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※毎週土曜更新を目標にしています。

死刑の抑止力

2008年03月26日 07時24分02秒 | 法・裁判
鳩山法相「粛々と死刑執行」 「治安の良い国つくる第一歩」(西日本新聞) - goo ニュース

まだ考えている途中、ではあるのだが。

「死刑があることによって、人を殺そうとする抑止力が働く」と
言うのだが、どうなんだろうか。

タイミングの悪いことに、
土浦ですれ違う人を次々刺す男が現れた。
この男は、「死刑になるから」といって止めるか、というと
止めないと思う。

まあ、極端な例を挙げても仕方がないのだが、
得・損で物事を考えない人間に対しては、
「死刑」は関係ないような気がする。

死刑の有無によって、どう行動するかを類型化してみると、
(本当は座標にした方が考えやすいのだろうが)
1.「死刑があろうがなかろうが、人を殺す」(今回のケース)
2.「死刑があると殺人を犯さないが、
   死刑がないと殺人を犯す」
3.「死刑があると殺人を犯すが、
   死刑がないと殺人を犯さない」
4.「死刑があろうがなかろうが、人を殺さない」(ほとんどの人)

で、2.に当てはまる人が(ごくわずかでも)存在するから、
「死刑には抑止力がある」という結論になるのだろう。

そりゃあそうなんだが、
それだけ考えても仕方がない。
「死刑」によるデメリットと、この抑止力を比較しないと
正しい判断はできないのでは?

特に、「抑止力」が過大評価されているような気がする。
(「死刑」によるデメリットは別途。)

「死刑があろうがなかろうが、人を殺す」(1.の場合)に対しては
抑止力が働かないと思うのだが、
こんなタイプの殺人が起こったときにまで、
「死刑をきちんと執行しよう」という議論が
出てきているように感じる。
あまり論理的だとは思えないのだが。

# 「抑止力」なんて綺麗事を言わずに、
 死刑とは
 「国民の復讐意識・憎しみが、その者を抹殺したいくらいに
  高まった場合に発動する刑罰」
 と定義してしまった方が、
 すっきりするような気がする。
 結局、国家が被害者の代わりに仇討をしてくれる、ということでは?
コメント
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