山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)

英語教育、国際姉妹都市交流、ジョン・スタインベック、時事英語などの研究から趣味や日常の話題までいろいろと書き綴ります。

置かれた場所で花を咲かす

2011-04-01 01:23:34 | 日記
先日、勤務校のキャンパス内の溝の中にスミレの花が咲いているのを見つけました。

携帯電話で撮影しているので見づらいと思いますが、溝のコンクリートの割れ目から生えてきて花を咲かせているスミレが見えるでしょうか?

もし学内や近所の方で実物を見たい方は、新見公立大学・短期大学の校門を入る前の坂道の右側にある3号館入り口下の溝です。

おそらくこれから何日間かは花をつけているのが見られるかと思います。

僕は、先日新見公立短期大学卒業式+謝恩会に参加というタイトルのブログの中で「各自が置かれた場所で、それぞれの花を咲かせ、実をつけましょう」というメッセージを書きました。

このスミレの花こそ、まさに、僕が言いたかったことを体現しているものと思い、携帯電話で写真を撮ってしまいました。

この溝の割れ目から芽を出したスミレは、少し離れた土の部分から生えているスミレの仲間や他の植物を見て、周りに土もない、また大量の水が流れてきたら流されてしまう恐れのある溝の割れ目から自分は生えているということに対して、不運だったと感じたでしょうか。

自分がこのようなコンクリートの割れ目から生えていたら、花を咲かせ実をつけても子孫を残せるかどうかわからない、あるいは誰も見てくれない、チョウやハチなども気づいてくれないかも、などと自らの不運を嘆いたでしょうか。

スミレなどの植物が思考できるかどうかはわかりませんが(もちろん一般的には植物は思考できないと考えられていますが)、このスミレは、そのような外から見たら「不運な」境遇にも関わらず、見事に可憐な花を咲かせているのです。

数年前、よく「根性○○」などといって、道路のアスファルトの割れ目などから生えた植物をマスコミが紹介していたことがありましたが、このスミレもそんな感じかもしれません。

自己がたとえ、不運な境遇に置かれたとしても腐ることなく、努力して花を咲かす、学生や卒業生の皆さんにもそのようになってもらいたいと思いますし、自分自身もそのような生き方ができればと思います。

もちろん恵まれた環境に置かれたら、そのことをありがたく思って、一層大きな花を咲かせてもらいたいとも思います。

以上、年度の変り目に、ふと考えたことでした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする