12月27日に山崎樹一郎監督の『新しき民』(2014)を観賞しました(勝山文化往来館ひしおで映画『新しき民』鑑賞(2014年12月27日)参照)。
その際、12月30日(火)にそれまでの山崎監督の3作品一挙公開上映が行われると知りました。
(『新しき民』ができるまでの全3作品一挙公開参照)
これも何かの縁、せっかくなので、3本とも見せてもらうことにしました。
ということで、この日も真庭市勝山のひしお文化往来館に。
まず1本目は、『紅葉』(2008)。
上映前に、山崎監督からの挨拶があり、「この映画は、地元の人と素人ばかりで作った映画である」こと、「この映画から始まった」ことを話されました。
最初の銀杏が紅葉するシーン、この映画のタイトルが表されていました。
その後、しばらくセリフがないシーンが続き、初対面の人が目の前にいるのだけど、何か話そうか、何を話そうか、などとしばらく気まずく感じているような感じでした。
映画の中には、東京でなくて地方でいいんだ、というメッセージが流れていました。
また、車の音、電動のこぎりの音、キリギリスの鳴き声、なども効果的に使われています。
また、ヒッチコック監督のように、山崎監督も自ら出演されていました。
2本目は、『ひかりのおと』(2011)。
これは、真庭の酪農家を描く作品です。
「ひかりのおと」というタイトル、英語タイトルは、The Sound of Lightとなっています。
その英語タイトルからは、アメリカの南部作家ウィリアム・フォークナー(William Faulkner, 1897-1962)のThe Sound and the Fury(1929)(『響きと怒り』)とLight in August(1932)(『八月の光』)を想起してしまうのは、私がアメリカ文学を研究しているからでしょうか。
そういえば、フォークナー文学も難解なことで知られています。
(大学院生の頃、上記のThe Sound and the Furyを読みましたが、難しかった…)
この映画にも、やはり地方対東京の問題が描かれていると思いました。
酪農家の跡取り問題、主人公たちの行き詰まり、映画を見ながらいろいろと考えさせられ、おそらく山崎監督の術中にまんまとはまった格好でしょう。
挿入歌の「青空」(作詞:みど、作曲:あやこ)がとてもよかったです。
この映画の予告編がYouTubeにありました。
映画『ひかりのおと』予告編
そして、3本目の映画は『つづきのヴォイス―山中一揆から現在―』(2013)でした。
これは、『新しき民』で描かれている山中一揆についての調査のドキュメンタリー映画で、山中一揆について研究している方々と、一揆に参加した人の末裔にあたる方へのインタビューがその中心となっています。
見る側の私の、山中一揆についての知識が乏しいため、一部難しいところもありましたが、1726年に起こった山中一揆が、約290年後にもこのように語り継がれていることに驚きを感じます。
話を聞きながら、僕が研究しているジョン・スタインベック(John Steinbeck, 1902-1968)のIn Dubious Battle(1936)(『疑わしき戦い』)をもう一度、読んでみたくなりました。
映画と映画の合間には、真庭の町並みの散歩もでき、年末の一日、ちょっとのんびり過ごすことができました。
その際、12月30日(火)にそれまでの山崎監督の3作品一挙公開上映が行われると知りました。
(『新しき民』ができるまでの全3作品一挙公開参照)
これも何かの縁、せっかくなので、3本とも見せてもらうことにしました。
ということで、この日も真庭市勝山のひしお文化往来館に。
まず1本目は、『紅葉』(2008)。
上映前に、山崎監督からの挨拶があり、「この映画は、地元の人と素人ばかりで作った映画である」こと、「この映画から始まった」ことを話されました。
最初の銀杏が紅葉するシーン、この映画のタイトルが表されていました。
その後、しばらくセリフがないシーンが続き、初対面の人が目の前にいるのだけど、何か話そうか、何を話そうか、などとしばらく気まずく感じているような感じでした。
映画の中には、東京でなくて地方でいいんだ、というメッセージが流れていました。
また、車の音、電動のこぎりの音、キリギリスの鳴き声、なども効果的に使われています。
また、ヒッチコック監督のように、山崎監督も自ら出演されていました。
2本目は、『ひかりのおと』(2011)。
これは、真庭の酪農家を描く作品です。
「ひかりのおと」というタイトル、英語タイトルは、The Sound of Lightとなっています。
その英語タイトルからは、アメリカの南部作家ウィリアム・フォークナー(William Faulkner, 1897-1962)のThe Sound and the Fury(1929)(『響きと怒り』)とLight in August(1932)(『八月の光』)を想起してしまうのは、私がアメリカ文学を研究しているからでしょうか。
そういえば、フォークナー文学も難解なことで知られています。
(大学院生の頃、上記のThe Sound and the Furyを読みましたが、難しかった…)
この映画にも、やはり地方対東京の問題が描かれていると思いました。
酪農家の跡取り問題、主人公たちの行き詰まり、映画を見ながらいろいろと考えさせられ、おそらく山崎監督の術中にまんまとはまった格好でしょう。
挿入歌の「青空」(作詞:みど、作曲:あやこ)がとてもよかったです。
この映画の予告編がYouTubeにありました。
映画『ひかりのおと』予告編
そして、3本目の映画は『つづきのヴォイス―山中一揆から現在―』(2013)でした。
これは、『新しき民』で描かれている山中一揆についての調査のドキュメンタリー映画で、山中一揆について研究している方々と、一揆に参加した人の末裔にあたる方へのインタビューがその中心となっています。
見る側の私の、山中一揆についての知識が乏しいため、一部難しいところもありましたが、1726年に起こった山中一揆が、約290年後にもこのように語り継がれていることに驚きを感じます。
話を聞きながら、僕が研究しているジョン・スタインベック(John Steinbeck, 1902-1968)のIn Dubious Battle(1936)(『疑わしき戦い』)をもう一度、読んでみたくなりました。
映画と映画の合間には、真庭の町並みの散歩もでき、年末の一日、ちょっとのんびり過ごすことができました。