みんなKK

家族のイニシャルが4人ともKKです。今もたぶんこれからもずっと・・

鹿児島5<サツマイモ>

2009-12-30 | Weblog


移動は全て路線バスを利用。指宿には15:00に着き案内所で、一番近い場所で開聞岳の全景が見えるところを訊ねると、長崎鼻であるという。ちょうど20分後にバスがあるという。約40分、岬巡りのバスで到着。夕日に映える開聞岳に見とれていた。12月というのにハイビスカスが咲く。土産物屋のおばちゃんと親しく会話をすると、今日の夕日はほんにきれいやわ、という。慌ててバス時刻表を見ると、最終バス10分前。客は自分だけ。おばちゃんがバスの到着を気にかけてくれる。その気持ちが暖かく心に染みる。10分遅れでバスが来た。おばちゃんが「おなかの足しにもならないけど・・」とくれたサツマイモ。お世辞抜きで甘く、あったたかった。今回の旅のどんな食いモンよりも今でも甘さが残っている旨いもんだった。

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鹿児島4<知覧>

2009-12-30 | Weblog

今回は知覧町を訪問することが目的の旅でした。知覧は、薩摩半島の南端にあり、戦時中陸軍の特攻基地となったところです。現在は特攻平和記念館があり、全国各地からの訪問者が絶えません。K1の住んでいる町にも当時飛行場が置かれ、ここを経由して知覧から飛び立ち若き命を捧げた方もいます。左の写真は、出撃前に隊員達が過ごした三角兵舎です。若者達一人ひとりの顔写真や遺品、遺言にじっくり目を通していたら、4時間そこにいました。受付のおばさんに「あら~、今ですか??ずいぶんゆっくりご覧になりましたね。どなたかご家族の方でもいらっしゃいましたか」と聞かれてしまいました。ここで多くを言うに及ばず。広島、長崎、靖国神社と併せて一度足を向けて今の自分の生活のありがたみを感じるには(特に小中学生には)意義深し。

基地を飛び立って2時間後には確実に帰らぬ人となるさだめ。開聞岳の上を通り、祖国への思いを抱きながら何度も何度も振り返り、この山が見えなくなるといよいよ覚悟を決めたという。岬の先端に今も変わらぬ姿でそびえ立つこの円錐形の薩摩富士を東シナ海に夕日が沈む頃みたいと思った。そして、合掌した。
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鹿児島3<シェルターわかります?>

2009-12-24 | Weblog
 桜島には市内からフェリーで片道150円。上陸が午後2時過ぎになったので、タクシーに乗り近場だけの観光。運転手が島の生活に関心を持っている私を奥へ奥へと連れて行ってくれました。海辺の各集落には各々避難港があったり、石垣はすべて溶岩だったり、都城や種子島に集落後と移住したところもあったりと簡単な風土記ができそうなくらい知りました。島内でも一番危険だという有村集落へ連れて行ってもらい、家々の避難用シェルターを見たとき、ゴ~~~という地鳴りが体を伝わり、地球の息吹を直に感じました。正直こわかったなあ。
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鹿児島2

2009-12-20 | Weblog
市民は決してありがたいとは言い切れぬ、よそモンから見れば珍しい・・。鹿児島中央駅前、かぜが舞っており、あれ、めがねくもってんのかな、と思ったほど。共存共生しているんですね、昔から。
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IN 鹿児島1

2009-12-15 | Weblog
ご無沙汰でした。この間、鹿児島へ行っていました。「我が胸の燃ゆる思いに比べれば煙は薄し桜島山」、錦江湾に浮かぶ桜島は実に雄大かつ荘厳。地球は確かにいきているという躍動感を感じました。美しい~
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