gooブログはじめました!キリヤ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
コジキジゲン

麁(ほぼ) =麤(本字)=鹿+鹿+鹿=ロク+ロク+ロク・・・rock・lock・ロック

2020-12-15 23:27:35 | 古事記字源
 山師・・・古代~明治時代の地質学者・・・和銅
 ・・・新しい物は慣れるまでは使いずらい・・・
 機能が類似していても使い方の仕様が可なり異なっている・・・
 貼り付けている絵は「ホームビルダー」で作ったモノだが・・・
 これが起動せず使い物にならなくなった・・・
 ↓↑
 「頁=一+ノ+目+ハ=ケツ・おおがい・ページ=page」
 頁(おおがい・いちのかい)
 ケツ
 ヨウ
 かしら
 ページ
 こうべ・人間の頭
 ページ=書物の一枚の紙の片面
     紙を数えるときに用いる
    「葉(ヨウ)」と
     同音であることから・・・?
 ↓↑
 頁(かしら)
 頁(ページ)
 頁岩(ケツガン)
 堆積岩の一
 粘土が水底で
 堆積した地層、岩相の岩
 ↓↑
 一枚岩(いちまいいわ)
 割れ目などがない一つの大きな岩
 ↓↑
 花崗岩(カコウガン)・・・化工元(頑)
 深成岩の一種・・・・・・・申請願
 石英
 長石
 雲母
 などからなる
 主に
 白色で黒や灰の点がある
 固いことから
 土木や建築などに使われる
 御影石・・・・・・・・・・音型尺(釋・釈)
 ↓↑
 火山岩(カザンガン)・・・渡辺
             「崋山・華山」願
 火成岩の一種・・・・・・・仮性元
 溶岩が
 冷えて固まってできたもの
 玄武岩・・・・・・・・・・言部頑
 安山岩・・・・・・・・・・暗算願
              読み書きソロバン
              算盤・十露盤
 ↓↑
 火成岩(カセイガン)
 マグマ(magma)が・・・万求磨
 冷めてできた岩石の総称
 石英や長石などから構成
 火山岩と深成岩に大別
 ↓↑
 奇岩(キガン)・・・・・基岩・祈願・記元
 変わった形をしている岩
 変成岩・・・・・・・・・編成頑
 ↓↑
 凝灰岩・・・・・・・・・業界願・行改元
 (ギョウカイガン)
 堆積岩の一種・・・・・・泰碩願
 火山灰の凝結した岩
 ↓↑
 磐余彦=いわれ=神武天皇
 神武天皇
 辛酉年一月一日~神武天皇七十六年三月十一日
 在位 同
 明治時代の計算
 即位日
 西暦
 ユリウス暦
 紀元前660年2月18日
 グレゴリオ暦
 紀元前660年2月11日・・・貳解通壱拾壱字通?
    660÷60=11・・・・十一=一一
             壱拾壱=壹足壹
    イチひろうイチ
            位置拾一・位地卑陋移置
                   鄙陋
 干支歴 辛酉年・丙寅月・庚辰日・土曜日
    「神佑・深憂・神有」念
 ↓↑
 諱  彦火火出見(ひこほほでみ)
          肥後火火出見?
    狭野(さぬ)
    若御毛沼命
    豊御毛沼命
    始馭天下之天皇
 ↓↑
 多重の書籍=本の多重のページ
    諸石
 ↓↑
 岩井の乱
 磐井の乱
 527年(継体二十一年)
 朝鮮半島南部へ出兵しようとした
 近江毛野
 率いるヤマト王権軍の進軍を
 筑紫君
 磐井(『日本書紀』筑紫国造)
 がハバミ(阻み・はばみ)・・・葉羽見?
 翌528年(継体二十二年)十一月・・・22年11月・・・?
 物部 麁鹿火(もののべ の あらかび・あらかい)
        もの述べ  新 化備・合等解?
    麁=々+鹿=粗・・・粗末
      麁(あらい)
      麁(おおきい)
      麁(くろごめ)
      麁(ほぼ)
    麤(本字)=鹿+鹿+鹿=ロク+ロク+ロク
    肌理(きめ)があらい・粗末な・おおきい
    ほぼ
    玄米
    ス・ソ・ゾ
    あらい、はなれる
   (木・棒・柱・管・毛・胴・首
    など
    棒状のものの周りが)
    太い・・・ふとい⇔符問い・・・負土肥?
    太安万侶
    太歳星=木星=辰星=ユピテル・Jupiter
    太初・太祖・太子・太古・太鼓
    太平・太山
    太陽・太陰

    太(タイ)
    日本語
   「アマリにも」
    海女里
    海毎里
   「ハナ-ハダしい」
    花環・鼻輪・洟瑞
    塙 葉拿恣意
 ↓↑ ↓↑
    塙  保己一
    華(崋)輪 保記位置?
    渡辺崋山
    英和 補記意知?
 ↓↑ ↓↑
    小関三英(こせき さんえい)
    天明七年六月十一日
    1787年7月25日
    ~
    天保十年五月十七日
    1839年6月27日
           1833年6月(45歳)壬寅正官
                    ┣支合
    丁┏未(丁乙己)比肩・食神冠帯⇔己亥食神
    丁┣未(丁乙己)比肩・食神冠帯⇔庚午正財・支合
    丁┣未(丁乙己)  ・食神冠帯⇔辛亥偏財
    丙┗午(丙 丁)劫財・食神建禄⇔甲午印綬・自刑
      寅卯空亡
      両神相生格
 ↓↑     ↓↑
    医者・蘭学者
    名  好義
    幼名 弁助
    通称 良蔵
    号  鶴斎・鶴洲・篤斎
    出羽国(山形県)庄内地方・鶴岡 出身
    コンスブルフの内科書を和訳
   「泰西内科集成」
    天保三年(1832年)
    和泉国
    岸和田藩医
    幕府
    天文方
    阿蘭陀書籍和解御用=翻訳係
    尚歯会に参加
    渡辺崋山に
   「耶蘇伝」を口訳した
    ナポレオン・ボナパルト伝記
    リンデン著の
   「那波列翁伝」翻訳
    他に
   「新撰地誌」
   「西医原病略」
   「輿地誌」

 ↓↑  ↓↑
    塙 保己一(はなわ ほきいち)
    延享三年五月五日(1746年6月23日) ・・・?
    ~
    文政四年九月十二 日(1821年10月7日)
              1821年3月(74歳)壬寅・食神
                 10月7日死亡
     丙┏ 寅(戊丙甲)偏官・偏財 絶⇔辛巳・劫財・空亡・害
      三合丙
     甲┣ 午(丙 丁)偏財・印綬沐浴⇔丁酉・正官
      冲
     庚┣ 子(壬 癸)  ・傷官 死⇔己未・印綬・害
      冲
     壬┗ 午(丙 丁)食神・印綬沐浴⇔庚午・比肩・自刑
       辰巳空亡
 ↓↑   ↓↑
     1746年6月22日・・・?
     丙┏ 寅(戊丙甲)⇔辛巳・食神・空亡・害
      三合丙
     甲┗ 午(丙 丁)⇔丁酉・偏印
     己  亥(戊甲壬)⇔己未・比肩
 ↓↑   ↓↑
   国学者
   幼名 丙寅年生まれにちなみ
        寅之助
   失明後に 辰之助
   一時期  多聞房
   雨富検校に入門後・・・雨の富の検校
   千弥(せんや)
   保木野一(ほきのいち)
   保己一(ほきいち)
   と改名
  『群書類従』『続群書類従』編纂
   総検校・贈正四位
   四男 国学者の
   塙 忠宝
   ・・・伊藤博文と山尾庸三に
      文久二年(1862年)
      十二月二十一日
      暗殺された
 ↓↑   ↓↑
   塙 保己一は
   武州
   児玉郡
   保木野村(埼玉県本庄市児玉町保木野)
   に誕生
   塙は師の
   雨富須賀一の本姓
   荻野(おぎの)氏の出自
   近世に帰農した百姓の家系
   父 宇兵衛
   母 加美郡
   木戸村(上里町藤木戸)
   名主
   斎藤理左衛門家の娘
   きよ
   弟 卯右衛門(うえもん)
 ↓↑
 磐井は
 物部 麁鹿火
 によって鎮圧された
 ↓↑
 527年(継体二十一)六月三日
 ヤマト王権
 近江 毛野
 6万人の兵を率い
 新羅に奪われた
 南加羅の
 喙己呑(トクコトン)
  喙=ついばむ
  己=おのれ・よこしま
  呑=呑(のみ)込む
 奪回するため
 任那
 へ向かって出発
 新羅は
 筑紫(九州地方北部)
 磐井(日本書紀・筑紫国造磐井)
 へ贈賄
 ヤマト王権軍の妨害要請
 磐井は
 火の国(肥前国・肥後国)
 豊の国(豊前国・豊後国)
 を制圧し
 倭国と朝鮮半島とを結ぶ海路を封鎖
 朝鮮半島諸国からの朝貢船を誘い込み
 近江毛野軍の進軍と交戦
 磐井は
 近江毛野に
 「お前とは同じ釜の飯を食った仲だ
  お前などの指示には従わない」
 と言った・・・同僚・・・?
 ↓↑
 継体天皇
 ・・・15代応神天皇の5世孫
    越前国の領主
    諱  男大迹(ヲホド)
    別称 袁本杼命
    彦太尊
    雄大迹天皇
    乎富等大公王
    父  彦主人王
    母  振媛
    皇后 手白香皇女
    夫人 尾張 目子媛 ほか
 は
 大伴金村
 物部麁鹿火
 巨勢男人
 らに将軍の人選を諮問
 物部麁鹿火
 が推挙され
 同年八月一日
 麁鹿火が将軍に任命
 ↓↑
 528年11月11日・・・5+2+8=15=壱拾五
           伍陌貳拾(足)捌
           十一・壱拾壱・壹拾壹
           壱=十+一+冖+匕
           壹=十+一+冖+豆
 磐井軍
 と
 麁鹿火
 率いるヤマト王権軍が
 筑紫三井郡(福岡県小郡市・三井郡付近)
 で交戦
 磐井軍敗北
 磐井は
 物部麁鹿火に斬殺・・・
 ↓↑
 『筑後国風土記』逸文
 磐井が
 豊前の
 上膳県へ逃亡
 その山中で死んだ
 同年12月
 磐井の子
 筑紫葛子
   葛(くず・カツ)・・・葛城・葛木
   子(シ・ス・・・・・・葛城皇子?
   こ・ね・こ・さね
   しげ・しげる
   たか・ただ
   たね
   ちか・つぐ・とし
   ね・み・みる・やす)
 は連座から逃れるため
 糟屋(福岡県糟屋郡付近)
 の屯倉をヤマト王権へ献上
 死罪を免ぜられた
 ↓↑
 529年3月
 ヤマト王権(倭国)
 再び
 近江毛野
 を
 任那の
 安羅へ派遣
 新羅との領土交渉
 ↓↑
 『筑後国風土記』逸文
 磐井の墓に関する記事
 『古事記』
 袁本杼命(男大迹王・継体天皇)の没年
 丁未四月九日(527年5月26日?)
 筑紫君
 石井(いわい)
 が天皇の命に従わないので
 物部 荒甲(物部 麁鹿火)
 大伴 金村
 を派遣し
 石井を殺害・・・
 『国造本紀』
 磐井
 と
 新羅
 の関係を示唆する記録

ー↓↑ーー
 岩石論・・・「古事記・ガンセキ論」・・・?
 メドゥーサ
 (Medoūsa・メデューサ)=目動作
 ↓↑
 ・・・石化⇔化石・アンモナイト=菊石
    医師化?  巻貝の化石
    古生代シルル紀末期(orデボン紀中期)
    ~
    中生代
    白亜紀末
    3億5000万年前後の期間に
    海洋に広く繁栄した
    オウムガイ亜綱
   (Nautiloidea)の中から分化した
    軟体動物
    頭足類の分類群の一
    北海道三笠博物館の
    展示アンモナイト
    ギリシア
    羊角神アンモーン(Ammōn)
   「アンモーンの角(ラテン語: cornu Ammonis)」
    アモン大神殿
    エジプト南東部
    ナイル川東岸
    ルクソールにある
    カルナック神殿の中核神殿
    テーベの守護神
 アモンが
 太陽神ラーと結合
 カルナック神殿
 中王国時代(紀元前2055~1650年頃)
 センウセルト1世(紀元前1965~1920年頃)
 プトレマイオス朝(紀元前332~32年)
 ローマ支配時代(紀元前30~後395年)
 まで継続
 カルナック神殿
 アメン神をその頂点とする新王国時代の
 テーベ三柱神崇拝の中心地
 ↓↑
 アメン大神殿
 都市テーベ
 中王国時代
 第11王朝(紀元前2055~1985年頃)
 第11王朝
 国家神
 モンチュ
 第11王朝による小さな八柱神
 アメンについて記録
 第1中間期(紀元前2181~2055年頃)
 テーベのア
 第12王朝(紀元前1985~1795年頃)
 王朝の守護神モンチュに代わり
 国家神となった
 アメン=雄羊や鵞鳥(がちょう)
 アメンの名は隠すという動詞の
 「imen」に由来
 エジプト語の意
 「隠された者・隠された神」
 アメンの称号「その姿・神秘なる者」
 豊饒神ミン
 太陽神ラー
 などと習合
 ↓↑
 アメン大神殿建設工事
 テーベが統一された古代エジプトの首都
 第18王朝(紀元前1550~1295年頃)
 新たな建設は
 第19王朝(紀元前1295~1186年頃)
 セティ1世(紀元前1294~1279年頃)
 ラムセス2世(紀元前1279~1213年頃)
 着工され
 列柱室の建設は
 第18王朝の間に始まった・・・
 ↓↑
 女王ハトシェプスト(紀元前1473~1458年頃)
 記念物を建造
 ヒクソスの占領中に破壊されていた
 女神ムトのかつての神域を再構築
 カルナック「赤い祠堂」は「聖舟祠堂」とされ
 2基のオベリスクの間に建っていた・・・
 ↓↑
 西暦323年
 コンスタンティヌス1世(306~337年)
 キリスト教徒の信仰を認め
 356年
 コンスタンティウス2世(337~361年)
 異教神殿の閉鎖
 カルナック神殿は
 大部分が放棄され
 トトメス3世祝祭殿の中央の間に
 キリスト教会を建設
 ↓↑
 アメン大神殿
 ピネジェム1世の巨像(もとラムセス2世像)
 アメン大神殿(アメン=ラーの神域)は
 神殿複合体の神域内のうち最大で
 テーベ三柱神(アメン、ムト、コンス)
 の最高神である
 アメンに捧げられている

 ↓↑
 アンモナイト(ammonite)
 アンモン(ammon)=太陽神
 +
 アイト(ite)=石
 アンモン
 頭に渦を巻いた角を持ち
 その角と化石の形が似ている
 アンモニウム(ammonium)
 エジプトの
 アモン神殿の近くから
 アンモニウム塩が産出した事による命名
 ↓↑
 中国 明代
 李時珍(1518~1593)
 『本草綱目』(1596)に
 石蛇・石燕・石蟹
 など、「化石」の記録
 ↓↑
 メドゥーサの
 見たものを石に変える能力を持つ
 頭髪は無数の毒蛇
 イノシシの歯
 青銅の手
 黄金の翼
 腰に蛇をまいた姿
 イノシシの胴体と馬の下半身
 の合体した姿で描かれる・・・
 ↓↑
 海神
 ポセイドーンの愛人
 ポセイドーンとの間に
 天馬ペーガソス
 巨人クリューサーオール(黄金の剣の意)
 ↓↑
 ペルセウスによって
 首を切り落とされ
 切り落とされたメドゥーサの首から
 滴り落ちた血は
 ペルセウスによって
 2つの瓶に集められ
 アテーナーに献上された
 右側の血管から流れて
 右の瓶に入った血は
 死者を蘇生
 左側の血管から流れて
 左の瓶に入った血は
 人を殺す力があった
 アテーナーは
 死者を蘇生させるメドゥーサの血を
 アスクレーピオスに授け
 彼はこの血を混ぜた薬を使用
 ↓↑
 コリントスの先住民族の女神
 デーメーテールと同一神・・・
 両神共にポセイドーンとの間に
 馬形の神霊
 アレイオーン
 ペーガソス
 を産んでおり
 ポセイドーンとは夫婦だった・・・
 ↓↑
 元々美少女
 メドゥーサは
 海神ポセイドーンと
 アテーナーの神殿で交わり
 アテーナーの怒りをかい
 醜い怪物にされてしまった
 ペルセウスに討ち取られた首は
 アテーナーの
 山羊皮の楯
 アイギス
 (aegis・イージス)・・・医意字素?
 に嵌め込んだ
 ↓↑
 美少女で
 自分の髪を自慢して
 アテーナーと美を競って
 髪の毛を蛇に変えられた
 ↓↑
 ペルセウスは
 鏡のように磨き抜かれた盾を見ながら
 曲刀(ハルペー・不死身殺しの武器)で
 眠っている
 メドゥーサの首を掻っ切った
 メドゥーサの首から出た血は
 空駆ける天馬
 ペーガソスを生んだ
 ポセイドーン
 と
 メドゥーサ
 の子である黄金剣を持った巨人
 クリューサーオール
 も生まれた・・・
 ↓↑
 ペルセウスが
 空飛ぶ翼のあるサンダルで
 海を渡っている際
 包んであったメドゥーサの首から血が滴り落ち
 それが赤いサンゴになった
 切り落としたメドゥーサの首から滴る血が
 砂漠に落ち
 サソリなどの猛毒の生き物が生まれた・・・
 ↓↑
 ペルセウスは
 海から突き出た岩に
 縛り付けられた
 アンドロメダーを発見
 母親カッシオペイアが
 娘アンドロメダーの方が
 海の
 ニュンペーより美しいと公言し
 海神ポセイドーンの怒りに触れ
 海の怪物
 ケートス(クジラ・海竜姿の怪物)
 の生贄にされるため
 岩に磔になっていた
 ペルセウスは
 メドゥーサの首を取り出し
 怪物を石に変えた
 ペルセウスは
 アテーナー女神に
 メドゥーサの首を贈り
 アテーナーは
 自分の盾
 アイギスに
 メドゥーサの首をつけ
 最強の盾とした・・・
 ↓↑
 ポンペイ遺跡から発掘された
 「イッソスの戦い」のモザイク画に
 メドゥーサの胸当てを付けた
 アレクサンダー大王が描かれている
 ↓↑
 肝硬変
 肝臓へ門脈からの血流狭窄
 腹壁静脈怒張が
 臍を中心として
 放射状に蛇行して見られる状態を
 メデューサの頭と呼ぶ・・・
ー↓↑ーー
 地質論・・・知質論
 慕維廉(W.Muirhead)
 『地理全志』の翻刻本が刊行
 安政六年(1859)
 ↓↑
 箕作阮甫
  寛政十一年九月七日
  1799年10月5日
  ~
  文久三年六月十七日
  1863年8月1日
  津山藩士、蘭学者
  名 貞一・虔儒
  字 痒西
  号 紫川・逢谷
 が
 『地質辮證』
 蘭書から訳述
 文久元年~二年(1861~1862)
 明治五年から
 文部省の教育施策
 翻訳
 地質学書刊行
ー↓↑ーーー
 幕府天文台翻訳員
 ペリー来航時
 米大統領国書を翻訳
 対露交渉団の一員
 蕃書調所の首席教授
 幕臣
 「安政五カ国条約」に携わった
 医学雑誌
 『泰西名医彙講』
 『外科必読』
 『産科簡明』
 『和蘭文典』
 『八紘通誌』
 『水蒸船説略』
 『西征紀行』
 訳述書は99部160冊余り
 分野は
 医学・語学・西洋史・兵学・宗教学
 ↓↑
 日本で初めて
 「地質学」という言葉を作り
 地質学・鉱物学書の
 『日本記聞 下』を著
 その書の中に
 「密涅刺羅義(ミネラロギ)」
 という見出しで
 ドイツ語原著
 『フリードリヒ・シェドラー博士の自然の本
  物理学、天文学、化学
  鉱物学、地質学
  植物学、動物学
  生理学
  の科学の基礎入門』
 から
 「鉱物学」の抄訳がある・・・
 ↓↑  ↓↑
 「諳 厄利亜語林 大 成
 (あんげりあごりんたいせい)」
 本木 庄左衛門(正栄)
 が中心になって編纂した
 日本初の英和辞典
 文化11年(1814年)に完成・・・文化壱拾壱撚?
 編纂には本木の他
 通詞の
 馬場貞歴、末永祥守、楢林高美、吉雄永保
 らが当たった
 ↓↑
 古賀 謹一郎
 (こが きんいちろう)
 文化13年11月11日
 1816年12月29日
 ~
 明治17年(1884年)
 10月31日
 儒学者・官僚
 本姓 劉
 諱  増(まさる)
 筑後守
 字  如川
 号  謹堂・茶渓
    沙蟲老人
 ↓↑
 天保七年(1836年)
 大番役
 天保十二年(1841年)
 書院番
 家塾 久敬舎を父より引き継ぐ
 弘化三年(1846年)31歳
 昌平黌(昌平坂学問所)
 儒者見習
 翌年、儒者・15人扶持
 ↓↑
 漢訳蘭書による独学で西洋の事情を習得
 米国への漂流者から欧米の事情を取材した
 『蕃談』を著す(書写本にて流布)
 昌平坂学問所の教官
 同僚
 佐藤一斎、林復斎、安積艮斎
 昌平黌
 家塾久敬舎
 儒学上の門人
 阪谷朗廬、重野安繹、原伍軒(市之進)
 大野右仲、秋月悌次郎、河井継之助
 白洲退蔵、平田東助
 ↓↑
 嘉永六年(1853年)
 ロシアのプチャーチン艦隊の来航
 応接掛
 目付
 筒井政憲
 川路聖謨
 に随行して長崎でロシア使節との交渉
 翌年ロシア艦再来日
 伊豆下田で交渉を行い
 日露和親条約の締結
 ↓↑
 蕃書調所設立
 安政二年(1855年)8月30日
 謹一郎は阿部より
 洋学所頭取(校長)に任命
 蘭書翻訳・教育機関の構想を練り
 勝麟太郎
 らとともに草案作成
 9月蕃書調所設立案を提出
 安政四年(1857年)正月
 蕃書調所が正式開設
 ↓↑
 蕃書調所頭取(校長)として
 国内の著名な学者を招聘
 蘭学者
 「箕作阮甫」を教授として招いた
 教授見習
 三田藩 の川本幸民
 周防出身の手塚律蔵
      村田蔵六(大村益次郎・当時は宇和島藩出仕)
 薩摩藩 の松木弘庵(寺島宗則)
      西 周助(西周)
      津田真一郎(津田真道)
      箕作秋坪
      中村敬輔(中村敬宇)
      加藤弘之
 幕臣のみならず各藩の俊才も含め幅広く採用
 ↓↑
 蕃書調所は当初、蘭書の翻訳を目的としたが
 英語の隆盛を鑑み
 英語・フランス語・ドイツ語
 の教授も行わせた
 入獄中の
 「堀達之助」の才能を惜しみ
 便宜を図って出獄させ
 日本最初の
 英和辞典
 『英和対訳袖珍辞書』
 を作らせた
 ↓↑
 文久二年(1862年)五月
 御留守居番就任
 蕃書調所(洋書調所)→開成所)
 の頭取を解任された
 慶応二年(1866年)
 製鉄所奉行
 翌年に目付
 筑後守に補任
 江華島を巡る
 フランス
 と
 李氏朝鮮
 の紛争の仲介任務を託されるが未遂
 緒方洪庵の墓碑銘を記す
 慶応三年(1867年)十月
 大政奉還
 滝川具挙
 などと共に上京の命
 ↓↑
 大学校(昌平黌、蕃書調所の後身)
 の教授として新政府から招聘されたが
 徳川家の駿府転封に伴い
 静岡へ移住
 中村敬宇(正直)
 と漢詩の応酬を行う
 明治初期のベストセラー
 中村の
 『西国立志編』
 (サミュエル・スマイルズのSelf-Helpの訳書)
 に序文を寄せた
 リンネの植物学書などの洋書をまとめた
 『蕈説』
 (キノコに関する言説をまとめた書)
 などを著作
 ↓↑
 明治六年(1873年)
 東京に戻る
 明治十七年(1884年)8月20日
 高畠五郎が暑中見舞いに訪れ
 長茄子、南瓜
 球形の
 白甜瓜などを持参
 胃管狭窄により
 弟子の
 吉田賢輔に看取られて
 67歳で死去
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「プラトン古事記をカタル」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog-1
 「月間の日干支サイクル」
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html
 「年月日時×大運干支命式表の組織化」
http://meisiki.bake-neko.net/meisikau/meiww35a2.html


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボクのオモチャ(玩具)がイカレタ・・・

2020-12-11 22:04:37 | 古事記字源
 イカレたコンピュータ・・・イキている一日がツマラン・・・
 ↓↑
 ドカ雪で塞がれた玄関前の路・・・この雪を腰痛を怨みながら朝夕8時間かけて除雪したからって、金銭的な報酬もないし、ご苦労さんってのコトバもない・・・田舎町の無人駅のポスター8時間除雪作業で8,000円・・・他人のために売った労働力、労働拘束時間、仕事にはキマリがある・・・自分勝手の仕事には報酬が保証されないのは当然・・・
 ポスター・・・ではない・・・指名手配の逃亡犯の人相写真と容疑説明文・・・
 むかし、雪の降る日、駅の待合室にはダルマストーブの周りに「浮浪者」と呼ばれる人が群れている時代があったけれど・・・
 タイトル・・・贅沢な独り言だとは思う・・・けれど・・・
 コンピュータ、イカレタ・・・
 今のところは
 衣食住に不自由はない、贅沢な時代にイキテイルけれど・・・
 最近の日常生活のニュースは
 コロナと自動車事故でイってしまう人がワンサカ・・・
 TV、PC、SP(smartphone)で情報を流している人々、視聴している人々・・・
 少々、健康に問題があっても
 まだ、平常なイキをしているだろう・・・
 雪投げ、除雪・・・息切れしながら家の中に転がり込んで
 TV、スイッチをオンにしても画像も音声も・・・
 ・・・4、5分後にヤットコ、アラワレてクル・・・
 TVは映っり出すけれど・・・オモ白くない・・・けれど・・・
 家の中は灯油ストーヴの暖房で
 カンジはホンの少しの贅沢に浸っているのカナって・・・?
 ・・・イヤぁ~ッ、ゼイタクだけれど・・・おも白くない・・・
 道具が無いなんてッ・・・ツマラない・・・イカレたPC・・・
 起動しなくなったPC・・・イカレた・・・
 ↓↑
 コンピュータ、なんとか、別品で手に入れたけれど・・・ゼイタク・・・
 ・・・ナゼ、「常泉寺」なのか・・・common spring temple・・・?
 small spring=little spring・・・小泉 八雲・・・thick clouds・・・?
 ↓↑
 古事記原文
「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁」
「やくもたつ いづもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを」
「夜句茂多菟 伊弩毛夜覇餓岐 菟磨語昧爾 夜覇餓枳都倶盧 贈廼夜覇餓岐廻」
 日本書紀原文
 ↓↑
  が、どうして
  「八雲立つ 出雲 八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」
  になるんだか・・・?
 ・・・八雲=Eight clouds・・・dense clouds=密雲・・・?
 ポルトガル語"八"の発音 (Oito)・・・お糸・・・?
 スペイン語 "八"の発音 (Ocho)・・お蝶・お調子者・お喋?
 イタリア語 "八"の発音 (Otto)・・・おっと=良人・・・?
 ギリシャ語 "八"の発音 (οκτώ)・・オクトゥ=奥東・億島・憶等?
                  緒句当
 octopus(オクトパス)=たこ=蛸=多古=多胡・章魚・・・
                   古人 胡人 魚座の人
            鶏眼(ケイガン)=魚の目
            胼胝(ベンチ) =たこ・疣(いぼ)
  1 モノ  mono・・・物・者
  2 ジ   di・・・・次・字・自・時・事
  3 トリ  tri・・・取・採・執・盗・録
  4 テトラ tetra・・手・出・図羅・寅・虎・彪
  5 ペンタ penta・・編拿・篇妥・遍妥
  6 ヘキサ hexa・・日置差
  7 ヘプタ hepta・・経武多
  8 オクタ octa・・・奥多
  9 ノナ  nona・・・埜名・廼名・盧名・乃名
 10 デカ  deca・・・出化
 ↓↑
 烏賊=いか=以下・意化
    cuttlefish・cuttle fish(カトルフィッシュ)
    squid(スクイ―ド・スクイッド)
    イカの料理=calamari(カラマリ)
 ↓↑  ↓↑
    ギリシャ語
    καλαμάρι(kalamari・ カラマーリ)
 ↓↑
 須佐之男命(素戔嗚尊)
「やくもたつ いづもやゑがき つまごみに やえがきつくる そのやゑがきを」
 譯 模他通意図模訳會書  通万語観爾 八重化記通句留 素之埜會画記緒
 役 喪発つ何時も譯得我記 都孫 見に 八重が記作る 素之八重臥記緒
 ・・・???・・・賢瑜???・・・新島八重(山本八重子)・・・
 本居宣長・・・大須観音・小碓命・・・古事記・・・

 ↓↑
 新島 八重(にいじま やゑ)=新島襄の妻女・・・ゑ=る+ᨓ
 弘化二年十一月三日
 1845年12月1日
 ~
 昭和七年
 1932年6月14日
        1927年12月(82歳)丙申偏官
 乙┏巳(戊庚丙)正財・偏官長生⇔壬申食神
  冲
 丁┣亥(戊甲壬)正官・食神 病⇔丙午偏官
  害
 庚┗申(己壬庚)  ・比肩建禄⇔丙午偏官
 壬 午(丙 丁)食神・正官沐浴⇔甲午偏財
   子丑空亡
   虚宿・庚申
 ↓↑
 楫取 美和子(かとり みわこ)=久坂文(くさかふみ)
              =杉 文(すぎ ふみ)
 小田村伊之助=楫取素彦の後妻・・・
        カジ取りの素の諺(ことわざ・ゲン)?
             素戔嗚
 ↓↑
 太閤さんも、イトウさんも、ミンナも・・・
 ジポンドリームでシマグニにヤッテきた・・・
 カンジからのモウソウだが故郷は西の大陸奥地から半島経由で
 ナンミンでジポンにヤってきた・・・
 黄海を渡れば「エデンの東の果て」だから・・・?
 技術も文明も戦争もカミもホトケも。疫病も・・・
 天然痘だから・・・
 そして「ムキ」も・・・抱えながら・・・
 せっかく、マザッたのに・・・
 ジカンが経つとチョットしたコトに
 イチャモンをつけ、ハタからケンカをアオル奴がいる・・・
ーーーーー
 常泉寺・・・・常=龸+吊
          ⺌+冖+口+巾
          日月や竜などを描いた天子の旗
          常識・常態・尋常・常世の国
        泉=白+水=出水
          湧き水
        寺=土+寸
          寺院
 名古屋 常泉寺
 彼岸花 常泉寺
 秩 父 常泉寺
 埼玉市 常泉寺
 大和市 常泉寺
 墨田区 常泉寺
 富士宮 常泉寺
 山 梨 常泉寺
 新 宿 常泉寺
 神奈川 常泉寺

 常泉寺
 名古屋市
 中村区
 「日蓮宗
  太閤山
  常泉寺
 ( じょうせんじ
  ヂョウセンジ)」・・・朝鮮児?
 豊臣秀吉
 誕生の地
 旧本山は
 萱津
 妙勝寺
 ↓↑
 加藤清正
 開山圓住院
 日誦上人
 とで創建
 寺号
 秀吉の誕生当時
 近郷に類のない
 清水の溢れる井戸(産湯の井戸)があったことから
 ↓↑
 豊太閤産湯の井戸
 1547年(天文十六年)
 御手植えの
 柊=木+冬
   十+八+夂(夊)+ン(冫)・・・冫=ヒョウ・こおり
      夂=𠂉+乂=遅れる・遲・遅刻・遅滞・・・痴態
        ノ+又   遅=尸+羊+辶
              遲=尸+犀+辶
                尸+氺+牛+辶
                 泰=𡗗+氺
                 泰平・安泰・泰国
                 㤗=𡗗+㣺
                 奉=𡗗+ⵐ(‡)
                 奏=𡗗+天
                 湊=氵+𡗗+天
              犀= 尸+氺+牛
                サイ・硬・固
                救・救助・救援
                球=王+求
                求=亠+氺+丶
          高野長英=瑞皐(ズイコウ)
                皐月=さつき=五月
                皐=白+𠦂
                皐=コウ・さわ・さつき
            異体字「皋=白+大+十」
                皐=白+𠦂
                睪=皐=皋・睾・鼛
                    𡅦・𦤗・𪔌
                  さまにより、白い意
                 「皞(カウ) 」の原字
                  魂呼(たまよ)びの声
             稚=穉 (チ・わかい)
                 稚拙・幼稚
                 稚魚・稚児
   十+八+ク+乀+ン(冫)・・・・冫=氷・ヒョウ=雹・瓢
   ひいらぎ・シュウ・・・・・・比意等義?
   モクセイ(木犀)科の常緑高木
         ・・・金木犀・・・犀=サイ=差異・歳・斎
   葉は堅く
   光沢あり
   縁に棘(トゲ・刺)がある・・・冨(富)解・譯(訳)解?
   晩秋~初冬・・・晩=日+免
            ・・・兔・菟・莵・兎=うさぎ
                    白兎?有詐欺・烏詐偽
   にかけて花をつけ
   木+冬=柊
   葉がギザギザに尖って
   葉を触ると痛いので
   ヒリヒリ痛むの古語
  「疼ぐ(ヒヒラグ)」から転じて
  「疼ぎ(ヒヒラギ)」と読ませ
  「疼」→「柊」
   花言葉
  「用心深さ・保護・先見の明」
   葉のギザギザが
   寄せ付けない「用心深さ」
   魔除けの「保護」
  「先見の明」・・・冬~春→夏→秋を詠む?
  「冬」の季語
  「雪・白」
  ・・・白=暤・皓・皎・皚
       辰韓
       斯盧・秦羅・新羅
       斯蘆=しろ・サロ・シラ
      『三国史記』
      「新羅本紀」の著者
      「金富軾」
       ↓↑・・金の
          富の
          軾=車+式(弋+工)
         (しきみ・ショク)
          車の前に設けた横木
          車上で礼をするときの
          寄りかかる横木
          肘突(ひじつき)
         「ひざつき(膝附)」
          と読むようになった
          弋=いぐるみ・とる・くろい・うかぶ
            ヨク
            矢に糸をつけて放ち
            鳥をとる道具
            獲物をカラメ(絡)とる・弋猟
            くろい・黒い色
            うかぶ
            弋(いぐるみ)・弋かぶ(うかぶ)
            弋(くい)・弋い(くろい)
            弋る(とる)
 ↓↑    ↓↑              
       は
       新羅王家の一族だが
       高麗王家に仕え
       平壌で高麗から独立した反乱を鎮圧した
       武勲の人物
       ↓↑  万葉集(新羅奇)
          出雲風土記(志羅紀)
          万葉集(白水郎=あま)
          あま=ア+マ=予⇔預・序
          ↓↑ 海人・海士・海部・海女
             阿麻・阿毎
             亜麻
             白水郎
             蜑(タン)
            「塰=海+士」は国字
             中国・四国地方より東で
             潜水夫(婦)=海人
             夫が命綱を担当
             妻が潜水
             九州地方で
             潜水夫(婦)=白水郎
          ↓↑
          海女の選別漁獲時期
          アワビ(鮑・鰒・蚫)
          3月中旬~9月中旬頃まで
          ↓↑
          ナマコ(海鼠)・・・海の鼠(ねずみ)
          11月~2月頃まで
          ↓↑
          ワカメ(和布)
          12月~3月まで
          ↓↑  ↓↑
             泉=いずみ・セン
              =白+水・・・沓=水+曰
               和泉・出水・伊豆見
               泉州
          ↓↑    ↓↑
               中国にかつて存在した州
               南朝
               梁により
               現在の
               湖北省
               荊門市一帯に設置
               泉州 (陝西省)
               中国にかつて存在した州
               唐により
               現在の
               陝西省
               咸陽市東部に設置
               泉州路
               中国にかつて存在した路
               元代に
               現在の
               福建省泉州市一帯に設置
               泉州府
               中国にかつて存在した府
               明清に
               現在の
               福建省泉州市一帯に設置
          ↓↑    ↓↑
               平泉(仙台⇔川内)
               平泉(ひらいずみ)
               岩手県南西部
              (陸奥国磐井郡)
               岩手県西磐井郡
               平泉町平泉衣関202
               平泉町の中心部
               奥州の入り口は
            「白」河関(福島県・北緯37度)
               北限は津軽半島
               外ヶ浜(青森県・北緯41度)
          ↓↑    ↓↑
              「鳥羽法皇御願」の寺
               嘉祥三年(850年)
               円仁(慈覚大師) 開山
               貞観元年(859年)
               清和天皇から
              「中尊寺」の額を賜った
          ↓↑    ↓↑
               長治二年(1105年)
               藤原清衡 開基
              「多宝寺」を建立
               釈迦如来
               多宝如来
               を安置
          ↓↑    ↓↑
               天治元年(1124年)
               天台宗東北大本山
               中尊寺
               金色堂完成
              「金色堂覆(さや)堂」
          ↓↑    ↓↑
               天治三年(1126年)
                 三月二十四日
               後
              「中尊寺」の寺号
          ↓↑    ↓↑
              「中尊」=『法華経』「序品」の
                   「人中尊」に由来
                   中=囗+丨=中庸の尊?
               文治五年(1189年)
               奥州藤原氏は滅亡
               建武四年(1337年)
               中尊寺本堂全焼
               嘉永六年(1853年)
               能舞台の再建を
               中尊寺の鎮守
            「白」山神社内に
               建立
          ↓↑    ↓↑
               マルコ・ポーロ
              『東方見聞録』・ジパング
          ↓↑    ↓↑
            「白」服=海人着で潜る
                 白の磯着は明治以降・・・
               三重県・志摩地方
               英虞湾などの
               真珠養殖を欧米人に
               見学させる為に
               従来
               裸であった上半身に着用
          ↓↑    ↓↑
       新羅六村が
       卵から生まれた
      「赫居世」
       赫=赤+赤
         カク
         あかい
         かがやく
         さかん
         赤い・まっか・火のように赤い
         あきらか・あきらかなさま
         勢いがさかんなさま・さかん
         かっとなる・かっと怒る
         ばらばらに裂く・切り離す
         ↓↑
         赤奮石(セキフンジャク・丑(うし)の歳の異名)
         木星の歳星名
         摂提格(セッテイカク・寅(とら)の歳の異名)
      ↓↑
      赫=赤
      嚇=口+赫
        口+赤+赤
        カク
        いかる
        おどかす
        おどす
        いかる・おこる・しかりつける
        相手を恐れさせる
        威嚇・威喝
      懗=忄+赫
      㬨=日+赫
      爀=火+赫
          赫(てらし)
卵は瓠(ひさご)ほどの大きさであった
       辰韓語で「瓠=朴」の意義字を姓とした
              杜撰(ズサン)?
      瓠=夸+瓜
        大+亏+瓜
        大+一+丂+瓜
        カク
        コ
        ひさご
        ふくべ
        ひょうたん
        瓠落(カクラク)=丸く中が空虚なさま
        夸=大+亏
          大+一+丂・・・巧(たくみ)
          カ
          コ
          おごる(奢る・驕る)
          ほこる(誇る)
          たかぶる・おごりたかぶる
          おおきい・大げさ
          大げさに言う・自慢する
              ↓↑
      「赫居世」・・・赫=赤+赤
                赤=十+丌+ハ
                  十+一+刂+ハ
                  十+一+㣺(心・灬)
                  㣺=したごころ
                  㝳=一+㣺
                  㣺
                  慕=慕情
                  恭=恭悦
                  忝=添付
                  忆=忄+乙=憶=忄+意
                      乙=意
     ↓↑
「赫居世 居西干(王)」
       を
       13歳で王位に推戴したのが
       新羅の始まり
       居西干(王)は
       龍の娘
       閼英夫人・・・「閼氏(エンシ・アツシ)」
               匈奴の単于(ゼンウ)の妻の称号
               閼=門+於
               ふさぐ・さえぎる・とどめる
       を王妃にした
       別伝
       この夫婦は
       辰韓に渡来した中国王室の娘
       娑蘇夫人の子
aakamin3
 ↓↑     ↓↑
       赫居世の臣下に
       倭国から来た倭人の
      「瓠公」・・・千成瓢箪=豊臣秀吉の馬印
 ↓↑     ↓↑        木下藤吉郎・日吉丸
                  羽柴秀吉
             永禄十年(1567)八月十四日
             蜂須賀小六
             山麓の猟師
             堀尾茂助
             など僅か七名を従え
             岩戸口から稲葉山城へ潜入
             薪小屋に火を放った
             藤吉郎は城兵を倒した鎗先に
             腰の瓢箪を結び付け振り回し
             勝鬨をあげた
             織田信長が
             瓢箪を馬印にすることを
             木下藤吉郎
             に許可

 ↓↑     ↓↑
      「昔氏初代
       脱解(第4代脱解 尼師今)
       倭国の東北一千里の
       多婆那国(但馬・丹波)の
       王妃が妊娠七年後、大きな卵を生んだが
       多婆那王は不吉として
       卵を捨てるように命じたが
       王妃は絹の布で卵を包み
       宝物と共に箱に入れて海に流した
       後
       金官国に漂着
       金官国人は警戒し取り上げず
       辰韓
       阿珍浦に漂着
       老婆が箱を拾って開けると
       男の子が出てきので
       育てることにした
       子は身長九尺にもなり風格を備えた
       姓氏がわからなかったので
       箱が流れ着いたときに
       鵲(カササギ)がそばにいたので
       鵲の字を略して
      「昔」を姓とし
       箱を開いて生まれてきたので
      「脱解」と名付けた
      「脱解」は
      「瓠公」の邸宅を見て
       相手を騙して土地を取り上げ
       そこを
       新羅の拠点地
       月城とした
       新羅の第2代王
      「南解」は
      「脱解」が賢者であるとし
       娘(阿孝夫人)を与え
       第3代
      「儒理王」は
       死に際して
      「脱解」に後事を託し
      「脱解」が王となった

 ↓↑     ↓↑
      「金氏始祖」
      「金閼智」
       第13代
      「味鄒(味鄒尼師今)」の7世祖
      「脱解」の治世に
       首都 金城の西方の
       始林の地で
       鶏の鳴き声を聞こえ
       夜明けに
      「瓠公」に調べさせたところ
       金色の小箱が
       木の枝にあり
       木の下で
      「白い鶏」が鳴いていた
       脱解が役人に小箱を回収させ開かせると
       中から小さな男の子が現れた
      「脱解」は彼を育てた
       聡明であったので
      「閼智(知恵者)」
       と名づけ
       金の小箱に入っていたので
      「金」を姓とし
       始林の地を
      「鶏林」と改名
       金氏が新羅王となると
       始祖である閼智にちなんで
       国号も
      「鶏林」とした
 ↓↑     ↓↑
       新羅
      (前57年~935年)
       503年
      「新羅」を正式国号とし
       520年
      「法興王(在位514年~540年)」
       律令を整備
       権力協合として
      「牟即智(法興)=寐錦王」
      「従夫智=葛文王」
       複数の王が共立・・・「七王」
       527年
       仏教導入
       532年
       伽耶地方の
       金官国を併呑
       536年
       独自年号
      「建元」を制定
 ↓↑     ↓↑
       551年
       小白山脈を超え
       高句麗の10郡を略奪
       552年
       高句麗と百済が争い
       ドサクサで
       漢城(ソウル)を収め
      「新州」を設置
       漢城は
       百済の首都で
       475年
       高句麗によって
       奪われた都市だった
       553年
       百済の聖王の軍勢を新羅軍が撃破
       聖王は戦死
       562年
       大伽耶を滅ぼし占領
       洛東江下流域の
       伽耶諸国が
       新羅に支配された
       仏教儀礼が盛ん
      「花郎」が貴人の私邸を
       リーダーとする青年組織が制度化
       564年
       北斉に朝貢
       565年
      「使持節
       東夷校尉
       楽浪郡公」
       に冊立
       568年
       南朝の陳に朝貢
       新羅と中国とは
       高句麗に脅威を与え
       570年
       高句麗は
       倭国と外交関係構築を模索
 ↓↑     ↓↑
       589年
       隋が中国統一
       隋の高句麗遠征失敗
 ↓↑     ↓↑
       600年
 ↓↑     ↓↑
       618年
       唐王朝
       新羅・高句麗・百済を冊封
 ↓↑     ↓↑
       642年
       高句麗の
       淵蓋蘇文
       がクーデターで実権
       百済で
       義慈王(在位641年~660年)即位し
       新羅に侵攻
       新羅は
       伽耶地方、40城余りを失い
       大耶城(慶尚南道陝川)陥落で
       城主が妻子もろとも殺害された
       城主の妻は新羅の王族
       金春秋の娘で
       新羅では一連の敗北を
      「大耶城の役」と呼んだ
       善徳女王
       金春秋
       金庾信
       が新指導体制
 ↓↑     ↓↑
       643年
       唐に救援要請したが
       女王を退け
       唐の皇族を
       新羅王に据えることを要求
       新羅国内で
       親唐派と反唐派の対立
       上大等の
       毗曇が女王の廃位を求めて反乱
       善徳女王が急死
       毗曇の反乱は半月程度で鎮圧
       金春秋(武烈王)は
       真徳女王
       を立てて唐との関係構築
       律令制度を取り入れ
 ↓↑     ↓↑
       650年
       新羅独自の
       年号(太和)・・・太の和
       を廃止し
       唐の年号を用いて
       唐との連携を強めていった
 ↓↑     ↓↑
       655年
       新羅は
       高句麗と百済から攻撃
       唐に救援と出兵を依頼
 ↓↑     ↓↑
       658年
       唐は高句麗遠征するが
       失敗
 ↓↑     ↓↑
       660年
       唐は海路から
       百済を攻撃
       新羅は呼応し
       百済の将軍
      「堦白」
       を撃破
       百済の首都
       泗沘が唐によって攻略され
       熊津も攻撃を受け
       百済滅亡
       百済の遺臣は
       倭国や高句麗の支援を頼みに反乱
 ↓↑     ↓↑
       663年
      「白村江の戦い」で
       倭軍と百済は大敗
       唐軍は
       南北から高句麗を包囲するが
       失敗
 ↓↑     ↓↑
       666年
       高句麗の
      「淵蓋蘇文」
       死去
 ↓↑     ↓↑
       667年
       高句麗遠征を開始し
       新羅の
       文武王(在位661年~681年)
       は唐に呼応し
       30人の将軍と共に
       高句麗に侵攻
 ↓↑     ↓↑
       668年
       唐軍が高句麗の首都
       平壌を陥落させ
       高句麗は滅亡
 ↓↑     ↓↑       
       676年
       新羅の朝鮮半島統一に帰着
 ↓↑     ↓↑
       668年~900年
       統一新羅時代
       後高句麗から起こった
       高麗に帰順し新羅滅亡
 ↓↑     ↓↑
       唐
       旧百済領に
       熊津都督府
       旧高句麗領に
       安東都護府
       を設置し
      「羈縻州」とし
       新羅の
      「文武王」を
       鶏林大都督
       として
       朝鮮半島全域を支配しようとしたが
       新羅は
       高句麗王
       宝蔵王(在位642年~668年)
       の外孫
      「安勝」を
      「高句麗王(報徳王)」
       に封じ
      「高句麗の使者」を
       倭国に朝貢させた
       新羅の使者が帯同して
       高句麗使が
       倭国へ送られた
      「報徳王」の冊立
      「新羅王権」の正統性で
       唐が設置した
      「安東都護府」
       に対抗
       新羅は
       旧百済領を事実上併呑
       唐は
       百済故地に置いた
      「熊津都督府」の都督に
       旧百済王族の
      「扶余隆」を据え
       新羅王と会盟を行わせ
       制圧した城や遺民の返還を要求
       新羅は
       謝罪使を派遣し
       朝鮮半島全体を
      「羈縻州」
       とする
       唐に対し
       百済と新羅は
       既に
       唐の羈縻州であり
       境界をわかつべきではない
       と主張して自らの行動を正当化
       670年
       新羅は
       軍事行動で
       旧百済領に侵攻
       672年
       2度目の謝罪使を派遣
       侵攻と謝罪を繰り返した
       674年
       唐は
       新羅征討軍を起こし
       675年
       新羅は3度目の謝罪使を派遣
       唐皇帝
       高宗(在位649年~683年)
       を怒らせ
      「文武王」
       の官職剥奪の問題に発展
       新羅は
       謝罪外交
       軍事的処置
       を並行
       676年
       伎伐浦で
       唐軍を破り
       旧百済領全域の支配を掌握
       唐は
      「熊津都督府」を
       遼東の
      「建安城」に
      「安東都督府」を
      「遼東城」に後退させた
       唐は
       新羅征討を計画したが
       チベットの
       吐蕃の勢力拡張によって
       朝鮮半島に兵力を回せず
       678年
       新羅征討を断念
       新羅は
       朝鮮半島中部以南から
       唐の勢力を排除
       684年
      「安勝」の
       高句麗亡命政権も取り潰した
 ↓↑     ↓↑
       698年
       旧高句麗領に
       旧高句麗遺民
       靺鞨
       などが
      「渤海」を興した
       渤海は
       中国東北地方(満州)南部
       朝鮮半島北部
       ロシア沿海州
       に相当する地域に勢力を拡大
       8世紀
       黒水部に対する
       渤海の勢力拡張を巡る紛争から
       唐と渤海の対立激化
       732年
       渤海が
       唐の
       登州(山東省蓬莱市)を襲撃
       唐は新羅に渤海攻撃を要請
       新羅は受け入れたが
       攻撃の戦果がなかったが
       唐と新羅の関係は改善
 ↓↑     ↓↑
       733年
       新羅は渤海攻撃の功績で
       浿江以南の地を冊封された
       渤海は
       8世紀後半
       文王の頃には
       高句麗の後継者として
      「高麗国王」をなのるようになった
       新羅と渤海は
       両国の
       対唐
       対日本
       関係に影響した
       統一新羅は
       旧新羅・任那・加羅領に3州
       旧百済領に3州
       旧高句麗領に3州
       の9つの州が設置
       と
       副都五京
       によって地域支配
 ↓↑     ↓↑
       745年頃~750年代後半
       新羅で飢饉や疫病が発生
       755年
       新羅から
       九州北部をはじめ
       日本へ亡命
       帰化した新羅の民が多数
       天平宝字三年(759年)九月
       天皇は
       大宰府に
       新羅からの帰化人に対して
       帰国したい者があれば
       食料等を与えたうえで
       帰国させよとする勅
       756年
       帰国を希望しなかった
       新羅人13人を
       武蔵国に送還
       飢饉や疫病で
       新羅の賊が発生
 ↓↑     ↓↑
 原文は
  ・・・「フリー百科事典
     『ウィキペディア(Wikipedia)』」
     を参照添付・・・
 ↓↑   ↓↑
 常泉寺の   
   寺宝として
   秀吉の肖像画
   加藤清正が
   大坂城から持ってきたとされる秀吉の木像
   秀吉所持と伝えられる
   采配・茶釜・硯などが所蔵
 ↓↑ ↓↑
 所在地
 愛知県
 名古屋市
 中村区
 中村町
 字
 木下屋敷47
 常泉寺
 ↓↑
 常泉寺
 東京都
 墨田区
 日蓮正宗の寺院
 山号
 久遠山(くおんざん)
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「プラトン古事記をカタル」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog-1

 「月間の日干支サイクル」
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html

 「年月日時×大運干支命式表の組織化」
http://meisiki.bake-neko.net/meisikau/meiww35a2.html


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三尸(さんし・三巳)の虫が天に昇ったぁ~・・・?

2020-12-01 00:31:52 | 古事記字源
 一角獣の サイ(犀 )=有角の狛犬・右設置・・・?
 ↓↑
 護国組織鎮護の両脇の象の足元の監視役・・・
 「庚申待ち」のサルの存在・・・
 三尸(さんし・三巳)の虫が天に昇ったぁ~・・・
 売選・・・犬と戯れて捻挫・・・
 ↓↑
 ・・・世界の「阿吽構造」・・・に疎外されているサル人・・・?
 ↓↑
 三猿
 さんざる・・・「纂・簒・篹」ざる(笊・挿留)
 サンヱン・・・「戔・惨・蒜」ヱン(燕・縁・延・塩)
         三円=算圓=Pi=π=パイ
                   pie・牌・敗
                     白牌=白虎?
 両手で
 目、耳、口
 を隠している意匠
 見ざる・・・・ミルさる
 言わざる・・・イウさる
 聞かざる・・・キクさる
 ↓↑
 サイパン島
 (Saipan・漢字表記:日:彩帆・中:塞班)
 アメリカ合衆国の自治領
 北マリアナ諸島の中心島
 北マリアナ諸島の政治・経済の中心地
 主都ススペ (Susupe)
 最大都市ガラパン(Garapan)
 1920年(大正九年)~1945年(昭和二十年)
 国際連盟による
 日本委任統治領
 ↓↑
 エスタブリッシュメント
 (Establishment)・・・得州多分利通集埋武綴?
 「既存体制」
 「社会的に確立した体制・制度」の
 それを代表する支配階級・組織・既成勢力
 「支配階級」の組織の
 hierarchy(ひえらるきぃ)・・・比叡等留忌諱?
 政治は
 「エスタブリッシュメント間の抗争」
 と捉える
 ↓↑
 グローバリズム・・・愚呂得葉理事武(夢)?
(globalism)
 世界の一体化(グローバリゼーション)
 地球主義
 多国籍企業が国境を越え・・・世界統一合衆国過度期?
 地球規模で
 経済活動を展開・・・計画的需要供給を展開?
           余剰生産物のAI管理と
           危機的状況のAI分配・・・公平配分?
           AI=artificial intelligence
        人間の商売の損得関係が無になったら・・・
        サイコロを転がす楽しみがなくなったら・・・
       「カミの家畜」から「AIの家畜」になったら・・・
       「自力本願」も「他力本願」もなくなったら・・・
       「相互本願」ってアッタけな・・・
 自由貿易・・・統制計画貿易?
 市場主義経済・・・計画主義経済?
 を
 全地球上に拡大させる思想・・・?
 新自由主義・・・新統制主義?
 アメリカ流の・・・日本流の?
 無規制資本主義・・・規制無資本主義?
 を指す・・・

 阿吽・・・仁王像=金剛力士=阿形像=金剛力士=那羅延堅固王
               吽形像=密迹力士=密迹金剛力士
              猿田毘古=青面金剛・去る旅子?
 支配階級の
 護国組織鎮護を
 門前の両脇で
 独鈷杵(金剛杵)を・・・縦に1に模した形を連ねて縞状に織った織物
             その模様・主に帯地に用いる
             鰡節・陰茎・陽莖・・・?
             ボラ(鰡・鯔)
                鰡=魚(まな)+留=眞名+留?
             熱帯・温帯に分布する大型魚
             鰹節・・・かつお節・・・
 振り上げ
 睨みを効かせ
 内外の敵を追い払う・・・???
 ・・・権力の維持行使・・・恫喝・・・ダレに・・・?

 ↓↑
 狛犬の源姿・・・吽形(閉口)像
 高麗犬=こまいぬ=拒魔犬=巨摩犬=胡摩犬
         =兕(ジ)⇔水牛
 一角獣の サイ(犀 )=有角の狛犬・右設置
      rhino-ceros
 ↓↑
 𩣡=馬+孛
   ホツ・ボチ・ハク・バク
   馬牛尾一角
   敦頭之山中多𩣡馬
   牛尾白身一角
   音如虎
   𩣡馬騰波以嘘蹀
   蒲角切《集韻》弼角切・音雹
   勃=孛+力=悖=心+孛
     十+冖+子+力
     勃起 
   渤=氵+勃
     氵+孛+力
     氵+十+冖+一+了+力
     水のわき立つさま・波うつさま
     渤海
   愂=勃+心
     孛+力+心
     十+冖+一+了+力+心
     愂(みだれる)
     愂(もとる)
     ハイ
     ボツ
     そむく・さからう
     みだれる・秩序が乱れる
     さかんにおこるさま・突然におこるさま
     勢いよくおこるさま=勃・勃発
 ↓↑
 䮀=䮀=馬+畫・・・鮑=あわび=蚫・鰒
   馬+包
   馬+勹+己
   馬+勹+巳
   ハク
  =𩣡 +
 ↓↑
 雹=雨+包=䨔
   雨+勹+己
   雨+勹+巳
      己≠巳≠已

 ↓↑
 䑏疏(カンソ)=頭に角を持った馬
         北山の帯山に生息
         頭に鍍金された角
 一本角の馬
 『山海経』
 『江賦(郭璞)』・・・郭の璞?
 に記されている
 䑏=月+雚
    雚=艹+吅+隹
      卝+吅+隹
      艹+口+隹
      卝+口+隹
      こうのとり=鸛
      がんらん・草の名
      ががいも・つる草の名
      蘿藦・鏡芋・芄蘭
      GaGa芋
      灌漑
      懽=よろこぶ・楽しむ・喜び楽しむ
       =歓=歓待・歓迎・歓喜
 郭=くるわ=廓=城壁に囲まれた陣地

 ↓↑↓↑
   郭 女王(光和七年三月十日・184年4月8日
        ~
       青龍三年三月八日・235年3月14日)
   魏の初代皇帝
   曹丕(文帝)の皇后
   女王 字
   諡  徳
   夫の諡を重ねて
   文徳皇后と諡
   冀州
   安平国広宗県の出身
   ↓↑
   郭皇后(?~景元四年(263年)
   魏の曹叡(明帝)の二番目の皇后
   諡号 明元皇后
   涼州西平郡の出身
   父  郭満
   母  杜氏
   叔父 郭立
   従弟 郭徳
      郭建
   ↓↑
   懿安 郭皇后=唐の憲宗の皇后
          郭貴妃(懿安皇后)
          郭子儀の子の
          郭曖と
          代宗の娘の
          昇平公主の娘
          建王 李恪
          五代十国時代の
          南唐王家は
          建王の末裔
         (初代皇帝
          李昪が建王の末裔)
          を称している・・・
     ↓↑
     章穆皇后=北宋の真宗の皇后
          姓は郭氏
          并州晋陽県の人
          宣徽南院使の
          郭守文の娘
          淳化二年(991年)
          韓王
          趙恒(真宗)に嫁ぎ
          後妻となって
          魯国夫人
          趙祐(悼献太子)を産み
          至道二年(996年)
          秦国夫人
          真宗即位で
          皇后
          節倹を尊び
          郭家の者たちに対して
          厳しく接した
          趙祐9歳で死去
          郭皇后は悲嘆にくれ
          景徳四年四月十六日
         (1007年5月5日、半影月偏食)
          死亡
          真宗は「荘穆」と諡
          慶暦四年(1044年)十一月
          夫の諡を重ね
         「章穆」と改諡
      ↓↑
      郭皇后=北宋の仁宗の皇后
          応州金城県出身
          曾祖父 郭崇
          祖父  郭守璘
          父   郭允恭
          天聖二年(1024年)立后
          仁宗の顔を誤って叩き
          皇后の爪が仁宗の頬を傷つけ
          12月(西暦1034年)
          郭皇后は廃后となり出家
          長楽宮に移され
          曹氏が皇后冊立された
          郭妃は病を患い11月8日
          西暦で12月10日に急死
     ↓↑      
     成穆皇后=南宋の孝宗の郡王時代の妃
          皇后を追贈
          姓は郭氏
          開封府祥符県の人
          郭瑊と趙氏の娘
          紹興十四年(1144年)
          普安郡王
          趙伯琮(孝宗)に嫁ぎ
          咸寧郡夫人
          4人の男子を産んだ
          紹興二十六年(1156年)六月
          薨去
          紹興三十年(1160年)
          淑国夫人
          紹興三十二年(1162年)六月四日
          皇太子妃追封
          八月
          高宗が養子の
          孝宗に譲位
          郭氏は皇后を贈られ
         「恭懐」と諡
          紹熙五年(1194年)十月二十九日
          夫の諡を重ねて
         「成穆」と改諡
   ↓↑
   孝元 貞皇后=明の泰昌帝の皇太子時代の妃
          姓は郭氏
          明の泰昌帝の正室
          泰昌帝の即位前に死去
          後に
          孝元貞皇后と皇后を追贈
          順天府の庶民
          郭維城の娘
          万暦二十六年(1598年)
          後宮に入った
          万暦二十九年(1601年)
          太子
          朱常洛(泰昌帝)に嫁ぎ
          太子妃
          万暦四十一年十二月二十四日
         (1614年2月2日)薨去
         「恭靖」と諡
          泰昌帝即位で
          孝元皇后と改諡
          郭氏の弟の
          郭振明が
          一品都督同知に任じられた
          天啓年間に
         「孝元
          昭懿
          哲恵荘
          仁合
          天弼聖貞皇后」
          と追諡
          郭振明は
          博平侯に進んだ
 ↓↑    ↓↑          
   ・・・「郭務悰」?
 ↓↑    ↓↑
   ・・・「武士彠」?
   妻妾=文穆皇后
   趙氏=武士稜・武士譲・武士逸・武士稷
      559~635
      武士彠・武士譲
      父=洛陽郡丞 武華
             妻妾
             武弘度・武弘度
      ↓↑
      武士彠(ブシャク・577年~635年)
      字  信明
      本貫 并州文水県
         山西省汾陽県
         太原村の出身
      材業で富をきずく
     「武士彟」治理州郡
      武德末年
     「武士彟」出任扬州都督府
      李淵(唐高祖)の挙兵に参加
      利州(四川省広元県)都督
      武則天の父
      武華の子
      隋末
      鷹揚府隊正      
         彠=尋+蒦・・・?
         本作蒦=蒦=度也
         規準となる尺度
         同「矱」
         蒦=ワク・クワク・キャク
           カクヤク
           カク・ヤク
           はかる・ものさし
           のり・はかり
           異体字「𦭜・彠・矱・彟」
           獲得
ーー↓↑ーーー
 「武士彠」の
 長女は
 賀蘭越石・・・加賀・和蘭(阿蘭陀)
        越前・越中・越後・石川・・・?
 の夫人となり
 韓国夫人・・・「韓国」の夫人・・・?
 に封ぜられた
 次女の
 武照は
 高宗の皇后、帝位に上った
 三女は
 郭孝慎の夫人・・・「郭務悰」の縁戚・・・?
ー↓↑ーーーー
 璞=王+菐
   王+业+䒑+夫
   王+业+丷+一+二+人
   粗削りの玉
   菐=ホク・ボク
     わずらはしい・わずらわしい
     異体字「樸・𤀾・𤃊・𣞧・𣾴」
     粗削り・粗雑・加工段階のモノ
     鋸を持つ両手の形象

 ↓↑    ↓↑
 一角獣
 麒麟(チーリン)=麒麟麦酒の図柄
 獬豸(カイチ)=狛犬
ー↓↑ーー↓↑ーー
 泥沼を好むカバ(河馬)=無角の獅子・左設置
      hippopo-tamus
 泥沼=渟
   =瀛=沢・池・沼
 大海=瀛=大海原=太洋
    瀛海・瀛表=海外
   大瀛
   東瀛=東方の海
        東海
        日本
 ↓↑     ↓↑↓
 大海人=天渟「中原瀛」真人=天武天皇
     487年(太和十一年)
     北魏
     定州
     河間郡
     と
     高陽郡
     および
     冀州
     章武郡
     が分割され
    「瀛州」
     が設置され
     州治は
     趙都軍城に設置
     隋代
    「瀛州」は
     4郡11県を管轄
     583年(開皇三年)
     郡制を廃止
    「瀛州」の属郡も廃止
     596年(開皇十六年)
     蒲州
     景州
     が分割設置
     605年(大業元年)
     それぞれ廃止
     管轄区域は
    「瀛州」に統合
     607年(大業三年)
     州が廃止
     郡を設置
    「瀛州」は
    「河間郡」と改称され
     下部に
     13県を管轄した
 ↓↑  ↓↑
     唐代以降
     621年(武徳四年)
     唐が
     竇建徳
     を滅ぼす
     河間郡は
    「瀛州」と改名
     742年(天宝元年)
    「瀛州」は
    「河間郡」と改称
     758年(乾元元年)
     河間郡は
    「瀛州」にもどされた
    「瀛州」は
     河北道に属し
     河間・高陽・平舒・束城・景城
     5県を管轄
     1108年(大観二年)
     北宋により
    「瀛州」は
     河間府
    「瀛海軍節度」に昇格・・・???
     瀛(うみ・エイ)
 ↓↑  ↓↑
    「嬴」=秦王室の姓
       「贏」同義
       「勝ち取る・豊か」・・・?
     「嬴」=盈満の意
        ヤドカリ(宿借)の象形
        「女」を加えて姓
 ↓↑ ↓↑
    嬴=吂+月+女+卂
      吂+月+女+凡
      亡+口+月+女+⺄+十
      亡+口+月+女+几+丶
      亠+口+月+女+⺄+十
      亠+口+月+女+几+丶
      吂=ボウ・モウ・おいぼれる
        いや・いいえ
    㜲=女+嬴
      エイ・ヨウ
      人L乚𠃊亾口月女几
      丶凡⺄乙ナ十卂=𡢔
      満ちる・満ち溢れる
     「異体字・嬴・𡣍・㜲・𡢣」
 ↓↑ ↓↑
    羸=吂+月+羊+凡=つかれる・やせる
             よわい・よわる
    贏=吂+月+貝+凡=あまる・かつ・になう
             のびる・もうける
             すぎる・ゆるむ
             勝つ・まさる・勝利
 ↓↑ ↓↑
    蠃=吂+月+虫+凡=かたつむり・蜾蠃
             異体字「蠡・𧕳・螺」
    臝=吂+月+果+凡=はだか・はだかになる
             毛が短い獣
             果臝(カラ)
             ウリ科の植物
    𧝹=吂+月+衣+凡=異体字「裸・臝」
    驘=吂+月+馬+凡=騾馬(ラバ)
             異体字「騾・䯁」
    𣎆=異体字「𦝠・騾・䯁」
    鸁=吂+月+鳥+凡=カイツブリ属の水鳥
             鸊鷈(ヘキテイ)
    䇔=吂+月+立+凡=萎(な)える
             体に力が入らない
             病気、同「痿」
             𥪍䇔弱立貌
    䊨=吂+月+米+几(𠘨)=
    䇔=吂+月+立+凡
      ラ
      亠𠃊亡口吂月几
      丶凡⺄乙ノ
      ノ⺄乙ナ十卂𦝠𣎆立=䇔
      萎(な)える
      弱って体に力が入らない
      そのような病気
      同「痿」
    𢺆=手+䇔
      𢺑=才扌亠𠃊亡口吂月几
        丶凡⺄乙ノ
        丶𠁽⺄乙ナ十卂𦝠𣎆立䇔=𢺆
      䇔・𢺑=撃物之名
    𨰊=金+䇔
      ラ
      𨰠・𨭞=金亠𠃊亡口吂月几
        丶凡⺄乙ノ
        丶𠁽⺄乙ナ十卂𦝠𣎆立䇔=𨰊
      銼𨰊(サラ)=小形の釜
      同「銼鏍」
  ↓↑
  獅子=色黄・開口(阿)・無角・左
  狛犬=色白・閉口(吽)・有角・右
     一角獣=ユニコーン
        (Unicorn・Ūnicornuus)
         額の中央に
         一本の角が生えた馬
         ラテン語
         ūnus(一)++cornū(角)
         ギリシャ語
         モノケロース
         Μονόκερως+
         μόνος(一)++κέρας(角)
      ↓↑
    犀(サイ)捕る?
      ライノセラス=rhinoceros=rhino
      一角獣
      ↓↑
      ・・・河神
         河馬=hippopotamus
            ヒポポタマス
         魁罡(カイゴウ)
         魁=鬼+斗
         カイ・かしら・さきがけ
         おおきい
         かしら・おさ
         魁首・巨魁
         すぐれる
         魁偉・大魁
         罡=罒+正
         天罡(テンコウ)
         北斗七星の柄
         handle+of+the+Big+Dipper
      ↓↑
      海馬=Hippocampus
         ヒッポキャンパス
         ↓↑
      ヒポクラテス=Hippocrates
      ヒッポクラテス
      ギリシャ語=馬を支配する者
      ↓↑
      医学の父
      古代ギリシャの医師
      ヒポクラテスの誓い=Hippocratic+Oath
      ↓↑

      ケンタウロス族=Centaurus
      の
      クロノスの子
      ケイローン=Cheirōn
        キロン=Chiron=半人半馬
      音楽・予言
      医学・薬草・武術の神族
      に
      アポロンとコローニスの子
      アスクレーピオス=Asklēpios
      が
      養育され医者になった
      ↓↑
      Philip=フィリップ
      ギリシャ語=馬を愛する者
      Philipos=Philos(愛する)
           +
           Hippos(馬)
      ↓↑
      フグ(河豚・鰒・鮐・魨・鯸・鯺)
ー↓↑ーーー
 ・・・???・・・
 「プラトン古事記をカタル」
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog-1

 「月間の日干支サイクル」
http://meisiki.bake-neko.net/keisanBXG4.html

 「年月日時×大運干支命式表の組織化」
http://meisiki.bake-neko.net/meisikau/meiww35a2.html


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする