観光地に行くと、伝統工芸品にかかわる様々な体験活動ができます。会津では、花器の絵付けを体験しました。・・当初はやる予定がなかったので何の用意もせずいきなりのことで、一筆入れるたびに「はぁ~、センスねえな~」と自己嫌悪。ここに欲があるんです。楽しめばいいのに上手く描こうなんて色心を出すからいけない。だいたいコンセプトがめちゃくちゃだもんな!やはりこの道何十年という職人さんは、すごいのです。○○塗りが○万円するのは当然なんです!K1作、題して「夏夜草」!?
会津に行ってきました。あいにくの雨。本日は白虎隊春の慰霊祭で、多くの観光客が詰めかけておりました。若松城はごらんのように、霞がかかったような佇まい。雨の音が周囲を包むと、異次元にいるようで(歴史的景勝地に行くとK1は空想の世界が広がる質らしい)趣がありました。おみやげは、栗がまるまる1ヶ入ったまんじゅう、そしてニシンの山椒漬け。前者は家に、後者は自分に・・。
春を旬とする「山菜」はいくつもありますが、やはりタラの芽でしょうか。実は冬の間に春になったらとろうとおもって、群生地を見つけておきました。しかし、山菜というのは早い者勝ちで、ましてタラの芽は時期的にも早いためライバルはそこかしこにおります。しかして今回も、してやられました。・・が転んでもただでは起きない国司のごとく、棘と格闘しこれだけ収穫できました。売っているものよりは小ぶりですが、これ位の大きさが駆け引きしながらとれる大きさでした。天ぷらにしていただきました。先日飲み会で今年はあげますね、と豪語したのにすいません!!あげられるほど今のところは取れていません。でも、じつはタラの芽よりも「こしあぶら(やまぐるみ)」の方が香りも強くておいしいんですよ・・。
いっぱい書きたいことはあったのです。あったのですが、帰宅してPCを見る気が起きなかった・・。それだけの理由。桜は咲いたのか?蕾のままか?ごもっともでございます!かくして、私の散歩コース(休日版)は今まさに満開。美しい限りです。さらに、ここ数年、少年時代にはリンゴ畑だったところが菜の花畑と代わり彩り鮮やかな春の景色を作り出してくれています。「いいもんだなあ~ふるさとは~。(次回は春の味覚です!)
桜花絢爛です。春なごみの 風も柔らかで心地よいもの。1日の終わりに那須連峰に目をやれば、山の端が陽の光に照らされ、これを黄泉の世界と思った先人達の感性にも深く頷けます。崇高な話しのようですが、日々の生活は混沌としております。それ故に、ホッとできる時空間を探しているのかな・・
よろず揉め事仲裁を生業としている神名平四郎。教科書で習った天保の改革(水野忠邦の政治)がいかに窮屈だったのかよくわかる。治世厳しき中で起きる離縁話、勘当息子の連れ戻しなどなど、人生の悲哀たっぷり、話しの終わりはほんわか暖かみを覚える見事な心情描写を楽しむことができる。私が藤沢周平の本を好きな理由は、夏の夕暮れの半刻(1時間)を、誰の目にも映るように書くことである。
とにかく肩を張らず読めるところがいい。「よろずや平四郎活人剣(上下)」(文春文庫 各629円)
とにかく肩を張らず読めるところがいい。「よろずや平四郎活人剣(上下)」(文春文庫 各629円)
農耕ができる平地、川が流れ水に恵まれている処にこんな形の山があれば、およそ信仰の対象になっていたのではないかと、予想されます。ドライブもボッと外を眺めているだけでなく、そこにどんな人々の生活がある(あったのか)と考えると面白みがでますね。新幹線で関東平野にはいると、屋敷森が目に付きます。およそ落葉広葉樹です。季節風で葉が落ちると、冬の日差しが入り込みやすく、落ち葉は肥料になります。さらに、土地土地によって屋敷森が一定の方向で囲まれていることに気づきます。すなわち、その地域の季節風の風向きがわかるわけです。さて、この山ですが、かつてのK1の職場近くにあります。ずいぶん長くつとめていたので、思い出深い町です。そして。東北地方最古の祭祀遺跡でもあります。麓からは38もの竈あとがある竪穴住居の遺跡が出土しました。古人は神が宿る山として、ここから昇る太陽を拝んでいたのかもしれませんね。時間を超えた純心を想うとき、今の自分を見つめ直すことができます。(いかんな~・・)土器や鏃(やじり)などは畑を耕すと出てきたそうです。対して価値のあるものとは思わず、ポイッと捨ててたぞぉ~、と酒を酌み交わしながらきいたことを思い出しました。
桜前線もみちのくの玄関口まできました。来週には満開でしょう。今まさに咲こうとするこの頃の木々を遠望すると、楽しみを秘めている初々しさが淡い桜色に顕されている気がして、微笑ましい気持ちになります。桜の花は咲くまでは、上を向き、開花すると下を向くそうですね。未来のある子供達の姿と、強く重なります。下を向くと言っても、晴れ姿をどうぞ見てください!と言っているのでしょう。いつ咲くのかと眺めていた古人は、それ故に花から精気が降りそそがれているとかんじたのかもしれませんね。また、今こうして桜を楽しめているのは、それを植え、守をしてくれた人たちの、心づくしがあったからです。人の名は知らずとも、感謝の気持ちをもって眺めると、桜色から人の温かみが漂う気がしました。平安の頃も同じだったようで・・“昔誰かかる桜の花を植ゑて 吉野を春の山となしけむ”
先週あたりから、レコーディングダイエット(RD)が怪しくなってきた。飲み会が多くなったことで、記さなくなった。案の定小さなリバウンドが始まった。これはいかん!空欄の多くなった手帳を見て、もう何度となく思ってきた自分のいい加減さを自覚。続けることに意義がある!と説いている本人がこうでは、あまりにも薄っぺらだ。そして再開。また減り始めた。こんな事の繰り返しかもしれないなぁ。目的?それは明確。心も体も快適に生活するため。またがんばる!
今年も早、百日が過ぎた。元旦、初日に向かい心したことをどれほど実行できているのだろうか。我ながら恥じるばかりだ。これもきっかけの一つ。RDばかりでなく、さっそくあれも再開だ!(苦笑)
“今日も今日も 徒に過ごして 明日明日と 言わば千年も空しからまし”
今年も早、百日が過ぎた。元旦、初日に向かい心したことをどれほど実行できているのだろうか。我ながら恥じるばかりだ。これもきっかけの一つ。RDばかりでなく、さっそくあれも再開だ!(苦笑)
“今日も今日も 徒に過ごして 明日明日と 言わば千年も空しからまし”
新入社員、新入生とfreshmanにとっては4月が門出の季節。振り返れば、自覚を持たなきゃ、と研修を受けながら相当無理して社会人としての気持ちを作ったなあ・・。いつでもやめていいや、と息巻いてもいたなあ。だけど、人間って生まれるときも土に帰るときも、何一つ選べない。人生の中で選べるものは、伴侶と職業。(このどちらかも選べないとなると、かなり悲しい状況なわけだ)私もこの仕事は自分の意思で選んだ。そしてまた今年選べない新しい出逢いがあった。この出逢いは、選んだもの以上に大事に育んでいかなければならない。初々しいfreshmanたちは、今日2日目を迎える。相当気疲れもしているはずだ。だが此処が最初の頑張り処。新しい環境の中でどう生活していくのかを伝える、黄金の1週間なのである。皺は増えたが、私もまたfreshmanなのだ。