日本三大霊場というのがあるのだそうで、比叡山、高野山、そして恐山なのだそうだ。下北では「死んだら魂はお山さいぐ」、と言い伝えられている。いたこの口よせにも多くの人が並んでいた。(皆悩みを抱えて生きているのだなあ) 風に揺れる風車を横目で見ながら・・もの悲しさと因縁をいろいろと思い巡らしながら歩いた・・
昭和63年で役目を終わるまで、多くの人と物資を運んだ青函連絡船。曇天の青森港には「津軽海峡冬景色」がながれ、これまた寂しい気持ちになってしまった。ぜひ乗船したかったのだが、残念ながらその機会なく今回の博物館乗船となった。北前船と言い連絡船と言い、船に郷愁が伴うのは危険を背にしながら、心を運んでいるからであろう。(俺だけかな?)
どれほどのものなんだ、皆がさわいだ「三内丸山遺跡」。行き着くまでになぜか道に迷った・・。
物見櫓は圧巻!少数移動型の生活をしていた縄文人達が、ここに、1500年間もの時間に、300人程度で大人数定住型の村を作っていた史実を想った。
「八甲田山」新田次郎をよみ、高倉健・北大路欣也の映画を見た。当時の世相から「上意下達」「日露戦争間近」が198名もの山岳遭難者を出してしまった惨事を、ずっと知りたいと思っていた。ボランティアの方に説明を受け、よく理解できた。中庭にある多くの墓標を見るに付け、自然と手をあわせずにはいられない気持ちになった。「この博物館の前に道を行軍していったのですよ」と、真顔で「この辺りでは、山に登る兵隊さんの姿をみる人が今でもいますから」の言葉で、背筋に冷たいモノが走った。そしてその後私も山に登っていった。(ちょうど八甲田山は霧も出て、いやはやなんという演出でしょう・・)