サプリメント、健康食品、ドリンク剤、ジョギングやヨガ、漢方、自然派化粧品、どれか一つくらいは健康のためと思ってやっている人がほとんどだと思います。病気になって治療を考えるのは火事になって消火器を探すようなものです。だかこれらは「治療」ではなく「養生」です。しかし、養生法をしている人が病気にならない、長寿かと言えば必ずしもそうとは言えません。
私もいろいろやっていますが、根底には「すべての健康法は気やすめである。」と思っています。そう思うと結果が出なくても途中でやめてもまったく気になりません。気やすめとは文字通り「気」がやすまることです。どこも悪くないけど気が乗らない、ストレスとは気がせいてやすまることがない状態、だから休まる方法を何かやればいいのだと思います。なんとなくやり始めて10年たった、という健康法が意味を持つと考えます。
温泉に入る、アロマを楽しむ、山に登る、ランニングをする、気を休める術と考えながら楽しんでます。
←これも気やすめ
私もいろいろやっていますが、根底には「すべての健康法は気やすめである。」と思っています。そう思うと結果が出なくても途中でやめてもまったく気になりません。気やすめとは文字通り「気」がやすまることです。どこも悪くないけど気が乗らない、ストレスとは気がせいてやすまることがない状態、だから休まる方法を何かやればいいのだと思います。なんとなくやり始めて10年たった、という健康法が意味を持つと考えます。
温泉に入る、アロマを楽しむ、山に登る、ランニングをする、気を休める術と考えながら楽しんでます。

あるときから義務感に駆られてしまうようなものがありますが、そういう類いのものは、継続できたことがないですものね。
本人は怒るかも知れませんが、結局息子は『自分の分身』なのかも知れません。親の背中を通して、親が見ていた『正しいと思うこと』を子供も見ているのでしょうね。最近、自分自身が親の(特に父親の)分身だと思うようになりました。だとしたら、信じてあげるしかないかもしれませんよね、自分の分身を。