先日、書いたように東日本大震災から10年を迎えるにあたり、寺田寅彦『天災と日本人 寺田寅彦随筆選』(角川ソフィア文庫)を読みました。
寺田寅彦「震災日記より」(大正十二年八月二十六日の日記より) - 山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)
この記事で、「地震当日のことは、また後日取り上げます」と書き、実は3月11日に関東大震災の日の寺田の日記を取り上げようと思っていましたが、すっかり時機を逃していました。
寺田寅彦は、関東大震災のあった1923(大正12)年9月1日(土)、「T君と喫茶店で紅茶を呑」んでいた時に地震が発生したようです。
(この時期の喫茶店がどんなだったかということにも興味があります)
地震発生時の寺田の記述は下記のようです。
話を聞いているうちに急激な地震を感じた。椅子に腰かけている両足の蹠(あしのうら)を下から木槌で急速に乱打するように感じた。たぶんその前に来たはずの弱い初期微動を気が付かずに直ちに主要動を感じたのだろうという気がして、それにしても妙に短週(周か?)期の振動だと思っているうちにいよいよ本当の主要動が急激に襲って来た。同時に、これは自分の全く経験のない異常な大地震であると知った。その瞬間に子供の時から何度となく母上に聞かされていた土佐の安政地震の話がありあり想い出され、ちょうど船に乗ったように、ゆたりゆたりと揺れると云う形容が適切である事を感じた。仰向いて会場の建築の揺れ工合(ぐあい)を注意して見ると四、五秒ほどと思われる長い週(周?)期でみしみしと音を立てながら緩やかに揺れていた。それを見たときにこれならこの建物は大丈夫だということが直感されたので恐ろしいという感じはすぐになくなってしまった。そうして、この珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精(くわ)しく観察しようと思って骨を折っていた。
主要動が始まってびっくりしてから数秒後に一時振動が衰え、この分では大した事もないと思う頃にもう一度急激な、最初にも増した烈しい波が来て、二度目にびっくりさせられたが、それからは次第に減衰して長週(周?)期の波ばかりになった。
僕の明治生まれの祖母大石みつ江(既に故人)は、この地震があった時には女学生で豆腐屋に下宿していたそうですが、豆腐を作る水をためる容器から水が波打って外にあふれていた様子を僕が子どもの頃に聞かせてもらったことを憶えています。
大正時代の英語の教科書を読む - 山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)
関東大震災から90年 - 山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)
また、この寺田の文に出てくる「土佐の安政地震」とは、1854年に発生した「安政南海地震」のことです。
この安政南海地震の約32時間前に安政東海地震が発生したそうです。
約167年前に起きたこの安政地震と同じメカニズムで南海トラフ地震が起こるとも言われています。
怖いですね。
この地震直後の寺田の日記の記述で興味深い点が二つあります。
一つ目は、
喫茶店の「ボーイがひどく丁寧に礼を云ったように記憶する」ということです。
先ほど書いたように、寺田はT君と喫茶店で紅茶を呑んでいた時に地震が発生したようですが、そのまま避難して紅茶代の支払いをせずに逃げたままにすることもできたわけですが、状況が落ち着いた後、ボーイを見つけて紅茶代を払った時の描写です。
地震などの大災害の後、おそらく人間も生物として周りの人と協力しなければと感じるのであろうからだと考えますが、周りの人に丁寧に接するようになるのは、大震災とは言わないまでも大きな地震や豪雨などの際に自分でも経験済みですが、そのことがしっかりと描かれています。
また、「異様な黴臭い匂いが鼻を突いた。空を仰ぐと下谷(したや)の方面からひどい土ほこりが飛んで来るのが見える。これは非常に多数の家屋が倒潰(とうかい)したのだと思った。同時に、これでは東京中が火になるかもしれないと直感された。」の描写もあります。
関東大震災の様子は、先ほど紹介したブログ記事にも書いたように『はいからさんが通る』やジブリ映画の『風立ちぬ』にも出てきます。
話題がそれましたが、寺田寅彦に話を戻すと、日本の科学技術の進歩は、日本に天災が多いからだと寺田が考えているところがとても興味深く思いました。
寺田寅彦、いろいろな随筆が残されています。
また読んでみたいと思います。
寺田寅彦「震災日記より」(大正十二年八月二十六日の日記より) - 山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)
この記事で、「地震当日のことは、また後日取り上げます」と書き、実は3月11日に関東大震災の日の寺田の日記を取り上げようと思っていましたが、すっかり時機を逃していました。
寺田寅彦は、関東大震災のあった1923(大正12)年9月1日(土)、「T君と喫茶店で紅茶を呑」んでいた時に地震が発生したようです。
(この時期の喫茶店がどんなだったかということにも興味があります)
地震発生時の寺田の記述は下記のようです。
話を聞いているうちに急激な地震を感じた。椅子に腰かけている両足の蹠(あしのうら)を下から木槌で急速に乱打するように感じた。たぶんその前に来たはずの弱い初期微動を気が付かずに直ちに主要動を感じたのだろうという気がして、それにしても妙に短週(周か?)期の振動だと思っているうちにいよいよ本当の主要動が急激に襲って来た。同時に、これは自分の全く経験のない異常な大地震であると知った。その瞬間に子供の時から何度となく母上に聞かされていた土佐の安政地震の話がありあり想い出され、ちょうど船に乗ったように、ゆたりゆたりと揺れると云う形容が適切である事を感じた。仰向いて会場の建築の揺れ工合(ぐあい)を注意して見ると四、五秒ほどと思われる長い週(周?)期でみしみしと音を立てながら緩やかに揺れていた。それを見たときにこれならこの建物は大丈夫だということが直感されたので恐ろしいという感じはすぐになくなってしまった。そうして、この珍しい強震の振動の経過を出来るだけ精(くわ)しく観察しようと思って骨を折っていた。
主要動が始まってびっくりしてから数秒後に一時振動が衰え、この分では大した事もないと思う頃にもう一度急激な、最初にも増した烈しい波が来て、二度目にびっくりさせられたが、それからは次第に減衰して長週(周?)期の波ばかりになった。
僕の明治生まれの祖母大石みつ江(既に故人)は、この地震があった時には女学生で豆腐屋に下宿していたそうですが、豆腐を作る水をためる容器から水が波打って外にあふれていた様子を僕が子どもの頃に聞かせてもらったことを憶えています。
大正時代の英語の教科書を読む - 山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)
関東大震災から90年 - 山内 圭のブログ(Kiyoshi Yamauchi's Blog)
また、この寺田の文に出てくる「土佐の安政地震」とは、1854年に発生した「安政南海地震」のことです。
この安政南海地震の約32時間前に安政東海地震が発生したそうです。
約167年前に起きたこの安政地震と同じメカニズムで南海トラフ地震が起こるとも言われています。
怖いですね。
この地震直後の寺田の日記の記述で興味深い点が二つあります。
一つ目は、
喫茶店の「ボーイがひどく丁寧に礼を云ったように記憶する」ということです。
先ほど書いたように、寺田はT君と喫茶店で紅茶を呑んでいた時に地震が発生したようですが、そのまま避難して紅茶代の支払いをせずに逃げたままにすることもできたわけですが、状況が落ち着いた後、ボーイを見つけて紅茶代を払った時の描写です。
地震などの大災害の後、おそらく人間も生物として周りの人と協力しなければと感じるのであろうからだと考えますが、周りの人に丁寧に接するようになるのは、大震災とは言わないまでも大きな地震や豪雨などの際に自分でも経験済みですが、そのことがしっかりと描かれています。
また、「異様な黴臭い匂いが鼻を突いた。空を仰ぐと下谷(したや)の方面からひどい土ほこりが飛んで来るのが見える。これは非常に多数の家屋が倒潰(とうかい)したのだと思った。同時に、これでは東京中が火になるかもしれないと直感された。」の描写もあります。
関東大震災の様子は、先ほど紹介したブログ記事にも書いたように『はいからさんが通る』やジブリ映画の『風立ちぬ』にも出てきます。
話題がそれましたが、寺田寅彦に話を戻すと、日本の科学技術の進歩は、日本に天災が多いからだと寺田が考えているところがとても興味深く思いました。
寺田寅彦、いろいろな随筆が残されています。
また読んでみたいと思います。