先日は、ニューパルツの友人の少年時代のペンパルをさがす記事を書きましたが、(人探し←まだ見つかっていません)、今回は旧日本兵の遺族または関係者を探しているという記事です。
実は、姉妹都市ニューパルツに近い町Saugerties(ソーガティーズ)にある退役軍人会で旧日本兵が形見として身に付けていたと思われる2枚の日の丸を保管しているのですが、遺族または関係者に返還したいとの申し出が、ニューパルツで姉妹都市交流に関わり僕の友人でもあるAlfred Marksさん(ニューヨーク州立大学名誉教授、日本文学などを専攻、三島由紀夫の『禁色』と『愛の渇き』の英語翻訳者)を通じてありました。
これらの日の丸は、出兵時に身の回りの人に書いてもらった寄せ書きで身の回りの人たちの名前と共に「武運長久」や「必勝」などの文字も書かれています。
そのうちの1枚は「贈 小早川春義 君」と書かれ、持ち主は、小早川春義さんという方だったようです。また、寄せ書きの中に「徳島縣美馬郡岩倉村 松田善正」と読める文字が見られ、この松田善正さんという方を調べていけば何らかの手掛かりがつかめるかもしれないと想像できます。また、日の丸の持ち主、小早川さんも現在の徳島県美馬市辺りの出身だったのかもしれません。
これについては、美馬市役所の脇町支所に連絡を取り、担当者を訪ねましたが、今のところ情報は得られていません。
現在、卒業生の義理のお父様で徳島県議会議員を勤められている方や地元の新聞社に連絡をとっているところです。
もう1枚には、「贈 金子惣二 君」と書かれています。「昭和十九年七月二二日」の日付や「池貝自動車製造株式会社」の文字があり、この金子さんは池貝自動車製造株式会社に勤務されていたことが示唆されます。ただ、この会社の後継と思われる会社に問い合わせをしてみましたが、不調に終わり、次の手段を考えています。
2枚の日の丸の画像は、下記のAlfred MarksさんのPicasaウェブアルバムで見ることができます。
旧日本兵が持っていた日の丸の画像
この、2枚の日の丸、おそらく今の僕よりも若かったであろう旧日本兵の方たちの思い、それを見送った故郷の人たちの思いが込められたものだと思います。
何とか、遺族または関係者の手に返してあげたいと思います。
お読みのみなさんで、何か心当たりがある方は、どうぞ、ご連絡ください。
また、このブログ記事はどうぞご自由に転送してください。
実は、姉妹都市ニューパルツに近い町Saugerties(ソーガティーズ)にある退役軍人会で旧日本兵が形見として身に付けていたと思われる2枚の日の丸を保管しているのですが、遺族または関係者に返還したいとの申し出が、ニューパルツで姉妹都市交流に関わり僕の友人でもあるAlfred Marksさん(ニューヨーク州立大学名誉教授、日本文学などを専攻、三島由紀夫の『禁色』と『愛の渇き』の英語翻訳者)を通じてありました。
これらの日の丸は、出兵時に身の回りの人に書いてもらった寄せ書きで身の回りの人たちの名前と共に「武運長久」や「必勝」などの文字も書かれています。
そのうちの1枚は「贈 小早川春義 君」と書かれ、持ち主は、小早川春義さんという方だったようです。また、寄せ書きの中に「徳島縣美馬郡岩倉村 松田善正」と読める文字が見られ、この松田善正さんという方を調べていけば何らかの手掛かりがつかめるかもしれないと想像できます。また、日の丸の持ち主、小早川さんも現在の徳島県美馬市辺りの出身だったのかもしれません。
これについては、美馬市役所の脇町支所に連絡を取り、担当者を訪ねましたが、今のところ情報は得られていません。
現在、卒業生の義理のお父様で徳島県議会議員を勤められている方や地元の新聞社に連絡をとっているところです。
もう1枚には、「贈 金子惣二 君」と書かれています。「昭和十九年七月二二日」の日付や「池貝自動車製造株式会社」の文字があり、この金子さんは池貝自動車製造株式会社に勤務されていたことが示唆されます。ただ、この会社の後継と思われる会社に問い合わせをしてみましたが、不調に終わり、次の手段を考えています。
2枚の日の丸の画像は、下記のAlfred MarksさんのPicasaウェブアルバムで見ることができます。
旧日本兵が持っていた日の丸の画像
この、2枚の日の丸、おそらく今の僕よりも若かったであろう旧日本兵の方たちの思い、それを見送った故郷の人たちの思いが込められたものだと思います。
何とか、遺族または関係者の手に返してあげたいと思います。
お読みのみなさんで、何か心当たりがある方は、どうぞ、ご連絡ください。
また、このブログ記事はどうぞご自由に転送してください。