何度か訪泰していてもなかなかいけなかったカンチャナブリへ。6:30マンダリンホテル集合のツアーに申し込みワゴンで2時間。連合軍墓地へ。マレー半島を制圧した日本軍が、タイ、ビルマの物資ルートをつくる際に敷いた泰緬鉄道。1マイルの鉄道線路を延ばすのに400人の連合軍捕虜が過労と熱帯病で死んだとされる死の泰緬鉄道である。墓碑に刻まれた名と家族からのメッセージを読む。歴史はこうした犠牲の上に刻まれている。感傷を覚えながらそっと手をあわせずにはいられないのは皆同じようだ。
チェンマイ(タイ)に戻り、翌日は標高1600m山の上の寺へ。ワット・ドイステープに行かなければ、チェンマイにきたとは言えない!、と言われいざ!山の上からはチェンマイの町が一望できる。この寺に限ったことではないが、タイの人々はが総じて信心深い人が多い。大乗、小乗の違いこそあれ手を合わせて祈る姿は、人間らしくて私は好きだ。ここでも、僧の前で祈る人々を多く見た。だが、ドライバーよ!時速100km近くで祠が見えたらからと言って、ハンドルから手を離し合掌するのはおかしいぞ。おれはまだ仏になりたくない!
向かった先は2つとも寺であった。ミャンマーはルビー、サファイアをはじめとする鉱産資源に恵まれた国だ。最初の寺では、サファイアで作られた仏像が神々しかった。(これは色目を使ってみたからだ)姉と弟が寺守として玄関にいた。ほっぺに白い粉。どうやら日焼け止めらしい。町中でも大胆に塗っている女性が何人もいた。(ファッション?背に腹は代えられない?)次の寺は丘の上で立派なパゴダがそびえていた。少女が一人サトウキビジュースを飲みながら立っている。警戒心なのか、あいさつにも応えてくれない。ポケットからガムを出してどう?と勧めてみた。微かなほほえみの中にある陰。風土のせいか、環境や情勢のせいか。帰り際に頬をゆるめ軽く手を振ってくれた。要らぬ詮索をしたようだ。
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*立て込んでおり小休止しました。無事?入国を果たしたミャンマーの町はタチレク。写真を見てあれ?と気づいた御方はなかなかの観察眼。さっきまでのタイとは何かが違う。イミグレーションを過ぎるとすぐに乗り物は交差して、右側通行になってしまうのでした。確かに違和感あったなあ。さっきまでと逆だもの。更に、舗装が悪く振動が響く。バイタクのバイクは中国製の中古品。GATEを越えるとこうも違うのですね。空から入国する感覚とは全く違い、ある意味新鮮でした。でも何となく緊張感は解けない。
国境の町は人と物が交錯し、活気に溢れている。ミャンマーは1990年以前はビルマと称していたから、「みずしま~一緒に日本に帰ろう~」(ビルマの竪琴)親しみを覚えるが2007年の暴動(日本人カメラマン、長井さんが殺害)からは、どこか怖い印象ばかりが先立つ。メーサイ(タイ)から歩いて入国。ミャンマー側の事務所でパスポートチェック。カメラもPCもかなり古い。詳しいことは知らないが、ここでパスポートを取り上げられ、(おいおい、こんなのありなの?HHくん?)entry permitを手渡される。パスポートは帰りに反対側で受け取れ!、とのこと。1歩踏み出すまえからドキドキしてしまった。(つづく)
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大小多くの船が行き来するメコン。チベット高原に源流を発し、中国雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境線、タイ・ラオス国境線、カンボジアを通じて、ベトナムに抜ける大河で典型的な国際河川の一つ。ラオスを離れたボートは、波に向かって進んでいった。ドンドン、とボートに衝撃が走る。12月なのだが、風がとても気持ちいい。次はミャンマーへ向かおうと思う。
1.嘘か誠か、こんな大魚がメコン川で獲れたそうで、捕獲したアメリカ軍の若者達がかかえているこの写真・・頭の形が(ここには写っていません)龍の顔にも見えるということで、結構話題になったできごとだったようです。合成なら合成で、まあ楽しめます。
cat fishは確かに大きかった。唐揚げをトライしたけど、生臭さと泥臭さが抜けていない上に半生だったので、受け付けませんでした。
2.桟橋上の土産物屋で一際目をひいたのは、コブラやムカデ、ゲンゴロウが巨大化したような生き物のアルコール漬け。珍し物好きのK1は、ガイドの制止を振り切り、コブラ酒を試飲(10ml程度)しました。結構旨かったですよ。ピリッともこなかったし・・。ただ、すぐに顔が火照ってきましたね。このエネルギーのはけ口はどこへ?(つづく)
エンジンを全開にさせたボートは、ものすごいスピードでメコン川を下っていく。川風を前進で受けながら大河の上を滑っていくようだ。ラオス側で護岸工事をしている。初めて見るラオスの人々だ。彼らの目にはこの優雅な観光客がどう映っているのか。着岸したボートから上がる階段は、流木をつなぎ合わせてもの。川や水路を隔てた国境を通るのは、ジョホール水道以来だ。入国に際して、パスポートチェックがなかった。この地区では夕方5時までならタイとの行き来が自由であるという。こういういい加減さがなんともいい。目の前を中国船籍の穀物を乗せて下っていく。そうなのだ、ここから200Km遡れば、中国に着いてしまうのだ。泥色したメコンの流れは、人々の生活を映し運んでいる血流なのかもしれない。(つづく)
1/10のつづき 写真右がメコン川。その右岸がラオス、奥オレンジ色の屋根の建物がミャンマー、写真の左側がタイ、そして中央の見える中州あたりが各地からのアヘンが集まる物流基地であった。アヘンにはlionやdeerなどのブランドもあった。アヘンの対価がGOLD(金)である。このトライアングル地帯と併せてゴールデントライアングル地帯と呼ばれている。20年前なら近づけなかった。現在は観光ルートの一つとなっていたので、K1はボートでラオスまで足を伸ばした。
5年ぶりで成長した面々と出逢いました。当時の顔とマッチさせるのに少々苦労したのは、やはり女性陣。巷ではいろいろと騒がれれている式典も、きちんとしたものでした。K1は20までは同級会に出席しないことにしています。だから昨日がその解禁日。これほどまでに成長ぶりを嬉しく感じたことはなかったなあ~。たった1年の付き合いでどれ程のことをしてあげられたのか自信がなかったから。でも、口々から身に余る讃辞、若者らしい賑やかななかにも、節度もあるクラス会にとても心地よい時間を過ごしました。午前様にもかかわらず家まで送っていただき、家の戸を開ける前に、また涙腺が緩んでしまった・・ありがとう。共にがんばろう。
今度はいつでも誘ってくれ。
今度はいつでも誘ってくれ。