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コジキジゲン

ありヂゴクも苦楽、極楽、凌ぎ生活の場所で忙しい・・・

2021-09-14 20:42:09 | 古事記字源

 雲=くも=蜘蛛・・・「蜘=虫+知」・「蛛=虫+朱」

 ↓↑
 雲の網に引っ掛かるトンボ・ハエ・ハチ・ちょうちょう
 「砂挼子(アリジゴク)・蠨蛸(アシタカグモ)」
  沙挼子(アリジゴク)

 ・・・「土蜘蛛」って・・・「蟻地獄」・・・?
 砂挼子(サズイシ)・蠨蛸(ショウショウ)圖説
  ↓↑
 ant lion(アリのライオン)=蟻地獄
 「アリジゴク」の成虫の
 「ウスバカゲロウ(薄翅蜉蝣・薄羽蜉蝣・蚊蜻蛉)」
 別称 極楽トンボ・神様トンボ・・・?
  完全変態=卵→幼虫→蛹→成虫
 「蟻地獄=沙挼子」・・・猛毒性の液体で獲物を捕獲・・・?
 ・・・冬の窓際に発生する「神様トンボ」が「蟻地獄の成虫」・・・?
 其實 地牯牛 學名 蟻獅
     牯牛(去勢の牡牛)
 俗稱 如土牛、倒刺、沙猴、沙牛、金沙牛
    沙雞
    老籠子、沙王八、縮縮、老倒
    等
  沙雞
  沙挼子
  挼=扌+妥=扌+(爪)+女=挪=扌+那
      妥=爫+一+女 
      ダ・ナ・ダイ・ナイ
      おとす
    しわ(皺)になる・布が破れそうになる
     勢いが衰える
     体が衰弱している
  挼=手+爪+女=搓揉・摩擦・「挼搓」・・もむ
         挼搓=手でもみくちゃにする
            もてあそぶ
    妥=妥協
    𦵭=艹+挼=䔺=艹+隋・・・隨書俀國傳(伝)
      ズイ・・・挼=隋
  ↓↑     ↓↑  ↓↑
 ・・・何故、「俀國傳」の漢字をを選択したのか・・・?
 既に隋の時代日本には
 「俀=イ+妥」の漢字記録使用の「俀國」が存在した・・・
 編纂者は「俀=イ+妥」の漢字記録表記に
 「妥協・妥当・妥結」
 した・・・技調=魏徴・・・
      儀長=長孫無忌
 ↓↑
 お巫山戯るジャないョッ・・・カンジ?
 ふざけるなダガ・・・シラナイことが多い・・・沙の雞・・・沙羅?

 ↓↑
 雲=雨(あま)+云
     天(あま)が云う・尼(あま)が云う
       阿毎(あま)が云う・・・阿部(あべ)が云う
 出雲(いづも)・・・イツも・伊都も・何時も
 八雲(やくも)・・・譯摸・訳摸・約摸・薬句摸
   「旧約・新約」聖書=バイブル(Bible・BOOK=本)
 ↓↑
 ヨハネの黙示録1-11章 Revelation 1-11・・・壹-拾壱=二
 創世記    1-11章 Genesis  1-11・・・壹-拾壱=二
 ↓↑
 暗雲・闇雲・陰雲・雨雲・雲雨
 雲影・雲煙・雲霞・雲海
 雲外=雲のかなた・はるかかなたの空・雲上・・・大気圏外
 雲核
 雲角=箏(琴)の部分の名・ 弦の一端を掛ける駒
 雲漢=天 (あま) の川・銀河・天河・milkyway・大空
 雲間・雲気
 雲客=殿上人(てんじょうびと)の総称
    清涼殿に昇ることを許された者=公卿  
 雲助・雲脚・雲級
 雲鏡=鏡に雲を映し雲の進行方向
    速度などを測る器械
 雲形・雲向・雲高・雲根・雲彩
 雲斎・雲際・雲山・雲散・雲流
 雲桟・雲紙・雲珠
 雲州=出雲国の異称・中国山西省大同市の市轄区
 雲集=雲集霧散・人々の集合と散会
 雲照・雲上・雲壌・雲水・雲生
 雲仙
 雲孫=うんそん・つるのこ
    自分より8代後の子孫
    1世~9世(8代後)の末裔 
    子・孫・曽孫・玄孫・来孫→
    →昆孫(コンソン)・仍孫(ジョウソン)の次
 雲台・雲腸・雲頂
 雲鳥・雲鶴・雲底・雲梯・雲泥
 雲斗・雲堂
 雲屯=水差し
 雲箔=くもはく=雲形の銀箔、金箔
 雲版=時刻を知らせる雲形の仏具
 雲表・雲豹・雲平・雲母・雲霓
 雲霧・雲門・雲粒・雲竜・雲量
 雲林・雲路
 雲翳=空が曇ること・曇り
 雲衲(のうけさ)=粗末な袈裟をまとって
         遍歴する修行僧・雲水僧
 雲鑼=体鳴楽器・小さな銅鑼を枠に並べ槌で鳴らす
 雲霓=虹(にじ)・期待・待ち焦がれ
 雲竜=雲竜型=横綱の〆
 運慶&快慶
 ↓↑
 宇宙雲
 雲衣・雲上・雲扇・雲梯・雲波
 雲隠れ・雲行き
 雲南省
 雲肘木=くもがたひじき・法隆寺建築にみえ
     美しい渦文の彫刻を施した肘木
 紫雲=日本海軍の水上偵察機(水偵)
    浦島太郎の玉手箱から出た紫煙?
 上層雲
 ↓↑
 渦巻星雲
 雲形定規
 雲形肘木
 雲合霧集
 雲散霧消
 雲消霧散
 雲蒸竜変=時運に乗じて出現し活躍する人物
 雲仙温泉
 雲母片岩
 雲竜渓谷・雲崗石窟
 環状星雲
 銀河星雲
 五月雨雲
 行雲流水
 神護景雲=天平神護の後、宝亀の前の元号
      767年~770年
      称徳天皇の時代
 ↓↑
 極域成層圏雲
 銀河系外星雲
 銀河系内星雲
 出雲国風土記
 蛟竜雲雨を得
 ↓↑
 蛟竜(こうりょう)雲雨(うんう)を得(う)
 「呉志・周瑜(チョウ ユ)伝」
 「三国志(呉志・甘寧伝)」
      ・・・甘(あまい)の寧(ねんごろ)
            奈良京=寧楽京
           ニンポー=寧波
               丁寧(テイネイ)
        周瑜(175年~210年)
        後漢末期の武将
        字  公瑾
        渾名 周郎
        廬江舒の人
       「烏林」で
       「曹操(魏)軍」を敗退させた
       (赤壁の戦い) 
        従祖父の周景
        周景の子
        周忠はいずれも漢の太尉
      ・・・周瑜の伝・・周回の瑜・・・
    後誌→大須本・古事記・・・信瑜・賢瑜・能信
 英雄や豪傑が
 時運にめぐり会って才能を発揮
 水中の蛟竜は
 雲や雨を得れば
 それに乗って天に昇り竜になる
 ↓↑
 雲蒸竜変
 英雄や豪傑などが
 時期を得て活躍する・・・チャンスをモノにする
 「雲蒸」=雲が沸き起こること
 「竜変」=竜が動きまわること
 舞い上がる竜は雲を沸き起こし
 さらに勢いを増しながら
 自在に活躍する・・・
 ↓↑
 出 雲 醜   大臣  命
 いずも しこお おおみのみこと
 出 雲 醜   大使主 命
 出 雲 色男      命
 出雲  色大  臣   命
 初の大臣
 懿徳天皇の
 申食国政大夫=申食國政大夫 ・・・申のオス國
       (おすくにのまつりごと
        もうすまえつきみ
        をすくにのまつりごと
        まをすまへつきみ)
        申食国政大夫
        歴代
        宇摩志麻治 命
       ( うましまじのみこと )
        天 日方 奇 日方  命
       ( あめひかたくしひかたのみこと )
        彦 湯支 命
       (ひこゆきのみこと)
        出 雲 色  命
       (いずものしこのみこと)
 ↓↑      ↓↑
 神武天皇二年二月二日=紀元前659年3月03日
            グレゴリオ暦
            紀元前659年3月10日
            ユリウス 暦
  壬戌年・壬寅月・乙巳日・土曜日
 ↓↑      ↓↑
 神武天皇一年一月一日
    辛酉(庚 辛)
    辛丑(癸 辛)
    庚辰(乙 癸) 空亡申酉
    庚辰(乙 癸)
 ↓↑    ↓↑
 宇摩志麻治命
 天日方奇日方命
 は共に拝命し
 申食国政大夫
 となった
 「申食国政大夫」=大連(おほむらじ)
          大臣(おほとみ)
 「先代旧事本紀 巻第七
  天皇本紀
  神武天皇二年二月乙巳条」
 ↓↑
 申食国政大夫
 であった
 物部連の遠祖
 出雲醜大臣命・・・
 ・・・醜=酒に酔うと赤鬼👹になる?
 ↓↑
 饒速日命(にぎはやひのみこと)
     賑(にぎわう)+囃(はやす)+日+見事?
 の3世の孫
 若桜部氏
 勇山(いさやま)氏
 物部(もののべ)氏などの祖
 懿徳(いとく)天皇の大臣・・・意解く転向?
  倭    志紀 彦
 (やまとの しき ひこ)
 ワ=話 史記 比故?
 の妹
 真鳥姫・・・真鳥
      =シンチョウ
       新 調 比米(秘・鳹=今を調)?
            米国?
 と結婚
 3子
 大木食命
 六見宿祢命
 三見宿祢命
 をもうけた
ーー↓↑ーー
 多婆那国とは・・・?・・・カンジからして・・・
 多くの婆ァの「那=刀+二+阝・・・尹+阝
          冄+邑」
          の國・・・六合・連邦・邑?
          冄=しなやか・毛の垂れるさま
            柔らかな・弱い
            ゼン・ネン
          冄=冂+二=冉=象形は而?
 ↓↑
 「多婆那国」
 「三國史記」
 卷第一新羅本紀
 「第一脱解 尼師今」の段
 多婆那=たばな
 ↓↑
 脱解・・・・「解脱」=上下逆
        カイから脱出
 尼師今・・・あまシ近
 脱解 尼師今
 (ダッカイ ニシキン
  タルヘ  イサコミ)
 新羅
 第4代の王(在位57年~80年)
 姓  昔(ソク・シャク)
 名  脱解(タルヘ)
 別名記
 吐解 尼師今(トカイ ニシキン
        トヘ  イサコム)
 『三国遺事』
 はじめ姓名がわからなかったので
 箱が流れ着いたときに
 鵲(かささぎ)⇔鳹(ひめ)
      「昔⇔今」+鳥=チヨウ=調・・・?
 がそばにいたことから
 鵲の字を略して・・・かささぎ=何差詐欺?
 「昔」を姓とし
 箱を開いて生まれ出てきたことから
 「脱解」を名とした・・・解(とく・とき)を
             脱(ぬぐ・ぬげ・ぬぐう=拭)
 第2代
 南解 次次雄
 の娘
 阿孝夫人
 の婿
 新羅王族
 3姓(朴・昔・金)の
 昔氏の始祖
 by Wikipedia
 ↓↑
 倭国の東北一千里に位置
 多婆那国
 王が
 「女人国」の王女を妻に迎えて王妃とし
 妊娠してから
 7年後に
 大きな卵を生んだ・・・卵=卯+丶+丶
              卯=劉の原字
              真っ二つに割る
 ↓↑
 カケ(鶏)の卵=たまご=玉子=🥚=蛋
             王+丶+子
             王のテンの子
               添付・典符
 鶏=鷄=雞=にわとり=二羽トリ・庭トリ
 雄のニワトリ=「雄鶏(牡鶏・おんどり)」
 雌のニワトリ=「雌鶏(牝鶏・めんどり)」
 ↓↑
 「コケコッコー」
 江戸時代
 「東天紅(トウテンコウ)」
 英語圏
 「Cock-a-doodle-doo」
 (クックドゥードゥルドゥー)
 フランス
 「ココリコ」
 ドイツ
 「キケリキー」
 イタリア
 「キッキリキー」
 中国語圏
 「咯咯噠」
 (クークーダ)
 「喔喔喔」
 等と表現
 ↓↑
 「岩戸隠れ」の
 「鶏=鷄=雞」=「常世長鳴鶏」
 ↓↑
 天武四年四月十七日
 675年5月19日
 肉食禁止令
 ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザル・ニワトリ
 を食べることを禁止
 ↓↑
 乙亥
 辛巳
 癸巳
 戊午
 ↓↑
 第四代
 新羅王=倭人・倭種
 ↓↑
 「脱解」王は
 「多婆那国」出身
 彼の国は
 倭国の東北一千里
 ↓↑
 「三國史記・三國遺事」
 多婆那
 鹿児島県
 最南端の
 与論島・・・論を与えトウ?
 の首府
 茶花(ちゃばな)・・・?
 祖先は
 タバナ国(丹波)
 から
 新羅
 に渡り王となった
 脱解(ダツカイ)
 ↓↑
 新羅王
 系統に
 「昔(セキ・シャク)」氏
 「脱解」の生国
 「多婆那国」
 倭国から北東一千里
 ↓↑
 『魏志倭人伝』
 にはその国名は無い・・・
 ↓↑
 新羅国王
 脱解の故郷
 多婆那国は
 北九州
 田川・・・?
 ↓↑
 新羅本紀
 『三国史記』
 新羅本紀
 西暦57年
 新羅
 第四代国王
 「脱解」
 「多婆那国」所生
    ↓↑
    那
 那(いかんぞ)
 那(なに)=奈に
       何
 那(なんぞ)=奈・渠・蓋・曷・胡
        何ぞ 
 那=刀+二+阝
   𠃌+丿+二+阝
   𠃌=カン・ケン・コン
   刀であれば
  「丿」は「握る柄」で
   丮=⺄+キ
     ケキ
     手に持つ・手に握り持つ 
  「‡・𠀆・扌」=手=龵
  「𠀆=輦=輓車也
       㚘(扶・伴)+車」
       㚘竝行也
  「𠃌」は「刃」で
  「メ」はやはり
  「握る柄と鍔」だろう・・・?
   ナ・ダ
   なんぞ・なに・どれ・どの
   疑問・反語の助字
   多い・美しい
  「那=冄(ゼン)+阝」
 ↓↑
 刹那(せつな)
 非常に短い時間・瞬間
 仏教言葉で最も小さい単位
 那辺・奈辺(なへん)
 どのあたり・どのへん・どこ
  ↓↑
 「梛(なぎ)=竹柏(タケのカシワ)」
  葉が竹、実が柏
  梛の葉っぱが
  水草の
  水葱(ナギ)に似ている・・・
    ↓↑
 毘慮遮那仏(びるしゃなぶつ
       びりょしゃなぶつ)
       大乗仏教の仏
       全宇宙の真理を
       全ての人に照らし
       悟りに導く仏
       大日如来
       盧遮那仏=遮那仏
 若旦那=主人の長男・大家の子弟の敬称
 一刹那(イッセツナ)
   ↓↑
 金があれば馬鹿も旦那
  金の力が威光のすべて
 金が言わせる旦那
 ↓↑
 しつこい(執拗い)坊主に檀那がない
 しつこい(執拗い)ものは嫌われる
 財物の寄進を
 しつこく(執拗く)言う僧侶は嫌われる
      執拗(シツヨウ)
 ↓↑
 漆濃い=ウルシ塗装が濃い
 ↓↑
 七故意=カイン(Cain)&アベル(Abel)
     人類最初の殺人事件の
         兄   弟
         加害者と被害者
     カイン=農耕者→鍛冶屋・鋳造者
     科意務
         殺人罪でエデンの東の
        「ノド」に流刑・・・能登半島?
     追放地で殺されることを
     恐れたカインに対し
     ヤハウェは彼を殺す者には
     七倍の復讐があることを伝え
     殺されないために
     カインに刻印をした・・・
     入れ墨=鯨面=刺青?
     カインの息子エノク
     ノドの街に
    「エノク」の名をつけた・・・榎木(えのき)?
     ↓↑
     アベルの死後
     ヤハウェは、アダムとイヴに
     セト(セツ)を授けた
     セトはアベルの生まれ変わり
     ↓↑
    「わたしは受ける傷のために
     人を殺し
     受ける打ち傷のために
     わたしは若者を殺す
     カインのための復讐が
     七倍ならば
     レメクのための復讐は
     七十七倍」
    (『創世記』第4章22節)
     ↓↑
     アベル=狩猟者・放牧者=羊飼い
     阿部流 息=呼吸?
 ↓↑
 質乞い
 櫛拠意
 ↓↑
 アベル(Abel)
 ↓↑
 倭=人+委=人+禾+女
 和=禾+口=ノ+十+八+口

 土蜘蛛=女酋長
     土蜘蛛=土雲(つちぐも)
     ヤマト王権の
     大王に恭順しなかった土豪
     同様の存在は
     国栖(くず)
     八握脛=八束脛(やつかはぎ)
     大蜘蛛(おおぐも)
      ↓↑
     土蜘蛛
     ヤマト王権側から異族視
    「狼の性、梟の情」
     を持ち強暴
     山野に
     石窟(いわむろ)・土窟・堡塁
     を築いて住み
     朝命に従わず
     誅滅される存在
    「神武紀」
    「身短くして手足長し
     侏儒(ひきひと)と相にたり」
     と形容
    『越後国風土記』の逸文で
    「脛の長さは八掬、力多く太だ強し」
     異形の存在・・・

    =蜘蛛
    (spider・Araneae)
     の生態
     脚の数が8本
     ↓↑
     前体=頭胸部
     接続=腹柄
     後体=腹部
        後端に数対の
        出糸突起(糸疣)
       (spinnerets)
     ↓↑
     頭胸部に
     8つの目が
     2列に並び
     ↓↑
     鋏角1対(chelicerae・上顎)
     触肢1対(pedipalps・下顎)
     歩脚4対
     ↓↑     
     触角を欠く
     尻から吐き出す糸で
     網(羅)を張って
     獲物を捕獲
     産卵した
     蜘蛛の巣に群棲した
     子蜘蛛は風にのって散る
     ↓↑
     雌蜘蛛が大
     生殖後
     雄蜘蛛を捕食
     ↓↑
     子グモの「バルーニング」
     小型の種では
     成虫もそれを行う
     ↓↑
     産卵や脱皮のために
     糸で巣を作る
     地中性のクモは
     巣穴の裏打ちを糸で行い
     トタテグモのように
     扉も糸で造る
     多くのものは
     卵塊を糸でくるんで卵嚢にする
     ↓↑
     糸の組成
     タンパク質分子の連鎖
     体内では液状で存在し
     体外へ排出される際に
     空気と応力によって
     繊維状の糸となる
     不可逆反応で
     液状に戻ることはないが
     使用した糸を
     蛋白源として食べ
     消化して
     再び糸などに
     利用する種もある
 ↓↑   ↓↑
 孵化した幼生
 通常1回の脱皮をするまで
 卵嚢内に留まる
 卵嚢内で2回目の脱皮後
 卵嚢から出てきて
 卵嚢の周辺で固まって過ごす
 クモの「まどい」という
 衝動を巣に与えると
 子蜘蛛の群れが四方八方へ散っていく
 「蜘蛛の子を散らす」・・・雲の故に散らす・・・八雲・出雲?
 卵を保護する蜘蛛の種は
 子蜘蛛と一緒に過ごす
 コモリグモ類は
 子蜘蛛をしばらく背中で運ぶ
 ヒメグモ科の雌蜘蛛は
 幼虫に口移しで栄養を与える
 「spider Milk」
 カバキコマチグモの
 雌蜘蛛は子蜘蛛に
 自分自身の身体を食わせてしまう
 ↓↑
 幼虫は成虫を小さくした姿
 成虫は徘徊性なのに
 幼虫は網を張る例
 (ハシリグモなど)
 成虫になって網を張るようになる例
 (トリノフンダマシなど)
 ↓↑
 単独で生活し肉食性
 幼虫が
 成虫と生活を共にする例
 亜社会性
 造網性のクモで
 網を接し
 多数個体が集まる例
 ↓↑
 大きな集団をつくり
 長期的に共同生活するクモ
 社会性クモ類
 共同で営巣
 巨大化した網の集合体を形成し
 そこに時には数千頭ものクモが住み
 共同で餌をとる
 世界で約20種
 ↓↑
 個体間で互いに攻撃する行動を取らない
 個体同士が互いに接近する傾向を持つ
 共同作業
 餌を捕らえる際や
 幼生の育児に際して
 互いに協力する
 一腹の集団から始まり
 集団内で近親交配を繰り返す
 ↓↑
 ハチやアリなどの
 社会性昆虫は
 女王
 働き蟻
 など分業
 個体間の階級の分化

 クモ類では階層分化はない・・・
 ↓↑
 クモの天敵
 ベッコウバチ類がクモを狩る
 クモの正面から突っ込んで
 大顎の間に針を刺して麻痺させ
 足をくわえて巣穴に運ぶ
 寄生性
 成虫に外部寄生する
 クモヒメバチ
 卵に寄生する
 ハエ類やカマキリモドキ
 センショウグモ
 オナガグモ
 などは
 クモを専門に食べるクモ
 ↓↑
 メジロなどの小鳥
 クモの網を巣の材料とする
 クモの網に鳥は突っ込み
 体にまとわりついた糸を集め
 巣材の苔などをかためるのに用いる
 クモの網に引っかかった虫を
 横取りする
 昆虫
 (シリアゲムシなど)
 ↓↑
 人間生活の益虫・害虫
 農業害虫の天敵で益虫
 衛生害虫
 (ハエ、蚊、ダニ、ゴキブリなど)
 を捕食

 近年
 都市生活者の
 「虫嫌い」に
 「不快害虫」
 網や巣を張る種は家や壁を汚す
 クモを駆除対象とする
 「殺虫剤」が市販
 テレビCM等で宣伝・・・
 ↓↑
 蜘蛛=チジュ・くも
 ↓↑
 毒蜘蛛
 ↓↑
 大土蜘蛛の
 タランチュラは
 強い毒を持つものは稀
 ヨーロッパの伝説上の毒蜘蛛
 噛まれると踊り狂う
 その際の音楽がタランテラ
 ↓↑
 セアカゴケグモ
 ハイイロゴケグモ
 などの
 ゴケグモ類
 コマチグモ科の
 大型種(カバキコマチグモなど)
 は毒性が強い
 ↓↑
 絡新婦(女郎蜘蛛=ジョロウグモ)
 細身で華やかな花魁を連想して命名
 アラクネ(Arachnē)=ギリシャ神話
 アラクネー
 ↓↑
 アラクネー=織物の女名人
 機織りを司るアテーナー怒りをかい
 織物の優劣を競うことになった
 アテーナーは
 ポセイドーンとの勝負で勝利し
 アテーナイの守護神に選ばれた物語を
 タペストリーに織り込み
 アラクネーは
 ゼウスのレーダー
     エウローペー
     ダナエー
 らとの浮気の不実さを嘲った
 タペストリーを織り上げ

 アテーナーは敗北を認めたが
 アラクネーの
 織機とタペストリーを破壊
 アラクネーの頭を打った
 アラクネーは
 己の愚行を認識し
 恥ずかしさで
 逃げだして
 自縊死
 ↓↑
 アテーナーは
 怒りが収まらず
 トリカブトの汁を撒いて
 彼女を
 蜘蛛に転生させた
 ↓↑
 ダンテの
 『神曲』「煉獄篇」
 煉獄山の第一層に
 「傲慢」の大罪を戒める例として
 下半身が蜘蛛に変じた
 アラクネーの姿が山肌に彫刻
 (原文「アラーニェ(Aragne)」の名で邦訳)
 ↓↑
 水蜘蛛=節足動物門クモ綱クモ目
     唯一水中生活をするクモ
     ナミハグモ科
     に分類されることもある
     第3・第4脚の腿節内側に
     長い毛を密生
     空気を抱える部位
     気管気門が中央にあり
     空気を抱える後方歩脚間に近い
     生態
     水中を泳ぐとき
     体の表面を覆う微毛の間に
     空気の層ができ
     銀色に光って見える
     水中では水草をたどって歩き
     足を掻いて泳ぐ
     ヨコエビなどの
     小型の甲殻類や水生昆虫の
     小動物を捕食
     日本各地に生息するが
     北海道東北部でよく観察される
 ↓↑   ↓↑
     水中に巣を作る
     糸を重ねてできた
     膜によるドームで
     空気を蓄え、その中で休息
     空気は水面に出て
     後ろ足の間と
     腹部の微毛の間に
     厚い空気の層を
     抱えるようにして潜り
     巣内に放し繰り返す
     餌はこの巣に持ち帰って食べる
     卵嚢もこの巣の中に作る
     幼生は
     ふ化後はそのまま水中に出て
     巣を作って水中生活を始め
     バルーニング
    (balloning)=熱気球に乗り
            操縦すること
           クモの幼体が
     糸を出し
           空中移動すること
    ↓↑
    は行わない
  時折り陸上に出て
  体を乾かす
     長時間の水中活動で
     空気が補充できないと
     溺死する
 ↓↑
 水蜘蛛=忍者の水面歩行器具
 ↓↑
 みやまし
 福岡県南部に位置
 瀬高町、高田町、山川町
 が合併し
 2007年1月発足
 ↓↑
 北緯33度9分
 東経130度28分
 ↓↑
 隣接自治体
 大牟田市
 柳川市
 八女市
 筑後市
 ↓↑
 瀬高町の
 下庄上庄の両地区に市街地
 旧
 山門郡内での交流が盛ん
 山門(旧東山村)
 ↓↑
 朝倉市
 福岡県の中南部、筑後地域に位置
 ↓↑
 熊本県
 玉名郡・・・横島
 南関町
 和水町・・・和の水
 ↓↑
 邪馬台国
 卑弥呼の
 「親魏倭王」
 229年
 大月氏国
 「親魏 大月」
 「多婆那国(タバナ国)」・・・
  束ねる那国?
  ↓↑
 八束脛(やつかはぎ)=大蜘蛛
 ↓↑
 昔氏は
 タバナ国の王妃が妊娠「7年」後
 大きな卵を産んだので
 船に乗せて流し
 その「卵=玉子=🥚」が
 新羅の海岸に流れ着いた
ーーーーーー
 ・・・???・・・
 對馬藩主の苦労・・・
 対馬
 府中藩(つしまふちゅうはん)
 江戸時代
 対馬国(長崎県対馬市)全土
 肥前国田代(佐賀県鳥栖市東部及び基山町)
 浜崎(佐賀県唐津市浜玉町浜崎)
 を治めていた
 別名 厳原藩(いづはらはん)
 一般 対馬藩(つしまはん)
 ↓↑
 藩庁
 金石城(対馬市厳原町西里)
 後
 桟原城(対馬市厳原町桟原)
 藩主
 宗氏
 初代藩主
 「宗 義智」
 以来、位階は従四位下
 官職 対馬守・侍従
 兵農分離は明確でなく
 地方給人があり
 給人の下に
 名子・被官
 ↓↑
 宗像三女神の別名
 宗像三神(むなかたのかみ)
 宗像神(むなかたのかみ)
 道主貴(みちぬしのむち)
 胸形神(みちぬしのむち)
 ↓↑
 三女神
  ↓↑
  田心 姫  神
 (たごりひめのかみ
  多紀理毘売 命
  田霧 姫  命
  奥津島比売 命)
  ↓↑
  湍 津姫  神
 (たぎつひめのかみ
  多岐津姫  神
  田寸津比売 命)
  ↓↑
  市 杵島 姫  神
 (いちきしまひめのかみ
  狭依   毘売 命
  市寸 島 比売 命)
 ↓↑
 北九州地方の
 海人集団
 宗像君(むなかたのきみ)
 の信仰する海神
 ↓↑
 宗像氏が
 沖津宮
 中津宮
 辺津宮
 で
 宗像三女神を祀っている
 ↓↑
 玄界灘
 辺津宮のある北部九州本土から
 中津宮のある大島
 沖津宮のある沖の島
 を結び
 朝鮮半島・大陸に至る海路
 (日本書紀=海北道中)
 国家全体で宗像神を祀る
ーーーーー
 ・・・???・・・
 ↓↑
 ボクの重複テンプの逃避先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2021/09

 

コメント
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2001年9月11日(火)の朝・・・三合金辛局の崩壊・・・?

2021-09-11 22:51:23 | 古事記字源

 幵・年・䄹 ⇔幷(あわせる)⇔幷(ならぶ)⇔鳥居⛩=开(はだける)
 ↓↑
 2021/9/11・・・九月十一日・・・壱を拾う壹の曰(いわく)?
        September 11 attacks・・・年末まであと「111日」・・・
 2001年9月11日(火)の朝
 辛┏巳(戊庚丙)偏財・傷官帝旺
  三合金辛局     偏財
 丁┣酉(庚 辛)比肩・正財長生
  三合金辛局     偏財
 丁┣丑(癸辛己)  ・偏官墓
  三合金辛局     偏財
 乙┗巳(戊庚丙)偏印・傷官帝旺
 ↓↑

 1777年9月11日・・・
 丁 酉(庚・ ・辛)・・・火の鳥?
 己 酉(庚・ ・辛)・・・土の鶏?
 癸 卯(甲・ ・乙)・・・水の鵜?
 壬 子(壬・ ・癸)・・・水の鼠?
 ↓↑      ↓↑
 1777年9月11日18時
 丁 酉(庚・ ・辛)
 己 酉(庚・ ・辛)
 癸 卯(甲・ ・乙)
 辛 酉(庚・ ・辛)
 ↓↑    ↓↑
 1777年9月17日18時
 丁 酉(庚・ ・辛)
 己 酉(庚・ ・辛)
 己 酉(庚・ ・辛)
 癸 酉(庚・ ・辛)
ーー↓↑ーー↓↑ーー
 アメリカ独立戦争中
 フィラデルフィア方面作戦
 1777年9月11日
 ブランディワインの戦い
 ブランディワイン川の戦い
 (Battle of Brandywine)
 ペンシルベニア州
 デラウェア郡
 チャズフォード近辺
 ブランディワイン川
 で行われた
 大陸軍&イギリス軍
 との戦闘
 イギリス軍大勝
 アメリカ革命政府の首都
 フィラデルフィア市
 無防備
 イギリス軍
 9月26日~1778年6月
 フィラデルフィア占領

 ↓↑
 1945年9月11日
 GHQ・・・G=spanner(スパナ)の頭=wrench(レンチ)?
        モンキーレンチ(アジャスタブルレンチ)
        口が開いているものを「スパナ」
        閉じているものを「レンチ」
        トルクレンチ
        ボルト(雄ネジ) ナッツ(雌ネジ)の螺子回し器具
        bolt      and  nut
        ボルト=突起状ネジ溝が外側の表面に付いている
      screw thread. お「ねじ・螺子・捩子・捻子・螺旋」
        ナット=輪穴状ネジ溝が内側の内面に付いている
      external thread. め「ねじ・螺子・捩子・捻子・螺旋」
         fix (attach) a bolt with a nut
      H=工=たくみ・・・工具?
      Q=ネヅミの後ろ姿?
 ↓↑
 東條英機ら
 戦犯容疑者
 39人の逮捕指令
 ↓↑
 ポナペ島の
 日本軍陸軍
 第31軍
 独立混成
 第52旅団長
 渡辺雅夫
 陸軍中将が
 米駆逐艦ハイマン上で
 アメリカ軍に対する
 降伏文書に署名
 ↓↑
 1945年9月11日
 「ポンペイ州独立記念日
  (Pohnpei Liberation Day)」
  Pohnpei state=ミクロネシア連邦
  カロリン諸島の
  4つの州
  ヤップ州、チューク州
  ポンペイ州、コスラエ州
  の1つ
  ポンペイ島(ポナペ島)
  「石積み (pehi)
   の
   上に(pohn) 」
  島に
 「浦島太郎伝説=ナンマトル遺跡」
  島の古称が「ウラノシマ」・・・?

 ↓↑
 1945年9月13日18時
 乙 酉(庚・ ・辛)・・・オトとり=音取り
 乙 酉(庚・ ・辛)・・・イツとり=何時執り
 乙 酉(庚・ ・辛)・・・オツとり=小津途里
 乙 酉(庚・ ・辛)・・・つばめ=燕・鷰・鳦
              玄鳥・乙鳥
           鐔目?
           鐔=金+覃
             金+覀+早
             金+襾+早
             金+覀+日+十
             金+襾+日+十
            =鍔=金+咢
               金+吅+亏
               金+口+一+丂
               金+口+二
                つば
                タン・シン
                ドン・タク・イン
           鐔目=刀の柄と刀身の間に
              はめる金具の穴
             「鍔=鐔」は
              握り手をまもるモノ
           ↓↑
           啄(つばむ・ついばむ)
             束ねる
             つばむ=金銭の合算
           ↓↑
           唾に眼・・・眉唾もの
             眉に唾をつければ
             狐 、狸などに化かされない?
             真偽の疑わしいこと
            「眉輪王」のハナシ・・・?
            「唾を付ける」=占有権・先有権?
                    所有権・私有権の先取り
            「傷口に唾」
            「耳に唾は泳ぐ時」
             口に含んだ米をカミ砕き
             唾液が混ざった米を
             発酵させ
            「酒・濁酒(どぶろく)」を造る
             酔う→感覚が狂う→騙されやすい?
            「唾液中のアミラーゼ(ジアスターゼ)」
             が澱粉を消化分解し栄養分を吸収
            「切手に唾」
            「唾をハク」
            「唾を手に吐き滑り止め」
            「痰壺に唾」・・・痰は肺を守る免疫機能
            「天に向かって唾をはく」
            「他人の顔に唾を吐く」
            「口論で唾気が散る」
            「唾で糸先を撚って針の孔に通す」
            「指に唾してページを捲(めく)る」
            「一瞬、唾を呑込む」
           ↓↑
           対馬(つば・つしま)の女?
           宗像三女神
           ↓↑
           津波目・・・津波の目(回数)?
              新潟地震
              1964年(昭和39年)
              6月16日13時1分40.7秒発生
              粟島南方沖約40km
              (北緯38度22.2分
               東経139度12.7分
               深さ34km)
              震源地
              地震規模はM7.5
 ↓↑
 世界の法の日
 1965年9月13日~9月20日
 アメリカ合衆国
 ワシントンで
 「法による世界平和第2回世界会議」
 が開催
 1965年9月16日18時
 乙 巳(戊・庚・丙)
 乙 酉(庚・ ・辛)
 癸 酉(庚・ ・辛)
 辛 酉(庚・ ・辛)
ーー↓↑ーー
 1914年10月
 第一次世界大戦で
 日本は4隻の艦船を
 ポンペイに入港
 無血で占領
 大戦終結後(1920年)
 国際連盟により
 日本委任統治(C式委任統治)
 第二次世界大戦
 終戦(1945年)時点で
 13,000人超の日本人が居住
 ↓↑
 1968年9月11日
 エールフランス1611便火災墜落事故
 ↓↑
 1989年9月11日
 ハンガリー
 ピクニック事件以降
 国内に滞在の
 東ドイツ国民に対し
 0時をもって国境を開放
 鉄のカーテン崩壊
 「ベルリンの壁」崩壊へと連鎖
 1989年11月9日
 ベルリンの壁崩壊
 東西ドイツの国境検問所
 市民の通行往来自由化
 ↓↑
 1862年9月11日
 オー・ヘンリー(O. Henry)
 アメリカの小説家
 本名 William Sydney Porter
   (ウィリアム・シドニー・ポーター)
    1862年9月11日
    ~
    1910年6月5日
 アメリカの小説家
 ↓↑
 1799年11月9日
 フランス革命暦ブリュメール18日
 ブリュメールのクーデタ
 ナポレオン
 軍事クーデターで
 総裁政府を倒し
 フランス革命が終焉
ーー↓↑ーー↓↑ーー
 2011年3月11日・・・
 11月3日
 644年
 第2代正統代理人ウマル
 2日前に奴隷に刺された傷で死去
 711年(和銅4年9月18日)
 元明天皇詔勅で
 太安万侶『古事記』編纂に着手
 1450年
 アラゴン王
 アルフォンソ5世
 バルセロナ大学創設
 1493年
 クリストファー・コロンブス
 ドミニカ島最初に視認
 1577年(天正五年九月二十三日)
 手取川の戦い
 上杉謙信軍が
 織田信長軍に大勝
 1695年(元禄八年九月二十七日)
 元禄丁銀の通用開始
 1783年
 アメリカ合衆国大陸軍が解散
 1793年
 フランス革命
 ルイ16世の処刑に反対した
 オランプ・ド・グージュに
 反革命の罪で
 ギロチン刑判決、即日執行
 1817年
 モントリオール銀行創業
 1851年
 ドーバー海峡横断海底ケーブルで
 初めての通信
 1868年
 アメリカ大統領選挙
 ユリシーズ・グラント当選
 1880年
 天長節祝賀
 宮中で「君が代」が初演奏
 1890年
 帝国ホテル開業
 1898年
 憲政党の旧進歩党系議員
 憲政本党結成
 1900年
 ニューヨークで
 世界初の自動車ショー開催
 1903年
 パナマがコロンビアから独立宣言
 1905年
 ロシア皇帝
 ニコライ2世
 政治犯の恩赦
 フィンランド人の
 政治的自由を回復する勅令に署名
 1906年
 ベルリン
 第一回国際無線電信会議で
 世界統一の遭難信号
 SOSを採択
 1914年
 第一次世界大戦
 タンガの戦い
 1916年
 迪宮裕仁親王の立太子の礼
 皇太子となる
 1918年
 第一次世界大戦
 オーストリア=ハンガリー帝国
 休戦協定署名
 1918年
 北ドイツの
 キール軍港で
 水兵が叛乱
 ドイツ革命始動
 1918年
 ポーランドが
 ロシアから独立宣言
 1929年
 朝鮮
 光州学生事件
 1931年
 宮沢賢治
 「雨ニモマケズ」を書く
 1936年
 アメリカ大統領選挙
 フランクリン・ルーズベルト再選
 1944年
 第二次世界大戦
 日本陸軍が
 風船爆弾で
 アメリカ本土攻撃開始
 1945年
 日本国憲法公布
 1948年
 アメリカ大統領選挙
 ハリー・S・トルーマン当選
 1949年
 湯川秀樹
 ノーベル物理学賞
 1951年
 愛媛県
 映画フィルムの引火から
 満員のバスが全焼
 死者32人
 1952年
 広島県三段峡
 コンクリート製の橋が崩壊
 高校生が転落
 7人が死亡
 1953年
 「東京物語」劇場公開
 1954年
 特撮怪獣映画
 「ゴジラ」第1作公開
 1955年
 船橋ヘルスセンター開場
 1957年
 ソ連がライカ犬を乗せ
 人工衛星
 「スプートニク2号」打上げ
 1963年
 ベトナム戦争
 ダクトの戦い
 1968年
 北海道テレビ放送開局
 1970年
 チリ大統領
 サルバドール・アジェンデが就任
 1973年
 NASA
 火星探査機「マリナー10号」を打ち上げ
 1978年
 ドミニカ国
 イギリスより独立宣言
 1986年
 レバノンの雑誌
 レーガン政権の
 イランへの
 秘密の武器輸出を報じる
 イラン・コントラ事件
ーー↓↑ーー
 2021/9/7・・・添文に追加・・・
 开(はだける)=一+廾=開・・・鳥居・⛩
 幵・年=「𠂉+ヰ」=「䄹=禾+𠆢+千」
 幵・年・䄹
 幷(あわせる)
 幷(ならぶ)
  ↓↑
 「倭人敗北」後の・・・GHQ・・・「曲輪・廓・郭・久留和」対策
 「白村江の海戦」
 663年10月08日12時31分・・・「擬人傳」?
       立運 9歳2ヶ月(2.76)
       大運663年10月(0歳)
                壬戌比肩冠帯
         672年12月(9歳)癸亥劫財
 癸 亥(戊甲壬)劫財・偏官建禄⇔
 壬 戌(辛丁戊)比肩・印綬冠帯⇔
 壬┏子(壬 癸)  ・比肩帝旺⇔
 丙┗午(丙 丁)偏財・偏財 胎⇔
   寅卯空
 ↓↑
 663年癸亥
 10月(00歳)壬戌 比肩冠帯
 ↓↑
 672年
 12月(09歳)癸亥 劫財建禄
 682年
 12月(19歳)甲子 食神帝旺
 692年
 12月(29歳)乙丑 傷官 衰
 702年
 12月(39歳)丙寅 偏財 病
 712年
 12月(49歳)丁卯 正財 死
 722年
 12月(59歳)戊辰 偏官 墓
 732年
 12月(69歳)己巳 正官 絶
 742年
 12月(79歳)庚午 偏印 胎
 752年
 12月(89歳)辛未 印綬 養
 ↓↑
 762年
 12月(99歳)壬申 比肩長生
 大運762年
   ~
   772年=「壬申」拾う年の間
 ↓↑   ↓↑
 乙未~壬申の乱
  671~672年
 01月09日(天智天皇10年12月5日)
 大友皇子が即位
 第39代天皇
弘文天皇
 ↓↑
672年
 07月22日(天武天皇元年6月22日)
 大海人皇子、
 村国男依・・・オトコに依(たよる)
   君手・・・クンのシュ・・・訓諏(枩=まつ=松)
        キミのテ(弖・氐・𠂤・怢・出・弟)
        記見 照=曌
  ・・・武曌=則天武后
ーー↓↑ーーーー↓↑
 アメリカ独立戦争中
 フィラデルフィア方面作戦
 1777年9月11日
 ブランディワインの戦い・・・Brandy-wine
 ブランディワイン川の戦い
 (Battle of Brandywine)
 ペンシルベニア州
 デラウェア郡
 チャズフォード近辺
 ブランディワイン川
 で行われた
 大陸軍&イギリス軍
 との戦闘
 イギリス軍大勝
 アメリカ革命政府の首都
 フィラデルフィア市
 無防備
 イギリス軍
 9月26日~1778年6月
 フィラデルフィア占領
ーー↓↑ーーーー↓↑
 載初元年正月八日
 西暦689年12月25日
 「則天文字」公布
  ↓↑
 「照=曌=曌=月+日+空
  天=𠑺=𠀑=兀(尢)+冂
  地=埊=山+水+土
  日=𡆠=囗(〇)+乙
  月=囝=𠥱=仔
  星=〇
  君=𠺞=𠁈=天+大+吉
    𠱰=几+丰+口
  臣=𢘑=一+忠
  除=𠀺=丅+几+丷+六=天興
  載=𡕀=士+几+車+灬
    𠧋=十+几+熏
  初=𡔈=一+ハ+几+賏+土
  年=𠡦=千+力+力+二=𠦚
  正=𠙺=千+凵
  授=𥢓=禾+攵+風
   =𥠢=禾+攵+几+王
  証=𤪉=永+主+夂+王
   =𨭻=求+全+金
  聖=𨲢=镸+干+凵+主
  國=圀=国
  人=𤯔=一+生
  幼=𢈗=广+史+乚
  生=𠤵=匚+生
  応=𠩍=厂+丨+土+又」
ー↓↑ーーーー
 ↓↑
672年
 07月22日(天武天皇元年6月22日)
 大海人皇子、
 村国男依
 らを
 美濃の
 多品治のもとへ遣わし
 武器の調達を命令
 ↓↑
672年
 07月24日(天武天皇元年6月24日)
 大海人皇子、挙兵し吉野を出立
 大分君 恵尺
 らを
 留守司 高坂王
 のもとへ遣わし
 駅鈴を求める
 恵尺を
 近江の
 高市皇子・大津皇子
 のもとへ派遣
 都を出て
 大海人皇子
 と合流させるよう命じる
 ↓↑
672年
 07月26日(天武天皇元年6月26日)
 大海人皇子
 朝明郡
 迹太川(とほがわ)の辺で
 天照大神望拝・・・則天武后?
 ↓↑
672年
 08月12日
 壬申の乱
 大海人皇子(天武天皇)挙兵
 ↓↑
672年
 08月21日(天武天皇元年7月23日)
 大友皇子(弘文天皇)
 長等山の山前にて
 縊死・・・吊るし首の刑
 ↓↑
 懸かり樹・・・円野姫の自殺?
 ↓↑
 相楽郡(そうらくぐん
     さがらかのこおり
     佐加良加)
 垂仁天皇(第十一代天皇)
  「丹波      比古 多多須美知 能 宇斯 王
 (たんば(たには)ひこ たたすみち の うしのみこ)」
 「みちのうし」の王の
 5人の娘を妃に召し出し
 下の2人が醜かったので
 親元に帰された
 5番目の娘
 「円野(まどの)比売」が
 木の枝にぶら下がり
 自殺未遂
 地名が
 「懸木(さがりき)」と呼ばれ
 「相楽(さがなか)」と言われる
 死にきれず
 再度険しい淵に飛び込み自殺
 地名が
 「堕国(おちくに)」と呼ばれ
 「弟国」となった・・・乙(イツ)
 乙津=おつ・おつづ・おづ・おとつ・おとづ
 乙=おつ・おと・きのと
 乙井=おつい・おとい
 乙石=おついし・おといし
 乙出=おついで・おつで・おといで・おとで
 ↓↑
 乙姫(おとひめ)
 乙女=少女(おとめ)
    乙女子・少女子(おとめご)
    若い女性
 乙=オツ
   イツ
   おと
   きのと・・・きのオト
   十干二番目
   五行の陰性の木
   方位は東
   順位での二番目・第二位・次位
   つばめ=乙鳥(イツチヨウ)
   邦楽の甲よりも一段低い音
   幼い・若い
   オツなさま
   しゃれているさま
   気がきいているさま
 ↓↑
 甲乙=二つのものの優劣
    第一と第二の比較
 早乙女=さおとめ=早少女(さおとめ)
     田植えを行う若い女性
 不一=ふいつ=不乙=ふいち
    手紙の結びに添える語
    自分の気持ちを
    十分に書きつくしていない
    との意味
 ↓↑
 乙夜之覧(いつやのらん)
  天子が読書
  書物を読むことの大切さ
  「乙夜」=午後十時くらいの時間
  「覧」=読書
  天子は多忙で
  夜遅く読書時間ができる
  「乙覧」
 越鳧楚乙(えつふそいつ)
  場所や人が違えば
  同じものでも呼び名が違う
  「越・楚」は古代中国の国名
  「鳧」=鴨(かも)
  「乙」=燕(つばめ)
 甲論乙駁(こうろんおつばく)
  議論の結論が出ないこと
  「論」=意見
  「駁」=反対意見
  結論が出ない意
 ↓↑
 乙に絡む(おつにからむ)
  変に嫌味なことを言う
  からむ
  「乙」=普段とは違って変なさま
 乙に搦む(からむ)
 ↓↑
 乙に澄ます(おつにすます)
 妙に気取った態度をとる
 ↓↑
 甲の薬は乙の毒
 (こうのくすりはおつのどく)
 物事の価値は人によって違う
  ↓↑
 「堕=陏(隋・随・隨)の
    土(十+一)の音訓」・・・隨書の意知、拾、移置
  ↓↑
 弟国宮(おとくにのみや)
 京都府長岡京市
 継体天皇の宮
 今里集落の西に
 「乙訓(おとくに)寺」・・・音訓字?
 垂仁天皇に
 丹波の5人姉妹が召され
 姿が醜いと「一女」が
 葛野まで来て
 「自ら輿より堕ちて死(まか)り」
 故に
 「堕国(おちくに)」
 の地名となり
 「弟国」
 になった
 丹波への道=古山陰道
 單葉=漢字単語の訓(くん)
 古山陰道=故纂の音と同?
 ↓↑
 672年
 10月08日(天武天皇元年9月12日)
 大海人皇子
 飛鳥へ凱旋
 ↓↑
 死亡人物
 672年
 01月07日(天智天皇10年12月3日)
 第38代天皇(626年~)
 天智天皇
 ↓↑
 07月31日(天武天皇元年7月2日)
 山部王
 皇族
 ↓↑
 07月31日(天武天皇元年7月2日)
 蘇我果安
 ↓↑
 08月07日(天武天皇元年7月9日)
 秦友足
 ↓↑
 08月21日(天武天皇元年7月23日)
 犬養五十君
 ↓↑
 08月21日(天武天皇元年7月23日)
 谷塩手
 ↓↑
 08月21日(天武天皇元年7月23日)
 第39代天皇(648年~)
 弘文天皇(大友皇子)
 ↓↑
 09月22日(天武天皇元年8月25日)
 中臣金
 官人
 ↓↑
 月日不明
 許敬宗(592年~)
 唐の
 政治家、文学者、歴史家
 ↓↑
 唐
 咸亨3年
 672年8月21日12時15分
 壬申
 戊申
 壬子
 庚子(00時)~丙午(12時)~戊申(15時)
 ↓↑
 弘道元年(683年)
 高宗が崩御
 ↓↑
 天授元年(690年)
 武后は自ら帝位に就いた
 国号を「周」
 自らを
 聖神皇帝
 天授と改元
 睿宗は皇太子に格下げ
 李姓に代えて武姓を与えられた
 王朝
 「武周」
 宰相抜擢
 「狄仁傑」
 官僚
 「姚崇」
 「宋璟」
 宗教
 「仏先道後」
 自らを
 弥勒菩薩と称し
 『大雲経』を創り
 「大雲経寺」を全国の各州に造らせた
 ↓↑
 晩年
 寵愛
 「張易之」
 「張昌宗」
 兄弟を除去
 神龍元年1月24日(705年2月22日)
 宰相
 「張柬之」
 は中宗を東宮に迎え
 兵を発し
 張兄弟を斬り
 武則天に
 「則天大聖皇帝」
 の尊称を奉ることを約束し位を退かせた
 中宗 復位
 国号 唐
 武氏の眷属は
 李氏宗室と密接な姻戚関係で
 粛清は
 「太平公主」
 「武三思」
 なかった
 706年(神龍2年)5月
 乾陵に高宗と合葬
 唐代の帝陵は
 「京兆尹」
 の温韜にすべてが盗掘されたが
 「乾陵」・・・清の
       「乾隆帝」・・・読書オタク・・・?
               書籍・文籍研究家
              「筆書」の真贋
               重要文化財保護者
 ↓↑     ↓↑
 唐
 太宗
 李世民
 清
 「乾隆帝」
 の
 約1,100年前
 大唐帝国第2代皇帝
 書の愛好家で能筆家
 王羲之(東晋時代の書聖)
 の書を高く評価
 代表作
 「蘭亭序」
 を自らの陵墓に副葬
 ↓↑   ↓↑
  ・・・「乾=龺+乞
        十+早+乞=乹=亁
        十+日+十+𠂉+乙
       =戌亥=狗・猪
          =犬+猪子(苽・瓜)
       =乹=龺+乚
       =亁=十+日+干+乞(𠂉乙)
 ↓↑   ↓↑
      韓=韩=「乾の左旁=龺=卓」
      カン
      いげた(井桁・#=シャープ)
      から
      井戸の囲い=かこい=圍・栫
      戦国時代の七雄の一國
      朝鮮半島南部に存在した地域
      ・・・
     「委の奴の国」の
     「栫=木(十八)+存」
 ↓↑   ↓↑
    龺+α・・・龺=卓=ト+日+十
    朝・乹・倝・乾・韩=韓・戟・龫
    幹・榦・斡・翰・擀・澣・瀚・簳
    鶾=龺+𠂉+鳥
        𠂉=カミ(髪)挿し=櫛
          こうがい=笄=竹+开
          开(はだける)⇔鳥居・開
          幵=年・䄹
          幷(あわせる)=併
          幷(ならぶ)⇔楢分=木+酋
            奈良武=天武天皇
 ↓↑   ↓↑
      カン
      祭礼の供物に用いる肥えた鶏
      翰音(カンオン)=カンオン 上空まで響く、鳥の鳴き声
      易で、実際をこえた不相応な名声・ にわとり(鷄)のコト
      錦鶏(キンケイ)・・・錦=金+白+巾=にしき・西紀?
      キジ(雉)目・・・・・記事の項目?
      キジ(雉)科の鳥・・・記事のトガを取る?
  ↓↑
 「京兆尹」=ケイチョウイン・・・キョウのキザシのイン
                  響きの記差詞の韻=音?
       漢代、長安以東12県の長官名
       その治める地方名
       後、歴代都のある郡の長官
 の
 「温韜」=五代十国の
      梁の耀州節度使
      朱全忠に仕えた
      賊上がりの武将
      李彦韬
     「唐十八陵」のうち17ヵ所を
      910年代に盗掘
 ↓↑   ↓↑
 にすべてが盗掘されたが
「乾陵墓」
 のみは発掘予定の夏に
 激しい雷雨が数晩続き
 不成功に終わった
 ↓↑
 唐
 太宗
 李世民
 清
 「乾隆帝」
 の
 約1,100年前
 大唐帝国第2代皇帝
 書の愛好家で能筆家
 王羲之(東晋時代の書聖)
 の書を高く評価
 代表作
 「蘭亭序」
 を自らの陵墓に副葬
 ↓↑
 蘇我の転換・・・長孫無忌・・・長の馬子の異夢・・・
 2017-06-28 15:39:12
 古事記字源
 ・・・「邪馬台国は何処にある?」ですか・・・「邪馬台(臺・壹)国」→「都、於、邪靡堆、則、魏志、所謂、邪馬臺、者也(隋書・俀國傳→則天武后が絡んでくるなら漢字は佞圀傳?or侫圀傳?)」・・・「佞(おもねる・へつらう・ニョウ・ネイ)=侫」、「俀(よわい・タイ・ツィ・テ)=イ+妥(やすい・おだやか・タ・ダ)」・・・ボク的にはナゼ「邪靡堆」の漢字を敢て当てたのか?、デス・・・「都、於、邪靡堆」は当時の「隋・唐」では「邪靡堆」の漢字で認識、使用されていた実際の「都」が存在していた?or「日本国」を「則天武后」的に、蔑視、貶める為の蔑称としての「漢字選択」だった?・・・だが、昔の「魏志倭人伝」の記録には敢て、「邪馬臺」と云う漢字が使用されていた場所である、と記述されているのだ・・・「隋書」を編纂した「唐」の「魏徴」であるが、名前が「魏の徴」である。そして問題にしたいのが「長孫無忌」の名前である・・・「長の孫は無し、忌むべし」、「長の孫、忌(いむこと)は無(な)し」か?・・・「禁止されるべき忌むコトが無し」の人物・・・?・・・頻繁に年号を変え、裏切った臣下の名前を蔑称漢字にし、「新漢字創作」に執着した「則天武后」が「隋書」に絡んでいるなら怪しい・・・
 称徳孝謙天皇(女帝・阿部)は「和気清麻呂」を「別部穢麻呂(わけべ の きたなまろ)」の名に変えて大隅国(鹿児島県)に流刑にした・・・
 元々、「和気清麿(麻呂)」の氏姓は「磐梨別公(いわなしわけのきみ)」だった・・・後、「藤野(輔治能)真人→和気宿禰→和気朝臣」に改めたらしく、「官位は従三位・民部卿、贈正三位、正一位」・・・
ーーーーー
 「隋書・俀国伝(貞観二年・628)」、
 「隋書、唐の魏徴」撰
 「長孫無忌」も編纂
 「長孫無忌(チョウソンムキ)
  生年不詳~659年
  中国の初唐の政治家」
 「唐の
  太宗の
  長孫皇后の兄
  唐王朝の外戚」
 「字は輔機(ホキ)」
 「本貫は
  河南郡洛陽
  凌煙閣二十四功臣の第一位
  開皇十五(595)年頃に生まれ
  顕慶四(659)年七月死没
  黔(キン・ケン)州中国・・・黔(くろい・くすむ)=黒+今
  唐初の重臣
  鮮卑系・・・鮮卑=紀元前3世紀~6世紀
  ↓↑       中国北部に存在した
           遊牧騎馬民族
           五胡十六国時代
           南北朝時代に
           南下して中国に
  ↓↑       北魏などの王朝を建てた
  貴族の名門出身
  妹は唐の太宗の
  文徳皇后
  太宗が秦王時代に
  兄皇太子
  建成・・・・・・・建(たける)成(なり・なす)
  と激しく対立した際
  その決断を促し、
  玄武門・・・・・・玄武(亀+蛇)の門
  のクーデターを決行
  太宗の元勲となった」
 「唐の国史、実録や儀礼、本草、律疏
  などの編纂を監修
  則天武后
  の台頭により
  忌まれて・・・長孫無忌の
  ↓↑    「忌=キ・いむ・いまわしい
         いやなこととして避ける・恐れはばかる
         「忌諱 (キキ・キイ) ・忌憚 (キタン)
          忌避・禁忌・嫌忌・猜忌 (サイキ) 」
         死者の命日
         「忌日(キニチ)・遠忌 (オンキ)
          年忌(ネンキ)一周忌・桜桃忌・三回忌」
         喪に服する期間
         「忌中・忌引(キビキ)
          忌服 (キブク)・満忌(マンキ) 」
         「忌忌 (いまいま) しい」
         「忌=いむ」
         「信仰から避けるべきコト、モノ」
         「嫌う・いやがる・憎(にく)む
          許しがたく嫌う」
  ↓↑     「親や祖先などの命日(死んだ日)」
         「うやまう(尊敬する)」
         「いましめる」
         「用心する」
         「気をつける」
         「控え目にする」
         「注意する」
         「禁止する・忌諱(イキ)」
  ↓↑     「過ちを犯さないように叱る」
  黔 (ケン) 州
  に流され、死没」
 「唐朝の元勲
  長孫氏は
  北魏帝室の支流
  父の
  長孫晟(セイ)は・・・晟=日+成
              =あきら・てる・まさ
               ジョウ・セイ
  隋の将軍
  妹は
  唐の太宗の皇后
  太宗朝で勲功第一
  尚書・門下の二省の長官を兼ね
  三公の位に進んだ
  立太子問題で
  皇后の実子
  李治(高宗)を推し
  太宗の遺詔によって
  高宗を輔政したが
  高宗の
  則天武后の冊立に反対し
  武后派に謀反ありと告発され
  黔(ケン)州
  (四川省彭水県)に流刑
  現地で自殺を強いられた
  宰相として
  「五代史志・永徽律令」
  の編纂を監修した」
 「「後漢書・志」は
  晋の
  司馬彪(シバヒョウ・?~306頃)の
  「続漢書・志」
  「隋書」のそれは
  唐の
  長孫無忌(?~659)の
  「五代史志」で補われている」
  ↓↑
 ・・・「長孫無忌=長(おさ)の孫(まご)無(なし)忌(いむ・己+心)」・・・「長孫無忌」は「古事記始原」の人物かも?・・・
ーー↓↑ーーー
 6月27日火曜日
  ↓↑
 NHK教育(ETV)
 先人たちの底力 知恵泉
 邪馬台国はどこにある?
 古代ミステリーを楽しもう
 前編
 古代史“最大”の謎、
 邪馬台国のミステリーを題材に、
 歴史の楽しみ方の知恵を探る。
 九州説、畿内説、四国説、
 さらには
 沖縄にある
 卑弥呼の海底神殿まで、
 想像の翼を広げる。
ーー↓↑ーー
 長孫無忌
  ↓↑
 唐朝の元勲・長孫氏は
 北魏帝室の支流
 父の長孫晟(せい)は
 隋の将軍
 妹は唐の太宗の皇后
 太宗の片腕として活躍し
 太宗朝には勲功第一とされた
 尚書・門下二省の長官を兼ね
 三公の位に進んだ
 立太子問題では
 皇后(妹)の実子
 李治(高宗)を推し
 太宗の遺詔によって
 高宗を輔政したが
 高宗の
 則天武后
 冊立に反対し
 武后派に謀反ありと告発され
 黔(ケン)州(四川省彭水県)に流刑
 現地で自殺を強いられた
 宰相として
 《五代史志》
 《永徽律令》
 の編纂を監修した
  ↓↑
 唐律疏議30巻
 長孫無忌らの
 奉勅撰
 《唐律》12編500条(502条)
 の各条にわたって
 字句の解釈をほどこすとともに
 疑義の生じそうな条には
 適用に関する問答を付して
 唐代のみならず
 中国刑法史
 の研究上に重要な書
  ↓↑
 長孫無忌
  ↓↑
 隋の右驍衛将軍
 長孫晟
 (長孫熾の弟)
 の子
 長孫氏は
 献帝(拓跋鄰)のときに、
 その兄を
 拔拔(拓跋)氏とし、
 後に
 漢化して・・・・・・漢字化?
 長孫氏に改めた・・・長孫=拓跋・・・
           長(おさ)の孫(まご)の開拓、抜擢
 北魏の
 道武帝・・・・・・・道の武帝
 により
 宗室の長とされ、
 関隴集団中において・・・関隴=武川鎮軍閥
  ↓↑            南北朝時代の
                西魏・北周
                隋・唐
                の支配層を形成していた集団
             則天武后に
             唐王室の李一族など
             北朝以来の貴族勢力である
             関隴集団=長安付近に土着した
             鮮卑系貴族、陝西省・甘粛省の
  ↓↑         出身貴族を一掃された
 貴顕中の
 貴顕とされる一族の門地
 609年
 父の死後
 異母兄の
 長孫安業
 と折り合いが悪く
 母方の伯父の
 高士廉
 を頼った
 長孫無忌は
 学問を好み、
 文章
 史書
 に通暁
 617年
 唐の高祖
 李淵
 が
 太原で起兵して
 長安を奪うと
 長春宮で謁見を受け
 渭北道行軍
 典籤・・・・・典籤=文書の処理係
  ↓↑    籤=くじ・おみくじ・ふだ・占いのふだ
        抽籤・当籤
        うらなう・ためす
        かずとり・ものを数えるときの竹の棒
        くし(串)・物をさし通す竹ぐし
  ↓↑    籤=ひご=肥後・庇護・蜚語・卑語
             熊本       卑弥呼
        流言飛語・流言蜚語=根拠のない情報、風聞
        牙籤(ガセン)・抽籤(チュウセン)
  ↓↑    当籤(トウセン)
 に任じられ
 李世民
 の征戦に従軍
 比部郎中
 に累進
 上党県公
 に封ぜられた
 626年
 玄武門の変
 房玄齢
 杜如晦
 らとともに
 襲撃の計画を定め
 李世民が皇太子となると
 その功績により
 太子左庶子に昇進
 太宗(李世民)の即位後、
 左武候大将軍
 627年
 吏部尚書・・・式部卿、参議・文官の長官
        吏部(りぶ)は六部の一
        文官の任免・評定・異動などの人事を担当
        後漢のときに吏曹が設置され
        尚書常侍曹と改められた
        魏晋南北朝時代より吏部と称され
        隋唐、五代十国では
        尚書省のもとで六部の首位
        に置かれた尚書は長官
 に転じ
 功績第一として
 斉国公に進封
 唐の元勲・外戚として礼遇を受け
 内廷に自由に出入りできた
 同年
 尚書右僕射・・・右僕射=右大臣の唐名
 ↓↑
 唐は
 突厥の
 頡利可汗・・・・・・・頡利・・・蒼頡は漢字の発明者
                 歯通目医者?
 と盟約を結んでいたが
 突厥の内紛にともない
 突厥を
 攻めるように
 勧める臣下が多くなり
 太宗は
 蕭瑀
 と
 長孫無忌
 に突厥に対する政策を訊ね
 蕭瑀は
 「攻撃するのがよろしい」
 と答え
 長孫無忌は
 「来るのを待てばよろしい
 (盟約をこちらから破る必要はない)」
 と答えた
 太宗は長孫無忌の答えに
 「善し」としながら
 実際には兵を出して
 突厥を攻め取った
 ↓↑
 長孫無忌の権寵が重すぎ
 これを抑制するよう
 進言する者もいたが
 太宗は
 長孫無忌を信任して重用
 長孫無忌は
 諸臣の嫉視をおそれ
 長孫皇后を通じて
 太宗に働きかけ
 僕射
 の地位を退き
 開府儀同三司
 となった
 633年
 司空・知門下尚書事
 に任命され
 これを断った
 高士廉
 は外戚が
 三公の地位にあることはよくないと
 進言したが、
 太宗は
 長孫無忌を
 司空とすることにこだわったが
 長孫無忌が固辞し
 太宗は許し
 威鳳賦を作って賜り、功績を讃えた
 趙州刺史となり、
 趙国公に改封され
 のちに司徒に進んだ
 ↓↑
 643年
 功臣として
 凌煙閣・・・唐の中国統一に貢献した功臣24名
 ↓↑    貞観十七年(643年)二月二十八日
       唐の太宗が
       西京宮城東北の凌煙閣に
       画家の
 ↓↑    閻立本に功臣の絵を描かせたのが由来
 に列せられ
 位は二十四人の中で筆頭
 ↓↑
 太宗の長男で皇太子の
 李承乾
 が廃嫡され
 第九子
 (長孫皇后の子としては第三子)
 晋王、李治
 を皇太子とすることに成功
 李治を後継ぎに推したのは
 第四子
 (長孫皇后の子としては第二子)
 の
 魏王、
 李泰よりも
 李治のほうが
 長孫無忌にとって
 御し易いという目論見から・・・
 長孫無忌は
 太子太師・同中書門下三品となった
 同中書門下三品の地位は
 このときに始まる
 太宗によって
 高句麗遠征(唐の高句麗出兵)
 がおこなわれると、
 侍中を兼ね
 帰還すると、
 太子太師を退き
 揚州都督を遙領した
 649年
 太宗の臨終で
 李治の後見と輔政を託され
 高宗が即位すると
 太尉に進み
 中書令を検校し
 門下省
 と
 尚書省
 を領知した
 三人の子はみな
 朝散大夫・・・唐の従五品下の雅名
 ↓↑     665年
        唐の
        朝散大夫-沂州司馬上柱国の
        劉徳高が戦後処理使節として来日
        3ヶ月後に
        劉徳高は帰国・・・?
 ↓↑     白村江の戦い(天智二年八月・663年10月)
        天智天皇二年八月二十七日~八月二十八日
        (グレゴリオ暦663年10月7日~10月8日)
        (ユリウス 暦663年10月4日~10月5日)
         663年癸亥
         010月辛酉
 ↓↑      004日戊申水曜日仏滅
 となった
 ↓↑
 武昭儀(武則天)が
 高宗の男子を産んだため
 これを皇后に立てる議論が起こったが
 長孫無忌は
 武氏立后に反対し
 数度にわたって
 高宗に諫言したが
 高宗に聴きいれられず
 655年
 武氏が皇后として立后
 657年
 褚遂良
 来済
 らが謀反を誣告され左遷
 長孫無忌は宮廷で孤立
 659年
 許敬宗
 が
 李奉節
 らに指示して
 朋党事件
 をでっちあげ
 その黒幕を
 長孫無忌
 として
 高宗に訴え
 高宗は
 許敬宗の弁舌に説得され
 長孫無忌の官爵を削って
 黔州(貴州省)に流した
 許敬宗
 や
 李義府
 がさらに
 彼の謀反を訴え
 長孫無忌は配所で
 首を吊って自殺
 674年
 官爵をもどされ
 孫の
 長孫元翼・・・長の孫の元の翼→翼の生えた虎=天武天皇
 が爵位を継いだ
 ↓↑
 長孫無忌は
 唐律疏義
 隋書
 の編纂者
 ↓↑
 伝記資料
 『旧唐書』巻六十五
 列伝第十五「長孫無忌伝」
 『新唐書』巻一百五
 列伝第三十「長孫无忌伝」
ーーーーー
 讜=トウ・・・・・唐・問=とう=答・当・等
   正しい言葉・よい言葉
   道理に合う・正直である
   そのような言葉・直言
 讜
 言+黨・・・・黨=党
 言+龸+口+鄢
 言+⺌+冖+口+鄢
 言+龸+口+口+丷+礀+二+灬
 「龸」の構成文字
    学覚労栄営
 龸=𦥯→學
 龸=𤇾→螢
 ↓↑
 党 堂 常 掌 棠 䟫 甞 當 裳 隚 嘗 嫦 賞
 瞠 償 蟐 螳 糛 襠 礑 簹 鏜 蟷 鞺 黨 鐺
 儻 鑜 鼞 鱨 讜 钂 牚 傥 礃 㒉 嚐 艡 㼕
 憆 赏 䣘 擋 鏿 橖 镗 灙 饄 瓽 龦 嘡 罉
 㜭 尝 谠 䉎 撐 鏛 樘 漟 瑺 鲿 儅 㗬 坣
 譡 㽆 戃 蹚 䣣 攩 鐣 檔 闛 爣 饓 偿 矘
 㑽 噹 膛 㦂 龸 幥 贘 撑 橕 镋 澢 璫 劏
 㙶 壋 㿩 摚 鎲 曭 欓 闣
 ↓↑
 党=龸+兄
 當=龸+口+田=当
 儻=トウ
   あるいは・すぐれる・もし
   すぐれる・すぐれている
 棠=トウ・ドウ
   からなし・やまなし
   やまなし・からなし
   バラ(薔薇)科の落葉小高木
   「棠棣(トウテイ)」は
    にわうめ(庭梅)
    にわざくら(庭櫻・桜)
    バラ(薔薇)科の落葉低木
   「海棠(かいどう)」は
    バラ(薔薇)科の落葉低木
 常=ジョウ・・・尋常小学校
   つね・とこ
   つね・いつまでも変わることがない
   つね・いつも・ふだん
   あたりまえ・なみ・普通
   はた
   日月や竜などを描いた天子の旗
   長さの単位
   一常=尋(八尺)の二倍
   とこ
   いつまでも変わらない
   永遠に変わらない
   などの意を表わす接頭語
   「つら・とき・ときわ・のぶ・ひさ・ひさし」
 龸(𦥯)学(學)觉(覺)黉(黌)
 单(單)弹(彈)婵(嬋)冁(囅)
 页(頁)颜(顏)颌(頷)顺(順)额(額)
 专(專)
 传(傳)
 转(轉)
ーーーーー
 ・・・???・・・
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三百代言=代言人(弁護士)を 罵(ののし)った語

2021-09-09 13:45:37 | 古事記字源

 戦況(センキョウ・センキョウ)のシ・・・「✕」・・・?
  ↓↑
 卵(たまご・ラン)=玉子(たまご)
           動物の卵細胞や
           それが未受精 or 受精し
           胚発生が進行した状態で
           体外(外環境)へ産み出される
           雌性の生殖細胞と付属物の総称・・・?

  ↓↑
 「戦況=センキョウ=宣教・撰経」のシ・・・「✕」?
  ↓↑
 2021/9/3
 アメリカ合衆国・・・ハリケーン・水害・火災
 ・・・ナンか
 「中国大陸」と同じような
 「地下鉄水害」・・・
  ↓↑
 「✕」の発音だったが・・・?
  ↓↑       ↓↑
 フランシスコ・デ・ザビエル
 ( Francisco  de Xavier
   Francisco de Jasso y Azpilicueta
  スペイン語) 
 ・・・振らん 詞素胡 挫備會留・・・
  1506年頃4月7日
  ~
  1552年12月3日
  1506年頃4月7日
  ~
  1552年12月3日
      大運1562年9月(56歳)丁酉傷官
 ┏丙寅(己丙甲)食神・食神建禄⇔壬子偏印
 ┗辛卯(甲 乙)正官・劫財帝旺⇔辛亥正官
  甲午(丙 丁)  ・正財 死⇔丙申食神
  庚午(丙 丁)偏官・正財 死⇔甲午比肩
   辰巳空亡
  ↓↑
  1548年11月
 ゴアで宣教監督
 1549年4月15日
 ゴアで洗礼を受けた
 「ヤジロウ」
 ら3人の日本人とともに
 ジャンク船でゴアを出発
 日本を目指し
 明の上川島(広東省江門市台山)
 を経由し
 「ヤジロウ」
 の案内で
 薩摩半島の「坊津」に上陸
 1549年(天文十八年)8月15日
 鹿児島市
 祇園之洲町に来着
 1549年9月
 伊集院城
 (一宇治城
  鹿児島県
  日置市
  伊集院町
  大田)
 で薩摩国の守護大名
 「島津貴久」
 に謁見
 宣教の許可を得た
 1550年(天文十九年)8月
 肥前国平戸入り
 宣教活動
 10月下旬
 京を目指し平戸を出立
 11月上旬
 周防国山口入り
 無許可で宣教活動
 12月17日周防出発
 岩国から海路で堺に上陸
 「日比屋了珪」
 と知遇
 ↓↑
 1551年(天文二十年)1月
 京に到着
 了珪の紹介で
 「小西隆佐」に歓待
 ↓↑
 山口を経て
 1551年3月
 平戸に戻った・・・

ーー↓↑ーー
 「新羅」王
 系統に
 「昔(セキ・シャク)」氏
 「脱解」の生国
 「多婆那(たばな)国」
 倭国から北東一千里
  多婆那=たばな・・・
 タバナ⇔ナバタ?・・・無理カモ・・・コジツケ・・・
  ↓↑
  郢 書 燕 説
 (エイショヱンセツ)
  あれこれこじつけ
  道理にあっているように説明すること
  ↓↑
  牽 強  附(傅)会
 (ケンキョウフカイ)
  都合のいいように
  強引に理屈をこじつけること
  ↓↑
  堅 白 同 異
 (ケンパクドウイ)
  矛盾することを
  無理やりこじつけること
  詭弁を弄する
  ↓↑
  強 談 威迫
 (ゴウダンイハク)
  自分の要求に従わせようと
  相手方に対し
  強引に談判して脅すこと
  強談判=こわダンパン
  ↓↑
  三 百  代 言
 (サンビャクダイゲン)
  詭弁を弄ろうすること
  弁護士をののしっていう語
  明治時代初期に
  資格のない代言人(弁護士)を
  罵(ののし)った語
  「三百」=銭三百文
  わずかな金額、価値の低いこと
  「代言」=代言人=弁護士
  ↓↑
  漱 石 枕 流
 (ソウセキチンリュウ)
  己の失敗を認めず
  屁理屈を並べて言い逃れをすること
  負け惜しみ
  「枕流漱石」
  ↓↑
  断 章  取 義
 (ダンショウシュギ)
  書物や詩を引用するとき
  その一部だけを取り出し
  自分の都合のいいように解釈すること
  ↓↑

 故事附け・・・デス・・・脱泡・脱法・・・?
  ↓↑
 脱解・・・解脱(カイダツ)=上下逆配置の熟語
       脱獄
       脱穀
       脱健着患
       脱臼=関節を構成する骨同士の
          位置関係のズレ
      ↓↑
      カイダツ=介達
         骨に直接牽引力を加えず
         皮膚や筋肉を介して
         骨に力を加える牽引法
         皮膚に絆創膏や
            包帯を巻いて
            牽引を行う
         介達骨折
         直接力が加わった場所より
         離れた部分に起きる骨折
      ↓↑
      解=角+刀+牛
      脱=月(肉)+兑
        月(肉)+丷+兄
        月(肉)+丷+口+儿
      ↓↑
      脫=月(肉)+兌
        月(肉)+八+兄
        月(肉)+㕣+儿
        月(肉)+八+口+儿
      ↓↑
      カイからの
      脱出・脱落・脱退
      脱衣・脱帽・着脱
      脱穀
      脱臼・脱皮
      脱北
      ある組織から抜け出す
      ある物から
      要素の一部を抜き取る・盗む
      簒奪
 ↓↑     ↓↑
 尼師今・・・あまシのキン(コン・いま)
 脱解    尼 師 今
 (ダッカイ ニ シ キン・・・似詞(史)金武(公・筋)?
  タルヘ  イ サ コミ)・・多留(足)妃・異差込み?
 新羅
 第4代の王(在位57年~80年)
 姓  昔(ソク・シャク)
 名  脱解(タルヘ)
 別名記
 吐解 尼師今(トカイ  ニシキン
        トヘ   イサコム)
ーー↓↑ーー
 フランシスコ・デ・ザビエル
 ナバラ王国(ナバーラ王国)出身・・・名場等・那婆羅?
       Navarra=Nafarro=ナファロア
       スペイン語では
       第2音節にアクセントがあるため
       「ナバーラ」
        北緯42度49分・・・
        西経1度39分
       ・・・ナバㇻ⇔タバナ・・・タナバタ(七夕)?
 北緯42度0分~北緯43度0分
 北緯42度0分
 東経128度3分
 北朝鮮 白頭山 通過

 北緯42度0分
 東経128度29分
 中華人民共和国 吉林省

 北緯42度0分
 日本 奥尻島 南を通過
 日本 北海道  檜山 渡島
    大沼  北西端を通過
    日高
    襟裳岬 北を通過


 北緯42度0分
 東経128度3分
 北朝鮮 白頭山 通過

 北緯42度0分
 東経128度29分
 中華人民共和国 吉林省

 北緯42度0分
 日本 奥尻島 南を通過
 日本 北海道  檜山 渡島
    大沼  北西端を通過
    日高
    襟裳岬 北を通過
 北緯43度0分
    石狩 札幌市中心部の南を通過
    釧路 釧路市中心部を通過
    フランス ルルド (Lourdes)
         オクシタニー地域圏
         オート=ピレネー県
         コミューン
  ↓↑
 バスク語Nafarroako  Erresuma
 スペイン語Reino  de Navarra
 フランス語Royaume de Navarre
 中世
 イベリア半島北東部
 パンプローナ・・・北緯42度49分
          西経1度38分
より興った王国
 824年
 バスク人の首領・・・場素句?
 「アリスタ」・・・・阿里素多?
 が
 「パンプローナ」
 で王として選ばれ
 フランク王国に反乱
 「ナバラ」・・・名場等・那婆羅?
 の名は
 7世紀のスペインでの
 西ゴート族・・・語音?呉乙?
 の
 終焉時代頃から登場した王国
 ↓↑ 
 存在(being・existence
    独語 Sein)
    古代ギリシャ語eon・ousia ウーシア
    ラテン語esse エッセ
 存在する(exist, inhabit, present.)
 ↓↑
 サンティアゴ・デ・コンポステーラ
 纂 出意亞語 出 混 保素氐得等?
 (Santiago de Compostela)
 ガリシア州 ア・コルーニャ県
 賀里市蛙集 阿 胡留烏似哉・・・懸?
 ムニシピオ(基礎自治体)
 ム二誌比乎?
 ガリシア州の州都
 賀里市婀
 コマルカ・デ・サンティアーゴ郡に属する
 困るか  出 簒 綴 蛙阿語訓?
 ・・・滅茶苦茶なアテカン字・・・?
 ↓↑ 
 サンティアゴ・デ・コンポステーラ
 聖ヤコブ(サンティアゴ)
 の遺骸があるとされ
 キリスト教の三大巡礼地
 フランスでは
 「トゥールの道」
 「リモージュの道」
 「ル・ピュイの道」
 「トゥールーズの道」
 の4つの道がスペインに接続
 スペインでは
 ナバラ州
 ~
 カスティーリャ・イ・レオン州
 の北部を西に横切り
 ガリシア州の
 サンティアゴ・デ・コンポステーラ
 へ向かう「フランスの道」が主要
 ↓↑ 
 スペイン語
 El Camino de Santiago(サンティアゴの道)
  カミの 出 纂綴吾語?
 と呼ばれ
 定冠詞を付けた大文字
 El Camino(その道)
 ↓↑ 
 サンティアゴ・デ・コンポステーラ
 巡礼路
 フランス語では
 le chemin de Saint Jacques
 (サン・ジャックの道)
 と呼ばれる
 ↓↑ 
 11世紀の礼拝堂を修復した宿泊所で
 「洗足の儀式」が行われ
 徒歩でのスペイン横断は
 800kmの道程
 大聖堂の5km手前の
 「モンテ・デル・ゴソ(歓喜の丘)」
 から遠望、聖地の「栄光の門」に向かう
 巡礼者がもたれ祈りを捧げてきた柱があり
 手のくぼみ(窪)のあとがある
 ↓↑
 スペインの首都
 マドリード(Madrid)=マドリッド=マドリー
       北緯40度25分      間取り・窓利?
       西経03度41分
 ↓↑ 
 西班牙= Espana=Spain=スペイン
 ジブラルタル・・・字部等
 (Gibraltar)=ジブロールタ(ァ)・・・字部賂於留多ア?
       =ヒブラルタル・・・・比分羅留多留_
        [xiβɾalˈtaɾ]
        ✕=ヒ・・・カイ
        ジブラルタル    京都
        北緯36度07分・・・ 北緯35度0分
         西経5度21分・・・ 東経135度46分
        タリファ岬(Punta de Tarifa)
        北緯36度00分
        西経5度36分37秒

        ↓↑
        東京都
        北緯35度41分
        東経139度41分
 ↓↑
 アシでアルクひとはサイワイなるかな・・・
 イザルひともサイワイなるかな・・・
 オノレもシカリ、まだイキをしているから・・・
 でも、アルクのはシンドイ・・・カナ・・・
 ↓↑
 Χ・χ(カイ・ヒー
     古代ギリシア語=χεῖ+=へー
     ギリシア語=χι=ヒ
     英語=chi・khi=カイ)
     ギリシア文字の第22字
     数価は600
     ラテン文字=X
     キリル文字=Х
 ↓↑
 大文字「Χ」
 キリスト(χριστός)の頭文字
 「Χmas」の「Χ」
 小文字「χ」
 統計学の分布の一種
 「χ2+分布」で用いられる
 数学の
 「群の表現の指標+(character)」
 や
 「集合の定義関数
 (characteristic+function)+」
 電磁気学の
 「電気感受率・磁化率」を表示
 化学の
 「電気陰性度」を表示
 「モル分率」を表示・・・
 ↓↑
 牌(ふだ)=片+卑
       片+卑
       片+甶+丿+十
       片+丿+田+十
       ハイ
       ふだ
       かけ札・たて札
       文字や目じるしを書いて掲げる札
       かるた・麻雀など
       遊びや勝負ごとに用いる札
       盾(Aegis・イージス)・・・?
        卑弥呼は「呉」の防衛線の楯だった・・・?
       清代の
       中央から地方へ発行した公文書の一つ
       位牌(イハイ)・・・遺灰・・・違背・・・?
        死者の戒名を記して仏壇にまつる木の札
       手牌(シュハイ)
        囚人の名前が書き記されている木の札
       賞牌(ショウハイ)
        勝利や功績などの褒美として与える記章
       銅牌(ドウハイ)・・・同輩
        銅製のメダル
       安全牌(アンゼンパイ)
       金牌(キンパイ)・・・金蝿?
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「やれ打つな 蠅が 手をすり 足をする」・・・小林一茶
 「文政四年(1821年辛巳・58才)」
 小林 一茶
 宝暦十三年五月五日
 1763年6月15日
 ~
 文政十年十一月十九日
 1828年1月5日
            1826年6月(63歳)
                 辛亥比肩
 ┏癸┏未(丁乙己)食神・偏財 衰⇔丁亥偏財
 ┗戊┗午(丙 丁)印綬・正官 病⇔壬子傷官
  辛 酉(庚 辛)  ・劫財建禄⇔庚申劫財
  甲┗午(丙 丁)正財・正官 病⇔壬午傷官
    子丑空亡
  ↓↑ ↓↑
 1821年
 8月7日(文政四年七月十日)
 伊能忠敬
 『大日本沿海輿地全図』完成
  ↓↑
 延享二年一月十一日
 1745年2月11日
 ~
 文化十五年四月十三日
 1818年5月17日
         大運1817年9月(72歳)
                 庚午印綬
                1821/8/7 1818/5/17
  乙 丑(癸辛己)食神・比肩冠帯⇔辛巳偏印⇔戊寅正官
 ┏戊 寅(己丙甲)正官・正財沐浴⇔乙未劫財⇔丁巳偏財
 ┗癸┏未(丁乙己)  ・偏財 墓⇔戊午傷官⇔庚辰印綬
 ┗戊┗午(丙 丁)正官・正財 絶⇔戊午印綬⇔壬午劫財
    申酉空亡
  ↓↑ ↓↑
 12月30日(十二月七日)
 陸奥国梁川藩主
 松前章広
 蝦夷地
 松前藩に転封
ーー↓↑ー↓↑ーー
 死去
 3月31日(二月二十八日)
 山片蟠桃(1748年~)
 ↓↑
 5月5日
 ナポレオン・ボナパルト
 Napoleone di Buonaparte
 1769年8月15日・・・終戦記念日 8/15
 ~
 1821年5月5日・・・子供の日 5/5
          大運1812年4月(42歳)
            丁卯傷官
 己丑(癸辛己)正財・印綬冠帯⇔辛巳正官
 壬申(戊壬庚)偏印・偏印 絶⇔壬辰偏印
 甲午(丙 丁)  ・食神 死⇔甲申比肩
 庚午(丙 丁)偏官・食神 死⇔庚午食神
  辰巳空亡
 ↓↑
 10月7日
 文政四年九月十二日)
 塙保己一、国学者(1746年~)
 延享三年五月五日
 1746年6月23日
 ~
 文政四年九月十二日
 1821年10月7日
          大運1811年1月(64歳)
                辛丑劫財
 丙┏寅(己丙甲)偏官・偏財 絶⇔辛巳劫財
 甲┏午(丙 丁)偏財・印綬沐浴⇔丁酉正官
 庚┗子(壬 癸)  ・傷官 死⇔己未印綬
 壬┗午(丙 丁)食神・印綬沐浴⇔庚午比肩
   辰巳空亡
ーーーーー
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ten=✕(エックス・カイ)の発音・・・バツってん・ばつ

2021-09-03 18:34:50 | 古事記字源

 to be to be ten made to be・・・飛べないタコ・・・
 存在する為に存在する足(十・壱拾・壹零・✕)であれ・・・?

 存在(being・existence
    独語 Sein)
    古代ギリシャ語eon・ousia ウーシア
    ラテン語esse エッセ
 存在する(exist, inhabit, present.)

 ten=✕(エックス・カイ)
 ギリシア文字「カイ=✕」
    Χ・χ(カイ・ヒー
     古代ギリシア語=χεῖ =へー
     ギリシア語=χι=ヒ
     英語=chi・khi=カイ)
     ギリシア文字の第22字
     数価は600
     ラテン文字=X
     キリル文字=Х
 大文字「Χ」
 キリスト(χριστός)の頭文字
 「Χmas」の「Χ」
 小文字「χ」
 統計学の分布の一種
 「χ2 分布」で用いられる
 数学の
 「群の表現の指標 (character)」
  や
 「集合の定義関数
  (characteristic function) 」
 電磁気学の
 「電気感受率・磁化率」を表示
 化学の
 「電気陰性度」を表示
 「モル分率」を表示・・・
 国際音声記号で
 「無声口蓋垂摩擦音」を表示
 ↓↑ ↓↑
 ギリシャ文字の形象・似音のカンジ、合象?
 ↓↑ ↓↑
 Αα アルファ  Νν ニュー
           樋・V字溝
 Ββ ベータ   Ξξ クシー・・・櫛・髪梳かし?
 阝=おおざと=邑
   こざと=阜
 Γγ ガンマ   Οο オミクロン
 カギ     円・丸・玉  
 Δδ デルタ   Ππ パイ・・・(冂=ケイ・キョウ)
 △=三角形     丌(キ・ゴ)・・・禿(はげ)
           足のついた台・机
           異体字「丌 基 其」
 Εε エプシロン Ρρ ロー・・・フライパン・柄杓
 Ζζ ゼータ   Σσς シグマ・・・死熊
 乙(おつ・イツ)
 Ηη イータ   Ττ タウ・・・丅(下)・丁(テイ・チヨウ)
 Θθ シータ   Υυ ウプシロン
 日=太陽      丫=ア・二股・あげ巻
 Ιι イオタ    Φφ ファイ
 棒(ぼう)    中(なか・チュウ)     
 Κκ カッパ   Χχ カイ・・・カイ⇔乂・乄
  河童
 Λλ ラムダ   Ψψ プシー・・・三又
 入(はいる・ニュウ)
 Μμ ミュー   Ωω オメガ
 山合の峠・谷    お尻
 ↓↑ ↓↑
    TEN=中毒性表皮壊死症(Toxic epidermal necrolysis)
    ten=テヌート(tenuto)の省略形
       音楽記号の1つ
    アーティキュレーション(articulation)
      節目・関節
      音節で 
      音符の長さを十分に保って演奏すること・・・?
      音楽の演奏技法で
      音の形を整え
      音と音のつながりに
      様々な強弱や表情をつけ
      旋律などを区分すること・・・
 ↓↑ ↓↑
    カイ⇔乂(ガイ・ゲ・刈る)
       乄(しめる・〆る)
       メ(め)
    ↓↑
 「貝(かい・バイ)=目+人=女の人
          =乜の人=米の人・・・米人?」
         乜=やぶにらみ・メ・バ=斜視
           セ
           せ=兄・夫・背・恋人・愛人
             あなた・あんた
             女性が
             背中を向けている
             愛人に呼びかけるコトバ?
            「さ・し・す・セ・そ」+む
                   施    務?
                   是    務?
 ↓↑
 㛏(?・キュウ・グ)=女+求
    女が求む 
 ・・・女が救済(救い済ます・澄ます・清ます・棲ます)
 あづま=吾㛏
 山口県・東姓あり
 山口県柳井市伊陸宗兼に分布あり
 by (日本姓氏語源辞典)
 ↓↑
 𡢽(おんな)
 嫐・嬲(なぶる)
 嬶(かかぁ)
 婆(ばぁばぁ)
 姥(うば)=乳母(うば)
 ↓↑
 「男女」は差別ではなく、「区別」される存在である
 現今、
 「男の暴力」
 は
 「女の握る拳銃の引き鉄を挽く人差し指の力」
 には
 及ばないし
 「授乳の乳の大きさ」
 にも
 及ばない
 「男」は
 「生きていく為」の
 「知識」と「智慧」と「行動力」にも
 「女」
 には及ばない・・・
 元々、「胎生」の生み出す機能性がない・・・
 歴史的に
 「男女を差別」し、
 「男の暴力」で「自分の立場」を守らせたのは
 「家族の頂点」に立った「母」であり、「ばぁばぁ」であるカナ
 どうやら
 「オトコ」は「オンナ」の操りモノだった・・・
 いや、イヤ・・・元々、相互依存関係だった・・・?
 アリアさんの朗読を聴いたョ・・・
 「新三郎母子・山本周五郎」・・・
 「武士道」とは
 「協同体と他人に迷惑かけない」ってコト・・・
 「武士の死」はソレを前提にした覚悟であるカナ・・・
 ヤマモトの爺ちゃん、五十六とは違うワッ・・・
 ↓↑
 1940年~1950年の世界情勢の中の
     「アジア(亜細亜)・Asia」・・・極東
 2010年~2020年の世界情勢の中の
     「アジア(亜細亜)・Asia」・・・極東
 ↓↑    ↓↑

     アジア=日が昇る地方
         アス(asu ・東)
      ↓↑
     アナトリア半島
 アッシリア(Assyria・小亜細亜)
     メソポタミア(米所並大迷亜)
     地中海東岸地域=アジア=中央亜細亜
     アルメニア(亜美尼亜)
      ↓↑
     ヨーロッパ=日が沈む地方=西欧
      エレブ(ereb ・西)
      ↓↑
     アジアの語源
     アッカド語の「アス」 asu (太陽が)昇る

 ↓↑
 を「こじき」に「字音」、「字義」を重ねると・・・?
 ↓↑
 故其・・・故=古+攵
        十+口+𠂉+乂(ガイ・ゲ・刈る)
             乂⇔交叉・夾・重ねる
             ✕=Ⅹ=カイ・エックス
        㐅=ゴ・いつ・つ=五=𠄡=メ・㐅
        𠂉=髪挿し・櫛(くし)・・・串・釧
          笄・楴
          兂
          鈿・釵
          カミさし
          髪差し=額の髪の生え際
      其=𠀪+ノ=𠀫+丶
        井+二(𠄠)・・・并+二(𠄠)
        卄(〹)+=+一+ハ
        共+二(𠄠)
        廾+二(𠄠)+一+ハ
        二(𠄠)+丨+丨+二+ハ
 ↓↑
 天忍日命・・・アマのシノビの見事
 此者
 大伴連・・・大伴(天)連?
 等之祖・・・示す且(ソ・シャ・ショ・かつ・かりに)
       俎=人+人+且
      「かさねる」の意の会意兼形声文字
        組=繊維を重ねてくむ
        俎=ものを重ねて切る・俎板(まないた)
        祖=世代を重ねる
        阻=土塁を重ねて「はばむ」
 天津・・・大陸中国の「天津」・・・甘栗?
               ・隋王朝王城に流れる川名
 久米命・・・「究・求・給」の米国の見事
          亜米利加の援助供給
 此者
 久米直・・・「究・求・給」の米国に捗?・・・進捗
 等之祖也
 於是詔之
 「此地者
  向
  韓國・・・韓国に向く⇔九州?
    ・・・唐崎
       長崎県 対馬市
       豊玉町 佐保
       唐崎=青銅器を出土した遺跡場所

       ↓↑
       對馬=対馬
       北緯34度25分
       東経129度20分
       北端
       北緯34度42分
       南端
       北緯34度5分
       東端
       東経129度30分
       西端
       東経129度10分
       6つの有人島
      (海栗島=うにしま
       泊島・赤島
       沖ノ島・島山島)
       102の無人島
       ↓↑
       唐崎=山口県長門市(油谷湾東)
       伊上と長門粟野の中間
        東に夷島
          西に観音崎
       ↓↑
       唐崎=滋賀県
          大津市の町名
          琵琶湖を挟んだ
          草津市
          下笠の対岸
       ↓↑
       呉市・・・・・呉軍港
       北緯34度14分
       東経132度33分
       ↓↑
       唐崎
       ↓↑
       長門市
       北緯34度22分
       東経131度10分
       ↓↑
       向津具半島(むかつくはんとう)
       北緯34度24分
       東経131度02分
      「むかつく」地名由来・・・?
       胸焼けや、吐き気をもよおす
       立腹する・癪(シャク)に障る
          気に食わない・癇(カン)に障る
       ↓↑
      「向国(むかつくに)」
      「向津(むこうつ)」
       とよばれた
       ↓↑       
       山口県北西部
       昔の
       油谷町
       日置町域
       長門市から
       本州最西北端の地
       川尻岬に達する
       ↓↑
       油谷町
       山口県
       大津郡
       油谷町
       新別名964番地
       北緯34度22分
       東経131度03分33秒
       ↓↑
       油谷島
       山口県
       長門市
       油谷
       向津具下
       ↓↑
       日置町
       山口県
       大津郡
       日置町
       大字
       日置上5926番地
       北緯34度23分
       東経131度06分
       ↓↑
       人丸駅(ひとまるえき)
       旧 油谷町の中心部
       山口県長門市
       油谷新別名字上江
       北緯34度22分
       東経131度3分
       ↓↑
       伊上駅(いがみえき)
       山口県長門市
       油谷
       伊上
       字西前
       北緯34度22分
       東経131度0分40.62秒
       ↓↑
       長門古市駅(ながとふるいちえき)
       山口県
       長門市
       日置上(へきかみ)
       字五反田
       北緯34度23分
       東経131度6分
  ↓↑     ↓↑
  眞來通・・・新規通・真紀通?
  笠紗之 御前而・・・鹿児島・呉戦時・午前時
            笠=竹+立=筑紫
            紗=糸+少=怡土の素区名市
                  博多
  ↓↑
  朝日之 直刺國・・・日向(宮崎)
  夕日之 日照國也。・・・呉
 故
 此地 甚吉地」・・・甚大・破那波多強基地?
           儘危地?
 詔 而
 於
 底津石根・・・艇身    隻 混
        綴秦(新) 籍 混
 宮柱
 布斗斯理・・・府都使吏
 於
 高・・・・・・高麗(こま)・高句麗・満州
 天原
 氷椽・・・氷=こおり・ヒョウ・・・彪(とら)
      椽=木+彖
        たるき=垂木・棰・椽・榱・架
        屋根を支えるため
        棟から軒先に渡す長い木材
        はえき・たりき
      椽頬=エンガワ(engawa)=縁側
      椽側=えんがわ
      椽鼻=たるきばな
    彖(タン)=ぶたが走る・いのししが走る
            易の各卦の意味の総論
      㑰=イ+彖=疲れる・難しい・困難
 多迦斯理 而・・・たかしり じ
 坐也。
 ↓↑
 故 爾
 詔
 天 宇受賣命
 「此立御前所仕奉
  猨田毘古大神者
  專
  所顯
  申・・・さる・もうす・シン
  之
  汝・・・ナンジ
  送奉。
  亦
  其神御名者
  汝
  負
  仕奉」
 是以
 猨 女 君等・・・さる おんな 訓に等
              援  助
             佐瑠  音名  
 負
 其
 猨田毘古
 之
 男神名 而
 女呼
 猨女 君・・・サル 音名 訓
 之 事是也。・・・・使詞史死 ジ 是 也

 ↓↑
 故 其
 猨田毘古神
 坐 阿邪訶
 (此三字以音、地名)
 時、爲 漁 而、
 於
 比良夫貝・・・比べる良い夫の貝(かい・バイ)
             夫=二+人 二枚貝
 (自 比至夫 以音)
 其
 手 見咋合 而・・・手を見咋(実喰ら)合(あわし)
 沈溺 海鹽。
 故其
 沈居底之時名
 謂
 底度久 御魂・・・テイとく=提督・綴讀
 (度久 二字 以音)
 其
 海水 之 都夫多都 時名
 謂
 都夫多都 御魂
 (自 都下四字 以音)
 其
 阿和 佐久 時名・・・粟=西(欧)+米(國)
              裂く・策・割く
              事盟
 謂
 阿和 佐久 御魂・・・御魂⇔怨恨
 (自 阿至久 以音)。
 ↓↑
 於
 是送
 猨田毘古神 而 還到・・・循環 到達
 乃
 悉 追聚・・・聚=取+乑(おおい・ギン・ハン・シュウ)
          耳+又+乑(並び立つ・すがる・よじる)
 鰭 廣物・・・鰭=魚+老+日=はた=秦・葉多・幡多・旗
        平生もの
 鰭 狹物・・・鰭(ひれ)の狭い魚
        妹者(せもの)
 以
 問言
 「汝者 天神 御子 仕奉 耶」
 之時
 諸魚皆「仕奉」
 白之中
 海鼠 不白。・・・海の鼠(ネズミ)=なまこ=名真故
 爾
 天 宇受 賣命
 謂
 海鼠
 云
 「此口乎、不答之口」 而
 以
 紐小刀 拆 其口
 故
 於
 今
 海鼠 口拆 也。
 是以
 御世
 嶋 之 速贄獻 之時
 給
 猨 女 君等 也。・・・サル オンナ 訓 等しく
  ↓↑
 「2017-11-19」参照 ・・・
 「mbnekok1.jpg」「mbnekok2.jpg」「mbnekok7.jpg」

ーーーーー
 ???・・・宇受女=猨女=申女=上海の女・・・?
 大陸中国自然災害甚大なのに
 独裁化、人権弾圧・・・ultra egoist・・・集菌併?
 「モウたくさん」の贋作プロパガンダ・・・
 ↓↑
 上海=申=扈
 中国戦国時代
 「春申君」の支配地(封建地)・・・
 ↓↑
 姓 黄
 諱 歇(アツ・ケチ・ケツ・コチ・カツ)
     つきる・やすむ・やめる・やむ
     ・・・蠍=虫+歇=さそり=蝎・scorpion
 戦国四君の一人
 楚の
 「考烈王」を擁立
 楚を立て直した・・・
 最後は「老いぼれのアワレな末路」
 ↓↑
 対照的である
 「清濁・善悪」
 などの区別が明らかなことに譬えられる
  ↓↑
 「昭黄歇(春申君)」
 は
 紀元前274年
 楚の君主
 「頃襄王(ケイジョウオウ)」
   頃=匕+頁
     頃(ころ)・頃(かたあし)・頃(しばらく)
  在位紀元前298年~紀元前263年)
 姓 羋
 氏 熊・・・くま・ユウ
 諱 横・・・よこしま・オウ
 懐王の子」
 の命を受けて
 秦に使者とし派遣された
 ↓↑
 秦は韓・魏を従えて
 楚を攻めようとしており
 「黄歇」は
 秦の
 「昭襄王」・・・昭=日+召
         襄
         高い
         のぼる・高所にあがる
         払う・払いのける・のぞく・とりのぞく
         あがる・あげる・もちあげる
         変える・変わる・移り変わる
         宋襄之仁=無用な情けをかけて痛手を負う
         襄(たかい)・襄(のぼる)・襄(はらう)
 に上書し
 「強国である
  秦と楚が争っても
  互いに傷つき
  弱い
  韓・魏を利するだけ」
 と説き
 秦の
 「昭襄王」
 はこれを認め
 「楚」と和平することにした
  ↓↑
 「楚」の
 「頃襄王」
 は
 太子
 「完(考烈王)」
 を秦に人質とし
 「黄歇」
 はその侍従として
 秦に入った
 ↓↑
 紀元前264年
 「楚」の
 「頃襄王」
 が病に倒れた
 ↓↑
 「黄歇」
 は
 秦の宰相
 「范雎」を説いて
 太子「完」
 の帰国を願った
 「秦」の
 「昭襄王」
 は
 「黄歇」を帰国させようとしたが
 「黄歇」は
 太子
 「完」
 を密かに
 楚へと帰国させ
 自らは
 秦に残った
 「昭襄王」
 は激怒したが
 代わりに
 太子「完」の弟
 公子「顛(昌文君)」
 を人質に獲り
 「黄歇」は楚へと帰国
 3カ月後に
 太子「完」が
 「楚王(考烈王)」
 として即位
  ↓↑
 「黄歇」は
 「考烈王」より
 「令尹」に任じられ
 淮北(淮河の北)の12県を与えられ
 「春申君」
 と号し
 「春申君」
 は食客を3千人集め
 上客は
 全て珠で飾った履を履いていた・・・
 客の中に
 「荀子」もおり
 蘭陵県の令(長官)とした
 ↓↑
 紀元前258年
 「趙」の首都
 「邯鄲」が
 秦によって包囲
 「平原君」
 が救援使者として来
 「春申君」
 はこれに応えて兵を出し
 秦は邯鄲の包囲を解いて撤退
 ↓↑
 紀元前248年
 斉に接する「淮北」を
 直轄の郡にすることを
 「考烈王」
 に言上
 「淮北」の代わりに
 「江東」を貰い
 かつての
 呉の城を自らの居城とした
 後、軍勢を動員して
 「魯」を滅ぼした
 ↓↑
 紀元前241年
 楚・趙・魏・韓・燕
 の
 「合従軍」を率いて
 秦を攻めたが
 「函谷関の戦い」で敗退
 「考烈王」
 は
 「春申君」を疎んじる
 「春申君」
 の提言で
 楚は「寿春」へ遷都
 ↓↑
 最期
 「春申君」の食客
 趙の人
 「李園」は
 妹の
 「李環」
 が美人で
 「考烈王」
 に献上し
 出世しようと企んでいた
 「春申君」
 は
 「李環」を寵愛し
 「春申君」の子を妊娠し
 「李園」は
 「考烈王」
 に嗣子がないことに付け込んで
 「春申君」に
 「李環」を
 「考烈王」に献上し
 腹の中の子を
 「考烈王」の子として
 次代の楚王にすれば
 楚を手に入れることができると唆した
 「春申君」は
 「考烈王」に
 「李環」を献上し
 彼女は王后となり
 「李園」は要職についた
 ↓↑
 後
 李園は露見を恐れ
 「春申君」の暗殺企て
 「春申君」の食客の
 「朱英」はそれに気づき
 「李園」
 の排除を
 「春申君」に忠告した
 「春申君」これを無視
 身の危険を感じた
 「朱英」は逃亡
 ↓↑
 紀元前238年
 「考烈王」病死
 葬儀に向かう
 「春申君」
 は棘門(城門)で
 待ち伏せていた李園の刺客に
 従者もろとも殺害され
 城外にその首は捨てられ
 一族郎党皆殺しとなった
  ↓↑
 「李園」の妹
 「李環」が産んだ子が即位し
 「幽王」
 となった
  ↓↑
 「幽王」
 在位10年目
 紀元前228年
 死亡
 「幽王」の同母弟
 「哀王」
 が継ぐが在位2カ月目で
 庶兄の
 「負芻」
 殺された
  ↓↑
 「司馬遷」
 の批評
 『史記(春申君列伝)』
 「春申君」
 の最期を
 「李園ごときに翻弄されたときは
  彼は老いぼれていた」
 「当に断ずべくして断ぜざれば
  返りて其の乱を招く
 (決断すべきときに決断しないと
  逆に災難をこうむる)」
 ↓↑
 by 「ウィキペディア(Wikipedia)」

ーー↓↑ーー
 「申(さる・もうす・シン・シェン)=上海」
 「滬(コ)=滬瀆(コトク)=上海」
 「滬瀆(コトク)」
     滬=氵+扈
         扈(したがう)・扈従
   扈(つきそう)
   扈(はびこる)・跋扈
   扈(ひろい)
  ↓↑
 上海市の北東を流れる
 「呉淞江(蘇州河)」・・・ヨミガエリのクニのカワ?
              なりすましジポン?
              はいのりジポン?
  の下流部分の呼称
  上海市の北東を流れる
 「呉淞江(蘇州河)」
 の下流部分の呼称
  ↓↑
 「長江」河口南岸に位置
 河口島である
  崇明島
  長興島
 「横沙島」・・・横のスナのシマ?
 などを含む
 北部~東部
 江蘇省
 西南部
 「浙江省」と接する
 東は東シナ海(東海)に面する
 長江の支流
 黄浦江を遡ったところ
 黄浦江の河口は
 「呉淞口」・・・「呉の淞(ショウ・ シュ)の口」?
 と称した港があり
 「崇明島」
 などの島や市外への
 航行に用いられている
 ↓↑
 上海
 金山区・・・金サンク
 郊区
 石化街道・・・石を化す・・・磐の余り=神武
 楓涇鎮・・・・カエデの・・・替えて出す
        河川の水がまっすぐに
        流れ通るように鎮める・・・?
        涇=氵+巠=水脈
        巠=一+巛+工
            曲がった川を一直にする
       「涇水と渭水」
        中国陝西 (センセイ) 省を流れる川
        涇水は常に濁り
        渭水は常に澄む
        二つの川の合流地点では
        その清濁が対照的で
       「涇渭」=「清濁・善悪」
        などの区別が明らかなことに
        譬えられる熟語
 朱涇鎮・亭林鎮・漕涇鎮
 山陽鎮・・・山陽=日本の瀬戸内海中国地方
 金山衛鎮・・・カネのサン
 張堰鎮・・・張(はり)の
       堰(せき・エン・堤=つつみ・堤防)
 廊下鎮・・・廊下(ろうか)
       ・・・老化の狼火を鎮める
 呂巷鎮・・・呂(せぼね)の巷(ちまた)
ーー↓↑ーー
 『列女伝』
 中国の前漢の
 「劉向」によって撰せられ
 女性の史伝を集めた歴史書
 七篇構成
 後
 本文の七篇を上下に分け
 「劉歆」の撰と伝わる
 頌一巻を加えた十五巻構成
 「曹大家(班昭)の註」が加えられた
 現行本は南宋の
 「蔡驥」による再編本
 原著の七巻に
 頌文を分かち加え
 『続列女伝』
 を加えた八巻構成
 漢の「班昭・馬融」
 呉の「虞韙」の妻の「趙氏」
 東晋の「綦毋邃」らによる註があったが、散逸
 ↓↑
 現存の注釈
 清の
 「王照円」の『古列女伝補注』
 「顧広圻」の『古列女伝考証』
 「梁 端」の『列女伝校注』
 ↓↑
 日本
 江戸時代
 『本朝列女伝』
 『本朝女鑑』
 「北村季吟」の
 「劉向」の『列女伝』を日本語訳した
 『仮名 列女伝』
 明治
 「松本万年」の注釈・・・松の本の万(萬)の年の注の釈
 『参訂 劉向 列女伝』がある
 ↓↑
 母儀伝
 賢明伝
 仁智伝
 貞順伝
 節義伝
 弁通伝
 孽嬖伝
 続列女伝
ーー↓↑ーー
 浙江財閥
 「宋嘉澍(チャーリー宋)」
 の
 「三姉妹」
 ↓↑
 宋 靄齢(ソン・アイリン)
 1889年7月15日
 ~
 1973年10月19日
      大運1967年4月(77歳)己卯正官
 己┏丑(癸辛己)正官・劫財衰⇔癸丑劫財
  冲己正官
 辛┗未(丁乙己)印綬・正財養⇔壬戌比肩
 壬 辰(乙癸戊)  ・傷官墓⇔戊子偏官
 丙 午(丙 丁)偏財・偏財胎⇔戊午偏官
   午未空亡
 ↓↑
 清国
 上海県で誕生
 父は
 「孫文」の支援者
 「浙江財閥」の創始者
 「宋嘉澍(チャーリー宋)」
 母は
 「倪桂珍」
 妹
 「宋慶齢」
 「宋美齢」
 ↓↑
 「宋靄齢は金を愛し
  宋美齢は権力を愛し
  宋慶齢は国を愛した」
 ↓↑
 蔣介石の姪孫
 「蔣孝鎮」は
 「戴笠」に対して
 「委座(蔣介石)の病気は
  宋(宋美齢)だけが治せる
  夫人(宋美齢)の病気は
  孔(宋靄齢)だけが治せる
  しかし
  孔の病気(孔家の腐敗体質)
  は誰にも治せない」と語った・・・
 ↓↑
 「孫文」の秘書
 1914年
 横浜で
 国民政府財政部長
 「孔祥熙」
 と結婚
ー↓↑ー
 宋 美齢(ソン・メイリン)
 1898年3月4日?
 1898年2月12日?
 1901年・・・などの諸説
 ~
 2003年10月23日
        1997年8月(99歳)甲辰偏印
 戊戌(辛丁戊)食神・食神 墓⇔癸未正官
 甲寅(己丙甲)偏印・偏印長生⇔壬戌偏官
 丙寅(己丙甲)  ・偏印長生⇔己巳傷官
 甲午(丙 丁)偏印・劫財帝旺⇔庚午偏財
  戌亥空亡
 ↓↑
     大運1990年11月(92歳)甲辰偏印
 戊┏戌(辛丁戊)食神・正財 墓⇔癸未正官
  三合丙比肩
 甲┣寅(己丙甲)偏印・比肩長生⇔壬戌偏官
  三合丙比肩
 丙┗午(丙 丁)  ・比肩帝旺⇔己巳傷官
  三合丙比肩
 甲┗午(丙 丁)偏印・比肩帝旺⇔庚午偏財
  寅卯空亡
 ↓↑
 中華民国
 「蔣介石」の妻
 輔仁大学理事長
 中国国民党中央委員会委員
 中国国民党航空委員会秘書長
 Madame Chiang Kai-shek
ー↓↑ー
 宋 慶齢(ソン・チンリン)
 1893年1月27日
 ~
 1981年5月29日
      大運1980年5月(87歳)甲辰比肩
 壬 辰(乙癸戊)偏印・偏財 衰⇔辛酉正官
 癸┏丑(癸辛己)印綬・正財冠帯⇔癸巳印綬
 甲┗子(壬 癸)  ・印綬沐浴⇔丁未傷官
 庚┗午(丙 丁)偏官・傷官 死⇔丙午食神
   戌亥空亡
 ↓↑
 中華民国
 中華人民共和国
 中華人民共和国副主席
 中華人民共和国名誉主席
 「孫文」の妻
 「孫文」が
 「宋慶齡」より26歳年長
 前妻の
 「盧慕貞」・・・盧 慕貞
           (貞観)
         鸕野讃良?
 との間に子女
 「孫文」
 との離婚が成立後
 「宋 慶齢」と結婚
 ↓↑
 姉 宋 靄齢
   宋 慶齢
 妹 宋 美齢
 「宋氏(家)三姉妹」
ー↓↑ー
 宋慶齢
 「孫文」逝去後
 1926年1月
 中国国民党中央執行委員就任
 1927年
 「蔣介石」
 指導の南京政府が
 上海で
 「四・十二事変」
 中国共産党との関係の見直し
 「宋慶齢」
 は
 「孫文」の
 「聯俄容共
 (ソ連と協力、共産党容認)」
 政策を堅持
 「上海クーデター」を非難
 「蔣介石」や宋一族と対立し
 「汪兆銘」
 の
 「武漢政府」に身を寄せるた
 7月
 「宋慶齢」は
 「孫文の
  革命原則と
  政策違反に
  抗議するための声明」を発表
 「蔣介石」派と決別
 7月15日
 「汪兆銘」
 も共産党に対する大規模粛清
 8月
 ソ連に逃避したが
 「スターリン」
 の
 反対派粛清
 中国革命軽視
 に幻滅失望
 中山陵
 (南京郊外紫金山の孫文墓所)
 完成式典に帰国
 1929年
 国民党脱退
 ↓↑
 香港に居住し
 日本との戦争状態の中国で
 共産党との対立を
 回避・協力して
 「抗日戦」をするべきという
 「張学良」により
 1936年
 「西安事件」
 「宋慶齢」も
 「国共合作」を提唱し
 第二次国共合作成立
 「国共合作成立」後
 国民党への再加入は見送ったが
 「宋家の三姉妹」は
 「抗日統一戦線の象徴」となった
 1948年1月
 国民党革命委員会
 第一次代表大会で
 「宋慶齢」を
 名誉主席に選出
 ↓↑
 中華人民共和国成立
 首脳
 張聞天
 毛沢東
 宋慶齢
 周恩来
 陳毅
 ↓↑
 1949年
 国共内戦終結
 台湾撤退の
 「蔣介石・宋美齡」
 と行動を別にし
 中国大陸に残留
 「中華人民共和国成立」後
 中央人民政府副主席
 中華全国婦女連合会
 第2期名誉主席
 1950年代
 インド・パキスタン
 ビルマ・インドネシア
 を歴訪
 国母・孫文夫人だったが
 政治的実権は無く
 婦女の
 保健衛生
 文化教育活動
 に尽力
 1951年
 スターリン平和賞受賞し
 この賞金で
 上海婦幼保健院を建設
 1954年9月
 全国人民代表大会成立
 全国人民代表大会常務委員会
 第一副委員長
 に選出
 1959年4月
 国家副主席に就任
 ↓↑
 文化大革命
 「江青」の
 上海造反派は
 宋家を資産階級と批判
 「宋慶齢」が
 「蔣介石」の義姉であり
 「蔣匪」批判された
 父母の墳墓が破壊され
 攻撃されたが
 「毛沢東」が
 「文革保護対象名簿」
 の第一位として保護された・・・
 ↓↑
 1968年10月31日
 「文化大革命」
 国家主席の
 「劉少奇」が打倒され
 「宋慶齢」
 は
 「董必武」
 とともに
 国家副主席として
 国家主席の職務を代行
 1972年2月24日まで
 後は
 「董必武」
 が単独で国家主席代理として
 1975年1月17日まで務めた
 1975年1月
 憲法改正
 国家副主席の職廃止
 再び
 全人代常務委員会副委員長
 1976年7月6日
 全人代常務委員長
 「朱徳」が死没
 1978年3月5日まで
 常務委員会
 第一副委員長
 委員長の職権を代行
 1975年1月~1983年6月
 全人代常務委員会が
 国家元首の権能を果たし
 「宋慶齢」
 は
 全人代常務委員長代行
 中華人民共和国
 国家元首格
 ↓↑
 1981年5月15日
 「宋慶齢」
 を共産党正式党員に承認
 「中華人民共和国名誉主席」
 の称号を授与
 「劉少奇」未亡人の
 「王光美」
 が「恩返し」として
 「胡耀邦」
 に伝えて実現
 5月29日
 北京で88歳で死没
ーーーーー
 ・・・???・・・
ーーーーー
 十本足(脚・肢・趺)の
 烏賊(いか・squid)は飛ぶが
 八本足(脚・肢・趺)の
 蛸(たこ・octopus)は飛ばない
 devil fish・devilfish
 sea devil
 ↓↑
 鶏(鷄・雞・Chicken・fowl)
 hen(雌鶏)・rooster(雄鶏・cock)
 ↓↑
 鶏が卵を生んだ=A hen laid an egg.
 ↓↑
 自動詞
 横たわる=lie -lay - lain - lying
      ライ-レイ-レイン-ライング
 自動詞
 嘘をつ=lie - lied - lied - lying
     ライ-ライド-ライド-ライング
 他動詞
 ・・・を横にする・置く
     lay - laid - laid - laying
     レイ- レイド-レイド-レイイング
 他動詞
 卵を生む=lay - laid - laid - laying
      レイ- レイド-レイド-レイイング
 鶏が卵を生んだ=A hen laid an egg.
 ↓↑
 鶏(鷄・雞・Chicken・fowl)
 と
 駝鳥(オストリッチ・オーストリッチ
    ostrich・camel bird)
        キャメ ルバード
 は飛べない
 ↓↑
 凧を揚げる
 Tako o ageru
 Fly a kite
 to fly a kite
 kite flying
 ↓↑
 In 1752,
 Benjamin Franklin flew a kite
  in a lightning storm
  to prove the electrification
   of thunderclouds.
 ↓↑
 to be to be ten made to be
 飛べ飛べ 天 まで 飛べ
 ↓↑
 たこたこあがれ 風よくうけて
 雲まであがれ 天まであがれ
 ↓↑
 絵凧に字凧 どちらも負けず
 雲まであがれ 天まであがれ
 ↓↑
 あれあれさがる 引け引け糸を
 あれあれあがる 離すな糸を
 ↓↑
 天婦羅=天麩羅=テンプラ=天の婦の國
 to fry tempura
 ポルトガル語
 「テンポーラ(temporas)」
 四季に行う斎日=食肉禁止、
         葉物の揚げ物を食べあた
 スペイン語
 「テンペロ(templo)」
 「天上の日=鳥獣の肉食禁止
       魚肉の揚げ物を食べる日)」
 ↓↑
 浮揚
 Levitation
 float
 flotage.
 levitate.
 ↓↑
 上昇
 jump・rise・climb up
 rise・soar・climb
 move up
 move higher
 go up
 grow
 ↓↑
 たこ、たこ、あがれ・・・凧、凧、上がれ
 てんまで、あがれ・・・・天迄、上がれ
 ↓↑
 「蛸(たこ)=章魚・多古・多胡・胼胝」
 の「凌ぎ」・・・自分の足を食べて凌ぎ・・・再生
 ↓↑
 蛸=盗賊ガ他人ノ邸宅ヲ侵スニ際シ
   其使用スル縄梯子
   侵入するための縄梯子
 蛸=乞食ノコトヲ云フ
   「山窩(さんか)ニ同意
   ・乞食・「さんか」に同じ
 ↓↑
 サガをミて、探してみて・・・
 サ、カミに、カミて、フキ、ト、バ、ス・・・
 性(さが)・・・性分・・・本性・・・本抄・本章・本証・・・?
 ↓↑
 「古事記」原文
 「天照大神」と「須佐之男命」の「うけい(宇氣比)」
 ・・・国家間の契約を破棄、無効として
    狼藉三昧の「S某国 president」・・・
    WPNK,。CPP、RF・・・USA too・・・
 ↓↑
 伊都(二字以音)
 之
 男
 建(訓建云多祁)
 夫蹈建・・・ふみたて
 而
 待問
 「何故上來」
 ↓↑
 爾
 速須佐之男命
 答白
 「僕者 無邪心
  唯 大御神之命
  以
  問
  賜
  僕之哭
  伊佐知流之事。
  故
  白
  都良久(三字以音)
  僕欲
  往
  妣國
  以哭。
  爾
  大御神詔
  汝者
  不可在此國而、
  神夜良比夜良比賜。
  故
  以爲請
  將罷往之狀
  參上耳。
  無異心」
 爾
 天照大御神詔
 「然者
  汝心之淸明、何以知」
 於是
 速須佐之男命
 答白
 「各 宇氣比(うけひ)
  而
  生子」
 (自宇以下三字以音、下效此)。
 ↓↑
 故爾
 各中置
 天安河而
 宇氣布時
 天照大御神
 先乞度
 建速須佐之男命
 所
 佩十拳劒
 打折三段而
 奴那登母母由良邇
 (此八字以音、下效)
 此振滌
 天之眞名井而
 佐賀美邇迦美 而・・・サガミにカミ ジ
 (自佐下六字以音、下效此)
 於
 吹棄氣・・・ふきイキ
 吹之狹霧・・ふきこのサギリ
 所成神御名
 多紀理毘賣命・・・タキリびめ
 (此神名以音)
 亦御名
 謂
 奧津嶋比賣命。
 次
 市寸嶋上比賣命
 亦御名
 謂
 狹依毘賣命。
 次
 多岐都比賣命。
 三柱
 (此神名以音)。
 ↓↑
 速須佐之男命
 乞度
 天照大御神
 所
 纒
 左御美豆良
 八尺
 勾璁
 之
 五百津
 之
 美須麻流珠而
 奴那登母母由良爾
 振滌
 天之眞名井而
 佐賀美邇迦美 而・・・サガミにカミ ジ
 於
 吹棄氣
 吹之狹霧
 所成神御名
 正勝
 吾勝勝
 速日天之忍穗耳命。
 亦
 乞度
 所纒
 右御美豆良之珠而
 佐賀美邇迦美 而・・・サガミにカミ ジ
 於
 吹棄氣
 吹之狹霧
 所成神御名
 天之
 菩卑能命・・・ぼひの
 (自菩下三字以音)。
 亦
 乞度
 所纒
 御𦆅之珠而
 佐賀美邇迦美 而・・・サガミにカミ ジ
 於
 吹棄氣
 吹之狹霧
 所成神御名
 天津日子根命。
 又
 乞度
 所纒
 左御手之珠而
 佐賀美邇迦美 而・・・サガミにカミ ジ
 於
 吹棄氣
 吹之狹霧
 所成神御名
 活津日子根命。
 亦
 乞度
 所纒
 右御手之珠而
 佐賀美邇迦美 而・・・サガミにカミ ジ
 於
 吹棄氣
 吹之狹霧
 所成神御名
 熊野久須毘命。
 (自久下三字以音)。
 幷五柱。
 ↓↑
 於是
 天照大御神
 告
 速須佐之男命
 「是
  後所
  生五柱男子者
  物實因我物所成
  故
  自吾子也。
  先所
  生之三柱女子者
  物實因
  汝物所成
  故
  乃 汝子也」
 如此 詔別 也。
 ↓↑
 故
 其先所生之神
 多紀理毘賣命者
 坐
 胸形之奧津宮。
 次
 市寸嶋比賣命者
 坐
 胸形之中津宮。
 次
 田寸津比賣命者
 坐
 胸形之邊津宮。
 此三柱神者
 胸形君等
 之以
 伊都久三前大神者也。
 故
 此後所生五柱子之中
 天菩比命
 之子
 建比良鳥命
 此
 出雲 國造
 无邪志國造
 上菟上國造
 下菟上國造
 伊自牟國造
 津嶋 縣直
 遠江 國造
 等之祖也、
 次
 天津日子根命者。
 凡川內 國造
 額田部 湯坐連
 茨木  國造
 倭田中 直
 山代  國造
 馬來田 國造
 道尻岐閇國造
 周芳  國造
 倭  淹知造
 高市  縣主
 蒲生  稻寸
 三枝  部造
 等之祖也。
ーーーーー
 ・・・???・・・
 ・・・「サガミにカミ ジ」・・・
 ↓↑
 移転したボクの「HP」の(中途半端な)目次
http://meisiki.bake-neko.net/kkmokuji.htm

 ボクの動画・YouTube
http://www.youtube.com/user/merikiri

 「プラトン古事記をカタル」は少しづつ移転
http://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/tag/%E3%82%B3%E3%82%B8%E3%82%AD%E3%81%AE%E6%96%87%E5%AD%97%E6%8E%A2%E7%B4%A2

 「プラトン古事記をカタル」+〈表紙・画像・音楽」
https://haa98940.wixsite.com/mysite

 本日の「干支歴」⇔移転したボクの「HP」に連係・連繋
http://meisiki.bake-neko.net/


旧「HP」の移転住所
http://meisiki.bake-neko.net/kkmokuji.htm

モウ君の総合目次(倉庫入り昔のぺ-ジです)では若干覗(覘)けるカモ・・・
http://web.archive.org/web/20090607215808/http://www1.odn.ne.jp:80/~haa98940/jyobun/jyobun.htm

 ・・・興味があるなら・・・ドウゾ・・・

 

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