みんなKK

家族のイニシャルが4人ともKKです。今もたぶんこれからもずっと・・

春の息吹

2012-03-27 | Weblog
 那須町からの那須連山です。雄大な自然は同時に厳しくもあります。自然の理に沿わない便利さが実は不便を生んでいる、とも感じています。木の芽の膨らみや雪解け水の音の変化、風の柔らかさと香り、こういったことに敏感であると、旬がわかってきますよね。この眠さも又然り!?
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炯眼

2012-03-26 | Weblog
 穏やかなお顔でしょう。この姿から施しを受けていると感じます。子ども達の姿を見る心の目はきっと鋭いはずです。素込まれるような青い空でした。
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カレー

2012-03-18 | Weblog
 【今日作ったカレーレシピ】
 タマネギをきつね色になるまで弱火で炒める。大蒜とトマトを炒めてその水気で冷凍のシーフードミックスを加え煮る。固形のスープを加えて煮る。先ほどのタマネギを入れる。後は、ガラムマサラでも固形のカレイルーでもよい。時間と手間をどこまでかけるかの違いだけ。1時間かかりませんが、カレーの味が落ち着いてからだと旨さは格段に違うようです。あと一手間なら、デミグラソースや酸味を加えるとよろしいようで、例えばらっきょうの汁など・・。

 インド人スタッフがよく言っていたのは、スパイスは各家庭でいろいろ調合の拘りがありそれが家庭の味。一から十まで調合するのはさすがに時間がかかるから、市販のガラムマサラを基本にうちはもう少しクミンを入れて・・などとすることが多い。

 ダル豆のカレー(スープ)が日常食。チキンなどは週1食べるか食べないか。

 トマトと大蒜がないカレー作りは考えられない。

 私の周りの裕福とは言えないインド人たちと一緒に食べたカレーは思い入れもあるが、店のカレーより旨かったなあ。
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温故知新

2012-03-16 | Weblog
 幼児2時を置き去りにして餓死に到った痛ましい事件の被告に懲役30年が求刑されたニュースを見ました。キャスターや評論家のコメントに何ら異議はなし。気密性の高い世界(家の構造然り、人としての存在然り)は、孤独や孤立に周囲が気づかない危険性があります。コミュニティは、他への関心を遮断していては成り立たないはずなのです。

 「お隣の今晩のおかずは秋刀魚だわ、家もそうしよう」「夕べ旦那さん遅く帰ってきて、一悶着あったようね。うちのと一緒だったのよ」「あらら、豆腐がないわ、隣の店に行ってもらってきて。金は後で払いに行くって言えばわかるから」「○○ちゃん、もう中学でしょう。このジャージまだ新しいから使って」(全てK1が経験してきたごくごく普通のことばかり)

 昔の家はすきま風が入ってきた分、人の声、匂い、音などの生活感を感じとれたのです。今だってやろうと思えば出来ます。震災を経て気づかされたことも1年経つと忘れてしまった、ではいけませんね。
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ようやく

2012-03-15 | Weblog
 先週初めから体調不良が続き、1週間は無理をせずにいこうと決めました。土日を挟んで、出張。すると生活のリズムが崩れているためメンタルもフィジカルも歯車が合いません。
 齢を重ねて思うこと。定位置保管と生活リズムの大切さ。

 今日あたりからは今まで通りの生活に戻りました。
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読書術

2012-03-14 | Weblog
 高倉健が帯に映っていましたので、迷わず手に取りました。ぼんやりと読むには、とても良い類の本でした。映画も観てみたいものです。「あなたへ」
 パンは数日前書いた結婚式でもらってきたものです。とっくに食べきってしまいましたが写真は3/9(土)に取りました。

 
 私はカバーをつけてもらいます。なぜならこんな風に出逢った言葉や気に入った一文を書き留めるためです。そのための辞書は傍らに置いておきます。馥郁、よい言葉ですね。回りくどく言うより端的に美しく表現できている日本の漢字です。
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県都

2012-03-13 | Weblog
 月~火は福島市に出張でした。今朝起きると県都はうっすらと雪が積もっており窓の外の寒々しさがよくわかります。駅前のホテルから撮影しました。


 県庁のロータリーには自衛隊の通信車両があり、災害復興はまだまだ道の途中なのだと実感しました。


 県庁からの福島盆地と阿武隈川の流れです。
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震災後1年を経て

2012-03-11 | Weblog
 1年前の朝起きてからの自分の行動を出来るだけ思い出しながら生活しました。3日前に何を食べたかは思い出せずとも、かなりの部分鮮明に覚えていました。
 
 正直言えば恐怖心がまだまだ払拭できていませんから、心のどっかにしまっておきたい気持ちもありますが、1年を経て何かに書き記しておくことも大事かなという気持ちになってきました。

 2:46からの数分間は、生きた心地がしませんでした。そして家に近づくにつれて、惨状を目の当たりにし放心しました。大変なことになった、と心底思いました。同時に何が起きていてもしっかりしなければ、とも決心しました。
 
 津波や地滑りでの悲劇は少しずつ報道されていますが、遺族の方には心を寄せることしかできません。

 TVは首都直下型地震が起きたら・・4年後には・・などと言っておりますが生かされる命を頂いたときどう生きるのかの準備は大事だ、と自戒しています。「生きる力」とはこういうことを言うのであり、社会参画とはこういう時のために自然に助け合いの出来る地域人になっているか、ということです。

 今はなっていなくともそういう動きが求められていると思います。これが1年を経て自分自身明確になったことの一つです。

 機微のわかる人でありたい。
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粗にして野だが卑にあらず

2012-03-10 | Weblog
 披露宴にご招待を受けました。冠婚葬祭、冠は既に私たちの生活様式からかけ離れた風習となってしまいました。婚葬祭のうち「婚」はビジネスと結びついています。「葬」はまだ地域の風習として残っていますが、共働き等の事情や地域の形骸化からこちらも斎場にお願いすることが多くなっています。祭は若者達を中心にまだ残っているほうでしょうか。

 「婚」について

 祝辞は短い方がよい。上司や仲人(最近はとんとお会いしなくなりました)が美辞麗句を並べて「秀才」と「才媛」が、と申しても周囲の皆さんはよく知っているのであります。(立川志の輔より引用)

 祝辞が長い方がよい人もいるのであります。それは新郎新婦の両親です。嬉しいのです。肩の荷が下りた、ホッとした、息子娘が一人前になった。こんな嬉しい会はないのです。新婦の父は寂しいのです。娘はどっかにいってしまう。この一刻が永遠に続いてほしいと願っています。祝辞があっさりしていると、物足りない感じになってしまう。娘のエピソードが聴きたいのです。(山口瞳より引用)

 でもせいぜい5分程度に収めるのがよろしいと私は思います。出来るだけ親身になっていれば何でもよいのです。


 料理は実に豪華です。ご祝儀が無くなってしまうのではないかと心配になるほどです。今回も茶碗蒸しか、と思っていたらキノコスープだったり、焼きたてのパン(あまりに旨いので頂いてきました)もあれば、出汁のきいたお茶漬けもあり、レストランなら魚にしますか、肉にしますかと尋ねられるところが両方出てきたり。

 酒は程ほどがよろしい、というのが持論です。ばかばかビールやら焼酎やらを煽り続けては、両家の気遣いを無駄にします。話を聴く耳も持たなくなり、終いには「よ!成田屋!」などのかけ声まで出てきます。特にお決まりの〆の両家の挨拶と新郎新婦の挨拶くらいは耳を傾ける雰囲気くらいは持ちたいかな。

 不義無礼は個人個人の姿勢の問題です。それを諫めるのは他人では出来ません。この人は危ないなあ、と思ったら新郎新婦に「ご夫婦で招待したら」と言ってあげるのが親身かも。(賢い奥様は辞退されると思いますが)
 私の周りにはこういう場で大胆不敵になる方が多く、楽しいのですがハラハラもします。憎めない人達ばかりで、自宅や公民館あたりでの披露宴に最も適しています。
 私自身も粗にして野です。しかし卑ではないといえる生き方はしたいと思ったのでした。




 
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宵の姿

2012-03-09 | Weblog
 しみじみ食べる飯ばかりの飯である (種田山頭火)

 一日の終わりに、口いっぱいに飯を頬張り噛むほどに甘みを楽しむ。炊いてある暖かい飯だけでもありがたいのだが、しみじみとあの日を思い出しながら食べる飯は甘い。親爺の酒のつまみであろうか、鰹の酒盗をほんの少しだけほおりこむ。土地の恵みと海に恵みが口いっぱいに広がり、体が元気になる。今週も無事勤められました。


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