲撃したコトにした・・・「鯨肉」を喰わなかったし、「シーシェパード」もいなかった・・・
ヤクザの親分は「一般人には先に暴力的に手を出しちゃぁアカン。暴力は相手の暴力が先決。正当防衛が肝のカナメだ」と子分教育している・・・「公務執行妨害」はどうか・・・
人種差別での公的殺人、宗教差別での公的処刑、虐め殺人、無差別殺人・・・
「民族自決の権利は、植民地主義と相容れないもの」なのか?、「民族自決」と「愛国主義(?)」であるが、カネで雇われた「民工」のアルバイトの「愛国無罪」とは「国家の枠内階級、階層」を変えたのか?・・・
「植民地の愛国主義化」とは「国家或の中で階級分化」、「民族枠の階級分化」に替えたモノではないのか・・・「民族自決」の「民族」って地球人なのか、人間なのか・・・「後進国=発展途上国」内の「支配階級と被支配階級」の「格差」は歴然である。この「格差の根拠と拡大化」は何処にあるのか?・・・
「独立国家或としての民主化を推し進める独裁者」は存在したし、存在するが、パラドックスの犠牲は承知の上・・・だが、ほとんどの「発展途上国家の指導者は私的に莫大な経済的利権を私腹」し、兵士護衛の豪邸で、晩さん会をしているらしい・・・アフリカ諸国の内戦の原因はナニか・・・詰まるところ世界は「パナマ金庫」、かっては「スイス金庫」・・・そしてマネーロンダリングの「カジノ」を必要としている。彼らは「民族」でもなく、「愛国、民主国家主義者」でもなく、「私腹をAmbitiousとする人種」として跋扈している、と云うコトだ・・・Jokerのトランプ・・・「私腹蓄財」は「権力」であり、「権力」は「私腹蓄財」である。ビジネスはダレからの報酬なんだか・・・そして、「権力は暴力的武装化」で護られている・・・
「民族枠・国家或」では「人間の解放」はない・・・大陸中国の金満家、国家指導者がアメリカにナゼ、資本投資しているのか・・・
↓↑
ーーーーー
・・・「トキョウサイバン」がまた、トンでしまった・・・
「市民社会の弁護士、判事」が、「戦争犯罪人」を裁けないのは「当然」である。「アメリカの最初のジョン・P・ヒギンズ判事」は「帰国」した。理由はナニか?・・・「アメリカ独立宣言」が原則では「東京国際軍事裁判」はサバケない、と自覚していた?・・・ 「戦勝国アメリカの戦争犯罪人」がワンサカ存在するから辞任してアタリマエだったカモである・・・だが、あの時代の「アメリカの裁判所」の状況はドウだったのか?・・・「人種差別蔓延国家」・・・
↓↑
ーーーーー
アフリカ系アメリカ人公民権運動
(African -American Civil Rights Movement)
1950年代~1960年代~1970年代
アメリカの黒人(アフリカ系アメリカ人)が、
公民権の適用と
人種差別の解消を求めて行った運動
↓↑
アメリカの黒人の基本的人権を要求する運動
1964年に公民権法が成立
↓↑
ーーーーー
そして、東京裁判の裁判官達は「サバイタ」・・・
・・・「古代~戦国時代~近代~現代」まで「敗戦国家の支配階級も被支配階級」も、戦勝した「新しい権力支配者」の「生殺与奪権」には「扈従(コジュウ・コショウ)」せざるを得ないのが鉄則である・・・「民主国家」であろうが、「共産国家」であろうが、「専制独裁国家」であろうが、「国家」は「自国支配階級の利害」を護るのである。時には権力者個人のエゴで・・・
「自国国家支配階級の法律」は敵国の人々を護らない。勝利者は「暴力武装」しているのである。占領地の日本人同士の「強奪、掠奪、劫奪、剥奪、収奪、横奪」は、ホトンド無かった・・・敗戦しても「日本人的秩序」があった・・・マッカーサーは「誤解」していた。「ニホンジンハ小学生ノレベルでアル」と・・・マッカーサーはニュウーヨークの市民暴動を鎮圧した経験のある軍人であった・・・
北方領を死守し、ロスケに戦闘で勝っていたのに、中国戦線では戦闘は有利に展開していたのに、天皇の一言で、日本兵は簡単に「武装解除」してしまった。ゲリラ戦もせず、逃げも隠れもせず、ABCの戦犯はGHQに逮捕されていった。「ニホンジン」は「天皇の権威」には「素直」だったのである・・・
だが、南方では納得できない「日本兵士」がワンサカ存在した。彼ら日本兵は「武装解除を拒否」してアジアの諸植民地の「解放現地独立軍」に参加していったのだ・・・ビルマ、インドネシア、ベトナム、ラオス、フィリピン・・・独立諸国家としての「大東亜共栄圏」・・・今現在、「中国キョウサン金満王朝」の壁にブツかっている・・・「国家の利害」は「国家或の諸国民全階層の利害」ではないから・・・独立の領域内を支配している「意識」は「自由なカネの多寡の追及」である・・・
ーーーーー
・・・???・・・
・・・「東京裁判・第2夜」ですか・・・「北方領土のソ連軍の占領」も含め、ワイン(wine)とウオッカ(vodka)を飲んでの「判事達の苦悩(?)」・・・「胡散臭い」=「胡盞(ウサン)臭い」裁判である・・・「胡(えびす・コ・ウ)」の「盞(さかずき・サン・セン)」で「カンパイ」で酩酊ですか・・・「エビス(夷・蛭子・恵比須・恵比寿)」、「サカズキ(杯・盃・盞・一盞(イッサン)=酒を飲む-さかず(づ)き=酒盞(シュサン)」であり、形象は「三ヵ月の形・半月?」の器(碗)で、寸胴(円柱)形は「御猪口(おちょこ)」である。一般的には「利き猪口は、内側の底に青い蛇の目が杯の底に◎が描かれ、模様をみて日本酒の質、透明度」を調べるらしい。「猪、豚の鼻=(‥)」、「当て字」に意味がないらしいとの説だが、意味の無い「漢字」はない。「御・猪・口」である・・・「猪(いのしし)の口」で、「猪=犭・豕・豸(チ・ヂ)+者=いのしし=豬・猯」の「口」である。「御猪口になる」とは「開いた傘が風にあおられて、猪口の形に裏返しになること」であるらしいから「御猪口」とは「猪の口」の「形象(鼻が上口(顎)に接し、鼻自体が非常に敏感な動物)」で、酒の良し悪しは「味」と「臭い・芳り」を嗅ぎわける「ソムリエ(sommelier)」の職業である。と同時に「ブゥブゥ・ゥィウィ・グィグィ?」の鳴き声は、酒を呑む時の音であろう・・・古語で「猪=ヰ(ウィ)」と発音したらしく、ゥィウィと鳴く「いのしし=ヰの宍(しし・肉=ジク)」であっただろう・・・「月=肉の変形」だが、ナゼ、「宍」が「宀(交叉した梁を覆う屋根・天空・メン・ベン・ウ冠)+亠(音の字の略)+八(豬八戒)」で「しし・ジク・ニク」なんだか・・・
・・・熊襲征伐では十六歲の「ヤマトタケル=倭建=日本武=倭男具那=日本童男=小碓」命で、東征の帰路で伊吹山の「白猪(大蛇)の神」に祟られたのは三十歳で、「八尋白智鳥(白鳥)」になって昇天・・・「冬の山」だったんだろ・・・妃の一人は「布多遅比売(ふたじひめ=蓋字秘=亠字ヒメ)」であるが・・・ 子孫は「犬上朝臣」であるらしい・・・
↓↑
ーーーーー
「盞(さかずき・サン・セン)=戔+皿」の
「戔(そこなう・すくない・わずか)」は
「素戔男尊・素戔嗚尊(日本書紀)
建速須佐之男命・須佐乃袁尊(古事記)
神須佐能袁命(出雲国風土記)」
の「戔」である。漢字からすれば
「素戔男尊・素戔嗚尊」は
「もとは小さい男」か、
「もとは小さく鳴く」・・・・素戔嗚は
母の国へ行きたいと啼いたが
の「みこと→みごと→見事・視語訳」である・・・
「戔(そこなう・すくない・わずか・セン・サン)」
戔=戈+戈=ほこ・カ)」
+
「皿(さら・ベイ・ミョウ)」、
「戔(セン)=小さいもの、少ないもの・小刀で削った破片」・・・「包丁(ナイフ・戈)と、小刀(knife・戈)」をスリ合わせ(重ね)て、双方の刃を「とぐ=砥・研・磨」、研磨する漢字だろう・・・「解(とく・げ・カイ)」・・・?
「くさい=臭い=クサイ」だが、ギリシャ語のアルファベットの文字に「Ξ・ξ=クサイ・グザイ・クシー」があるが、「第14字母。数価は60、 音価は ks・ラテン文字の X に対応・手書きでは 王 のようにも書かれる」.。この字形は「Ξ・ξ」は漢字の「三」で、字形は「縮れ毛」か、「櫛(くし・髪梳き)・簪(カンザシ・笄・釵・鈿・髪飾り)」で、音なら「九歳=クサイ=矩歳」で・・・「草井(意)スカンク」の「縮れ毛の愚妻」かも・・・?
↓↑
「胡散臭い・胡盞(ウサン)臭い」とは、
「黒い上薬をかけた抹茶茶碗=高価な高麗の焼き物=生産地や年代が不詳で、偽物臭い、疑わしいといわれた」・・・「高麗の焼物」がナゼ「胡散焼き=ウサン焼き=胡盞焼き」臭いで、「高麗臭い」ではないんだか・・・日本では疑われたが、「高麗茶碗」には価値があった・・・のか?
「胡散(ウサン)臭い」・・・漢語で「怪しくて疑わしい」を意味する「胡乱(ウロン)→烏龍(ウーロン)」・・・
「ポルトガル語で怪しい人を意味するVsanna(ウサンナ)」・・・
「臭い」は、「・・・らしい」を意味する接頭語で、「胡乱(ウロン)」の語源は、北方の異民族である胡(えびす)が中国領土に侵入したとき、領民が恐怖と混乱に陥ったことから出た」・・・「烏龍茶」・・・「カラスと龍の茶」って、安物の茶?だが・・・「茶葉が黒褐色で、形が龍のように曲がりくねっている・半発酵茶・武夷岩茶が有名」・・・一煎目は捨てて飲まず、二煎目から飲むのが一般的であるらしい・・・
そもそも、
「胡=古代中国の北方・西方民族に対する蔑称・匈奴」
「胡瓜(キュウリ)・胡弓(コキュウ)・胡姫」
「胡蝶の舞(植物カランコエ
ベンケイソウ属
「弁慶草」の由来は
枯れずに強いから、らしい・・・
「弁の慶」は慶事を弁別するだろう・・・
別名は「活草・伊岐久佐(草)」
「胡蝶の舞」は「雅楽」で
迦陵頻(カリョウビン)=極楽鳥
の番舞(つがいまい)で
舞楽=渤海楽・三韓楽の平安時代の音楽様式
林邑八楽の一
壱越調(管絃雅楽)としして演奏
「迦陵頻(カリョウビン)は極楽浄土に
住むという人面鳥身で美声を持つ霊鳥」で
管絃の双調、黄鐘調に編曲され、
「鳥」ともいうらしい・・・これって「烏」?
「胡(古+月)」は異民族由来の漢字で、
原義は
「あごひげ」が長い人の意・・・
「胡=十(交わる・重なる)の口の肉」・・・?
「狼跋其胡、載疐其尾
(狼が自分の胡(長い髭)を踏んで、
尻尾につまづいて慌てふためく)
「跋=足+犬+ノ=「口+ト+人+犮」
=ふむ・こえる・つまずく・おくがき・あとがき
バツ・ハツ
ふむ=踏む
こえる=越える=超える・・・乞える
つまづく=跌=跲・蹉・蹶・蹎・頓・疐
おくがき=奥書き=跋文
あとがき=後書き=後跋
バツ・ハツ
「跳梁跋扈=大魚が仕掛けた罠(梁)から
飛び跳ねて逃げる様子
ほしいままの行動
悪人などがのさばり、はびこること
「跋扈」は悪人などが権威を無視し
勝手に振る舞いのさばること
「扈従(コジュウ・コショウ)」
「扈籠(コガ)」=竹やな(簗・梁・罠)の籠
「扈=戸+邑=一+尸+口+巴
↓↑
一(初)の尸(屍)の
邑(むら)
口は巴(ともえ・うづ・渦巻・巳・蛇・蝮)
↓↑
扈=竹やな(簗・梁)」
したがう・主君のお供
のさばる・はびこる
「横行跋扈 (おうこうばっこ)」
「飛揚跋扈 (ひようばっこ)」
「陸梁跋扈 (りくりょうばっこ) 」
「梁冀跋扈 (りょうき ばっこ)」
「跋渉=山野を越え、川をわたり、
各地を歩き回ること」
↓↑
・・・「倭の五王の武」・・・
479年=宋の「昇明二年」、
倭王武が上表し
自ら
開府儀同三司と称し、
叙正を求める
順帝は、倭王武を
「使持節都督倭
新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
六国諸軍事安東大将軍倭王」
とする(宋書・順帝紀)
479年=南斉の「建元一年」、
倭王武に
南斉の高帝、王朝樹立し
倭王武を
鎮東大将軍(征東将軍)に
進号(南斉書・倭国伝)
502年4月=梁の「天監一年」、
倭王武に「梁の武帝」、王朝樹立し
倭王武を
征東大将軍に進号(梁書・武帝紀)
↓↑ ↓↑
自昔
祖禰
躬環
甲冑
「跋渉」山川不遑寧處
東征毛人
五十五國西服
衆夷・・・・・「蝦夷=えみし=愛瀰詩」
景行天皇 神武天皇
六十六國渡
平
海北九十五國」
. ↓↑
「拓跋部(タクバツブ)=鮮卑族の一部族」
北魏などの王朝を建国
索頭部、索虜
315年
猗盧が「代国」の「代王」となる
「拓(開拓・拓殖)」
の
「跋(跋渉・跋扈)」
. ↓↑
「胡=牛のあごをおおって垂れる皮・あごひげ」
胡髯(コゼン)を垂らした龍
ひげ=鬍・鬚・あごひげを蓄えた遊牧民
古代中国の北方や西方に住んだ異民族
・・・同音の「卓抜=タクバツ」が「拓跋=タクバツ」であるとは・・・?
「拓=扌+石=広げる・押す・手で押す・拾う・折る
開く
タク
開拓・拓殖
石碑や器物などの文字や模様を
墨で紙に刷り写した
拓本・魚拓・拓史・・・拓字印刷?
「抜=扌+友=ぬく・ぬける・ぬかす・ぬかる
ぬきんでる・きわだつ
バツ
旧字は「拔=扌+犮」
・・・「犬+丿」=「一の人のノの丶」?
「龙=龙=龍」?
「龙=ナ+七(匕)+丶」?
「戎=えびす・ジュウ・ニュウ」
「疣(いぼ・ユウ・ユ)=疒+尤」
引きぬく・ぬける
「抜刀・抜本・抜粋・選抜・抜群・卓抜」
ーーーーー
・・・類似漢字の類字はお手上げである、カナ・・・
ーーーーー
鮮卑(センピ)の拓跋(タクバツ)の部
↓↑
黄帝の子、
25人中の
一人、
昌意の末子が
北土の
大鮮卑山
に封ぜられ、
鮮卑と号す
牧畜と狩猟を生業とし
黄帝の末裔の
始均・・・・始めに均(ならす・ナラス)
奈良棲に始める?
は
堯の時代に入仕し
始均が
女魃(ひでり=日照の神)を・・・女魃=卑弥呼?
魃=鬼+犮
弱水・・・・「弱い水」って、流れのコトなのか?
の北に駆逐
帝舜は
始均を
田祖・・・・田(□+十)=狩りの祖
とした
秦漢の時代
始均の子孫は
獯鬻、獫狁、山戎、匈奴
の属国となり
中国を害し、中国は国交を断絶
67世の後、
拓跋毛が・・・・拓跋の毛・・・植毛のアデランス?
大人(部族長)となり、・・・・大人=一の人のヒト
おとな=嗚訳名
36国、・・・・・・・66=36・・・2×6=12
大姓99を統べ、・・・99=81・・・66の逆数字
・・・2×9=18・・・足し算は9
北方に威を振った
数代の後、
大人の
拓跋
推寅・・・・トラ(寅・虎・彪)を推す?
は
大澤に南遷
それより数代の後、
大人の
拓跋鄰は・・・拓跋の鄰(隣の左右が逆字で、旧字)
「隣=鄰」は周の行政区画、五戸を隣、五隣を里
「燐(リン)」はスグに燃える物質
「燐」=おにび・ひだま・ひとだま・きつねび
死体の骨から出る青白い光・ほたる火
燐光=黄燐が空気中で酸化し
発する青白い光
ある物質に光を当てたとき、
その光を除いた後も
しばらく残光が見られる現象
・・・ボクの家の蛍光灯・・・一般的には
発火点が低く、自然発火しやすい
ギリシャ語で
「光をはこぶもの=phosphoros
phos(光)+phoros(運ぶ)
の意
非金属元素の一・元素番号15・記号P
白燐
黄燐
紫燐
赤燐
黒燐
「神人」・・・日本では神社に隷属し、
雑役などを行った下級神職・寄人・神主
西洋では「神人」は神のような力をもつ人、仙人
より
移住することを勧められたため、
息子の
拓跋
詰汾・・・・「詰」の「汾=水+分」・・・配水係り?
に命じて南へ遷移させ、
拓跋部は
匈奴の故地に移り住む
173年
拓跋詰汾は狩りの途中で
天女と遭遇
天女との間に
拓跋
力微・・・「力」が「微(微細・少ない・わずか=僅・毫)」
を授かる
321年
平文帝
鬱律が・・・・・・・「鬱(憂鬱)」の「律(律令)」
祁氏に・・・・・・・「祁(まつる)氏」・・・
殺される
祁氏の子の
拓跋
賀傉・・・・「賀」の「傉=イ+辱」・・・恥辱・雪辱?
が即位
祁氏が政務を執り行った
(そのため当時は
女国・・・・・・・・「女の国」・・・女真・女直
アマゾネスの国?
と呼ばれた)
324年
賀傉が親政
諸大人が帰服しないので、
東木根山に遷都
325年
賀傉が卒去し、
弟の
拓跋
紇那が・・・・「紇(糸+乞)の那」
回紇=ウイグル=回鶻
烏紇(ウゴチ・ヲコツ ?- 648年)
回紇部の俟利発(イルテベル=部族長)
吐迷度の甥
姓は薬羅葛(ヤグラカル)氏
名は烏紇(ウグル、 ウイグル)
吐迷度の兄の子
貞観二十二年(648年)
烏紇は吐迷度の妻と姦通し、
俱陸莫賀達干
(キュリュグ・バガ・タルカン官名)
の
俱羅勃(キュレビル)と謀反
立つ
327年
羯族の・・・・「羯」・・・「羯諦、羯諦」・・・般若心経
石勒は・・・・「石の勒」
石虎・・・・・「石の虎」
を遣わし、
5千騎を率い辺部に来寇、
代王の
拓跋
紇那はこれを
句注陘北・・・・「句注の陘(すね・ケイ=脛・臑)の北」?
で防ぐが、
不利となり、
大寧に遷都
舅の
拓跋
翳槐は
賀蘭部にい
拓跋
紇那
は遣使を送り救援を求めるが、
賀蘭部の帥の
藹頭
は救援の派遣をしなかった
拓跋
紇那は怒り、
宇文部
並びに軍勢を召して
藹頭
を撃つが、
宇文の衆は敗れ、
紇那は大寧に帰る
329年
紇那は
宇文部へ亡命
賀蘭部及び諸部大人は、
拓跋
翳槐
を共立し、
代王となる
石勒は遣使を送り和親を求め、
拓跋翳槐は弟の
拓跋
什翼犍
を襄国に遣わした
335年
藹頭
は臣職を修めず、
拓跋
翳槐が召してこれを殺した
拓跋紇那は宇文部から戻ったので、
諸部大人はふたたびこれを奉じ、
拓跋紇那は復位
拓跋
翳槐は
鄴へ亡命
337年
石虎は将の
李穆
を遣わし5千騎を率い
拓跋翳槐を大寧で引き入れる
国人の六千餘落は
拓跋
紇那に叛き、
拓跋紇那は
慕容部
へ亡命
拓跋翳槐は復位
故城の東南10里に在る
盛楽城
に遷都
復位1年で卒去し、
弟の
拓跋
什翼犍
が後を継ぐ
拓跋
什翼犍の即位
338年
繁畤
(山西省混沌県)にて
拓跋
什翼犍
即位、
元号を
建国とした
339年
百官を設け国家体制を整え
代国を南北に分割
大人を置いた
北部を弟の
拓跋
孤
が監督し、
南部を庶長子の
拓跋
寔君
が監督
慕容部の大人
慕容皝
の妹を娶り后とする
340年春
雲中郡の
盛楽宮(内蒙古自治区和林格爾県)に遷都
341年秋9月
盛楽城を故城の南八里に築城
后の
慕容氏が卒去
冬10月
匈奴
鉄弗部の
劉虎
は西の国境を侵す
什翼犍
は軍を派遣し討伐、大破
劉虎が没すると、
子の
劉務桓
が帰順
什翼犍
は娘をやった
344年
慕容皝の娘を迎えて后
355年
太后の
王氏が卒去
360年夏6月
后の慕容氏が卒去
363年冬10月
高車
を討ち、大破
364年冬11月
没歌部
を討ち、破る
365年春1月
鉄弗部の
劉衛辰
が謀反
什翼犍はこれを討ち、
劉衛辰
は遁走
367年冬10月
什翼犍は
劉衛辰を征伐、
劉衛辰は宗族とともに西走
370年冬11月
高車を征し、大破
371年春
長孫斤が謀反
太子の拓跋寔は傷を負い、夏5月に卒去
374年
什翼犍は
劉衛辰を征し、
劉衛辰は南走
376年
劉衛辰の要請で、
前秦の
苻堅
は大司馬の
苻洛
を遣わし20万の兵と
朱彤、張蚝、鄧羌などの
諸道を率いて来寇させ、南の国境を侵す
冬11月
白部、・・・・・・・「白の部」?
独孤部・・・・・・・「独りの孤の部」・・・「独狐」?
はこれを防ぐが、敗北
南部大人の
劉庫仁
は
雲中郡
に敗走
什翼犍は再び
庫仁を遣わし、騎兵10万を率いて
石子嶺
で反撃させるが、敗北
什翼犍は病にかかり、
軍を率いて陽山の北に逃れた
高車
雑胡が相次いで反乱
12月
什翼犍は
雲中に戻るが、
拓跋
孤の子
拓跋斤にそそのかされた庶長子の
拓跋
寔君は・・・・「寔=まこと・おく・これ・ショク・ジキ」
真に・洵に・是=此れ
諸弟と什翼犍を殺す
代国は、
前秦の支配下に入り、
河を境に東西に分割
東を
劉庫仁
西を
劉衛辰
が統治し、
苻堅・・・・・・「苻の堅さ」
「苻=あまかわ・さや(鞘)・フ」
草の名・葛(くず)に似た草
鬼目草
さや・草の実につく皮・あま皮
から官爵を拝受
↓↑
北魏
386年
什翼犍の孫の
拓跋
珪が
再び代国を復活させ
399年
国号を
魏(北魏)と改め
皇帝に即位
太武帝の時代に
華北を統一
北は
柔然・・・・・・・・「柔(やわらか)さは、
然(しかり・自然)」・・・爾
と戦い、
南は南朝と対立
ーーーーー
・・・???・・・「オスプレー」が墜落・・・シカリである・・・機械の操作は「人間」であるから当然である・・・問題はそんな「兵器」を飛ばすコトの「ジンドウの所為」があの「沖縄駐留のアメリカ軍司令官」には理解されていない・・・当然である。「アメリカ軍人」だから・・・民間飛行機は当然、人口の密集した住民地区は避けるだろう・・・ハドソン川に不時着させたのは当然である・・・「USエアウェイズ1549便不時着水事故は 、2009年1月15日午後3時30分頃(東部標準時(UTC-5))に、ニューヨーク発 シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便が、ニューヨーク市マンハッタン 区付近のハドソン川に不時着水した航空事故」であった・・・
「オスプレイ墜落」である・・・12月13日夜、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の垂直離着陸輸送機 オスプレイ1機が墜落」・・・
・・・戦勝国の「東京裁判」ですか、どの面さげての「賽の目丁半の裁判」だったんだか、マッカーサー選任の連合諸国の地方判事・・・「八百長、黄昏のガンマンの判事」・・・「高級日本帝国軍事官僚」は「無念(?)だった」のかな、「怯えて(?)いた」のかな・・・「戦陣訓」を棚に上げて「割腹」もせずに敵国の裁判で処刑されるとはねッ・・・「帝国日本軍人の恥」である・・・「一億国民総玉砕」を煽った新聞、ラジヲのジャーナリストも同罪だが、「国民(?)」は「自らの騙された罪」も問われるべきだったが、相変もわらず「生きるのに必死だった」のか、「飼いならされるコトには慣れて」イタンだか・・・主君の恨みを果たす「忠臣蔵」も投降、束縛、結局は処刑されたが、この物語は、日本人スベテが「武士階級」でもなかったのに、今現在までもズウ~ッと「日本人(?)」には「美化」されてきたらしい不思議なモノガタリ・・・「関ヶ原」の負け戦で生きて束縛され、打ち首にされた武士もいたが、生きて「再起」を謀ろうと思っていたんだか、どうなんだか・・・権力者がその椅子から転がると「雲合霧集」していた「太鼓持ち=幇間(ホウカン」達は「雲散霧消=雲消霧散=雲散霧散=胡散霧散=雲散鳥没=雲消雨散=煙消霧散」・・・「烏合(集散)=シュウサン=衆参(国会議員)?」・・・「権力」に群がる「太鼓持ち=幇間(ホウカン、たいこ)」は「お隣の国々の事情」だけではないらしい・・・「国民=愛国心」と云う「コトバ」の不思議・・・「キリスト」も「愛」を説き、上杉の「直江兼続(なおえ かねつぐ)」の兜の立物には「愛の字(愛宕神社の普賢延命菩薩=金剛手菩薩・遍吉→変規知?」、「愛染明王=愛欲染着」・・・仏教では「愛」は「煩悩の性愛」で、その解放とは・・・詰まるところ相手のいない「御自愛」だろう・・・無理だと「悟った」のは「親鸞」らしい?・・・
「戦国時代の百姓」は「勝った方に加担」する、結果、「落武者狩り」もする・・・どちらが勝っても「被支配者」で土地に「顰(頻+卑・しが-み=噛(口+歯・しが-み」着(つ)かざるをえない。武士の「忠儀」とは無縁な存在だった・・・務秩序な暴力で襲って来る「山賊、野党」には「村の防衛」に「傭兵=七人の侍」も必要だが・・・あの村には「百姓」を護ってくれる「領主の武装警察」は存在しなっかた・・・頼りになるのは「七人の侍」だったんだか、どうなんだか・「竹千代」に訊いてみたい・・・
ーーーーー
・・・「ダーウインが来た」の「かえる=カエル」の漢字の「蛙(かえる・かわず・ア)」と、「蝦蟇(ガマ)」だが・・・「海老=えび=蝦・螧・鰕」は「蝦夷(えぞ・えびす・カイ)」の「蝦」である・・・
「カエル」はナゼか「月」に棲む「両生類の動物」であるが、「月の変化の現象、朔望(新月~満月~新月)と、月の色彩の変化」が重なるからである。すなわち、「変える・変わる」である・・・
「月桂樹・硅石(石英)・珪(たま)・鮭(さけ)・佳子(よしこ)・畦道(あぜみち)・罫線(ケイセン)」で「圭」の部首は月に存在するモノ、観た目の天体の形象を意味している・・・「奎=また・ふみ・とかきぼし=奎宿・ケイ・キ」・・・「挂」は、
「挂(かける=掛・ケイ・カ)=扌(手)+圭」で、
「卦・掛・罣・𪊧・𡐠・𦓯・袿
閨・厓・娃・烓・窐・䖯・䞨・刲」・・・
↓↑
「世界屈指のカエルの楽園、マレーシア・ボルネオ島の熱帯雨林」の「かえる」・・・「体から接着剤のような粘液を出すカエル、空を飛ぶカエル、1円玉より小さい超ミニガエル」の生態観察記録・・・「カエルの種類は200種以上で、毎年、新種が発見」・・・
森の中の渓流にの「ナガレガエル」は水面を「跳んで移動する」・・・苔むした岩の上で身を潜める「隠れ身の術」、メスをナンパする後ろ足の水かきを広げての「足旗信号=足旗の術」・・・
↓↑
ーーーーー
12月11日15:30、TBS系列特番
「遂に開いた!
ピラミッド真実への扉
ツタンカーメンの秘宝と
太陽の船
新発見!」
↓↑
アビドスの船の墓場
内壁に数多くの船の絵が刻まれているのが発見
紀元前1840年のもの
古代エジプトの「船の墓場」発掘
壁に120隻の絵
↓↑
鳥船塚古墳(とりふねづかこふん)
石室は破壊
奥壁の腰石2段を残すのみ
奥壁の1段目には
2個の靫と船、
同心円文が描かれている
船は大きな
櫂のある大型の船で、
人物が乗っており
帆を張る
柱が2ヶ所
2段目には、
鳥が船の
艫と
舳先に
各1羽つづ止まっている絵
が描かれている
↓↑
屋形古墳群の北端
古墳は昭和25年に発見
奥壁の絵は、
赤と青の顔料を使用
岩の地肌を利用して
3色で構成
太い線が
横に4段描き
その上に
弓矢が入った
靫を3個
大きく中央に配置し、
左と中央の靫の間には
大きなワラビ手文様
靫の左側上には
同心円文、
下にゴンドラ形の船
右側が船首
舳先には鳥が止まっている
帆があり、
冠をかぶった人物が
櫂を持っている
靫の右側上には
盾
弓
を持った人物が立っている
その下に
月に住む
2匹の
蟾蜍(センジョ・ひきがえる)・・・虫+詹
虫+余
洗浄?
引き換(替・変)える?
が描かれている・・・
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・・・「カイザリオン(プトレマイオス15世)」の東方の到着点・・・ジポン・・・
カエサリオン(Caesarion・Καισαρίων)
プトレマイオス15世
(Πτολεμαῖος ΙΕʹ
Φιλοπάτωρ
Φιλομήτωρ
Καῖσαρ
ユリウス暦
紀元前47(甲戌)年
06(庚午)月
23(癸亥)日
月曜日
友引
(紀元前47年6月21日グレゴリオ暦)
~
ユリウス暦
紀元前30(辛卯)年
08(丙申)月
23(癸巳)日
土曜日
友引
(紀元前30年8月21日グレゴリオ暦)
プトレマイオス朝
最後のファラオ(在位、紀元前44年~紀元前30年)
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